破滅を導く道標

(ついに……始まっちまうんだな……)
 ぽつりと心中で呟いて、彼は前方を強く睨み付けていた。
 振り向けば、聳え立つ美しき城――王都ルルノイエが見えることだろう。ハイランド王国に住む者達の象徴であり、誇りであり、不可侵であるべき場所。
(何をしてでも、守らなくちゃ、ならねぇ場所だ)
 身を滾る血潮を押さえるように呟いて、青年は前を見つめる。
 ハイランド王国は、都市同盟との間に結ばれた休戦条約を破棄すべく行動を起そうとしていた。
 戦争に飽いて、平和を望んでいたはずの国民が、今出撃して行こうとする部隊に熱い声援を送っている。先日もたらされた――国境近くにて配備されていた少年部隊が敵国の奇襲によって滅ぼされた――という知らせに、誰もが怒りを爆発させていた為だ。
 惜しみなく浴びせられる歓声が、どこか、痛いと思った。
(俺達が失敗すれば。この声はすぐに悲哀にかわる。そう……悲劇が訪れるんだ)
 青年はそれを知っていた。知っているつもりだった。
 戦争を始めるときは、誰も敗北のことなど考えはしない。だからこそ、本来悲劇を最も効率良く招くと理解しているはずの戦いがなくなることはないのだ。
 敗北は、必ず有り得ることだというのに。
(負けて、国が滅ぼされちまったら……)
 想像したくもないような不幸が、ハイランドを支配するだろう。
 正確に言うならば、滅ぼされずとも攻め込まれてしまえば不幸は訪れるのだ。勝とうが負けようが。大軍が通ったあとの街や村や田畑や土地は、すべて破壊されてしまう。――その不幸をもたらす戦を、彼が属するハイランド王国が他国に仕掛ける。
(俺が大切なのはハイランドだけだ)
 戦いが全てを不幸にすると理解していながら、仕掛ける側に回った矛盾を噛み殺して、涼しげな眼差しを青年はつと細める。
 なにか考え込むようように。
 ハイランド王国とジョウストン都市同盟とは、もう随分と長い間、紛争を続けていた。
 近々に起きた大きな争いといえば、三十年以上前に、現在ミューズの市長を務めるアナベルの父親が野心を剥き出しのままハイランド王国に攻め込んだのことが発端に起きた戦いがあげられる。
 その戦いを終結に導いたのが、当時ハイランドの命運を担ったハーンと、都市同盟に現れた英雄ゲンカクであった。
 終結がどのような形であったのかは、誰もが知ってることだ。けれど、誰にも知られていない事実と終結も存在する。
 それは当然のことだったろう。戦争は歴史を書き留める報告書の中で行われているのではないのだから。大軍が行軍した為に、全てを踏みにじらた場所があった。略奪と、暴行と、飢饉とに、半数以上もの村人が死んでいった場所もあった。そして戦場となった土地は、木々を焼き払われ、無数に転がる死体に埋め尽くされた現実も確かにあったのだ。
(戦場になった場所は……あまりに、哀しい)
 伝え聞いた悲劇の過去に、青年は痛いほど理解していた。戦いが、力が、結果として守れるものの少なさと……失うものの多さとを。
「シード」
 ふと、声を背後からかけられて、青年は物思いから現実に返る。
 僅かに視線を動かせると、彼と同じくハイランド王国第四軍を形成する部隊の一つを任せられている男が、笑み一つ浮かべていない固い表情で佇んでいるのが確認できた。
「なんだよ、クルガンか」
 わざと投げやりな返事をすることで、話しかけるなとシードは訴えたつもりなのだが、是とするつもりはクルガンにはないらしい。皮肉な笑みを口元に浮かべた後、クルガンはシードと肩を並べた。
「必要もないことを考えていただろう。シード」
「……んだよ、それ?」
 戦いが生み出すモノの残虐性について。そんな事を出陣を前に思案するのは、感心できるものではないと理解していたらしく、図星をつかれて不機嫌な返事をシードはした。
「まったく。図星をさされたからといって、子供のように不機嫌になる。シード。お前のその見破りやすい性格は、戦場において弱点になるのだがな。少しは感情をコントロールすることも覚えろ」
「俺が直情型でも、別に問題はねぇさ」
 ぶすっと言いながらシードは腕を組んだ。――なぜだ?と、クルガンが溜息まじりに問う。
「問題にならなくって当然だろうが。なにせお前は冷静だからな。俺がマズイ状態になった時ってのは、お前も同じ状態にあるって事だろうしな。だったら、俺が感情コントロールできなくって突っ走ろうとしたって、お前が止める。だから問題ねぇ」
