戦い続ける気高き心 壱
[前頁]目次[次頁]
「僕は今まで、多分混乱したまま…流されてきたのだと、思う」
 枯渇した口の中。泣いて、繰り返し泣いて、必要な水分がなくなって、こうして渇き切っている。
 ―― もう、癒されることのない、この渇き。
 拳を握り締める。固唾を飲んで見守ってくる、人々の眼差しが熱い。
 一体いつから、このような眼差しを受けるようになっていたのだろう。英雄の息子と湛えられ、信頼の眼差しを向けられ、期待に応えようとして……今まで、何も考えずに道を進み続けてきた。
 その、結果がこれ。
 泣いて、泣き叫んで、部屋にこもって全てを呪った。
 何故、彼女が死なねばならなかったのか。
 何故、彼がああも苦しまねばならないのか。
 何故、何故、何故?
 堂々巡りの慟哭。解決されることのない哀しみの中、それでも喉は渇き、空腹は襲って来て、それが彼女に対する裏切りのようでまた泣いた。
 そして何日か経って。初めて、部屋の外に出た。
 俯いた人々の瞳の中にある、自分に対する心配の色。少なくとも、108星の輝きに導かれて集まってきた者達の多くは、現実が抱える利害関係よりも、姉を無くした弟、という存在を心配している。
 死んでしまった彼女に、もう一度会わせてと言って、返ってきた答えに驚愕した。
「―― もう…荼毘に伏した!?」
 思わず叫ぶ。
 軍師と、医師の命令だったという。腐敗するよりは、荼毘に伏して骨に返してやった方がいい、と。
 どうするのかと、聞いたのだという。荼毘にふすから出てきた方がいい、とも言ったのだという。
 けれど、いつまでも返事をせずに自分は涙を流して閉じこもっていたから。
 なにも、自分の意志で決めてこなかったから。
 最後の別れさえ、充分に出来なかった。
「……ナナミ、ごめんね、ナナミ」
 せめて、もう一度。その冷たくなった体をかき抱いて、触れていたかったのに。一人で荼毘に伏させるつもりなんて、全くなかったのに。
 小さい、本当に小さな渡された骨壷の、重みの軽さに、最後の涙を零して。
 ―― 目を上げた。
「僕は、みんなが思ってくれているほど、偉い人間でもなければ、優しくもない。第一、賢くだってない。シュウ軍師やテレーズさん、マチルダ騎士の皆さんがいうような、統一国家の必要性なんて、正直いって分からない。でも――」
 取り戻さなくてはならない人がいる。例えそれが、世間一般的な道義にも劣ることだとしても。
 ………ジョウイ。
 君を取り戻す為に、ハイランドという国が、皇王という地位が、障害になるのなら。
「僕は戦う。ハイランドを落とし、そして僕に残された最後の人を取り戻す。それがナナミの望みで、僕の望みだから。こんな…エゴに付き合わなくちゃいけない理由なんて、みんなには何一つないけれど。でも…僕は取り戻す。ハイランドを恨む気持ちがあるのは知っている。だけど、ジョウイを殺すことは僕が許さない!」
 ―― 忘れてはいけなかったこと。
 飛び込んできた矢から、庇う為に飛び出していったナナミ。
 あの行動こそが、多分自分達に一番相応しかった世界を表していた。
 自分と、ナナミと、ジョウイと。大きすぎる理想ではなくて、手と手を握り合っていた小さな世界を守ることに、どれほどの意義が含まれていたのかを思い出す。
 静まり返った人々の、不安な眼差しにすらもう罪悪感はない。
 みんな同じだったはずだ。小さな幸せの空間を守りたかったから、戦って、血を流してきた。それはみんな同じで―― ハインランドの必死さとて、この気持ちに基づいているのだと思う。
 ―― 逃げよう。
 そう、ナナミが一度だけ言った。
 あれはきっと、戦いの果てに平和を手に入れたとしても。全てが守られたままであると保証されてるわけではないと、必死に訴えていた言葉だったのだろう。
 ハイランドも、都市同盟も。戦っているものは皆同じ人間で。
 ―― 見ていたかったんだ。みんな。
    大切な人が、笑っていられる空間を守りたかったんだ。
 こんな…哀しい、みんなが幸せになることが出来ない戦いの果てに、夢を見た。
「僕が約束できるのは一つだ。完全なる勝利。それだけ。こんな指導者に付いていきたくないのなら、来なければいい。戦わなければいい。どんな事があってもハイランドに打ち勝ちたいのなら、力を。僕に、力を貸してくれ!」
 叫ぶ。
 そして、出陣が決定した。



「南門に敵が取り付きました!」
「正面、波状攻撃、きます!」
「梯子を掛けようとしています!!」
 叫び声が、充満している。
 一人一人は弱兵ながら、勝ち戦を続けていることで都市同盟軍は士気が上がっている。しかも日和見をしていた者たちが勝利を確信して戦争に参加し出しているらしく、敵の数は膨れ上がっていた。
「ちくしょうめ、ふざけやがって!! 日和見主義の軟弱野郎がっ! おい、城壁にへばりついてくる奴等には、熱湯をぶちまけてやれ!」
 すでに払いきれない血刀を手に、物見塔へと駆け上がって、シードが叫ぶ。
