第四話・風の巫女
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「す、すごいっ! すごい、ここが山の中!? 信じられないよ!」
 ファルが大声を出すと、セナイはニヤリと笑う。それどころか、途中ですれ違った者たちにまで笑われて、少女は気恥ずかしさに口をつぐんだ。
「頑張ったんだよ、みんなで。ずっと昔は、飢え死にしていったやつも沢山いたんだって。それを乗り越えて、頑張って、今があるんだよ」
「集落を作るのって、本当に本当に大変だもんね」
「だと思うよ。っと、見えてきた! あれがおれの家だよ、あっ!」
「セナイ?」
 名前を呼ぶと、少年はわずかに振り向いた。まるで年上のように見えていたセナイの顔に、はじめて年下の子供っぽさをファルは見つけた。彼はニッと笑って「いるよ、おれらの自称母さんがさ」と言い放つ。
「え!?」
 指差された方向に目を凝らすと、坂道の果てに大きな建物が見えた。屋根から伸びた柱にぶらさがる不思議な物体に目を奪われながらも、額に飾り布を巻き、簡素な服に前掛けをした女を見つける。
 セナイは大きな声で女を呼んで、大柄の女は答えて手を振った。
 ファルは、なぜか、うつつではない光景を見た。
 風が女に寄り添っている。まるで形持つ存在であるかのように。
 あれはそう、まるで……。
「風の、鳥?」
 突然に、額が焼けるように熱くなった。
「うあっ!」
 炎に巻かれたような衝撃に、ファルはセナイの手を振り払う。「ファル!?」と名を呼ぶ叫びに答えることも出来ず、かきむしるように額を押さえると、頭を包んでいた布地がおちてしまった。
(熱い、熱い、熱い! 燃える!!)
 すがるものが欲しくて、ファルは左手を伸ばす。セナイが奪い取るような勢いで、差し伸べられた手を取った。
 ファルをさいなんだ熱が、閃光となる。
 今度はセナイも苦悶じみた声を上げ、ファルと同じように彼自身の額を押さえた。
 少年と少女は互いの手をぎりぎりと握り合う。閃光の中に飲み込まれていく感覚に二人は震えあがっていた。
 閃光に巻き込まれたのではなく、二人の額に描かれた文様が、光源そのものであることもしらずに!
「セナイッ!!」
 突然の事態に呆然としたノリスが、われに返って声を張り上げた。彼女は二人にかけよって、額を押さえてうずくまる少年少女を大きな腕の中に囲いこむ。
「……風?」
 おそろしいまでに激しく、強い、風の意志が二人を包んでいる。
「風の獣の、意思!? そんな……今は、こうまでっ!」
 かつて世界には神が存在したという。
 全てを創造したもうたとされる神と、それに寄り添う眷属たちが確かにいたのだ。眷属たちは水であり、大地であり、天空であり、炎であり、光である存在が象った、獣であるのだという。
 ノリスは風の巫女である。
 風がかたどった獣を奉ずる民の中に存在する、風と語らいうる者。けれど風である獣が大地に足をつけていたのは、もう随分昔の話なのだ。
 大柄のノリスの体を、静かに興奮が満たしていった。女はこらえられぬ高揚に突き動かされて、少年と少女を囲い込む力をさらに強める。ぐぅ、とくぐもった呻きが耳に届いたが、圧倒的な風の存在を手放すことができなかった。
 代々の風の巫女が待ち望んだ、風の獣の気配に、興奮せずにいられるはずがない!
