赤いユメを見た
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「本当の強さは、きっと全てを失った後に問われるのよ」
 静かにジルが呟いた。
 ハイランド皇王の座にジョウイがついたその日に。
 婚礼衣装にも劣らぬ艶やかな衣装と、それ以上に美しい容姿を惜しげもなく披露して。夫を皇王たらしめた高貴なる少女が歩んだ―― その瞬間に。
(―― 失われた後?)
 偶然聞こえた呟きに、真紅を色濃く宿す将軍シードは顔を上げる。
(――― ?)
 特にジルに変わった様子は見られない。普段と変わらぬ微笑みが、そこにあっただけだった。
 皇王と皇妃の姿は見えなくなる。それでもしばし虚空を凝視し続けて、シードは息を付いた。
「溜息は不孝をまねくという迷信がある」
 不意に声がした。
 あまり戦場以外で聞く声ではない。ゆえにゆっくりと瞬きをしてからシードは振り向く。
「軍師殿が迷信深かったとは知らなかったな」
「―― 迷信は過大表現が多いが。正しいことを言っている場合もある」
「ま、あな」
 溜息は不孝を呼ぶという。 
 精神状態が悪ければ、本来の力を発揮することが出来ずに失敗する、という意味であるのだろう。それならば分かる。
「で、レオン軍師。これからどうするつもりだ? 都市同盟を破壊し尽くす方針は今はもうない。新しい方針を、そろそろ聞いてみたいもんなんだけどな」
「統一する」
「統一?」
 不思議な言葉を聞いたとでも言うように目を開く。そんな反応など承知の上だったか、レオンはゆっくり歩き出すと、眼下に景色が広がるバルコニーまで歩いた。
「この大地を。完全に統一するのだ」
 都市同盟。
 豊かな土地を保持するがゆえに、団結せずとも静かな生活を送ることが可能な国が、視界を遮る山脈の向こうにある。
 統一しなければいけないのだと、レオンは思っている。
 かつて赤月帝国のバルバロッサも、同じ意見を持っている一人だった。だからこそバルバロッサは手段は選ばずに覇道を選び、皇帝の座をかち取り、レオンはその手伝いをしたのだ。
 もし。バルバロッサが愛する女の為に全てを捨ててしまわなければ。
 恐らく赤月帝国は全大陸を統一する為の戦いを仕掛けただろうと思っている。
「ハイランドは貧しい」
 きっぱりと言い切り、レオンは振り向いた。
 会話に興味を覚えたシードが立ち去らずについて来ている確信があったのだ。事実、振り向いた先にはひどく印象的な眼差しがある。
「――否定できねぇのが辛いな」
 軍装を解いていないとはいえ、流石に鎧は着込んでいない。剣を扱う者のわりにはどこか華奢な腕を上げて頭をかくと、シードは目を細めた。
「それでも、ハイランドの民の心は貧しくない」
 続けてはっきりと断言する。
 珍しく微笑ましそうな顔をしてから、レオンはゆっくりと肯いた。
「自然環境が厳しい国の民は、それを保護する組織……国の守護がなければ立ち行かないことを知っているのだ。だからこそ、民はハイランドを守る為に必死になる。そしてハイランドを支える者たちも必死になるのだ」
「ああ」
「ルカ・ブライトもその点は同じだ。彼は破壊衝動を押さえられずに、他国に攻め込んだ。逆にいえば自国の民を破壊せずにすむように、攻め込んだともいえる。狂っているといわれながらも、ユニコーン少年隊を利用し正当な理由を作り上げてまで、な」
 戦いの火蓋を切って落とす際、正当な理由を欲することは。
 ひどく冷静で正しい心理だとレオンは思うのだ。
 たとえ自国民を利用する方法であったとしても。間違ってはいない。確かな信念に基づいているのならば、だ。
「無論、利用された者達からみれば、理由があろうとなかろうと、非道は非道にすぎんがな」
「まぁな」
「ハイランドに平和をもたらす為には、完全な統一を断行するしか術はない。和平を結んだとしても、後に国力を回復させた都市同盟側によってハイランドは攻め滅ぼされるだろう。お茶を濁せる程度では既にない」
