戦い続ける気高き心 四
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「カミュー、一体どういうことだと思う? この命令変更」
 長い剣に伝った血液を一払いする仕種をなんとなく見やりながら、開かれた唇が紡ぐ声を聞く。
「さあ、軍師殿のやることというのは、われわれ戦闘専門の人間には計り知れないことだからね」
「カミュー、お前にも分からないことがあるのか?」
「マイクロトフ、あまり私を買い被ってくれるな。私は騎士であって、軍師でも策士でもないよ」
 喉で笑って、目を細める。
 マチルダ騎士団が誇った白、青、赤の一つ、赤騎士団の団長であった男は、時折人を喰ったような笑い方をする。
 対人関係はひどく穏やかで、人当たりの良い相棒がこういった笑い方をする時は、実は緊張していることが多いことを知っているマイクロトフは、方眉をあげた。
「カミュー?」
「結末が近いよ、マイクロトフ。クラウス殿が戦闘中に軍の再編成をさせるリスクを承知した。ならば、余程のことが起きることになる」
「なるほど、それで決着が付く、か」
 高い金属音を響かせて、マイクロトフは一旦愛剣を鞘にしまいこんだ。考えこむように腕を組み、未だ美しさを捨てない優美なルルノイエ皇城を見上げる。
「だが、そう簡単に落とせるものかな?」
「弱点を、クラウス殿が洗いざらい喋った。これで期待にこたえれなかったら、マチルダ騎士団を復興することは不可能だ」
 突然に断言し、カミューは整った眼差しに緊張を宿して、細める。驚いたマイクロトフは振り返り、「なんだって?」と咄嗟に声を上げた。
「だから、この戦いで期待された働きが出来なければ、マチルダ騎士団の再興は無理だと言ったんだよ」
「それは、何故に?」 
 白騎士団長ゴルドーと袂を分かち、配下の青、赤両騎士団の半数もの兵力を反ハイランド同盟軍に授けたのだ。今までの功績がなかった、とは言わせない。
「マイクロトフは律義だからな。気づかないかもしれないが、我々は今、断崖絶壁を目の前にしながらもとまれない坂道を駆け降りている状態と同じなんだよ。誰も、その先になにが待っているのか考えることを忘れている。一部の、そうだな。シュウ軍師や、クラウス、都市同盟を形成していた市長達、こういった人々だけが考えている。その一部の人間こそが、次世代を把握してしまうのさ。マイクロトフ、戦争は美しくないんだ。人が人を殺す。その醜さ以上の何者でもない。だが始まりがあれば終わりがあるように、戦いも終わるだろう。その終わりを前にしたとき、権力者達は、いかに自分に利益を齎されるだろうかと考えるものだよ」
 珍しく演説調で語った後、カミューは風に揺れる真紅のマントを軽く手で払った。煌いた陽光が、同じ色の髪を照らしていって、マイクロトフは目を細める。
 ルルノイエ皇城を落とすことが出来た一団こそが、勲功第一となるのは明白だ。そしてその役をクラウスはマチルダ騎士団が独占するようにした。
 ―― その意味は?
