秘めた焔 [中]
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「たしかに敬語は使わないかもな。でも、時と場所は考えるぞ」
「そっかあ。だったらあれだ、正式な場所だと、テッドに敬語使われちゃうんだ。嫌だなぁ、僕、赤月帝国の軍人になるのやめようかな」
「お前なあ、さっきからむちゃくちゃばっかり言ってんな。なんかあったのか?」
 首をかしげると同時に、テッドは机から体を乗り出させた。ユアンの額に手を伸ばし、前髪をさらりとかきわけて熱をはかる。
「テッドは変だよ」
「はあ?」
 いきなりの言葉に、テッドはユアンの熱を測る仕草のまま固まる。計られているほうも動かずに、ただ腕を組んだ。
「右利きだよね、テッドって。普通に両方使ってるけど」
「そうだけど」
 意味がわかんないぞ、とテッドは眉を寄せる。唇まで不満そうにとがらせたので、まるで小さな子どものようだと思ってユアンは笑った。
「だって、そういうのって、普通は利き手でやるよ。でもテッドは」
 組んだ腕をほどき、そのまま友人の手首をつかむ。
(震えてはいないだろうか?)
 そう、思った。期待した、といってもいいかもしれない。
 親友はいつだって、誰かと接触する時には右手を使おうとしない。だから左利きなのかと思えば、普段の生活には普通に右手を使っている。
(変、だろ?)
 ほんのわずかでもいい。なにか変化はないのか。息さえもつめてテッドを見守るが、憎らしいほどに平静さを保ったまま、彼はため息をつく。
「そんなの、たんなる言いがかりだろ。そうだなあ、両方普通に使えるヤツがさ、友人に触れるときには本当の利き手を使うもんだ!っていうんなら」
 ニヤリ、と人が悪そうに笑って。
「ユアンも両利きになるように訓練してから、言ってみ」
「そ、そうきたか」
「未来の赤月帝国の将軍様が、穴あき理論で問い詰めるのはかっこわるいぞ。それに実際、両方使えるのって便利だぞ。どっちか怪我してても、支障ないしな。実際俺は、どっちでも弓が引ける」
「うわー、性格悪いー。いきなりそこで自慢に走るなんて」
「悔しい?」
「悔しい。でもさ、テッドだって最初から両利きだったわけじゃないだろ?」
「んー、まあな。前に、ちょっとな」
 軽く首をかしげると同時に、テッドは夕焼けの色をした目を細める。
(またそんな目をする)
 いったい何を懐かしむというのか。
「テッド、一つだけ教えてよ。テッドが両利きって便利だなぁって思わせたヤツがもってた、獲物ってなに?」
「獲物?」
「武器」
「双剣。……って、あ!」
 もともと大きな目を、さらに大きく見開く。それから小さく舌打ちをして、テッドは勢いよく椅子に戻り、背もたれに全体重を預けた。
「失言したって思ってる?」
 ユアンがたずねれば、テッドはますます眉を寄せていく。
「そういうわけじゃないけど。まあ、昔の話だよ」
「昔って。テッド、ときどき、老人くさいよ」
「あのなぁ」
 心底困ったように、テッドは子犬のような毛並みの髪をくしゃくしゃにしてしまう。それからちらりと上目づかいでユアンを見、はあとため息を落とした。
「じゃあ賢者って言い換えようかな」
「なんだそりゃ」
「テッドはなんでもしってるだろ。知らないふりするのが大変そうだって時々思うんだ」
「知らない、ふり?」
 少し。ほんの少し、親友がまとう空気に緊張が走る。
(なにかに触れた)
 なんであるかは分からない。けれど今、ユアンはたしかにテッドがしまいこんでいる”何か”に近づいたのだ。
「どんな武器に襲われても、テッドは動じないよね」
「動じてるだろ。自慢じゃないが、俺が一番最初にやられる」
「まあ、そうなんだけど」
(そう、見せてない?)