「統一ねぇ」
 視線をはるかにやる。
 ハイランドを守りたかった。この国に生きる民を守りたかった。
 ――その為には、もっと大きなものを手にいれねばならないのだろうか?
「そんなもん、手に入るのかよ?」
「方法を選べばな。そしてその方法にジョウイ殿が付いていけるならば、だ」
「付いていける?」
「今回、我々は都市同盟側に和平の申し入れをする」
「――!? ちょっと待て、今し方、和平をしても仕方ないと言ったばかりだぞ!」
「そうだ。だが、どうしても申し入れをしたいというのがジョウイさまの考えだ。無論統一の意志はジョウイさまから出たもの。全面的降伏しか道はないと、都市同盟には付きつける予定だがな」
「それで降伏する馬鹿がいるか?」
 やれやれと腰に手を当てて、シードが高圧的にレオンを見下ろす。
 行動や仕種、そして言動の至る箇所に若さを感じて、どうもレオンは笑ってしまう。なんとも、そう、ほほえましい。
「なんだよ?」
「覇道を貫くには激しい意志が必要となる。その意志を挫く障害となりうるのは、敵軍のリーダーであり、その義姉であり、ピリカという少女だ」
「ジョウイさまの親友だろ? しかも一応はハイランドの民だったわけだ。ユニコーン少年部隊の生き残り。だからこそ恨みを持つのは勝手だが、だからといってわざわざ反乱組織の指導者になるってのは、陰険すぎて好きじゃないね」
「ハイランド国民がハイランドに害なすという時点で、全て気に入らないことになっているんではないかな」
「……ま、あ。そうだけどよ」
「子供なのだ。生きていく為に周りの大人の力が必要だった。その大人達が力を貸せといってくれば、諾々と従うのが普通の子供だろうよ」
「……じゃあ、ジョウイさまは?」
 ――彼も子供だ。
 ユニコーン部隊で目にした悲劇。
 都市同盟で目の当たりにした、利権渦巻くさまの醜さ。
 強烈な個性であるルカとの出会い。
 激しい印象を残したろうジルとの出会い。
 そして、戦乱を終らせたい意志を激しく持つレオン。
 ――ジョウイもまた、周りの大人達に巻き込まれ、操られていく子供にすぎないというのか?
(冗談じゃねぇ。そんな操り人形の子供に、未来を忠誠を託すつもりはねぇぞ)
 剣呑な光を双眸に称えたシードに、レオンは苦笑する。
「間違えるな。わたしは、別にジョウイ殿を説得して軍師になったのではない。ジョウイ殿が自らの意志で訪れ、希望を述べ、そして軍師になってくれと頼んだのだ。操られているのでも、巻き込まれたのでもない。むしろ」
 ふい、と視線を下に降ろす。
 丁度ルルノイエ皇城を出て、国民の前にも姿を現す為に進んでいく皇王夫妻の姿が見えて、目を細める。
「我々のほうが巻き込まれたといったほうが正しいだろう。歴史を担おうとする子供の意志力にな」
 そう言って一歩下がった。
「じゃあ、今回の和平の真実の目的は、敵指導者および義姉、ピリカっていうガキの奪取か?」
「――ないしは抹殺だ」
「抹殺?」
「生きていれば、彼等の存在はジョウイ殿の心を常に揺さ振りつづけることになる。降伏するならよし、しなければ攻撃を仕掛ける。なに、人間動けぬ程度の怪我なら死にはしない」
「兵を潜ませておいて、拒否と同時に攻撃ね。ま、陳腐だが効果はあるってことかな。でもよ、そんな条件を押し付けに行く使者、誰がやれるよ?」
「すでにクルガンに依頼した」
「はあ?」
「いざという時は、周りを切り伏せて帰ってくるだろう。そういう事だ」
「なるほどね。ま、確かにそのくらいは出来るか。じゃあ、俺は俺のやることをしとくさ」
「やる事とは?」
「王国軍がいつでも動ける体勢を作っておくこと、だ」
「合格だな」
「この程度で誉められても嬉しくないね」
 ひらり、と手を挙げシードは辞去する。
 それを見送り、レオンは腕を組んだ。 
 ジョウイの決意はどこまであるのか。――それを考える。



