戦い続ける気高き心 弐
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 金色の髪が、向かい風に煽られながら揺れる様を見下ろして、シードはぐいと額を拭った。
 汗と、そして流した血と浴びた返り血が袖口にこびり付く。
「敵が僅かに引いたか? 今のうちに、メシ取れる奴は取っとけ。休む暇なんてなくなってくるぞ」
 篭城戦を可能とする物資を、レオンの指示で用意周到に城内に短期間で貯えさえたのはクルガンだ。城内のいたる箇所をみれば、弓矢などの消耗武器を製造する場所も増えている。
 だが、その職人の中には民間人も多く、なんだって篭城戦にまで巻き込んだのだと一度食って掛かったのだ。だが、実際のところは無理強いしたのではなく、どうしても共に戦わせてくれと直訴してきた民を城内入れたということだ。
「滅ぼされる。その予感を、民までもが恐れてるか」
 情けない、と想う。この国を守る為に王国軍に入った。守りたいから戦った。守りたいから―― 尊敬とてしていたルカ・ブライトを裏切ったのだ。
 物見塔からは、様々なことが良く見える。
 先程金色の髪を揺らし、走っていくジョウイも見えたし、こうして敵の動静を見守ることも出来た。
 敵方は、想像以上のルルノイエ攻略の難しさに一旦引いているらしい。
 攻め方が今までのシュウのやり方とは僅かに異なっている。レオンを相打ち覚悟の火攻めに持ち込んだ敵軍師が死んだという一報は届いていないが、怪我くらいはしたのかもしれない。
 ―― なにせ、この手堅い攻め方は。
「クラウスか…」
 苦虫を噛み潰したように呟く。
 アガレス・ブライトに最大の忠誠を誓う元王国軍団長キバの一人息子クラウスの用兵には、奇抜さがないかわりに隙も殆どない。しかも、攻め込んで来た側の唯一の弱点となる地の利のなさを、彼の存在が埋めてしまっているのだ。
「ちくしょうめ。よりによって、ルルノイエ攻めで出てこなくってもいいだろうが」
 勝手な事を言っているのはわかる。
 むしろ、敵から寝返ってきた人間というものは、どんな危険を侵してでも勲功を立てねばならないものだ。クラウスの行動は―― ある意味正しい。
 もう一度舌打ちをした時に、背後でどよめきが起こった。もう敵の攻撃が再開されたのかと振り向いて、シードは目を丸くする。 
「なんだぁ!?」
 女達だった。
 戦いを補佐するために、看護の役割を引き受けた侍女たちではなく、かつては宮殿内で美しく着飾り、微笑みを浮かべていた貴族の子女達。
 その娘達が、きらびやかな衣服ではあるがなるべく動きやすいようにと襷掛けをし、物見塔に登って来ているのだ。
「なんだってお前ら、落ちてない!」
 仰天のままに大声を張り上げると、部下の兵たちは首を竦めたが、娘達の方は平然としている。そして、従順さだけを表に出していたはずの瞳に強い意志を輝かせて、代表格らしい娘が一歩進み出た。
「わたくしとて、ハイランドの民です。この国を愛し、この国を守る気持ちは、あなた方殿方に負けるものではありません」
「そ…そりゃそうだろうけどな、お前らが戦えることなんてねぇんだよ」
 それこそ、スカートを持ち上げるか男に手を取って引かれる為にしか存在していないような手に武器を持たれても、使えるとは思えない。
 けれどそんなシードの気持ちなど最初から理解していたらしく、娘は首を持った。
「流石に、武器を手に戦おうとは思いませんわ。それでは、邪魔になるだけです」
「―― 分かってんなら」
「けれど、出来ることはあります。わたくしたちは、わたくし達に仕える侍女たちのような働きも出来ませんけれども。皆様の炊き出しくらいは出来ますわ」
「た、炊き出し!? お前らが!?」
「シード様。姫であろうが貴族の娘であろうが、出来ることはあります。難しい料理などは出来ぬでしょう。それが我らであり、そうして生きることを望まれているのですから。けれど、この時に微笑みを浮かべていろというのですか? もし、浮かべるならば。ルルノイエが落城し、敵兵が入城するその瞬間に、微笑んでみせますわ。彼らに、わたくしたちの誇りまで踏みにじることは出来ません」
「―― 城が落ちたら、お前らどういう目にあうか分かっていってんのか? 俺らとは違う。女は辛いんだ」
「もとより、承知の上ですわ。……もしそうなれば、生き延びて、ハイランドの民を絶やさぬ様、わたくしたちはそれを伝える母親になります」
「…とんでもねぇ気の強さだな…」
「それはもう。なにせわたくし達は、皆ルカ様のお妃候補になったくらいですのよ?」
「―― 納得。じゃあ、任せる。だが、敵の再攻撃が始まったら下がっとけ。それでも、貴族のお姫さんたちに応援してもらってるってわかったら、士気もあがる」
「ええ、その辺りは。お任せください。シードさま、邪魔なときは一喝してくださいましね」
「俺がか?」
「遠慮のないシード将軍が好きですわ」
「……こういう時に聞いてもなぁ。じゃ、頼んだ」
さらりと手をあげて、シードは再び戦場をにらむ。
敵軍の、細かな指示をしているはずの軍師の面差しを、なんとか思い出そうとしながら。



「クラウス殿、何か?」
