第七話・合戦跡を越えて
第六話・見張りやぐらにて目次第八話・風啼き谷

 男はセナイとファルを腕に抱えたまま歩きだす。さらに二人は手足をばたつかせたが「大丈夫だって」と思い出したようにくり返すだけだった。
「大丈夫って、なにが大丈夫なんだよ! おれは自慢じゃないけど、通行証とか持ってないんだ!」
「あたしも持ってない! 持ってないんです! だからまずいんです!!」
「そんなことで威張る奴は初めて見たぞ、おれは」
「感動するなぁ! だから、堂々と通るなって!!」
 叫べど暴れど男の足は止まらず、ついに左右をとりでに囲まれた道に差し掛かって、二人は同時に固まった。殺されるかもしれない、恐れがぐるぐると頭を駆け巡り、恐怖に握り締めた拳に汗がにじむ。
 男の足音を聞きとめて、出立した軍に合図を送っていた見張りの兵士が戻ってきた。あがきだが身体を必死に縮めて地面を見たファルとセナイの視界に、くっきりと兵士の影が映る。
「そちらは?」
 兵士の声は当たり前だが、ひどく怪訝そうだった。
 よりによって、こんなことでダメになっちゃうんだと泣きたいファルの耳に、男ののん気な返事が響く。
「さっき釣ったんだ」
「それをでいらっしゃいますか? 物好きなことですね」
「うちの軍師の作戦を実行を移すのは楽しいが、待つのは暇暇だ。よりによって、おれに後方に下がってろだなんて、いじめだろ。いじめ!」
「かなり暇でいらっしゃるんですね」
「おうよ。おれはあっちにいるから、なんか動きがあったら呼べ」
「お気をつけて。表に放してありますから」
 兵士はそれだけいって下がってしまった。あっさりと通行できたことに、ファルとセナイは目をまん丸に見開く。
 顔を見合わせ、口の動きだけで「今のなに?」「だいたいあの兵士の態度って?」と語り合い、同時に男を見やった。
「お前ら、本当に息ぴったりだな」
 やっぱり愛を見せ付けてるだろと戯言を吐き、男はいきなり二人を放り投げた。ぎょっとして身構えた体の下に、栗毛の馬が滑り込んでくる。男もひらりと飛び乗ってきて、少年少女をまとめて抱えると一気に馬を走らせた。
 ファルもセナイもこれほどの駿馬に乗ったことはなかった。
 風になぶられる髪が頬をはたくので、痛みさえ感じてファルは驚く。目を開けることも最初は出来なかったが、風が時折ファルを誘うように触れてくるので、思いきって目を開けた。
「わあ!!」
 風を切って馬は駆ける。景色はまるで流れ星のように、後ろに後ろにと線となって消えていく。
「セナイ、見て! ねえ、綺麗だよっ!」
 興奮して大声を張り上げた。
 男はファルは腕に抱え込んだが、セナイのことはおざなりにしか支えていない。それでも風の民らしく頬をきる風と速度に徐々に適応してみせて、セナイは手綱を握りしめたまままっすぐに顔を上げた。
「これって……」
 夕日の中に大平原が広がっていた。
 見渡す限り延々とつづく平原が、はるか遠方に広がっているという海まで人を招くかのようだ。
 セナイが知る平原には、諸国が作った陣地や砦が立ち並んでいた。けれどそれらの姿は殆どない。
「なんでだ? ここは戦場だったじゃないか!!」
 大平原は風啼き谷へと続く道中で、もっとも危険な場所だった。
 豊かな平原を争って戦が起き、人が死に、馬が死に、累々と屍が打ち捨てられ、異臭と虫に満ちあふれた、おそろしい場所のはずなのだ!
