望みと裏切りとその法則 後編
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 陸路、水路の全てを封鎖する。
 漁業、交易業にて生業を立てるものが多いなかで、この命令を徹底させるのは意外に難しかった。
 血の侵略を続けているハイランド王国軍に、好んで逆う物好きは殆どいないが、完全な閉鎖などは不可能だ。既に見張りをかいくぐって一艘の船がサウスウィンドウめざして港を出たという。
「こういう命令は面倒なんだよ」
 ぶつぶつと文句を言っているのは、完全閉鎖命令の出ている間、強制的にではなく自主的に個人が有する船を差し出せと市民に命じて回るシードだった。
 久方ぶりに取った休息だったのだろう。空腹よりも喉の渇きがひどいらしく、先程から水の入った瓶を片手に煽っている。
「グラスを使う手段はないのか、シード」
「今はめんどい」
 断言されて視線をなげれば、瓶ごと水を飲んでいるシードの腰掛ける付近に水がこぼれている様子はなかった。ならば粗野だと謗られるのはシードだけなので、クルガンは小言を封じて視線を落とす。
「クルガン。ルカさまにした進言な。断られた」
 無愛想な親友が、心易い言葉を言うわけないと熟知しているシードが唐突にいった。進言、と聞いて補給物資の状況をやはり把握する為に書類に目を通すクルガンは振り向く。
「進言?」
「ああ。水路封鎖するだけってのはまあかまわないがな、漁師を生業にしてるやつはこれ以上船を出せないと干からびて死んじまう。だから、軍の監視船をつけることを条件に、少し位は出してやってもいいんじゃないか、っていう進言だよ」
「……それはまた随分と物好きな行動だな」
「優しいといえ、優しいと」
「お前のどこが優しい。既に噂が広まってるぞ。ハイランドには血染めの部将がいるとな」
「うるせぇな。戦場で敵に優しくってどうするよ。とにかくな、ルカさまには綺麗さっぱり退けられたさ」
「当然だな。近頃のルカさまは、対面など気にしない」
「狂皇子……か。好きな言葉じゃねぇなあ。好きにいってくれるぜ。ルカさまの事、なにもしらない癖によ」
「敗北し虐殺された都市同盟側の負け犬の遠吠えだ。自軍の者がいいださなければそれでいい」
 これ以上の会話は必要なしと判断すると、クルガンは唐突に黙り込む。シードはちらりと紅玉のような眼差しを相棒に向けた後、仕事に戻るかとぼやいて、穏やかに立ち上がった。
「……ん?」
 敏感に眉をひそめる。
 何かざわめきが外から聞こえてくるのだ。シードは部屋から出で村の入り口あたりに視線を投げ、僅かに眉をひそめる。
「なんだ?」
 騒いでいるのは村人ではないらしい。ハイランド軍の兵士達が何かをみつめ、驚くことに群集の中にはルカ・ブライトの姿がある。
「おい、クルガン。なんか騒ぎになってるぜ。ルカ様まで出て来てる」
 軽く手招きをしたのち、腕を組んで視線を騒ぎの場所にやった。
 立ち上がってきたクルガンが、ふと目を細める。
「誰か来たようだな」
 ――期限は三日。
「そういえば、今日が三日目だったよな。あのガキが、誰もが認める人間を幕下に連れてくるといいきったのはさ」
「戻ってきたと考えるべきか」
「さてね。誰を連れてきたんだか。――行ってみるか、クルガン。案外、本当に俺らのライバルになっちまうかもしれないぜ?」
 気分転換には丁度いいだろうよと軽口を叩くと、シードはやけに楽しそうに剣の柄に手を添えて、歩き出す。理由はともかく異変は把握するべきなのは事実なので、クルガンもまた歩き出した。
 ――日差しがやけに眩しい。
 北に位置する大地ハイランドでは、真夏でもここまで激しい日差しが降りてくることはない。やはり気候がまったく異なるのだと、こういう時に実感させられる。
 眩しさに細めた視界の先で、鮮やかな金色の色彩が映えていた。
「約束は守りました」
 クルガンが見つけた金色――ジョウイ・アトレイドは、野次馬根性むき出して集まってくる人々の好奇の眼差しに晒されながらも、臆することなくはっきりと断言する。