 これは口に出来ない。だからユアンは心の中だけでたずねる。
「でもさ、致命傷は絶対にうけないよ」
「え?」
「どんな武器でこようとも、どんな紋章でこようとも。テッドは知ってるよね、どうすれば完璧に行動不能にならずにすむかを」
 ひどく冷静につげながら、けれどユアンの背には冷たいものが流れていた。
 ――ユアンは、たった一人の親友の、過去を一つも知らない。
 だから怖くなる。
 過去がないということは、現実にひきとめる鎖がないということだ。
 ともにすごす時間は、たしかに”思い出”という重みをテッドに与えはするだろう。けれどその思い出は、テッドをさらに前に歩ませる強さを与えるだけで、とどめる重しにはならないような気がするのだ。
(だから、しりたいんだ)
 親友の過去に嫉妬などしない。
 親友と過去に出会った人々を、羨んだりもしない。
 今こうして共にあるのだから、そんなことを思う必要などないことを、ユアンはしっている。
 テッドはじっとユアンを見つめたのち、すべてをはぐらかすように笑った。
「ユアンは俺をかいかぶりすぎだよ。そんなにすごいヤツじゃない。たんに逃げ足が速いだけさ、何度も戦火に巻き込まれればそうもなる」
「それだけ?」
「そうだよ、当然だろ?」
「テッドは、はぐらかすのが上手いよ」
「俺は確かにいろんなところにいた。ユアンは書物や師匠から世界を教わるだろ? 俺はずっと、現実を目の前にして知ってきた。だから、やけに知ってるように見えるだけさ」
 本当に知りたいことは、なにも知らないんだ。
 そう言って、なぜかひどく寂しそうに、テッドは笑う。
 それがひどく胸に痛くて、ユアンは眉を寄せた。「ごめん」と言って、立ち上がる。
「ユアン?」
「なんか、僕はワガママな子どもみたいだ。グレミオに子ども扱いされるのも仕方ない気がしてきた」
「そんなことない。俺がいうと変なことになるけど、ユアンは人の本質を見抜くんだよ。なににも惑わされずに、ただその本質をさ」
「なんだよ、それ」
「んー、ようするに、虚勢をはる気がなくなるってこと。お前の前だと」
「じゃあ、テッドは安心するんだ。僕と一緒に居ると」
「さあ、それは教えない」
 にっとテッドが笑うので、ユアンは「けち」と呟いて、同じように笑い出した。


 翌日は快晴だった。
「で、ユアン。いったいどこに行きたいんだ?」
「特別な目的地があるわけじゃないんだ。ただ街道を歩いてみたいと思って」
「街道?」
 下手すると野宿だってするかもと、ユアンは寝る前に親友につげた。
 朝は情けない事にテッドにおこされて「お前の分も、とりあえずまとめておいた」といわれて渡された荷物を見る。
 ズキンッと、胸が痛んだ。
(今すぐにでも旅立てそうな)
 すぐに旅だる完璧な装備など、普通の子供に整えられるだろうか。彼は特別な教育を受けたこともないのに。
「テッドって、前から思ってたけど、旅慣れてるよね」
「そりゃしょうがないだろ、テオさまに拾われるまでは、さすらってたし」
「そう、なんだけどさ。でもそうじゃなくって」
 上手く説明できずに、ユアンはため息をつく。
 近頃はいつもこうだった。ひどく焦る気持ちを押えられずに、喋るたびにテッドを問い詰める形になってしまう。
「ユアン? ははん、お前、寝過ごした上に用意までしてもらって、恥ずかしいと思ってるんだろ」
「う……ま、まあね」
「じゃあ、次はユアンが用意してくれよ。俺、そのまま寝てるからさ。どんな装備になってるか楽しみだな」
「馬鹿にしてるだろ、テッド」
「してないしてない。で、なんで街道?」
「ああ、あのさ、最近グレッグミンスターに入ってくる人たちが口々に言ってるんだよ。街道がぶっそうだって。日が落ちると特に」
「ふうん。……まあ、そうだろうな」
「テッド?」
「いや、俺も時々話を聞くんだよ。夜盗が出るってだけじゃなくって、軍人崩れみたいなのもいるって聞くし。あとは助けに入ってきた、集団がいるとかさ」
「助け?」
「らしいな。めっぽう強いのがいて、あっという間に夜盗を切り伏せていったってさ。……解放軍、とか言ってたらしいけど」
「解放軍?」
「そういう軍があるってわけじゃないよ、そう名乗っている組織があるってことさ。ユアン、時間ってのは色々なものを変えていくもんだよ。永遠に同じものなんて、きっとありえない。いや違うかな、ありえちゃいけないんだと思う」
 すっと目を細め、テッドはひどく遠くを見つめる。
 まるで”時”という風を、身に受けるかのように。
 ――変わらぬことが、いかに歪かを、知っているというかのように。
「……テッドは、赤月帝国が変化しつつあるって思ってるんだ?」
「俺が思うか、思わないかじゃないよ。変わるときは、変わるんだ。それが時代の流れってものだから」
 勿論、と続けてテッドは目を細める。
「流れを食い止めてみせるのも、また時代ってものだけどさ。それより、早く進むことにしないか? いくらなんでも、こんなに帝都に近いあたりは安全だと思う」
「え、あ、そうだね」
 そうだった、ともう一度頷いてから、歩き出す。
 途中、帝都に程近い村などに立ち寄る。
 その土地ならではの名産品を手に入れれば楽しかった。けれど中には、ひどく生活そのものが辛そうな村もあって、ユアンの胸に針のように刺さりこんでくる。
(たしかに、何かが、変わり始めている?)