 特長的に礼儀正しいマチルダ騎士団員の声に、疲労の色が伺えるまなざしを揺らして、クラウスは振り向く。
 ルルノイエ皇城前での野戦になんとか勝利をおさめたものの、敵軍のほとんどを場内に取り逃がしてしまった。都市同盟側の予想はハイランド軍の士気が下がっている、というものだったが、クラウスはそれは逆だと確信していた。
 そしてやはり、今目の前で戦う人々の姿は誇り高いまでの戦いを見せ付けている。
(父上―― もう、戻れぬあの国は……やはり今なお、美しいものですね)
 心の中で、戦死したばかりの父の面影を追った後、クラウスは伝令の任務を与えられているマチルダ騎士団員に図面を渡す。
「―― これは?」
「あまり奇麗ではなくて申し訳ないのですが。ルルノイエ皇城における防御の薄い箇所を示しています」
「………クラウス殿!?」
 息を呑んだ騎士団のまなざしに、一瞬の侮蔑がよぎったのをクラウスは見逃さなかった。
 当然だ。クラウスは、父キバとともに、本来は王国軍の一つを任されていたハイランドの民だ。たとえアガレス・ブライトがルカ・ブライトによって殺された可能性が高いために、都市同盟についたという事実は理解できても―― 決定的な内情をもらす行為は最低でもある。
 マチルダ騎士団という、本来規律に満ちた彼らにとってしてみれば、白騎士団長ゴルドーを見限り、エムブレムを捨てることだけでも凄まじい心痛を味わったろう。だからこそ、裏切ったとはいえ祖国の弱点をもらすなど信じられないのだ。
 ―― 元赤騎士団長、カミューを除けば。
 なぜ、それを口にしたのか。そして何故シュウがカミューが進言したことを隠したのか。それをクラウスは痛いほどに理解している。
 カミューがロックアックスの弱点を口したのは、今の自分の気持ちとまったく同じはずだった。戦いを長引かせ、戦争の爪痕を激しくし、そして民と兵を疲弊させないためだ。
 そしてシュウがそれについて沈黙し、いかにも内情を知っている人間の情報があった事が分かるような作戦を控えたのは、すべてが終わった後、マチルダ騎士団を再興することができる人間に汚点をきせぬ為、だろう。
 ”今”の戦いに意識を集中していればいいわけではない。
 終わったあとの再興こそを、考えねばならないのだ。
「私は裏切り者です。それは、間違いのない事実。ならば、裏切り者は裏切り者らしく、持っている情報はすべて使います。それで、一つご依頼が」
「―― なにか?」
 納得しかねる表情では有るが、軍師に逆らうような所をマチルダ騎士団員は持たない。このある一点における純真さが、彼ら騎士団員の強さを生むのだろう。
「軍編成を行います。マチルダ騎士団、青騎士団、赤騎士団、各団長に命令を。現在の指揮者からは別れ、マチルダ騎士団員のみで軍を編成しなおしてください。その後、防御が弱い場所に集中攻撃を」
「―― われわれに、ですか?」
「そうです。勝利を重ねてきていることによって、今我が軍は優勢を保っていますが。実際の兵の質でいえばハイランドに劣っている。それに唯一対抗できる部隊は、ロックアックスを解放した結果、人数も増えたマチルダ騎士団員のみで構成される軍のみです」
 元が戦闘のために作られた組織なのだから、個人個人の戦闘力が高いのも当然なのだ。
(いかに弱いポイントとはいえ、簡単には落とせないはず)
 そこが弱いことなど、将軍なら理解しているのだから。
「マチルダ騎士団が再編成する間の援護を、ビクトール殿とフリック殿に依頼します。途中、彼らの部隊によって伝えてください。―― 頼みます」
「……承りました」
 一歩下がり、礼をしてマチルダ騎士団員が馬に乗る。
 これで戦機を動かさねばならないだろう、と強く思い直し、振り向いてクラウスは一瞬立ちすくんだ。 
 本来、本陣にはいないはずの人物が、その妙なる白銀の髪をゆらしてたたずんでいる。―― まるで月光のような。
「シエラさん! どうしてここに!?」
「今日は、わたくし、側にいることにしました」
 相変わらず、彼の前だけではかわいらしい言葉づかいを見せながら、真紅の眼差しをゆらしてシエラは一歩進む。
 戦場の熱気。そして、儚い命しかもたぬ人の子たちが散っていくさまは、かつて己が守っていた村の最後を思い出させるようでもあった。
「しかし、危険が…」
「どこにいても危険でしょう。この一戦で負けることがあれば、逆に都市同盟が滅びる。その程度のこと妾に…ではなくって、私にわからないはずがありませんわ。それに―― 心が僅かでもないている状態では、良き策を出しつづけることはできませんわよ」
 父親を失ったこと。
 そして愛する祖国を攻撃すること。
 それがクラウスにとって泣き叫びたいほどにつらいことである事を、シエラは知っている。だから、戦場にこうして出てきたのだ。
 クラウスは目を見張り、一度だけ俯く。
「……すみません。シエラさん。今は、お言葉に甘えます」
 そして言い切った後、彼女の眩しいほどの銀色の髪に、かつて同僚であり、将軍でありながら切れる頭脳を保持していた銀髪の男のことを思い出して、眉をひそめた。


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