望みと裏切りとその法則 前編
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 不意に音が外ではぜた。
 整然と並べられたテントの中、本国から送られてくる補給物資のリストを確認していた銀髪の男は、僅かな音に気付きふいと目線を上げる。
 ――くべられた薪の音だったろうか。
 そんなことを思った。
 背後には、陥落させたばかりのミューズ市が闇と同化したかのようにひっそりと佇んでいる。ハイランド王国皇太子、ルカ・ブライトは、町並み一つにも贅をつくした市内に入り暖をとることを好まず、軍装もとかせないままに、配下に野営を命じたのだ。
 恐らく夜明け前に出立命令が下るだろう。
 気まぐれな主の思考などは理解していたから、戦闘が終結したばかりで疲労が残るからだに鞭打って、常時出陣を可能にするべく彼は雑務をこなす。
 しばし書類から目を離した。
 士官用テントの入り口部分に視線をなげる。耳についた僅かな音が、また、外で響いた。
 くべられた火の中で。薪がはぜる音。
 不寝番が疲労のあまりに眠ってしまった事態も考えられる。
 彼は音も立てずに立ち上がると、そのまま歩いて入り口をあけた。
 人を抱き込むような闇につつまれた夜では、火によって照らし出された僅かな空間は、やけに眩しい。素早く確認すると、案の定、座り込んだまま半分眠っている兵の姿が見えた。
 手に、薪を握り締めている。どうやら火の中に放りこもうとしながら眠ったらしい。
 軍律違反だが、戦闘の激しさを思えば仕方ないとも思う。けれど規則は規則だ。
「交代の時間はまだ先か」
 ゆっくりと歩み寄ってから、唐突に声を出す。
 当然ながら熟睡していたわけではない兵士は、はっと身体を震わせて、火に照らし出され佇む上官に気付いて青褪めた。――ハイランド王国軍はひどく軍紀が厳しい。火の番を申し付けられていながら、眠ってしまったのだ。どう罰せられるか分からない。
「交代はまだ先か、と訪ねたのだが」
 ハイランド王国第三軍団の指揮官であったソロン・ジーが処刑されてからは、臨時に、軍団長補佐であった二人が第三軍を率いている。彼はその片割れだった。
 銀髪の青年――クルガンはかなり高い能力を保持しているが、愛想にはかなりかける。おかげで確認しているだけでも、無言で責められているように取られることが度々あるようだった。 
「ほ、本日は不寝番をもうしつけられました!」
「交代がいないということか」
「はいっ!」
 冷や汗をかきかがら、直立不動で兵は答える。
 部下に一度視線をやると、興味を失ったようにクルガンは兵に背を向けた。
「‥‥‥あ、あの?」
「火をたやさなければ多少はかまわん。交代人員を揃えなかったこちらの不始末だ」
 困惑顔の部下にそれだけを言って、歩き出す。
 外の清冽な空気に触れてしまったからだろうか。すぐにテントに戻り、元の地味な作業に戻る気になれない。交代人員を派遣してやらなくてもならないか、と思う。
 周囲の警戒に当たっている者達にならば、多少は余裕がある可能性が高い。しばらくでも火にあたることが出来るならば、僅かな時間火の見張りをする者もいるだろうと判断して、歩を陣の外へと向けた。
 無意味なまでに静かな夜。
 勝利をみせつけるべく放った炎が、赤々と天を焦がしていた時には、これほどの静けさが訪れるとは誰も思わなかったろう。――滅びを迎えるというのは、こういう事だ。
「おい、クルガン。なに暇そうに歩いてんだよ」
 横手から不意に声がして、視線を向ける。
 真紅の色合いを深く宿した青年――クルガンと同じく現在の第三軍を指揮する立場にあるシードが、抜き身の剣を肩に担いで佇んでいた。
「久しいな」
「は?なにがだよ」
 唐突に向けられた言葉に、意表を突かれてシードが僅かに目を細める。
 なにせ久しいわけがない。ハイランドを出立し、数ある軍事行動をこなしていく上で、何度打ち合わせたか分からないのだ。行われたミューズ攻略戦においても、いかに敵主力であるハウザー率いる都市正規軍を城門前から引き離すかを考え、行動に移したばかりだ。
「用件などないにも関わらず、会話をするのがだ」
 簡略に答えると、興味が失せたようにクルガンは前を向く。
 年齢以上に落ち着いた風格をもちすぎる彼の横顔を、面白くもなさそうに見やってから、シードは抜いていた剣を鞘におさめた。