 クルガンは守備よく都市同盟の指導者達をミューズに呼び出すことに成功した。けれど駆け込んできたピリカの前で惨劇を見せることに耐えられず、ジョウイは攻撃を中止させたという。
(らしいといやぁ、らしいか)
 繊細さが表に出過ぎているジョウイを思い出しながら、シードは呟く。
 策が失敗に終ったことを責めるでもなく、レオンは即座に水面下で交渉を進めていた事柄を急がせているらしい。マチルダ騎士団を懐柔しようというのだ。
 騎士団領の維持と守護だけに心を砕く白騎士団長ゴルドーのことだ。今のハイランドの勢力があれば、懐柔はたやすいはず。
(あの手この手って感じだよな)
 軍師っていうのはそういうもんなんだろうよと思った瞬間、同じ戦場にて剣を振るう将軍でありながら、策士の要素を持つクルガンの顔が右手に見えて、シードは止まった。
 普段から無表情だが、今は無表情に不機嫌が追加されているのは気のせいだろうか?
(ま、意味もねぇことをさせられたわけだからな)
 不機嫌になるのも当然かもなと思い、シードはもう一度歩き出す。
 わざわざ機嫌の悪い人間に話し掛けて、とばっちりを食うのは好みではなかった。それに、今はまだ軍勢を訓練させているだけの状態だ。出陣に関係する策の打ち合わせをする必要もない。
 ふと、唐突に思い出した。
 脈々と続いてきたハイランド王家の血筋を。ある意味別に移してしまった冒涜でもあるジョウイ即位の際に、ジルが呟いた言葉を。
『本当の強さは、きっと全てを失った後に問われるのよ』
 たしか、そう言った。
 そういえば、あれは一体どういう意味だったのだろうか?
 人は守るべきなにかの為に戦っているときが最も強さを発揮するという。
 それは確かだろう。守りたいものがある。それは最高の心強さだ。
「……全てを失った後……か」
 ルカを失った。ジルにとっては今がそうなのだろうか?
 ならば自分は? 自分にとっての全てを失った後というのは?
 考えて、なぜか無性に墓参に行きたくなった。
 ジョウイが同じ目的を遂行する為の仲間であり、代表者であるのならば。
 ルカはやはり主君だった。
 たとえ自分達が死に追いやった男だとしても。全てを滅びに巻き込むほどの人間だったとしても。ここまで鮮烈な印象を心に残し、消えない男はそうはいない。
(もしかしたら俺にとっての…)
 ――完全な忠誠を誓う相手としての主君は。
 ルカ・ブライトであり、そしてその妹であるジルであるのかもしれない。
 ハイランド王家の象徴。イコールでジョウイとはどうしても思えない。
「俺も傲慢だな」
 裏切ったんだと心で呟き、墓参する権利もないと苦く笑い、シードはまた己の幕舎がある方向へと歩き出す。
 ふと。唐突に――目の前が赤く染まった。