 脆い少年期特有の透明さを現すような容姿を持つジョウイからは想像できないが、品定めをするように彼を見下してくるルカの視線に、怯えの色は一切なかった。――まあ彼は慣れてしまったのかもしれない。けれど、背後に佇んでいる男までも顔色一つ変えないのは奇跡だった。 
「ふん。レオン・シオルバーバーグか」
 媚びられるのを異常に嫌うルカのことだ。紹介させるまでは頭一つ下げようとしないレオンに不快を抱く様子はない。
 隠棲したとはいえ、天才の名前をほしいままにする男なのだ。ジョウイの傘下に入るまえから情報収集を怠ったことは決してない。ゆえに、英明で知られていたはずの少年皇子ルカを、血と争いと憎しみの奔流の中に落としいれるきっかけとなった事件も知っていた。
 ――余りに醜い、都市同盟側の行動。
 友好関係を築こうと和平を結んだことは美しい。
 けれど常に再度戦端を開くことを望んでいた都市同盟の過激主義一派が、友好関係を深めるべく訪れたハイランド皇王一家を襲った事実のなんと醜いことか。
 ――都市同盟側は関与していないと弁明した。
 けれど関与していないのならば。
 なぜに、都市同盟側の守備部隊がハイランド皇王一家から離れるポイントを、襲撃者が知っていた説明がつかない。
 ――戦いは必要ないと。
 ――優しい平和を守っていけるのだと。
 信じていた少年の心を、砕くのは簡単すぎることだったろう。
 

 レオンは己を紹介する主君と定めた少年の声を聞きながらも、ルカの動向にのみ注意を払っていた。
 狂気に走っているように見せかけているが、時折眼差しにやどる光には英明さが見え隠れしている。
 ――ルカはけっして愚かではない。
 むしろ名君の素質のほうが多いのだ。 
 事実、ルカ・ブライトが行ってきた作戦に、戦略・戦術的な欠陥を見つけることは難しかった。
 遠征軍が陥りやすい補給線の欠陥はなく、軍団の入れ替え方法も正しい。物資の渡り方にも不平等がなく、いわば理想的な規律正しさが存在している。
 ――ただ全てにおいて残虐にすぎるのだ。
(名君でいることも出来るだろうに)
 好んで、あの男は名君であることを放棄しようとしている。
 そう、レオンはルカの事を思っていた。
 だからこそ。いかに名君である可能性を高く持とうといえども、それを行わず、類希な才能を滅びへと走らせる為に使用するのならば……最も性質が悪いことになる。
 ――全ての平和を取り戻す為に。
 戦うのだと、少年は自分にいった。
 目をかけていた甥と姪の二人が、光を見出した解放軍の指導者たる少年と同じ、「死」の冥さを印象づける紋章を保持するジョウイ・アトレイドは。
 ――さてどうするか。
 誰もが認める者を連れてくることが出来れば、軍団を与えるとルカはいったらしい。己惚れるつもりはないが、自分ならばそれが可能だろう。そして――ルカは戯れ言でも口にした約束は違える性格ではないだろう。
 ジョウイの手に覇権を握らせる為にはどうすればよいか。
 思い、ふと眼差しをあげた時。
 視界の端に、やけに覇気に満ちた者と、静かすぎるほどの眼差しをした者との二人を、レオンは見つけた。
「……ジョウイさま」
「どうか…したんですか? レオン軍師?」
 想像通り、軍団の一つをくれてやるさと言い捨て去っていくルカの後ろ姿をおっていたジョウイは、請うてやっとのことで自分の元にきてくれた軍師に気付いて振り向く。
「確か、あの二人は。王国軍第三軍の者ですな」
 考え込むように、ゆっくりとレオンが言う。
 ジョウイは首をかしげて、軍師にならって二人に視線をやった。
「ええっと。ハイランド軍の中でも有名ですよ。騎馬による突撃をやらせれば、恐らく他に追従できるものがいないのが赤い髪をしたほうで、完全な統制の元に軍を動かせてみせるのが銀髪のほうです」
「確か、クルガンとシード、といったかな」
「……軍団長を支えるクラスの人間までご存知なのですか? レオン軍師」
「その程度の知識は最低限必要となりますので」
