第弐話・暗き森の中で
第壱話・いざなわれし安らぎの風目次第参話・奥深き山に住まう風の民

 月明かりの下に広がった草むらは、焼かれた村の側にある河原に似ていて、ひどく悲しくなってしまった。
「なにもかも、なくなっちゃったんだ。ここまで来たのに、関所の兵士に襲われたの。あたしのこと、それなりには気にしてくれてた人もいたのに。あたしの髪をといて、可愛いよっていってくれたお姉さんもいたのに」
 どんどん胸に悲しみが広がっていく。なぜ今になって、膨らんでくるのかが分からなくなって、ファルはぼろぼろと涙をこぼした。セナイはほつれてしまった紅い三つ編みをじっと見つめながら、ふいに空を仰いだ。
 月を取り囲んで、宴でも行っているかのように星星のきらめきはにぎやかだ。思い立ったようにセナイは手を伸ばし、大きな目から涙をこぼし続けるファルの手をとる。
「月に守られて、人は死ぬと星になって眠るというよ」
「え?」
「誰かをなくした時の、おれらの考え方。風はどこまでも続くだろ? 風を感じたとき、いなくなってしまった人と遊ぶことが出来るっていうんだ。……ファルは、風を感じるんだろ? だったら」
「あそこに、あたしをおいて行ってしまった人がいるって、考えてもいい?」
「悲しいことなんて、今時はよくあることだけど。よくあるからって慣れるもんじゃない。第一慣れることもない。でも受け入れなくちゃ、生きて行けないだろ」
「そう、だね。そっか、星か」
 痩せすぎているせいで、ファルの大きな目はぎょろりと悪く目立ってしまう。それをセナイは愛嬌があるととったのか「ファルは猫みたいだ!」と笑い出した。
 ファルは頬をふくらませ、なにか言い返しは出来ないものだろうかと、セナイを横目に納めたまま考えた。
 少年の目は黒目が大きく、目じりが下がっている。それはファルの村の門で飼っていた、大きな犬のつぶらな目にそっくりだった。
「セナイはふさふさしっぽの、耳がたれた犬だね!」
「ええ!? そうかぁ?」
「そうよ、ほら、お手!」
 すまして広げられた手を見て、セナイは大口をあけて笑いだす。それから少し真面目な顔をした。
「ファルは、関所でつかまったんだな」
「そうだよ。みんな村を追われて、ただ逃げてただけなのに……」
「おれらはさ、みんなファルと一緒だよ。住んでたところを追われて、受け入れてもらえる場所もなくって。結局は山の奥深くに逃げるしかなかった。ただ逃げて来たのもいるし、村から逃げだした女もいるよ」
「女限定なの?」
 セナイはファルの視線から逃げる。照れたように、怒ったように、少年は唇をとがらせた。
「女は売れるだろ」
「……あっ」
 頬を赤らめ、ファルは続いて悔しげに唇を噛んだ。常に戦いがあり、常に前線がある。かり出された男たちが一ヶ所にとどまるのなら、春をひさぐ女の需要は大きくなるのだ。
 食うに食えずに体を売る女もいれば、連れ去られた女が売りとばされることもある。
 若い娘たちがさらわれていった光景を思い出して、優しくしてくれた女たちの末路を思って、ファルは力なく首を振った。
「みんな、連れていかれちゃったよ。あたしは、そんな価値もないって言われたけど」
「ファルは子供だろ。二年もあとだったら、同じ目にあったよ」
「子供って! そんなに子供じゃないよっ。セナイは何歳なの」
「おれは十四になった」
「じゃあ、あたしの方がお姉さんだよ! 十五だもの」
 頬をぱんぱんに膨らませたのをみて、うさんくさそうに「年齢をさ、間違えて覚えてない?」と、セナイは首を振った。ファルは心底腹が立って、拳を握りこむ。
「わかった、わかったよ! ファルお姉さんっ」
 首をやれやれと振りながら、悪戯小僧の顔でセナイがファルを覗きこむ。「うっ」と息を飲み、少女はしょんぼりとうなだれた。
「ご、ごめん、それやめて! なんか、むずがゆい」
「やっぱ人間は、実年齢よりも、精神年齢だよな」