 数秒か、はたまた数分か。
 しばらくして閃光が収まり、風の気配も治まっていった。寂しさにノリスが抱きしめる力を強くすると「離せっ!」と大声があがる。
「ファルがつぶれちゃうだろっ! はなせ、はなせよ、ノリス!!」
「セナイ?」
「セナイ? じゃないよっ! ノリスの力は男より強いんだって! 早く離せぇ!」
 非難と悲鳴と懇願を混ぜた少年の叫びに、ノリスはのろのろと手を離す。普段は冷静な母親は、迷子の子供のような表情をしていた。それには気づかず、セナイは手を握り合ったままの少女に声をかける。彼女の身体を揺さぶれば、なにやら白目をむいているのが見て取れてしまった。
「ぎゃーー! ファル、しっかりしろっ! こんなことで死ぬなぁ!」
「まずいね。とにかく部屋に運ぼう」
「冷静に”まずいね”とかいってる場合じゃないっ! ノリスがやったんだって!」
「ごめんごめん。ちょっと興奮して」
「ちょっとじゃないよ!」
 まくしたてる少年を前に、ノリスは眉根を寄せる。男のように太い腕でセナイの肩を叩き「落ち着くんだ」と低くささやいた。
「今は運ぶのが先。その子にもあとでちゃんと謝るから。とにかく急ぐよ」
 ノリスは軽々とファルを持ち上げる。心配そうなセナイを横目で捕らえると、女はニヤリと意味深に笑った。
「な、なんだよっ」
「おかえり、セナイ。よく帰ってきたね」
「お、おお。ただいま。で、なんでにじり寄ってくるんだよっ!」
 危険を感じたセナイが軸足ではないほうの足を一歩下げる。さらに笑みを深めて、おそろしいほど素早い動きで少年を捕らえしまうと、小脇にかかえた。
「子供あつかいすんなーっ!!」
「だってあんたも痛かったんだろ? 本当、悪かったよ。私は自分の力を知らなくってねぇ。でも、だからといって、可愛い子供に名前を呼びすてられるとは思ってなかったよ」
「わ、悪かった! 悪かったよ、ノリス母さんっ!」
「セナイは素直でよい子ね」
「だから子ども扱いすんなっ!」
 吠え立てる少年を見下ろし、それから気を失った少女にノリスは視線をやって、風の巫女としての顔になった。
 細い道を戻って門の中に入ると、その日の作業をこなしていた子供たちが声をあげてセナイを迎える。小脇に抱えられたまま、彼は片手をあげて出迎えにこたえた。
 輪の中から飛び出してきた少女が、意識のないファルの面倒をかってでる。ノリスは笑ってうなずいて、最初に少年をおろしてやった。
 当たり前のような表情で、セナイはファルを背負おうとする。ゆっくりと乗せてやる途中で、乱れた茜色の髪の隙間に文様を見つけてノリスは目を見張った。
「どうしたんだよ?」
「いや……あとで話そう。そうか、そういうことか」
 意味深に呟きを落としノリスは立ち去る。セナイは「なんだよ」と唇を尖らせたものの、珍客を気にする子供たちに囲まれながら、起居する部屋に向かった。
 隣を歩く三歳年上の少女が、ファルを寝台におろすように指示をしてくる。それに従って、彼は背を向けた。
 わずかな水音と、衣擦れの音を聞きながら、間が持たずに床をコツコツとけり始めたセナイに、少女はおどけた声をかけてくる。
「ね、セナイ。この子ってあんたがつれてきたお嫁さん? ちょっと幼いんじゃない?」
「はあ?」
「だから、お嫁さんなのかって聞いてるのよ。あんたがわざわざ女の子つれてきたんだもん。そうなのかなって思うでしょ、普通?」
「あのなぁ。そんなこというのなら、お前はどうなんだよっ。決まったのかよ!」
「決まったよーだ。もう振り向いていいよ」
 乱れた三つ編もきちんと正されて、ファルは静かに眠っていた。ほっと息をついたセナイに、少女は「たった今ね」と声を投げつける。
「今?」
 顔を上げれば、怖いほど真剣な表情になった少女と目があった。
「今度つれてこられる女たちと一緒にいくことにしたわ」
「自分を売る気かよ」と低くつぶやいて、セナイは身体を震わせる。
「うん、そう。今の集落には、あたしを嫁にって言ってくれる人、いないんだよね。別に身体を売るわけじゃないよ。あたし結構器用だからね、使ってもいいって人がいたんだ。……あのさ、こんなこと言うの卑怯かもだけど。セナイだったらもらってくれるかなって、期待してたよ。あんたはここにはいつかないけどさ」
 戦乱の時代では、子供は早い段階で大人とみなされる。働き手となる男に嫁ぐか、男と同じに働くか、集落を出て相手を探すか、売られるかを選ぶかしかない。
「さて、私は用意手伝ってくる。ごめんね、なんか八つ当たりして」
 ひらりと手を振って、少女は去っていった。少女にファルのことを尋ねる幼い子供たちの声をききながら、セナイは唇をかみしめる。
 力の限りに床を蹴飛ばしたい衝動を押し殺したところで、どこか湿った声が届いた。慌てて寝台を覗きこむと、ファルが水色の瞳を唐突にあらわにする。
 ファルは目の前にあるものをまじまじと見つめた。それからゆっくりと三度ほど、まばたきをする。彼女には目の前の物が人であることが分かるのだが、なぜか形をとらえられない。水色の瞳がとらえたのは、静かに闇を流れる風の形だった。
(夜だ。……夜に吹く、風の形。安らぎをもたらす……)
「ファルっ!」
(それはあたしの名前? そうだ、あたしはファルだ。でも、あたしの形も見えない。風だ……なにもかもが、風だ。あたしから流れるのは……?)