「なんで、こんなに静かなんだよっ!!」
「もう戦場じゃねえんだよ。ここは合戦跡さ」
 信じられずに叫んだ少年をなだめるように、耳に心地よい低音が響く。戦乱の世に生まれ、戦乱しか知らぬ二人は、呆然として男を仰いだ。
 男が手綱を引くと、栗毛の馬はなめらかに停止する。疾走時には気付かなかった周囲の状況が、詳しく目に飛び込んで来た。
 右手に広がる大平原にかわりはないが、左手に木の柵で囲われた広場がある。簡素な建物が並び、見張りやぐらが幾つも立っていた。
「あそこに翻ってる旗って……」
「四閃獣の将旗の一つ、雷閃さ」
「らいせん?」
「雷の閃光って意味だな」
 不思議そうな二人の背を軽く叩き、男は再び馬を走らせる。軍の宿営地に無防備に突っ込む男に、またもや少年少女は目を張った。
「ちょ、ちょっと待てえぇ!」
「開門っ!」
 セナイの絶叫を塗りつぶして、腹の底からの大声を男が上げる。おもわず耳を押さえるファルの目前で、門は勢い良く左右に開かれた。
 馬を躍りこませた男に驚く様子もなく、門近くにいた者達が集まってくる。馬具を掴もうとする者、帰還を寿いでいる者、全ての者の態度が恭しい。
「何者なんだよ、こいつ」
 今更ながらの疑問にセナイの声が震えた。男は唇の端をゆがめただけで何も言わず、あっという間に二人を小脇に抱え込んで馬から下りる。そのまま大またで進むと、それなりに立派な建物の中に入っていった。
 獣皮が床に引かれている。板張りの部分と、土間になっている部分があり、そちらにはかまどが設えてあった。男は二人を床の上に座らせて、かまどの側のかめやら箱を覗いて、男は腕を組んだ。
「塩漬け肉と野菜の炒め物と、白かゆと、汁物でいいか?」
 大真面目に尋ねられて、ファルとセナイは本日何度目かの絶句をした。
 木の上で出会い、いきなり鞘で持ち上げられ、小脇に抱えられ、馬に乗せられて。こんなところまで連れて来てすることが、食事なのか?
「嫌か。んー、甘いもんは、おれんとこにはねぇなあ。妹んとこにはあるだろうけど、奴の陣地は遠いしな。馬を飛ばせばいいか?」
 そうするか、と。素肌の上に羽織る外套を翻し、外に出て行こうとする。ファルは慌てて「それで充分ですっ!」と声を張り上げた。セナイもこくこくと頷いている。
 男が口にした献立は、二人にしてみればご馳走だった。「そうか」と笑って、男はかまどに火を入れ、新鮮な野菜を刻み、塩漬け肉を切り取って、意外なほど手早く炒め物を作っていく。同時進行で別の鍋でかゆを作り、最後にとき卵を落とした。汁物はすでに作り置いたものを、温め直しているのが分かる。
 あたたかな湯気と共に、なんともいえぬ匂いが部屋を満たしていく。健康で成長期の二人の胃は思いきり刺激されて、男がこんなことをしてくる理由を考えることを忘れてしまった。
「ほれ、食えよ」
 膳に並べられた温かで贅沢な食事を前に、二人は思わず涙ぐんでいた。男は「あとは服だな。お前等にあう服は持ってねぇなあ。ちょっと聞いてくるか」といって、いきなり建物の外に出て行く。
 食事をかきこみかけたのだが、二人きりになって顔を見合わせた。生つばを一つ飲み込み「セナイ、あの人のことをどう思う?」とファルが声を上げる。
 セナイは炒め物をぱくりと口に放り込み、首をかしげた。
「偉い奴であるのは間違いないよな。おれらはさ、流浪の民だから色んな情報を集めてるよ。でもこの国のことはよく知らない。若いのが即位して以来、動きが活発化したってのは聞いてるけどな。でも、ええっと、雷閃だっけ。それは知らない」
「あたしは元々、国のこととかは良く分かんない。でもセナイは言ったよね、あたしたちが通ってきた平原は戦場だったはずだって」
 耐え切れずに、ファルも白かゆをすすりこむ。それをきっかけに、二人は会話よりも食事に専念しはじめた。まじりけのない白米のかゆ、ふんだんに塩漬けの肉が使われた炒め物、ほくほくとした芋入りの汁に誘われて、手が止められない。
 味わって食べようと思いながらも、つい速度はあがってしまう。あらかた食べつくしたところで、セナイはもう一度まじめな顔になった。