 やんわりと、けれど謙遜など一つもなさない自信で言い切ると、一度だけジョウイにレオンは視線を向ける。少年は素直に驚いて、僅かに笑った。
「貴方ほどの知識は、僕にはない」
「知識を異常に必要とするのは軍師の勤め。軍師の進言を是非をきめるのが主君の役目。ジョウイ殿が知る必要はない」
 一般に、軍師に対しては師事する形を取る者が多いという。
 その例に洩れず、ジョウイはレオンに対して命令口調を使うことなく、敬語を使うことが多い。――命令するということに慣れていないという単純な理由も勿論あるのだが。
 けれどその態度は、周囲にジョウイが請うてレオンに幕下に入ってもらったのだという力関係を示すものでもあった。
「……クルガンとシード、か」
 ――覇権を手に入れる為には。兵の人気を握る青年将校達をまず抱き込む必要がある。
 情報によれば、猛将と智将の長短を補いあうハイランド軍が誇る二人の青年は、下級兵士達から絶大な人気を誇っているという。しかも先のミューズ攻防戦では、見事な連携作戦によって、相手軍を完全に翻弄した実績も持っているのだ。
 ――味方に引き入れることが出来れば。
 これほど都合のよいことはない。
 そう思い、レオンは難しい顔で黙り込む。
 隣で、どこか手持ち無沙汰な表情をジョウイは浮かべていた。
 まさか自分の軍師が、ハイランドに最高の忠誠を誓うあの二人を仲間に引き込もうと考え始めていることなど、考えることも出来なかったのだ。



「本当にレオン・シルバーバーグを連れてくるとはな」
 口笛でも吹きたい気分だぜ、と続けてシードが笑う。
 傍らで、クルガンは僅かに怒った顔で前方を見詰めていた。
 視線の先には当然レオンがいる。
 そしてそのレオンが、あたかも品定めでもするような視線を自分達に向けてきたことも、クルガンは気付いていた。
「シード」
「あん?」
 呼びかけると、既に興味を失って任務に戻ろうとしていたシードが振り向く。言いよどんでいると、何が言いたいんだよとばかりに彼は顎をしゃくってみせた。
「ブライト皇王家としてみれば、自ら乱を招き寄せたことになるかもしれんな」
「あのガキが? それともレオンがか?」
「両方だ」
「ふーん。ま、そんな事態になったら、俺らが止めればいいんじゃないか? 第一、ハイランドが滅びんのは困るよ」 
 興味なさげに言うとシードは片手を振って、そのまま歩いて去っていく。
 親友の、血塗れる色にも似た緋色を見送りながら。
 クルガンはどこか、醒めた衝撃を消せないでいた。
 ――ブライト王家にとっての滅びと。
 ――ハイランドという国としての滅びと。
 それは、同義語ではない。
 ハイランドは存続しながらも、正当なるブライト王家が滅びることは……有り得るのだ。
 今まで、考えたこともなかったけれども。
「……どうかしてるな、私も」
 呟いてクルガンは首を振る。
 脳裏によぎるのは、今ほどに残虐性を深めていなかった頃のルカの姿。
 網膜に蘇るのは、虐殺の限りが尽くされた都市同盟の都市や村。
 胸によぎるのは、唯一にして絶対に守りたい祖国の大地。
「……我々はどこにいくのだろうな」
 不意に分からなくなった。
 戦争が起こる前は、目の当たりにすることは特になかったルカの残虐性をまざまざと見せ付けられてしまったからなのか。
 それとも、どうみても反逆の意志を抱いているジョウイの出現に僅かに驚いたのか。
 ――反乱を、可能とさせる男の出現に動揺したのか。
「……考えるだけ無駄だな」
 ハイランドを守りたい。
 それが真実ならば。
 ブライト皇王家を守りハイランドの為に戦う今の現状が正しいはずなのだ。


 これより後。
 クルガンとシードの両名が顔を合わせる、そう多くもない機会を狙ったように。静かに訪れるレオンの姿が見られるようになる。
 その事実を知っていながら。
 特に問題にしようとしないルカの心情を、説明できるものはいなかった。


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