「なによそれーっ!」
 またもや怒りだしたファルを、お腹を抱えてセナイは笑い飛ばす。それから少年はふと目を細め「運がよかったんだよ」と言った。
「年相応に見えたらさ、今ごろ売られてるよ。あいつら、金がすぐに欲しいからって、ひどいとこに売り飛ばすんだ」
「ひどい、とこ?」
「ぼろぼろになって逃げてきた女を見たことあるよ。四十の女かと思ったら、まだ二十だったりするんだ。殴られたせいで歯がなかったり、髪がなかったりする女もざらだよ」
「じゃあ、連れ去られたみんなは……」
 ひっこんだはずの涙が、ファルの水色の瞳にもりあがってくる。それを痛ましそうにセナイはみたものの「それが運があるかないかってことだよ」と、なにか悟った老人のように低く言い放った。
 わっと泣き出したいのを我慢して、ファルはうなずいた。泣いてもわめいても、現実が変わらないことを、戦乱の時代の少年少女たちは知っている。
 下唇をきつく噛む少女に慰めの言葉はかけず、セナイはファルに背負わせた大きな背のうに手を伸ばした。中をかき回し、一握りの穀物と、わずかな干し肉、頑丈そうな土器を取りだす。
「ファルは休んでな。おれは、水をくんでくる」
「え? ちょっと待って!」
 慌てて立ちあがろうとしたファルの肩を、セナイは軽くおした。
「置き去りにするなら、ここに連れてきたりしない。おれらの大事な場所なんだからさ。おれの水筒、空なんだ。のど、乾いただろ?」
「かわいてるけど……あのね、あたし……」
 いいずらそうに口ごもったファルに「わかってるから、まかせておきなよ!」とセナイはぱちりと片目をとじてみせて、走り去った。
 セナイは本当に優秀な山の住人だった。
 ファルが夜の闇にひそむ、目に見えぬなにかの気配に怯えて震えだしたころ、彼は沢山の成果を伴って戻ってきた。大変だったろうにとファルは思ったが、暗闇に囲まれて感じた恐怖へのいきどおりが激しく「遅いよっ!」とおもわず少年をなじる。
 セナイは一瞬きょとんとし、それからさっと顔色を変えた。
「なんだよ、それっ!」
「だって、だって周りは真っ暗だし! 時々、なんか音もするしっ。山って、獣がいるんでしょ! あたしのこと、簡単に食べちゃうのがっ!」
 震える拳を握ってファルは叫ぶ。セナイは毒気を抜き取られた顔になって、息をついた。「怖かったんだ?」少年が尋ねる声は優しく、少女は八つ当たりを恥じて赤くなる。
「ごめんなさい。あたし、こんな山の深くまできたことなくて。怖くて」
「いや、おれが考えなしだった。わびるよ、ごめん。ファル、手を出して」
「なぁに?」
「いいから、ほら」不思議そうに首をかしげたファルの手に、セナイは胸元にかけていた紐をはずして押し付ける。
「これ、首飾り? 違う、笛?」
「それをふけば助けにいくよ。音はしないけど、感じるんだ。おれらが風を呼ぶときに使ってたらしい。今はもう、どうやってそれで風を呼んでたのかはわかんないけどね。風の呼び人は消えてしまったから」
「風の呼び人?」
「うん。ああ、座りなよ」セナイはファルの肩を軽く押して座らせ、薪や果物や木の実などを手早く準備していく。腰に挿してある使い込まれた小刀で、彼は最初に鮮やかな赤い色をした果実を切り分ける。
 じっとセナイの作業を見つめていたファルは、口の中いっぱいに出てきたつばを飲み込んだ。えんかした音がやけに大きく響いて、またさらに赤くなる。
「ファルは面白いなぁ、赤くなったり青くなったり。ほら、先に食べなよ」
「いいの?」
 おずおずと尋ねながらも、ファルの手はすでに果物を受け取っていた。ぱくりと口に運ぶと同時に、果汁が口の中いっぱいに広がる。喉の渇きと、空腹とを完全に思い出して、飲み込む速度はどんどん速くなった。
「焦って食べたら、喉に詰まるよ。それに水が入ってるから」
