「な、んだよ。いきなり」
切れ切れに答えながら、セナイの手は無意識に額を押さえていた。男は苦笑をうかべ、少年の頭を包んでいる布地を外してしまう。
「おれはあんま信じたくなかったんだけどな。運命はともかく、使命ってのはあるんだなぁと思ったわけよ。てめぇらを見て」
「おれ、たち?」
「風の民の末裔がおれの前に姿を現すことも、風の獣が再び意思を取り戻すことも、のちにおれが果たすべき使命に繋がってやがる。まったくつまんねぇ」
ため息をついて男は立ち上がった。おもむろに腰にさす刀身の短い剣と、大腿部に装着した皮鞘を外して手に取る。
「剣はてめぇにやる。こっちの短刀はあの女に持たせてやれ。お前がつかってる鉈は便利な道具だけどな、戦う手段としては重宝しねぇよ」
「な、んで。なんでこんなこと、するんだよっ!」
一人で勝手に納得している男が許せなくて、セナイは思わず全身で叫んだ。
運命だとか、使命だとか、よく分からない理屈を述べてくる男が本気で分からない。だいたいファルがいないところで、こんな話を、なぜ聞かねばならないのかも分からなかった。
「好きな奴は守ってやれよ。おれの使命は風の民に関係があるんでね、いつかわかるさ。おれが何をするべき人間なのかはよ」
人を威圧していた凄みを消して、男はまた柔らかに笑った。セナイの頭を弟にでもするように、よしよしとなでる。自らが選んだ服と剣を装備させたところで、見計らったように女の声が外から届いた。
「終わったか、入れよ」
暖かく笑う女の背に隠れて、ファルが立っていた。
やせぎすの体型を隠しつつも、動きやすさを損なわない山吹色の服を着ている。頭をおおう布は外されて、かわりに色の石をつらねた額飾りがゆれていた。三つ編にして背に流すのは同じだったが、結ぶのは華麗な飾り紐だ。
追いはぎに狙われるほどに派手でもなく、流浪者と思われるほどに粗末でもない。
「あ」
ぽかんとセナイは口をあけ、ファルも驚いたように目を張った。
「似合うと思ったら、口にしといたほうが得ってもんだぜ? 二人ともな」
からかうように男は笑い、女も暖かに笑いながら、荷物を二人に渡してくる。十分とはいえぬ装備だった二人の荷物が、今はおどろくほどに充実していた。しかも紐でつながれた見慣れぬ金銭まで見つけて、ファルが息を飲む。
「これって」
「とっとけ。もう少しでそれがものを言う時代がくる。その頃にはお前等もおれの民だろうさ。次にやぐらや砦を越すことがあったら、やった剣をみせればいい」
「剣を? それに、おれの民って……?」
ファルの疑問に、男は笑むだけで詳しくは答えなかった。かわりに二人の背を押して、門のところまで急がせる。
栗毛の馬がつややかなたてがみを揺らせて、朝日を受けながら待っていた。
二人を馬の背にのせ、昨日と同じように馬上の人となる。
男が手綱を引き、門が開くと同時に、駿馬は再び風と同化して駆け出した。めまぐるしく景色は変わり、太陽は動き、やがて昼も深まったところで、ようやく馬は停止する。
谷底に向かって、不気味なほどに濃く暗い緑の森が延々と続いていた。
道らしきものは見当たらない。背筋に冷たいものが走って、二人はつばを飲み込む。
「風啼き谷は閉ざされ、風の待ち人を、風の呼び人を、待って眠るのみ」
馬から二人を下ろしたものの、自らは騎乗したまま男が言った。
「それって……」
「おれが物心ついたころから、知ってた言葉さ」
なんでもないことのように言って、男は肩をすくめた。「気をつけていけよ」と続けてから馬首を返す。
セナイとファルは慌てて、殆ど同時に声を張り上げた。
「ねえ、お願い!!」「教えてくれ、名前を!」
男は馬の足をとめ、悩むようなそぶりで目を細め、口を開いた。
「雷閃将軍ティオス・レナル・エイデガル」
「……エイデガルって」
乱世の時代に突如名をあげ、急速に力をつけて版図拡大を図る国がある。
――乱世を終わらせると言って笑った、レリシュ・エリ・エイデガルを女王にいただく国だ。
「じゃあ、あんたは王族なのか!? 本気でこの乱世を終わらせる気なのか!?」
おれの民になるとティオスは言った。
それは乱世をおわらせ、風の民をも保護下におくとの意味だったのか?
セナイの叫びはティオスには届かず、二人はただ呆然と去っていく貴人の後姿を見つめるだけだった。
風啼き谷へと続く森は、見れば見るほどに暗く、そして深い。
陽射しはすでに傾きかけている。暗き森に入れる場所を求めて周囲を歩くうちに、太陽がどんどん傾いて、すぐに夕焼けの中に取り残されてしまう。
セナイは慌てて野宿にふさわしい場所を探し、火をおこした。ファルは近くに流れる川を見つけて、ティオスがもたせてくれた鍋に水をみたして戻ってくる。
ぱちぱちと火のはぜる音が、闇の中で穏やかに響いた。
他に音はない。
森というのは夜でも意外とにぎやかさがあるものだ。夜行性の動物や、昆虫が、ひっそりと活動しているのだから、当然のことのはず。
「静かだね、なんか」
食事を終え、倒木に並んで腰を落としたファルが呟く。
「いろんなものの時間が止まっているんだってさ。風の獣が眠るときに、一緒に眠らせてしまったんだってノリスが言ったよ」
頭を包む布が取り払われ、むきだしになった少年の風の文様が、火に照らされてまるで輝いているようだった。
セナイの顔がまぶしく感じられて、なぜか直視できない。心音もやけに激しくて、ファルはぎゅっと服を握りこんでうつむく。
「なんでそんなこと、したんだろうね。あたしだったら……どうするかなあ」
長い長い眠りにつくときに、何を思うのか。
眠りの先は一人ぼっちで、いつさめるか分からぬ朝を待って、孤独であり続けるのだろうか?