 赤々と燃える炎がある。
 土足で全てを踏みにじる為に、走りよってくる人の影が或る。
 そして崩れた屍の形。
 ――滅びの、色。


 ゆっくりと、瞬きをする。
 突然見えたと思った光景は、それで消えた。
 かわりにあったのは、赤く燃える夕焼けの色。
「縁起でもねぇもん見たな」
 呟いてシードは首を振る。
 リアルすぎる滅びの光景。――ハイランドが失われる日の幻など。
「そんなんは、俺が絶対にさせやしない」
 せめて、自分が生きている間だけでも。
 ハイランドを滅ぼさせないと、硬く、誓う。



 そして今――叫んでいる。
 誰もが命をかけた。
 敵軍師シュウが捨て身の作戦を立ててくるだろうとレオンが言ったのは、つい二三日前のことだ。だからこそ、かなりの意志力をもって対抗する必要がある、と。
 火攻めの攻撃があったと悲報が飛び込む。
 傭兵砦において、こちらの兵力を分断させる為に立てこもったキバの軍を全滅させたという朗報も入った。
 流石に必勝の軍師レオンの生死不明の報告が軍内部に流れたのは痛い。だからこそ、真実無事を確認できたかどうかは捨て置き、レオンは無事だと叫んだ。
「クルガン! 今、この状態だったら、レオンはどう命じるか考えろっ! お前、一応策士の端くれだろうが!」
「一応が余計だ」
「うるせぇよ! そんな細かいことなんて気遣ってられるか! とにかく兵を立て直す。今がチャンスだ。ここで負けるわけにいかねぇだろっ!」
 本能が叫んでいる。この戦いにだけは負けてはならないと。
 ――ロックアックスの戦い。
 ルカが死に、新しくジョウイが即位したことによって、戦いが終るのかと期待したのは都市同盟側だけではない。連戦による連戦の疲れと倦怠感から、厭戦ムードが流れ始めていたハイランド側も願っているのだ。
 けれどジョウイは戦争の続行を決意した。敵指導者を討ち取れるはずだったというのに、それが出来なかった脆さを露見しながら。
 だからこそレオンは派手な成果を見せる為にマチルダ騎士団を下したのだ。
 ――全ては、順調にいっているとみせかける為に!
「ここで負けてみろ! 脱落者が出るのは必須だ!」
「分かっている。少しは黙れ、うるさい。今考える」
 器用に馬上にて弓を扱いながら、短くクルガンが言い捨てる。
 中央突破をして行った軍があった。それが恐らくロックアックス城内に入ってしまっただろう。――今の内に、崩れた軍を立て直す必要がある。
「シード、陣を左右に展開させろ!」
「はあ!?」
「敵の数は少ない。陣を左右に広げ、包み込み包囲殲滅戦を仕掛ける。時々あの軍師殿の取る策は派手だ。今ならこれが有効だろう」
「右翼の陣は任せた!」
 鋭く叫び、シードは馬の腹を蹴って自分の軍を叱咤する。
 敵に中央突破されたことで僅かに浮き足立った軍が回復していくのを見て取って、シードは僅かに笑う。
 レオンからの指示。自分とクルガンが健在であること。
  ――それが恐らく。今のハイランドという軍を支える強さなのだ。



 火攻めにあった処理をしながらレオンが戦場にかけつけ、クルガンとシードが都市同盟軍を包囲殲滅しようと動く中。
 誰も知らなかった。
 ジョウイは敵の目的がおそらくマチルダ騎士団の象徴である騎士団旗を燃やそうとしているのだと気付いて、剣を手に走り出したこと。
 国の行く末を左右する事件が、ひそやかに起きつつあることを。


 
「やっと……昔の顔に……戻ってくれたね……」
 少女が囁くように言った。
 外では激しい戦闘の音が間断なく続いている。
 味方の、誰よりも頼りになり、誰よりも守りたいはずの者達の声が。
 なのに――それを今、うるさいと、彼は思ってしまった。
 命が擦り抜けて行く音がする。
 慣れたはずの現実。
 奪ったことも或る命の、当たり前の終焉の姿。
 ――けれど。
 けれどけれどけれど。
「ナナミ!!!!」
 叫ぶ。



 ―― そして勝敗は決した。


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