侵食をはじめる未来と希望 -後編-
[前頁]目次[次頁]
「わたしの力をかりたい?」
 ゆっくりと振り向いた男の眼差しは、穏やかに見せかけているだけで、実は常に全てを観察し把握しようとする者特有の強さがあることを、肌が悟る。
 良く命のやりとりをする際に、その殺気を肌に刺さるようだと表現することがある。今の状態は――まさしくそれに似ていた。
「そうです。貴方の力を僕はかりたい」
「わたしは別に、力を貸せるほどのものは持っていないがな」
 あっさりと言いきると、年月の積み重ねによって受けてきたのだろう苦渋の色を、眼差しに宿した男は、手元にしていた本に視線を落とし、二度と自分をみようとはしない。
「貴方が持っていないといいきるのは簡単だけど、僕は貴方が、ぼくが目指すものの為にどうしても必要な力を持っていることを知っている」
「どう、知っているというつもりだね」
 まだ彼はこちらを見ようとはしない。 
 話を聞いてくれているだけでも、幸運というべきか。
 ――レオン・シルバーバーグ。
 それが今、自分を無視しつづける男の名前であり。赤月帝国を、小さな力しか持ちうることが出来なかった解放軍の指導者を補佐し、うち滅ぼしてみせた鬼才の軍師マッシュの叔父でもあり――現在存在する軍師の肩書きを持つ者の中で、最も激しい才能と能力を保持する男。
 彼がこの地にいることを知ったのは、本当に偶然のことだった。
 遠征してくるハイランド王国軍が、どれほどの兵糧を保持しているのかを確認する為に赴いた陣地にて、自分達は皇女ジル・ブライトによってかくまわれたにも関わらず、結局敵に発見された。その際に、兵士の一人が噂話のようにレオンがトランを離れ、こちらに来ていると話しているのを、小耳に挟んだのだ。
 詳しいことをしるチャンスはなかった。なにせ偵察にいった軍には、元上官であったラウドがいたのだ。自分と、親友の思考や行動パターンなどはなから読まれていたに違いない。――そして、ジル・ブライトが起こすだろう行動さえも、あの男は読んでいたのだ。
 とにかく親友を逃がさねばと思った。
 待っているナナミの為にも彼だけは死なせてはならない。そして彼にだけは死んでほしくないと切実に願う自分の為にも、朽ち果てさせるわけにはいかなかった。
 ――暗い、闇を象徴するような紋章。
 この力があれば、なんとかなるだろうと思ったのだ。
 結局のところ、黒き刃の紋章による抵抗は、敵総大将ルカ・ブライトの登場によって、すぐさま制圧されてしまったのだ。
 そして。仮にも真の紋章である黒き刃の紋章でさえ、軽々とねじ伏せてしまう圧倒的な力に――自分は圧倒され、そして、焦がれた。
 ――力があれば。全てを守れるのかもしれない。
 優しかった過去の日々のように。
 誰も泣かないですむ月日の流れが訪れるように。
 ハイランドが……また、優しい国に戻るように。
 ――なるのかと、思った。
「僕はユニコーン少年部隊にいました」
 どうにかしてレオンの興味を引かなければならない。
 万感の尊敬をこめて、天才、と呼ばれる男。
 その彼が、唯一心酔した主君が、赤月帝国最後の皇帝バルバロッサであったという。
 レオンはバルバロッサを皇帝にし、皇帝で居続けさせる為に、卑怯だと蔑まれるような策でも、有効ならば取りつづけたという。その策の中に”カレッカの悲劇”と呼ばれている事件があった。
 かつては緘口令がひかれていた事件だが、赤月帝国を滅ぼした解放軍がトラン共和国を作り出してからは、旧帝国の復興を望む者達への牽制もかねて、それらの悪行は一般に公開されるようになっている。
 おかげでジョウイも簡単にカレッカの悲劇の内容をしることができたのだが、知った瞬間に、一気に血の気が冷めた。
 ――まさに、ユニコーン少年部隊いて受けた悲劇と、同じ出来事だったのだ。
(僕は、あの悲劇を容認することができるのか?)