「おれを見ろ、ファル、ファルっ!!」
「え?」
 落雷を体で受け止めたような衝撃に、ファルは目を見開いた。不思議であやしい造形の世界が霧散し、必死の表情のセナイを確認する。
「セ、ナイ?」
「分かるんだな? おれが、ファル」
「うん。わかるよ。……あたし、どうしてたの? それにここは?」
 風を祭る建物であり、孤児たちの家でもあると説明しかけたセナイに先んじて「ここはね、風の社だよ」と、部屋に入ってきたノリスが言った。
「あの……?」
「私はノリス。セナイたちの母親で、風の巫女だよ。よく来たね、風の子供」
「風の子供って? あたしはファルといいます。あたしの親は、ここの集落の出身じゃないと思うんです」
 困惑するファルにむかって、ノリスは優しく両手をさし伸ばしてくる。一瞬ためらったものの、少女は素直に手を預けた。
「本当は夜にでも話そうと思っていたんだけどね、さっきファルが感じたものを私も知ったからね。早くに話してしまおうと思ったんだよ。あんたは間違いなく、薄まっているとはいえ、風の民の血を継いでいるよ。しかも私と同じ、風の巫女の血をね」
「あたし、が? あの、そんなこといきなり言われても!」
「特別なことじゃないよ。この集落は小さいからね、一生を共にする相手を見つけられなかった女は、ここを出ていかざるをえない。そういう女がファルの先祖にいたんだろう。風の巫女の血は珍しくないよ。セナイだってついでるんだ」
 なんでもないことだと笑って、ノリスは働き者らしく節くれだった手で、額に巻いていた飾り布を外してみせる。
「あっ!」
 ファルの額に、セナイの額に、くっきりと刻まれた文様と同じものが、ノリスの額に浮かんでいた。
「風を強く感じる者の額に、文様は浮かぶ。けれどね、意味と役目を持つ文様は、風の巫女の血筋にしか出ないのさ」
「意味と、役目?」
「私の文様は昼風。風の民を守り、朝と夜をつなぐもの。命をつなぐもの。だからこそこうやって、親のない子供たちを守っているんだよ。それから」
 言葉を切ると同時に手を伸ばし、くしゃりとセナイの髪をかきまぜる。少女がつられて女の動きを見つめると、ノリスはファルの頭も軽くなでた。
「セナイの文様は夜風だよ。朝を求めて旅立つさまよい人だ。朝を見つけられた夜はいない。みんな朝がどんなものかも知らずに、どこかで朽ちていったはずだ」
 おそろしげな事をさらりと告げられて、ファルは感情豊かな大きな目を剥いた。慌てて手を伸ばし、セナイの腕をひしとつかむ。
「セナイって野垂れ死にするんですか!?」
 ファルは大声をあげた。ノリスはぽかんと、セナイはきつく眉を寄せる。
「かってに野垂れ死にさせんな! 朝を見つけられた夜はいない。でもおれは見つけてみせるよ、……朝がどんなかは知らないけどさ」
 文様の意味を知らされてからこの方、ずっと繰り返した決意を口にする。ファルは悪いことを言ってしまったと反省し、謝ろうとしてノリスにとめられた。
「おまえは見つけたよ、朝を」
「だから見つけたって……見つけ、た?」
 セナイは目を剥いて、ファルに腕をつかまれたままノリスを見上げる。風の巫女である女は豪快に少年の背をたたき、ニヤッと唇をゆがめた。
「ファルが朝なんだよ、セナイ」
「ええ?」「あたしがっ!?」
 二人同時に声をあげる。どうやら盗み聞きをしていた子供たちもいたらしく、薄い壁のむこうからも声があがった。「盗み聞きなんてはしたないこと、するんじゃない!」とノリスは大声を投げて、咳払いをする。
「この風の民の集落にやってきたことで、ファルの中に眠る風の巫女の血が、思い出しはじめているんだよ。私を見た瞬間に不思議なことが起こったのも、目を覚ましたファルが人の形ではなく風の形を見たのもそのせいさ」
「ノリスさんはなんでも知ってるんですね。セナイは夜の風でした。あたしも人の形をしていなくて」
「完璧だね。夜が朝を求めてさまようのは、もう少し後からで良かったんだけど。こうも早く朝と出会うなんて。旅立ちが早くなってしまったね」

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