第参話・奥深き山に住まう風の民
第弐話・暗き森の中で目次第四話・風の巫女

「人買いに売られていく女を、奪ったんだ。そのときに熊がかけつけてきてさ」
「……く、熊!? 熊って、あの熊!?」
「そう、その熊。普通は茶色の毛なんだろうけど、そいつは真っ白い奴だよ。こいつの説明はあとでするよ。おれらは何度も売られていく女を襲って、奪ったよ。で、もっと割りのいいとこを紹介した」
 薪を一本、火の中に追加する。
「あいつらに売られたら最後、死ぬまでしいたげられるんだ。もちろん、自分の取り分なんて少しもありゃしない。だったら、少しでも稼げて、いつかは自由になれるとこがいいさ」
 戦乱の世の中では、食うだけで精一杯の人間が山ほどいる。可哀想だから助け、可哀想だから受け入れるなど、出来るわけがないのだ。
 山に逃げ込み、山で生きる民は、売られていく定めの女を関所の村からさらう。
 さらわれて来た女は、きちんと対価を支払う相手の元に、笑って行くのだ。手に入る報酬と、いつか取り戻す自由を希望にして。
 助け出した相手を、売ってしまうことに、セナイが浮かべた居心地の悪そうな表情を見つめる。さて自分が売られるにして、買い手はつくだろうかとファルは真剣に考えた。
 セナイは振り切るように、大きく首を振った。
「人語を解する獣がいるって言われるようになったのは、女をさらいにいくのが熊の役目だったからだろうな。純白の熊がいきなり入ってきて、女さらっていったら、そりゃ恐いもんな。ファルが置いてかれた場所は、待ち合わせ場所。おれは女を迎えに行ったんだ」
「そうだったんだ。……じゃあびっくりしたでしょ」
「だろうなあ。ファルを見て、さらうの延期したのかもな。賢い奴だよ」
「ねえ、その、なんだって可愛いくてたまらないって、顔するの?」
「可愛いから」
「可愛いいって、熊だよ!?」
「特別だし」
「なんで特別?」
「母熊に捨てられた、可哀想な熊でさ。いや、おれらがかってた犬を母親だと思い込んで、親子になっちゃったんだよ」
「ふうん」
「おれらのことも怖がらないし、なつくしで。まあ、同じ集落の民ってことになったんだ」
「今も、集落で一緒に住んでるの?」
「いいや、でかくなってからは流石に集落にはいないよ。甘えているつもりの奴のせいで、怪我人けっこうでたからさ」
「熊の甘えって、すごそう!」
「いや、本当に、すごいんだって! おれ、必死に逃げたことあるもん。ちょっとじゃれてきただけで、これだよ」
 おもむろに伸ばされた二の腕に、無残な爪あとが走っていた。
「母犬はめちゃくちゃに怒って、奴は小さくなってた。立派な母さんだったな」
「ねえ。セナイはお母さん、いる?」
「随分と前に死んだよ。でも集落には、わたしがあんた達の母さんだよ!って胸を張る女がいてさ。もうこれが口うるさいったらないんだ。しかも強いし」
「でもいいじゃない。怒ってくれるんでしょ? ――抱きしめてくれる?」
「そりゃあもう。窒息させるのか!ってくらい。会ってから、ほめたことを後悔しても遅いからな」
 ぼりぼりと頭をかいてセナイは立ち上がる。「そろそろ歩けるだろ?」とファルに手を伸ばして、少年は目を丸くした。
 セナイが拾った、茜の髪の少女が泣いている。
 大きな目を見開いて、大粒の涙をあふれさせているのだ。
「お、おい!? ファル!?」
「ねえ、今なんていった? その、セナイたちのお母さんにあたし、会えるの?」
「そりゃ会えるさ。いまからいくんだし」
 セナイは気のいい少年だが、短気なところがある。ファルの態度が理解できず、かける声は少しばかり不機嫌だった。
「だって、普通、連れて行かないよ? 食い扶持増えるだけだし、あたし、特技があるってわけでもないし。役になんてたたないし。売っても買い手つかないんじゃないかな」
「そりゃ、いつもならそうするよ。でもさ、ファルは風を感じるじゃないか。おれたちと思じ風の民なんだよ。それに」
「それに?」
 いいよどんだセナイに続きをうながす。少年は首をふり、半ば強引にファルの腕をつかんで引き寄せた。