 喋りながらも、セナイの手は取まらない。火打ち石で素早く火をおこし、土器に水を満たす。干し米と木の実を加え、懐から大事そうに小さな包みを取り出した。それに彼が一礼をするのを見て、ファルは首をかしげる。
「それ塩でしょう? 拝むのはなぜ?」
「貴重だからだよ」
「ええっと……そんなに?」
「おれらはさ、逃げて行き場のない奴が集った山の住人だよ。根なし草で税も払ってない。遠く海でとれるものが、簡単に手に入ると思うか? 関所だってどうどうとは通れないのに」
「あっ! そうか、そうだよね」
「好きで離散して、好きでしのんで、好きでうつろってるわけじゃないけどさ。ま、仕方ないよ。生きてけないんだから」
 言いながらも、セナイの手は魔法のように素早く動く。木のさじでかきまわし、器の水が温まったところで干し肉をくわえ、最後に香草をちぎって入れた。
 胃をさわやかにする香りに、ファルはうっとりと目を細める。木をくりぬいて作られた簡素な椀に満たされた雑炊を、両手で受け取った。
 口をつけようとして、少女は手をとめた。
「ファル?」
「あたし、なんていって感謝したらいいんだろう! これはセナイの大切な食料でしょう? 貴重な塩を使ってくれて。米だって同じでしょう? 山じゃ……大きな水田なんて作れない」
「いいんだよ。おれがそうしたくて、してんだから。冷めるぞ」
「なんか、本当にセナイの方がお兄さんみたいだよ」
「慣れた土地にいる人間が、慣れない土地にきた人間より落ち着いているのは、当然だろ」
 気にすんなと飾り気なく笑うセナイに「ありがとう」とだけ告げて、ファルは雑炊を口に運ぶ。暖かい食べ物など何時間ぶりだったろうか。身体が内から温まり、心の底から安らぎを感じる。
「うまい?」ちらりと視線をくれて、セナイが声をかけた。
「うん! とってもおいしい!」
「そか。良かった」
 にかっと笑って、セナイは別に再び湯をわかし出す。なにをするのかと興味津々のファルは、茶葉が出てきて声をあげた。
「セナイはいつも、旅でもするような準備をしてるの?」
「山の住人の男が、集落を離れる時はいつもそうだよ。次に戻るまでに、何日かかるかわかんないし」
「みんな? あっ!」
 ファルは思い出した!と手を打つ。
「セナイはなんであそこにいたの? 生贄なんて捧げてる、おそろしい獣の住処でしょ。あとあと風の呼び人ってなに?」
「いっペんに聞くなよっ! ええっと獣な。ファルは女を連れさる獣がいるって耳にはさんだのか?」
「うん。牙にかけていくんだって、怯えてたよ。関所の兵士たち」
 セナイが突然はじけたように笑い出す。目じりに涙までためるので、ファルはぽかんと口をあけた。
「傑作だよっ! そっか、あいつら怯えてたのか。そりゃそうかっ!」
「ちょ、ちょっと! 一人で盛り上がらないでよっ」
「あのさ、獣ってのはおれらの知り合いなわけ」
 笑い続けるセナイに肩を叩かれて「は?」とファルは間抜けな声を上げる。
「関所を守るのは五十人くらいの兵士でさ。家族も一緒なもんだから、もう一つの村だよ。村になれば自然に決まりごとも生まれてくるし、身内とよそ者の区別もつけるようになる。ファルたちが狙われたみたいにさ、奴等は仕返しが出来ない弱者のよそ者を狙って金品を奪い、女を奪ってるよ」
「う、うん。それは分かるよ」
「全部の女が売られるわけじゃない。ときには自分らで楽しむこともあるのさ。そういう女がまた子供を産むよな。男児は殺されて、女児は育てるよ」
 笑いをうちけして、セナイは憎憎しげにつばを吐き捨てる。「人買いがほしがる年齢になったら売り飛ばすんだ」と声をしぼり出した。
(嫌なんだ)
 誰かが常に泣いている現実に、セナイが憤っていることを唐突に理解した。ほとんど無意識にセナイの手に自分の手を重ね、水色の目を藍色の瞳にあわせる。のぞきこまれて臆することもなく、少年はうなずいた。

第壱話・いざなわれし安らぎの風目次第参話・奥深き山に住まう風の民