 レオン・シルバーバーグに、己の軍師になれと願う今の自分は。
 あたかも、受けた悲劇を容認していしまったような錯覚を覚える。
 悲劇。咽るようだった血の臭い。つい先刻まで、笑いあっていた仲間。誰もが、帰るべき場所で待ってくれている人のことで、胸を躍らせていた、あの時間を一瞬のうちに奪われた恐怖を。
 ――無惨にも奪い取っていった、あの事件。
 それを本当に容認できてしまうのかと。
 レオンはジョウイの言葉の意味を正確に受け取ったのだろう。
 面白くもなさそうに顔をあげると、僅かに顎をしゃくった。玄関口までしか侵入を許さなかった彼が、はじめて中に入るようにと、示したのだ。
 ジョウイは肯くと、あたかも戦地に赴くような緊張を持って、レオンが座る椅子の側まで歩いていく。彼は僅かに手をあげて、そこに座れ、という仕種をした。
 簡素な椅子に、簡素な机。――そして、簡素な室内。
 まさに隠者が住むに相応しい場所だった。だから僅かに思う。レオンは本当に、もう二度と戦場という場所に戻るつもりはなくしてしまったのだろうかと。
「少年兵を利用するのは、最も効率が高いことだからな」
 先手を打つように、いきなりレオンが言った。
 はっと顔を上げて、思わず彼を睨んでしまう。
 力によって世界に平和を取り戻してみせると願うことは、こういった策略の全てを容認せねばならない事だというのに。――顔に、嫌悪がでてしまう。
 気分を害するだろうと思えば、逆にレオンは一瞬、表情を穏やかなものにした。もしかしたら、笑ったのかもしれない。
「あの…」
「卑怯だと、国民をコマとして使うことなど許せないと、思うことが出来るのは悪いことではないだろうな」
「……え?」
「悪いことだと、思えずに使う人間はただの残酷だ。悪いことだと、分かっていながら使う人間は己の罪を知っている。そして、罪だとしり、その命の重荷を背負いながらも。一度決めたならば、どのような事でも受け入れてみせるものが、覇者というものだ」
 先程までの沈黙が偽りであったかのように、レオンが語る。
 穏やかな口調。けれど一言に凄まじいまでの迫力がある。
 悪いことだと思えずに使う人間とは、ルカ・ブライトの事だろうか。
 ならば、一度決めたことを、受け入れてみせたというのが……彼が最初に主と仰いだ人間、バルバロッサのことなのかもしれない。――いや、最初は受け入れていた人間か。
 英君だと称えられながら。
 一人の女の愛の為に、全てを裏切り、国を捨てた孤高の王者。
「もっとも難しいのは、最後まで逃げずにいることだろうな。途中で投げ出すのならば、途中で後悔に押しつぶされるのならば、汚れる手に嫌悪をおぼえるならば、捨てた者に未練を残すのならば、動かずに泣いてうずくまっているほうが得策だろう」
「……僕は、逃げたくない…」
「かつて、死の紋章を持ちながら、人々が希望となった少年がいた。けれどその彼とても、最終的には、理想よりも心を取った」
 ジョウイの呟きを無視するように、唐突にレオンが言葉を紡ぐ。
 赤月帝国に叛旗を最初にひるがえした女性、彼の姪でもあるオデッサ・シルバーバーグの遺志を継ぎ、生死を司り魂を食らう紋章、ソウルイーターの継承者でもある少年のこと。――勝利を収めた夜に。全てを捨てて、姿を消してしまったもの。
「わたしは彼を知っている。マッシュに請われ、平和を取り戻すにもっとも近道であったであろうから、軍師をつとめた。確かにそこで出会った少年には、人を惹きつける輝くようなカリスマを保持していたのだ。ゆえに解放軍は次々と力を増大させ、赤月帝国は滅びをたどり――そして勝利を収めた」
 言葉を一つきり、レオンは感慨にふけるように眼差しを閉ざす。
 勝利に人々が浮かれる晩に。――彼は一人、宴には参加せずに、グレッグミンスターの城門前にて空を見上げていたのだ。
 苦難にみちていただろう解放運動の狼煙をあげた姪のオデッサは死に、遺志をついだマッシュも息を引き取った。しまいには、オデッサが心を残していただろう恋人である男も、生死不明となってしまったのである。
 いかに勝利をおさめ、人材の殆どは無事であったとはいえ、旧解放軍を支えていた者達の大半を失い、新解放軍を勝利に導いた軍師も死んだのだ。
 これからのトランが前途多難であることを悟っていたレオンは、指導者としてここまで人々を導いてきた少年にとっては、辛い未来になるだろうと思っていた。
 ――なにせ、彼の紋章は魂を食らう。
 清廉な魂を好むソウルイーターにとってみれば、108星に導かれる者達は、恰好の餌食だろう。事実身近いる者たちを奪われながらも、少年は戦いを放棄せずに指導者を勤めつづけてきた。