ぶるっとファルが身体を震わせると、セナイが慌ててのけぞった。
「セナイ、どうしたの?」
「いや、その、なんかファルが泣いてるみたいだったから。どうしたのかと思って、顔を覗こうとしちゃって……その、悪い」
「……あ」
セナイの顔が赤くなっていくので、ファルまで赤面してしまった。心音もさらに激しさを増し、聞こえてしまうのではと彼女はあせる。
勢いをつけて立ち上がり「あのね!」と声をはった。
「あたしも、ずっと一人で寝てなくちゃいけなかったら、一緒にって思うかも。だって、セナイと一緒だったらきっと寂しくないから!」
今度はセナイの心臓の音が跳ね上がる番だった。
つぶらな藍色の目を見開いて、少年は口をぱくぱくとさせる。うまい言葉が見つからずに、吐息を一つ飲み込んで立ち上がった。
まるで壊れ物に近寄るように、セナイはそっと手を伸ばす。
ファルの頬に触れるか触れないか、そんな位置までたどり着いた瞬間、二人は突然の出来事に見舞われて目を奪われた。
空色の瞳と、藍色の瞳の上を、きらめきがないでいく。
ファルが一歩下がる。
セナイは逆に一歩進んだ。
二人の肩が横に並び、そして手が自然とつながれる。
木々の隙間から、砂の合間から、月光をうけるしずくから。光が生まれて、うつくしくたゆとうているのだ。
木々が突然、くるったように枝葉を震わせはじめた。
ファルとセナイは動けない。呼吸さえもつめて、ただ立ち尽くす。
低木が姿を消すと共に、岩が静かに崩れていく。細かな破片が光の流砂となって、地面を覆っていった。
二人をいざなう光の道。
「あたしたちが進む、道?」
ファルの声がうわずる。
セナイは身体を震せた。
けれど光の誘いのままに、少年は歩を進める。うながされた形でファルも光の道に足を踏みいれた。
体重をかけて、二人は同じく目を見張った。踏み固められていない、ふかふかのわらの上のように、地面がやわらかい。
セナイは慌てたようにぐるりと周囲を見渡した。ファルは顔を輝かせて、足踏みをしてみせる。
「やわらかいっ。ねえ、セナイもやってみなよっ」
少女のはしゃぐ声に、少年は頭上にやっていた眼差しを下ろす。
「んーそれも悪くないけどさ、こっちもすごくってさ。だって見てみろよ、ファル、あれって星じゃないんだ」
「星じゃない? セナイ、空には星があるものだよ。だって……」
唇をとがらせながらも、ファルは素直に頭上を見上げる。暗闇をてらす道しるべのように、きらめきを放つ頭上のそれは、まさに星そのものだった。だまされたと感じて唇を尖らせたので、セナイが笑い出す。
「ファルの怒りんぼ! よく見てみろって、あれ、全部葉っぱなんだよ。枝が複雑に組み合って、空を隠してしまってるんだ」
「葉っぱー!? ……ああっ! 本当!!」
二人の頭上を押し包んで圧倒すのは、樹木のてんがいだった。
まるで意思をもつように、枝という枝が複雑にからみあって、天井を作り上げている。星だとファルが感じたものは、足元にある光の道を作り出したものと同じ、光の流砂だった。
「なんて……不思議なところ、なの……」
静寂に包まれ、外界を拒絶する空間は、まさに神秘に満ち溢れている。
「誰のことも拒絶していた場所なんだ、風啼き谷は。本当はね、朝風がいなくっても入れるんじゃないかって思って、ここまできた風の民は沢山いたんだって」
「そう、なの?」
大きな目を少女は少年に向ける。彼は少し幼い仕草でうなずいてから、彼女の手をひいてまた歩き出した。まるで確かめるようにゆっくりと、二人をいざなう光の道をすすんでいく。
「探しても求めても見つからない朝風だけが、風の獣に求められてるんだって考えると寂しいだろ?」
「でも、ね。セナイ、風の獣は朝風だけを求めてるんじゃないよ? 朝風を求めるのは、目覚めたいから。風の獣を感じたときに伝わってきたんだ、好きで眠っているわけじゃないんだって叫んでる気持ちが。風の獣も……」
寂しいんだよ、と続けようとした唇をファルは止めた。
手を握っている、セナイの表情に鋭さがある。眼差しが忙しく周囲を見やり、なにか耳を澄ましている様子だった。
「なんだ、これ……なにか、気配が……」
セナイが困惑して呟いた瞬間。
緊張がうつって意識を研ぎ澄ませていたファルはハッと目を見開いて、全体重で少年に体当たりをした。
「ファル!?」
まさか体当たりされるとは思っていなかったセナイの身体は、簡単に均衡を崩して倒れこむ。目を回しかけた少年の耳に、轟音が届いて目を張った。
巨木が前触れもなく、唐突に根元から腐って倒れたのだ。
「セナイ、走ろうっ!」
ファルは跳ね上がると、少年にむかって手を伸ばした。セナイもそれを取り、すぐさま身体を前に出して飛ぶように駆けだす。
――まるで一陣の風のように疾く。