「戦場だったことはさ、間違いないんだ。とんでもない状態だったらしい。死体が転がってさ、鼻がひんまがりそうだって言った奴がいたよ。しかもそんな前の話じゃない。でも」
 ――合戦跡なのだと、あの男は言った。
 大人のくせにやんちゃな子供のような雰囲気を持ち、同時に末恐ろしいまでの影も持つ男。やぐらで、この陣地で、とんでもない行動を取ってもいぶかしまれない男。
「どれくらい偉いんだ、あいつ。この国にとって……」
 考え込むものの、答えが分かるわけがない。ファルはなんとなく出された膳をかまど側の台まで下げて、セナイの隣に座り込んだ。
「あたしたち、どうなるんだろうね」
「正直、わかんないな。山のことは分かるけど、山じゃないことは分からないよ」
「そっかぁ。ねえ、セナイの言ったとおりだね」
 手を打ち合わせてファルはにこりと笑った。セナイは首をかしげる。
「慣れてる奴が大人にみえるって言ったでしょ。ここだと、あたしたち、右も左もわかんない子供だよね」
「大丈夫だよ」
「え? なにが?」
「なんとかなるって。おれら二人なんだし。……おれ、ファルのことは守るよ」
 ぽつんと、まるで呟くようにセナイが言った。油に差し込まれたこよりが火をともす、ほのかな明かりを見つめていた目をファルは少年にむける。
 ファルはセナイの言葉を、不思議と疑わなかった。
 すとんと、ひどく当たり前のことのように、胸の中に言葉が落ちてくる。
「あたしも守りたいな、セナイのこと」
 内緒話のようにささやいて、二人でうなずいた。
 そのまま眠り込んでしまったので、もどってきた男が苦笑して、布団代わりの大きな外套をかけてくれたことにも気づかなかった。
 二人は覚えてはいないけれど、不思議な夢を見ていた。知らない数人の男女と共に、二人を連れてきた男の姿もある。
「なに、もの……なんだよ」
「おれがか?」
 夢うつつで呟いた、言葉に返事があってセナイは飛び起きた。よりそって眠っていたファルの頭が、ごとんと音をたてて床に落ちる。かすかに「ふぎゃ」と声があがった。
「女を落とすなよ」
「え、あ、ええ!? な、ええっと、えっと!」
「なんだ、大混乱中かぁ? ほら朝だぞ、これは着替えな」
 男は腕に抱える衣服の山を見せ付ける。
 立派な生地をつかってしつらえた、見事な服ばかりだった。さりげなく刺繍がほどこされた可憐な仕立てのものもある。
「えっと、その、ありがとう。なあ、これって、女物だろ?」
「ああ、それな。おれの妹が小さいころに着てたんだ。とにかく動きやすさ重視の服だからな、旅してるんだったらぴったりだろ。ほれ、似合う似合う」
 頭をおさえてうめくファルを軽々と起こして、男は山吹色の服を少女の身体にあてた。半分寝ぼけていたのか、おそまきながら驚いて目を見張る。
「そりゃお前のぶんもやるさ」と男は笑った。
 選べといったくせに、男は衣服の中から適当に取り出して、セナイに似合うものを勝手に決めてしまう。いくつかの服と、身を飾る品を持たされて、ファルは建物の外に押し出された。食事などを切り盛りしているらしい女が外には待っていて、柔らかな手で腕を取られる。
「え、ええ!?」
「女の着替えなんておれには手伝えねぇよ。いってこい」
 男はひらりと手を振る。これは分断させられているのではと思ったセナイが走り出したが「待てよ」と響いた声に足をすくませた。
「聞きたいことがあるんでね。お前のほうが分かってるんだろ?」
 男の手が、セナイの肩にかかった。
 出会ったときに見せた、恐ろしい迫力に飲まれてセナイは全身を固まらせた。気迫というべきか、殺気というべきか、とにかく逆らえるものではない。
「おまえら、聖地を追われて離散した風の民の末裔だろ」
「――っ!? な、なんでっ!!」
 叫び声が悲鳴になった。口の中はからからに渇いて、セナイは震え上がる。
 男は足をおって長身をかがませると、少年と目をあわせた。
「てめぇはよ、使命だとか運命だとかを信じるか?」

第六話・見張りやぐらにて目次第八話・風啼き谷