 それは今後、トランを守る役目をこなしていく上でも同じことがいえる。恐らく支えてくれる者たちが一人ずつ死んでいく状況を、彼は受け止めねばならないのだ。
 ――それが、時代を作り出す道を選び取った者の使命だろう。
 そう、レオンは思っていた。
 けれど戦い正念場を迎えるにつれて、徐々に少年が、指導者である”自分”というものをさり気なく隠すようになっていることに、レオンは気付いていた。巧妙に、人々の前に出て、扇動し、鼓舞する役目をレパントに譲るようになっていることも。
 ――恐らく全てがおわった後に。彼に、指導者としての道と、姿を消す道の二つとを、与えておきたいと願った、マッシュの策略だったのだろう。
 腕の良い軍師ならば、敵を騙すのと同時に味方も騙す。
 まんまと策にはめられて、レパントに対しても心酔の心を抱くようになった一般市民たちの顔を見ながら、思ったのだ。ソウルイーターを持つ彼はどうするのだろうかと。
 ――本当のところは、分かっていたのだ。
 少年が、大切だと願った108星の仲間達の命を犠牲にしてしまうことよりも。
 不安定で、苦労が分かりきっている未来をかかえたトラン共和国を後にして、姿を消す道を取ることを。――王者であることよりも、一人の人間であろうとすることを。
 だから、彼はグレッグミンスターの城門にたち。
 少年と、そして彼をおって飛び出してきたグレミオの旅立ちを、見送ったのだ。
 ――やはりな、と。
 思いながら、穴が空いたような気持になるのをレオンは止めることが出来なかった。
 偉大であったバルバロッサも、結局は一人の人間であることを選択し、愛する女の為に国を犠牲にした。生死を司る凶悪な紋章を持ちながら、数多くの犠牲に耐えて、解放軍を勝利に導いた少年でさえ、仲間の命を重視して、王者の位置をすてて旅に出る。
 ――結局、全てを平和に導ききる王者など。
 この世には、いないのかもしれないと、思ったのだ。
 だから彼は、トラン共和国に協力することはなく、隠棲する道を取った。


「手に入れたこの力があれば。全てが守れると、思ったんです。だからこそ、僕は進み始めた。もう後戻りは出来ない。――後戻りが出来るような甘いことは、許されないんです」
「何故にそう決め付けることが出来る。戻りたいと願う場所があるから、後戻りが出来ない、という言葉が生まれるのだ。ならば、戻ればいい」
 冷たくレオンは言い切る。そして立ち上がろうとした。
 その眼差しをひたと見詰めて。ジョウイは、震える喉から言葉を必死に紡ぐ。
「僕は戻ることなんて出来ない。その為に、僕は罪もない……本当なら、尊敬できる人でもあったアナベルさんを……この手で、殺したのだから」
「……殺した?」
「ミューズを攻略するハイランド軍の為に。城門を開かせたのは、僕です。あの街で発生した残虐すぎる悲劇を招いたのは、僕ですから」
「………」
「後悔なら。全てが終わった後にします。今は、しない」
「君にとって、全てが終わった後というのは、いったい何時のことなのだ? この悲劇を発生させる直接の原因であったルカ・ブライトを廃し都市同盟と和平を結んだ時か?それとも、悲劇の苗床である世界の在り方を変えるまでか?」
 あたかも。
 ジョウイの全てを試すような鋭い眼差しで、レオンがいう。
 眼差しには、今まで彼が抱いてきたのだろう苦悩と、哀しみと、そして現実を憂いているたしかな色が、そこにはあった。
 ――決して平気で、非情といわれる策を打ち立ててきたわけではないのだ。
 そう、はっきりと理解した時に。ジョウイは僅かに、微笑んでいた。
「無論。この全ての悲劇の苗床になる状況を打破し、全てを統一してからです」
 統一がなされなければ、なにも変わらない。
 レオンは強く言いきったジョウイの決意の強さに、ふと眼差しを優しくすると、立ち上がった。そして、座っていた少年の前で膝をつく。
「ならば、非才ながら。全ての策を、今より貴方に捧げよう。貴方が裏切りを決意しない間ならば」
 ――いかに才能ある軍師といえども。軍師を使う王者がいなければ、意味はない。
 その事実を痛いほど知ったような気持がして、ジョウイは肯いていた。
「ハイランドと……そして、全ての哀しみを。この力によって、なくす為に。守る為に」
 宣言して、ジョウイは顔を上げた。
 望めば恐らく。自分だけを受け入れて、共に逃げようといってくれるのであろう、大切な、大切な二人に。――自分自身が断ち切られるような苦しみを覚えながらも。
 さよならを、告げて。


[前頁]目次[次頁]