 ――かるい金属音。
 戦闘時では珍しくも響きもしないこの音が、静かな闇に落ちた夜ではよく響く。
「くだらないこというなよな。軍事行動中なんだ、そうそう無駄話なんてしてられるか。……つーか、皮肉か? 話してる場合じゃねぇぞ、っていう代わりの」
「事実を述べてみたまでのことだ。気にするな」
「気にしてたらお前となんか友人で居続けることが出来るかよ。この不愛想男」
 断言し、赤毛の青年は腕を組む。
 経験の浅い貴族であるソロン・ジーを補佐する為に付けられたクルガンとシードの二人は出身こそかけ離れているが、共に幹部候補生をへて軍人となり、戦功をかさねてきた生粋の職業軍人である。
 年齢が若いことと、有力貴族の後ろ盾を持たないことから、軍団長に命じられてはいなかったが、第三軍を実質上支えていたのはこの二人だった。――その色は、軍団長であったソロン・ジーが処刑されてからは、さらに濃くなっている。
 沈着冷静で、何を考えいてるのかわからぬ不透明さを持つクルガンと、明解な論理で事柄の全てを両断するシードとでは、性格は余りに異なっている。けれど、彼等は不思議なことに軍事上の同僚というだけでなく、私生活でも親友――本人に言わせると単なる相棒――同士という関係を築きつづけていた。
 けれどいかに互いが友人同士であったとしても、ハイランド王国軍人として動いている時に仲良く会話しているわけにもいかない。偶然あったとしても話題は現在と今後の対策になるのだから、その点ではたしかに久しいのかもしれなかった。
「にしてもな。賊でも忍び込んできたのかと思ったぜ。殺気なんて出したまま、見張りが警戒してる場所まで出てこんでくれよな」
「殺気?」
「なんだ、気付いてなかったのかよ? クルガン、お前殺気出してるぜ。新兵じゃあるまいし、戦場の雰囲気を引きずってどうるすよ」
「自覚はないがな」 
 否定も肯定もせずに友人の言葉を流し、クルガンは思い出したように振り向く。
「ならばお前自身も見回りか」
「まあな。なるべく休ませておいてやりたいからな。明け方にはどうせ、出立だろ」
「ルカさまの性格ならば、そうだろうな」
「兵を動かすは迅速さが必要だし。まあ当然のことなんだが、なにせこっちは遠征軍だ。――疲労が残る確立が高いのが難点だろうな」
 合槌を求めているわけでもないだろうに、どこか合槌を求めるような喋り方をシードはして、おもむろに近くにあった手ごろな岩の上に腰掛ける。
「ところでクルガン、聞いたか? あのユニコーン少年隊生き残りの話」
「噂が広まっているのか?」
 途端に厳しくなるクルガンの表情に、シードは苦笑して手を振る。
「別にこっちが仕掛けた策略がばれて広まってるわけじゃねぇよ。俺の隊に、キャロ出身の兵がいてな。たしかユニコーン少年隊に属してた奴だって言ったんだよ」
「そういう事か」
「ま、危険っていや危険だけどな。どうとでも繕えるさ。勝ってる今なら問題ない」
「勝っている今ならば、な」
「勝ちつづけてみせるのが俺達の役目だろ。所詮今回俺らは侵略者だ。負けない為だったらなんでもするさ」
 含みを持たせたクルガンの言葉を、あっさりと両断してのけてシードは腕を組む。
 岩に腰掛けるシードの隣に立つのも不自然だと思ったのか、岩の横にある大木の幹にクルガンは背を預けた。
「たしかジョウイ・アトレイドとかいう名前だ。アトレイド家の跡取り」
「お貴族様ってやつかよ」
「疎まれて、機会があれば廃嫡しようとする父と義弟に囲まれての、貴族だがな」
「珍しい話でもねぇな」
「人の人生に、珍しいもなにもなかろう」
「確かにな。で、そいつはなんだって折角逃げ出して都市同盟にいったってのに、こっちに戻ってきた。――しかも、わざわざ恩を与えられただろうミューズを、最低な方法で裏切ってまでな」
 シードは裏切りを完全に許せぬほど子供な男ではない。ただ、理由なき裏切りは嫌悪する。当然その程度の性格など把握していたクルガンは、動じた様子もなく僅かに首を振った。
「裏切ったわけではない、ということだろうな。あくまでハイランドに忠義立てしただけだと」
「……そいつ、ハイランドが好きなのか?」
「らしいな。ミューズの偵察兵になりさがって、こちらの陣地を探り捕らえられた際に、ルカさまに言ったらしい」
 ――ハイランドを滅びに向かわせるのは、きっと貴方だ!!