「今日はここで夜をあかすけど、朝になったら行こう。おれらの集落に。山の住人になった、風の民の元に」
 強い言葉につられるように、ファルは肯く。セナイに勧められるままに眠りながら、少女は風の民の集落へと思いをはせた。
 翌日、二人は手をつなぎあったまま山道を歩いていた。歩みはおそい。彼の歩いた箇所をなぞろうと、ファルが懸命になっているためだった。
 ファルは山歩きにまったく適さない格好をしていたのだが、いまはセナイが用意してくれた品で防備を固めている。使い込まれた皮や厚い布地が、硬い草の葉や毒を持った樹液などから守ってくれていた。
 山に住む民たちが、どこかで困窮しているかもしれない仲間のために作った避難所にある物資を持ち出してきてくれたのだ。
 無事に先を進むことが出来たファルは、山に圧倒されてずっと目を丸くしている。
(もう、どこを進んでいるのか、まったくわからない)
 水を含んでぬかるんだ場所を踏むたび、目には見えていなかった段差に注意されるたびに、ファルは”山で生きる民”の凄さに感心する。同時に彼に助けられた自分の幸運に、彼女は感謝した。
「セナイはすごいね! あたし、もうどこにいるのか、ぜんぜん分からない。さっきから、いろんなものがぐるぐる回ってる気がするの!」
「そりゃそうだよ。ここは、感覚が狂う場所だからさ。隠れて住むには丁度いいだろ?」
「え、じゃあ、本当になにもかも分からなくなっちゃうの!?」
「そうだよ。だから、ちゃんとおれの手をつかんでなよ? 離れたら、人がいるところになんて、絶対にたどり着けなくなるから!」
 高らかに言い放ち、いきなりセナイは手を振り払って両手を高く上げてしまう。温もりが離れた瞬間にひどい悪寒に襲われて、ファルはおもわず彼に飛びついていた。
「うわわっ!」
「きゃん!」
 いきなり体重をかけられたセナイが、人懐こい犬のような目を丸くする。体がかしぎ、あっという間に視界が回った。悲鳴をあげる間もなく、ファルはぎゅっと目を閉じる。
 衝撃がすぐにきたが、痛みはない。そろそろと目を開けると、額が触れ合うほどの距離にセナイの藍色の瞳を見つけた。慌てて体を離し、ファルは地面にすまし顔で座り込む。
「い、いっ!! い、いきなりなにすんだよ! 危なかっただろ!!」
「ご、ごめんね!!」
「ファルは本気でよくわかんないよっ! いいか、ここって結構狭い道なんだ。落ちたら一貫の終わりなんだからな!」
「だから、ごめんってば!!」
「なんでファルがむくれるんだよっ? あのさぁ、おれが悪い?」
「悪くないよっ! でも、はぐれちゃったら死ぬって言われて、手を離されたら動揺するでしょ!」
 頬を好調させたまま、怒りを強調するファルにセナイはぽかんとする。しばらくして喉を鳴らすように笑い出し「ファルって、かなりの寂しがりやだろ。集落にいるチビたちと一緒だ」と声を上げた。
「チビたちって。もぅ!」
「だって本当のことだしさ! チビたちもさ、手を離すとむちゃくちゃ怒るんだ。じゃあ、はい」
 腹筋のみで起き上がり、セナイは泥を払って手を伸ばす。ファルは唇をとがらせながらも、与えられた手を握り返した。
「あたし、セナイに助けてもらえてよかった。あのね、集落から追い払われることになっても、山に集落があるってこと黙ってるからね。誰も、これないんだろうとは思うけど、念のため」
「だから大丈夫なんだって。額に文様を持つ者を、追いだしたりなんてしない」
「本当に?」
「生活は楽じゃないけどな。ファルは何が出来る?」
「あたし、機織は得意だよ。あとはそうだなぁ、畑の面倒を見るのも得意。肥料作るの上手だって言われてたから」
「そっか! そりゃ助かるよ」
 鼻の横を手でかいて、セナイは「大丈夫だよ」ともう一度強く言う。
 なんとなく納得させられて、ファルは笑った。歩き出そうとして、ふと、獣道に流れこんでくる風の動きの変化に目を見張る。
 鼓膜をくすぐる、音があった。
 風が運んでくる、気配があった。
「近くに川があるの?」
 意識を澄ますほどに、ファルには感じられる。
 どうどうと流れる、強き水の存在があるのだ!