 それがなにかは、まだユアンにはわからない。帝国に対する不信が根ざすわけでもない。
 それでも見た光景の一つ一つは、バルバロッサに永遠の忠誠を誓う前の少年の心に、確かに刻まれていた。
「そろそろ、かな。これ以上遅くなると、様子見どころか本当に襲われることにりかねないし。襲われた時に洒落にならないことにもなるし」
 帝都から離れた村には、店などほとんどない。働いている村民に頼み込んで食料を分けてもらい、小川の側で休息していたところで、水筒にひょいと水を汲んでテッドは立ち上がった。
「そうだね」
 愛用の棒を握り直し、同じように立ち上がってテッドの前にユアンは出る。そのままのんびりと歩き出して、村を後にした。
 空が、青と朱をまぜた、不思議な色合いになりつつある。
 まだ夜までは遠く、次の町までの距離もそれほどないので、太陽が落ちる前にはつくはずだ。だというのに、街道をあるく人の姿は少ない。
「警戒してるって、ことなのかな」
 予想外のことに、ユアンはきゅっと眉を寄せる。
 隣りをすすむテッドは目を細め「急いだほうがいいかもな」と声をおとした。
 その、声が。時々彼がみせる、ひどく大人びたものに感じられる。
「赤月帝国を走る街道ほど、安全なものはないっていわれてた。僕はそれが誇らしかったんだ」
「ユアンらしい誇りかただよな」
「馬鹿にする?」
「いや、貴重。それに、そういう感じ方、俺は好きだよ」
 うん、と頷いてから、不意にテッドは立ち止まった。
 まったく同時に、ユアンも立ち止まる。
「馬蹄の音?」
「こんな時間から? そりゃあ、旅人も減るわけだよっ」
 二人、同時に大声をあげると同時に走り出す。真っ直ぐに伸びる街道にいては、目標にしてくれといわんばかりだ。そのまま街道をそれ、横手にあった林に飛び込む。
 高らかに響く蹄の音は、振動と共に近づいてくる。それを緊張と共にききながら、そっとユアンは視線を投げた。
 どうみても軍人崩れ、といった感のある男たちだった。騎影は丁度五つ。その、先頭を行く一騎が、まるでずた袋でもさげるかのように、気を失っているまだ年若い少女を抱えていた。
(あ)
 目視した瞬間、頭にかっと血が上った。
 あの少女には、見覚えがある。
 最近は物騒で怖いんです、と眉を寄せながら、それでも笑って自分達に茶をふるまってくれた、先ほどの村の少女なのだ!
 怒気が一瞬で体中にかけめぐった。ユアンの身体が一回りは大きくなったような気迫に、ハッとテッドが息を呑んで止めようとしたときにはすでに遅かった。
 ユアンのまとう朱の服と、まかれたバンダナの緑が、残像を残して風にかわる。
 馬上の相手と戦うならば、まず馬の足を止めるのが先決だった。いかにこちらの獲物が長いとはいえ、頭上から振り下ろされる剣戟をよけるのは難しい。
 躍り出ると同時に腰を落とし、ユアンは手にする棒で一気に地面すれすれをなぎ払った。
 巨大な馬体を支えるには、華奢な脚を打たれて、馬が棒立ちになる。
 そのまま最初の一騎はバランスを崩して横転した。すぐ後ろに続いていた一騎も、突然に前をふさがれて、とまりきれずに激突する。
 ぽんっ、と。
 まるで嘘のように鮮やかに、背に乗せられていた少女の体が空中に放り投げられた。
 ユアンの目が恐怖に凍りつく。
 投げ出された少女を助けなければと、ユアンの意識は完全に敵からずれた。
 こちらは少数で、本当ならばそんなことをしている余裕はなかった。
 攻撃の手を緩めずに一気にたたきこんで、ようやく勝機を得られるかどうかといったところなのだ。
「ユアンッ!」

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