 と。ジョウイ・アトレイドという少年は、誰もがすくみ上がるルカの前に引きずり出され、言ったのだという。
「よく殺されないですんだな。そいつ」
「面白がったらしい。ルカさまはな。その上、ジル皇女までが楽しいから生かしておけばよろしいのでは?と言ったらしい」
「ジルさまは無駄な殺生は厭うからな。当然だろうが、助命の仕方が相変わらず、って感じだな」
 そう言うと、楽しかったのか喉の奥を鳴らすようにして笑う。
 この男、恐らく前世は猫だったのではないかと思わせるところがあるのは、こういった仕種のせいなのか。
「その、ジョウイ・アトレイドはどこいったんだよ? 陣地じゃ見かけないな」
「処刑を免ぜられた後に、命の価値があるというつもりなら証明してみせろ、とルカ様がおっしゃったらしい。それに対して、一軍を任せてもらえるなら証明して見せるとジョウイ・アトレイドは答えた」
「……一軍をか? 肝の太い奴」
「単なるはったりである可能性も高いがな。だからだろう、ルカさまが一つ条件を出した。万人が認めるほどの人物を、一人配下に引き込んでみせるなら、くれてやると」
 ――ならば証明してみせる。
   期日は三日。次の作戦目的の街に、誰もが認める男を必ず連れてくる。
 怯える様子もなく、かといって興奮した様子も見せず。
 ルカの向ける白刃をそっと見つめながらも、ジョウイははっきりと、告げたのだと。
(……誰もが認めざるをえない男か)
 豪腕でならす者がいる。剣豪と名を轟かせた者もいれば、紋章使いとして名を知られる者もいる。けれどそれらの者達を、万人が知っているかといえば、そうでもない。
 完全に知られているとするならば。
 既に行跡を打ち立てた者だけだろう。
 あの赤月帝国を滅ぼしてみせた行方不明の元解放軍の指導者か。解放軍を勝利に導いたという鬼籍にはいったマッシュか。それとも各国にて最高位を極めると、それを捨てて旅立つゲオルグという男か。――最高の軍師と名高い……
「レオン・シルバーバーグか」
「……そりゃ高望み過ぎだろ」
 思い至った名前を口に出してクルガンは呟く。間髪入れずシードが口を挟んだ。
「常識で考えればな。だが、ルカさまを納得させれるとしたら、このレベルの人間をつれてこなければ不可能だろう」
「そうかもな。――レオン・シルバーバーグ…か」
 ルカに対し、ハイランドを滅ぼす者だと断言してみせた少年。
 それほどまでに少年を駆立てるものは、一体何なのか。
「……興味がないわけじゃねぇけどな。とりあえずは、俺は今の任務を全うすることにするさ。クルガン、考えるのは任せた」
「怠惰だな」
「お前にいわれたくないね。で、とっとと言えよ。ここまで来た用件はなんだ?」
「火の不寝番をする兵に、交代員がいない」
「ふーん。じゃ、一人まわしとくよ」
 悪いな、とは言わずに。
 岩から立ち上がって、見回りの為に去っていく友人の後ろ姿をクルガンは見送る。
 
 絶対の存在である皇太子に口答えしてみせた少年。
 誰もが認める男を連れてくる言い切った事実。
 それを面白いと認識したルカ。――命乞いをしてやった皇女ジル。
 そして。徐々に貪欲な欲望を成長させはじめた27の真の紋章の一つ、獣の紋章。
「どういう方向に向かっていくのか」
 呟くと、彼もまた残してきた雑務をこなすために、その場を後にしていた。


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