「滝? ねえ、滝があるの?」
「聞こえる?」
「うん、風が……運んでくるよ」
 呆然としたような顔のファルに、セナイは笑いかけた。
「山に逃げた、風の民の末裔が暮らす集落のそばにある、滝の気配だよ。音なんてここから聞こえるわけない。風がファルを歓迎してるんだ!」
「え?」
「いこう!」
 ぐんっ、と。強く手を引かれた。そのままつられてファルは走り出す。
「あ、危なくないの!? 足元とか、蛇とか!」
「このあたりならなっ。すぐに道が見えるよ、ほら、そこだ!」
 景色がかわった。
 大きく平らな石が埋め込まれ、ロバや牛もらくらく通ることが出来そうな立派な道が広がる。
 ごうごうと音を立てる巨大な瀑布がそこにあった。水を飲み込み、目のくらむような高さを落下していく。滝つぼまでは目視できず、どうすれば滝と濁流を越えられるのかも分からない。
「セナイ!?」
「滝の裏に道があるんだ。そこから入れるよ。ファル!」
「え?」
「おれらの集落にようこそ!」
 太陽が水しぶきを反射させる。セナイの顔はきらきらと輝いていた。
 

 穏やかな気温の中で大量の洗い物をこなしていた女が、ふいっと顔を上げて目を細めた。風がゆるやかに首筋をないで、浮かんだ汗をしずめていく。首にかけた手ぬぐいでそれをぬぐい、立ち上がった。その彼女を追いかけるように、何かが互いにぶつかりあった乾いた音色が、頭上から落ちてくる。
「いい風だね」
 女が立つのは、セナイが目指している風の民の集落の中だった。つらなる家並みは小さく粗末だったが、彼女が背後にしている建物はかなり大きい。三角屋根のてっぺんに、空を目指す柱がある。いくつもの紐がぶらさがっており、木工細工がくくりつけられていた。頭上から落ちる音は、この木工細工の鳴子が元だった。
 建物の前に根を張る大木の枝には、紐が大量にくくりつけられ、所狭しと洗濯物が並べられている。踏み台にのって、まだまだある残りを干していた子供が、あどけない仕草で顔をかしげた。
「どうしたの?」
「新しい風を感じたんだよ。ああ、爽やかな風だね」
 そばかすが大量に散った顔に笑みをのせて、女は洗濯桶から離れて子供の身体を抱きあげる「私が感じる風を、お前も感じることが出来ればいいのにね」柔らかく告げると同時に、すぐ近くで声が上がった。
「ああ、ずるいっ! かあさんに抱っこされてるっ!」
 庭から、建物の中から、木の上から、一斉に声が沸きあがる。姿を見せたのは全て子供だった。殆どが痩せた身体に粗末な服をまとっているが、表情は明るい。抱き上げられた子供が困ったように肩をすくめたので、女は「あとで順番にやってやるよ」と大声を返した。
 女の名前はノリスという。
 風の民を導き、風を聞き、風の意思を伝える役割を持った”巫女”の家系だった。
 ノリスは祖先から引き継いだ役目を誇らしく思い、風と共に生きる民であることを教え続け、親を亡くした子供たちを守り育んで生きている。かつて風啼き谷をおわれ、風を感じることも少なくなった者たちが、風の民であると認識しているのは、ノリスら代々の風の巫女の存在があるからこそだ。
 彼女が住まう家は風を信仰する者たちにとって神聖な社であり、ノリスと今はなき彼女の母に育てられた子供たちにとっての家でもある。
「どうやらセナイが帰ってくるようだよ」
「セナイ兄ちゃんが!?」
「新しい風をつれてね。さあさあ、全員散った! 早いところ用事を済ませてしまわないと、セナイと客人の話を聞くことも出来ないよっ!」
 働き者らしい荒れた手を叩く。小さな子供たちは一斉に離れ、年かさの子供たちが指示をする声が響いた。
 ノリスは親を亡くした子供たち全員の母親だ。我が子を迎えるために、門へとゆっくりと歩き出す。
「おーいっ!!」
 勢いよく走ってくる少年の形をしたものが、大声をはりあげてくる。ノリスは暖かに笑って、大きく手を振ってやった。
 セナイに手を引かれて走るファルは、ただただひたすらに驚いていた。実をいえば、集落の入り口にある門を越えたときから、ずっと目を見張っている。
 山の一部を切り開いて作られたらしい集落は、まるで大きな階段の上にあるようだった。小さくとも畑があり、水路があり、家畜がおり、粗末な家が並んでいる。間違いない、これは貧しくとも立派な村だった。

第弐話・暗き森の中で目次第四話・風の巫女