 恩を売り、新たに作られるだろう統一王国をマチルダ騎士団が守れという暗黙の依頼であり、永遠の忠誠を誓えという命令であるだろう。そして。
「マイクロトフ、政治的駆け引きも確かにあるが。クラウス殿に決断させたのは、故国に対する愛情であったと私は思うよ」
 やんわりと言って、カミューは目を細めた相棒に視線をやる。案の定、政治上の暗い現実を突きつけられて、マイクロトフは苦虫をかみ締めたような顔をしている。全く素直なことだと、呆れかけたがそこが僚友の良い所であるので、いらぬ揶揄は控えた。
 そのマイクロトフが、祖国に対する愛情、という言葉に反応して目を上げる。彼にはわかりやすい、好きな言葉だろう。
「何故、マチルダ騎士団がルルノイエ皇城を落とすことに、意味がある? その、故国を愛するがゆえ、ということになるんだ?」
「分からないかい? マイクロトフ」
 からかうようにカミューがいうと、目に見えてマイクロトフが憮然とした表情になったので、赤騎士団長は軽く僚友の肩を叩いた。
「いや、からかうつもりではなかったんだ。すまないな、マイクロトフ。理由は簡単だよ。ルルノイエ皇城正門が落ちれば、当然、軍が城内に流れ込むだろう? そしてだ。流れ込んだ軍が、復讐に燃える兵だったらどうする? おそらく勘だがね、この城内部には女性達も多く残っている。本来は高嶺の花そのものな、それは美しい女性達さ。そんな者達を前にして、復讐という免罪符を手に入れた一般兵はどういう行動にでると思う。マイクロトフ」
 尋ねると、いきなりマイクロトフは沈黙する。
 そのいかにも憮然とした表情に、実は聡い僚友が伝えたいことをはっきりと理解したことを知って、カミューは息を落とした。
「そうだよ、マイクロトフ。虐殺と、暴行と。阿鼻叫喚図が展開されてしまうんだ。なにせ―― 都市同盟軍のほとんどは、ハイランド兵は市民がそういう目にあって当然だと考えるものが多い。これは、仕方ないことだろうさ。なにせ、こちらが受けた傷痕もひどく大きかった」
 燃え盛る炎。振り下ろされる刀、飛び散る鮮血の赤。無人になった都市。さらされた市長、殺された気高い女性、そして獣の紋章。
 人々が、ハイランド王国に対して情けの心を持てなくとも、それは仕方ないとカミューは思っている。
「だからこそ、我々なんだよマイクロトフ」
 最大の勲功を立てさせる場所を与えるから。
 だから―― マチルダ騎士団がルルノイエ正門を落とし、そしてせめて虐殺や暴行といった蛮行が繰り広げられないようにしてくれと。
 クラウスが祈るように、願っているから。
「さて、どうやって落としてみせるかな」
 呟いて、カミューは眼差しをあげた。
 視界の先、きらめく陽光の遥かなる奥に、燃え盛る炎の色を見つけた気がして、眉をひそめる。



「ちくしょうめっ!」
 一つ叫んで、シードは長い外套を染める緋色を残像にして、身を返した。
 マチルダ騎士団の動きが、高い塔の上からは良く見える。防衛する自軍が崩れていく有り様も、情け容赦なく良く見えてしまった。
「おい、おまえら!! 何か合ったら、引くことも考えろっ!」
 外套の裾で、ぐいと血を拭い取った剣を持ち上げて、声を張り上げる。常ならば威勢のよい返事が響くはずなのだが、なぜか沈黙だけが支配していた。
 士気が落ちちまったのかと、思って振り向いて、シードは絶句する。
 全員が全員、どこか透明な眼差しで上官であるシードを見詰めていたからだ。
「おまえら?」
「私たちは―― シード様にお供します」
「ああん!?」
「生き延びろと、叫ぶ気持ちは分かります。ですから、全員玉砕させろなどと我が侭はいいません。半数は、残された女性達を守りながらなんとか落とさせます。ですが、我々だけは。常にシードさまと戦場にあった我々だけは―― お供させてください」
「……死ぬ気か?」
「将軍が、死ぬおつもりならば」
「じゃあ俺が生延びるって言ったらどうすんだ」
「その時は、お供します。将軍お一人では、通常生活が心配ですから」