 ハイランド王国が始まって以来、一度として敵に攻められたことのない優美なルルノイエ皇城。けれどそれは、美しさだけを求めて作られたのではない。堅固な堀に囲まれた城は、かなりの要害であり、篭城には的していた。
「思ったよりも敵の威力が盛んすぎる。……レオン軍師、城内の様子は?」
 物見塔へと駆け上がっていったシードの声をはっきりしと確認して、ジョウイは肯く。城壁へと襲い掛かってくる敵の防衛は、任せておけば大丈夫だ。
 報告によれば、正面への波状攻撃に出てくる都市同盟軍相手に、ハーンとクルガンが共同戦線を張って防衛を続けているという。
 矢継ぎ早に飛び込んでくる情報を正確に理解し、指示を飛ばしているレオンは顔を上げ、年若い主君を見やった。
「我が軍の士気の低下は特に見られませんな。逆に、玉砕する心積もりになってきている者が多いようです」
「……玉砕…」
「ジョウイ様の好むことではないでしょうが」
「―― これが…僕がしてきたことの、答え、なんだね。……だが、まだ負けが決まったわけじゃない。とにかく、この敵の第一次攻撃を防がないと」
 きっぱりと言い切って、ジョウイは純白の上着を揺らせて戦場へと戻ろうとする。それを見送ろうとしてから、レオンはふと口を挟んだ。
「ジョウイ様。手後れになる前に、一つ進言があります」
「―― 何か? レオン軍師」
「ジル様を退避頂いた方がよろしいかと。もしやの事態も考えられます。その際、女が捕まるとむごい目にあいますので」
「……そう、かもしれませんね」
「ジル様は、都市同盟が最も憎むルカ・ブライト様の実妹。復讐の念にかられた都市同盟兵士に、どんな凶行を受けるか分かりませんからな。しかもジル様は決して命乞いなどなさる方ではない」
「……そうですね。ジルは……本当に、気高い人だから」
 どこか脆い印象をあたえる眼差しを伏せ、ジョウイは呟く。
 想いをよせながらも、思いを寄せる人にとって”仇”でしかなかった自分。恐らくはその事実に胸の痛みを覚えているのだろう主君の背を、レオンは軽く叩いた。
「すでに、ハルモニアに住居を用意してあります」
「―― ハルモニア!? それは…何故…」
「ジョウイ様。敗北すれば、このハイランドの国土の中に、旧ハイランド王国の血に繋がる者たちが住む場所はなくなります。滅びとは、そういうもの。新しく支配者として君臨する者は、自らを正当化するために、かつての支配者を悪し様に喧伝することでしょう。そして、滅んだことによって、夫を、兄を、弟を、友を取られた国民達は、静かにその新しい支配者の思惑にはまっていくものです。―― 都市同盟に対し侵略を開始し、負けた。この事実だけが大きくなり、我々は都市同盟側の者以上に、元ハイランド国民にとって呪うべき対象となる」
「そんな……」
「戦争や政治は、奇麗事や理想論では片付きませんからな」
「そう、だけれど。……ハイランドに、ジルの居場所がないのは、分かった。でも、なぜよりによって、ハルモニアなんだい?」
 ジョウイの知識欲旺盛なところは、今、滅びを前にしているというのに変わらない。
 心なしか笑んで、レオンは歩いて窓辺に寄った。
 激しい戦闘が繰り広げられている。指揮を取るもの、攻め込んでくるもの、防御するもの。―― 様々だ。
「利点がなければ、亡国の王族を引き受ける酔狂な国はありません」
「では、ハルモニアがジルを引き受けて、一体なんの利点が?」
「都市同盟がハイランドを併合すれば、その国土はかなり巨大なものとなります。その上、おそらく彼の国は統一王国を打ちたてるでしょう。結果、大きな国が登場する。―― 皮肉なことに、我々が求めた形が、敵の手によって打ちたてられるのです。この場合、ハルモニア、グラスランドといった国は警戒を始め、都市同盟を危険な敵と仮定することでしょうな」
「敵、と ――」
「そして敵がまとまり真実の脅威となる前に排除しようと考える。けれど、大義名分なき戦いを民は望まぬものです。 そして、ハルモニアが望む”大義名分”を持つ者がいる。それがジル様です」
「……大義名分をジルが持っている?」
「意味もなく攻め込めば侵略です。けれど、攻め滅ぼされた国の正当なる後継者に国を取り戻す、という名目があれば侵略ではなくなる。そういうことです」
 静かな断言にジョウイは絶句して、己の軍師の顔を見やった。
 確かに価値がなければ女子供など、どういう扱いをされるか分からないのが事実だ。身柄を差し出して、金一封でもせしめようと考える者もいるだろう。ハイランドに対する恨みを、ジルやピリカに向ける者もいるのだろう。
 ならば利用することを前提にするとしても、丁重な扱いをするだろうハルモニアに行く事の方が安全なのだ。
 ―― 利用価値があると判断されているまで、は。
「僕は…結局、誰も守れない…」
 初恋の人。兄と慕ってくれる子供。
 二人だけは、自分が守らなければならないと思っていたのに。
「ジョウイ様、まだ負けが決定したわけではありません。それよりも、退避させるのならば早めに。別れの言葉がかわせるうちに」
「―― すまない。ありがとう、レオン軍師」
 他になにを言うべきかわからずに、それだけ言った後に一礼して、ジョウイは走り出した。
 


[前頁]目次[次頁]