「―― 言ってくれる。……分かった、とめやしねぇ。付いてくる奴は、ついてこい。ハイランドの……この誇りだけは、馬鹿にさせやしない!」
 叫ぶ。そしてそのまま、シードは城内へと走り出す。最中、唐突に目元を袖でぬぐう仕種をした。
 味方が崩れていく様。あれは、クルガンの用兵ではなかった。―― だから。
「……ハーン…」
 身分も年齢も出自も気にせずに、教えを授け、時にはしかり、若い将兵を育ててきてくれた偉大なる老将軍。崩れたのは、彼の用兵と一目で分かる軍だった。
「ちくしょう、先に楽になりやがって!」
 一つ吠えるように叫んで、走る。
 全てが弔いの対象になってきている。だからこそ、命を落としただろうハーンのために、立ち止まり落涙する暇などはなかった。
 ただ心中で弔いの鐘を鳴らすだけ。
 複雑な構造になっている王宮の通路を走り抜ける途中、同じように走っている誰かの足音を聞き、曲がり角から影が見えた瞬間に顔を上げた。
 鈍い、戦闘の果てに色を失った剣のような鈍色がある。
 咄嗟にシードは抜刀し、切りかかった。鈍色の持ち主も同じように、剣を下から上けと切り上げてくる。
 ―― 敵だ。
 そう思った。だからこそ、力を込めて突き込んだ剣を受け流され、逆に突き返された剣を受けて、目をみはる。
 鈍色。艶と光を失った、それは銀の色だ。
「クルガンか?」
 信じがたくて、声をかける。同じ想いだったのかもしれない、わずかに息を呑む気配があった。
「シードか…」
 通路からみえた色は、緋色ではなかったのだ。
 くすんだ、色を失って乾ききった、どす黒い色に見えだのだ。だから―― 敵だと思った。
「なんだよ、味方を間違えるんじゃねぇ」
「自分のことを棚に上げるな」
 短く、言葉のやり取りをした後に、クルガンとシードは息を整える。落ち着いて見上げれば、その色は確かに光を宿す銀色と、激情を移す緋色だった。
 ―― 目が、壊れてきたとでもいうのだろうか?
 まるで、壊れていってしまうこのルルノイエと同じように。守る人間の体までもが、はやばやと朽ちてくるのだろうか?
「あと少しでいいんだ。ちくしょう、もちやがれ」
 叱咤して、シードは気力を振り絞るように眉を釣り上げる。クルガンは同僚の様子を見やってから、唐突に振り向いた。
「どうなっているだろうか」
「……ジルさまなら落ちた。それは確認した」
 黒い、髪が鮮やかに揺れて、ルルノイエを目礼していった女性をシードは確認している。
「だけどな、まだだ。落ちてない」
 続けて言って、シードは視線を持ち上げた。
 冷静さを崩さないまま、クルガンは眉を顰めて、息を付く。
「ルルノイエがおちる時を考えての計画の全て、実行できているわけではないか。鬼才の軍師殿にも、出来ぬことはあるらしい」
「当たり前だろ。所詮、人間だ。軍師もよ」
 水が飲みたいなと無意識に呟いてしまって、死を黙然にしながらも、体が生きる為に必要なモノを求める事実に気づき、シードは笑う。
 死ぬつもりならば、と部下が聞いた。
 当然だ。死ぬつもりでしかない。この命が朽ち果てる瞬間まで、ハイランドの滅亡を先送りできる。だから死に場所はここでしかないのだ。
「クルガン、行けよ」
 抜刀したままの剣を鞘に収めて、シードが宣言する。クルガンは眉を顰めて、僚友をみやった。
「―― お前は?」
「俺はここで、侵入を食い止める」
「まあ、そうだろう」
「……クルガン、嫌な役目押し付けて、悪ぃな」
 軽く、シードが手を挙げた。
 挙げられた手に、自らの手を強くあわせて、クルガンは走り出す。
「シード、先に戦いをはじめるなよ。私は戻ってくる」
「そうかよ」
 振り向きもせずに、シードはひらひらと手を振った。
 クルガンも死ぬ気でいるのだと、静かに悟って。


 
 秒読み。
 それが音になるとしたら、どんな音だろうか?
 突然の炎に命を終える、雪のごとき音だろうか?
 血が重なり、絶叫が響き、慟哭が響く。
 静寂は程遠い。にも、関わらず。
 ここは―― 静寂なのだ。


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