「………呆れた論理だな。第一なんだ、その根拠不明な自信は。共にあるという確証など、どこにもないのだぞ?」
「そうか? 俺はあると思うけどな。今までもそうだった」
「まあ……確かにな。別行動で戦場に出ねばならない事態が訪れる確率は低いかもしれん。だが……」
「あー、分かってるって。一人で行動する時は考えるようにするさ。つーか、してるぞ? いくらなんでも、無謀なことし続けて、部隊の人間死なせんのは御免被るからな。ま、いいじゃんか。お前がいる時は、俺は安心して無茶が出来る」
「まったく。とんでもない信頼のされ方をしたものだ」
 やれやれと言わんばかりにクルガンは首を振ってみせたが、迷惑がる様子はなかった。それもそのはず。彼らは戦友という間柄ではない。――親友と表してもいいのかもしれない。
 クルガンは元々、仕える王家を守り支えることに存在意義をみる軍人一家の出であった。一方シードは、まだ幼かった頃に軍に志願し、今に至る。ようするに叩き上げの軍人である。
 経歴も違えば、性格も、年齢もまるで違う。普通ならば反りが合わないだろうと思えるのだが、そうではなかった。
 シードはどこか天才肌な部分がある青年である。愚かではないくせに、感情を重んじて行動してしまうのだ。結果を知っていても、結果までの経過を他人に伝えるのが苦手で、すぐに説明を諦めてしまう。だから愚かだと誤解されやすい。
 シードの子供じみた稚気に隠された才能にいち早く気付いたのはクルガンだった。常に冷静沈着で、物事の先が見えすぎる彼だったからこそ、理解する事が出来たのかもしれない。
 知り合って、才能を認めて。行動を共にするようになって以来、クルガンはシードを冷たく突き放しているようにみせかけて、実は必ず最低限のフォローを絶妙に入れていた。それをきちんと理解してたから、シードもまた、絶対の信頼をクルガンにおいている。
 ハイランド王国軍において、二人が行動を共にするのを好む理由を理解できない人々からみれば、一方的にクルガンが、シードの世話を焼いているようにも見えたのだろうが。 
「戦争が始まれば、かならず悲劇を迎える者たちがいる。それは事実だ」
 唐突に、シードが考えていたことをクルガンが呟いた。驚いて、シードは整った双眸を僅かに見開く。
「んだよ、それ?」
「いや。特別な意味はない」
 さらりと受け流して、クルガンは薄く笑った。
 どうやら考え込んでしまった内容など見抜かれていると悟って、シードは珍しく苦笑を浮かべる。
「ま、とにかくよ。これから、とんでもない規模の戦いが始まるんだ。色々、なあ。考えることもあるさ」
「そうだな」
「……敵は、つえーんだろうなあ。まあ、それなりには」
「ああ」
「とはいっても、ルカ様のほうが強いだろうけどさ」
「まあな」
「……思い切り、人が死ぬな」
「そうだな」
「……クルガン、お前………ちゃんと聞いてるわけか? なんだよ、そのやる気のない合槌は!!」
「聞いてるさ。ただ他に返事にしようがないだけだ」
「あのなぁ!」
「必要以上に考えるな、と言ったはずだ。都市同盟側の人間が何人死のうが、わたしたちには関係ない事だ。必要なのは、勝つ道を模索すること。勝つ為に戦うこと。全力を尽くすこと。それだけだ」
 射抜くような眼差しで、クルガンは強くシードを睨む。
 時を凍り付かせる絶句のあと、深紅の髪を持つ青年は唐突に笑い出した。
「そんなん、分かってるっての。戦うことは俺は好きだからな。いわれなくっても全力尽くすさ!!にしてもよ、絶対に、ハイランドの人間は見解改めたほうがいいよな。俺は戦争好きで、人を殺すのも好きな奴って思われて恐がられてるけどよ。違うよな。本当に恐いのは、俺じゃねえ。お前のほうだ」
 まだ笑いを収めないで、クルガンの肩をシードは叩く。けれそその目は笑っていなかった。クルガンはちらりと、彼を見やる。
「恐い?」
「守るものの為だったら、なんでもする。そういう奴だろ、お前?」
「……人の事がいえるか? ハイランドを守るためならば、手段を選ばないのはお前も同じだろう」
「ま、あな。そりゃあそうなんだけどよ」
 笑いを収める。
 そしてシードは振り向いた。
 煌く日差しの中で静かに佇む静かな大地。出陣していく軍を歓声でもって送り出す、優しいハイランドの民たち。――大切な…唯一守りたいもの。
 この視界に収まっている、穏やかな景色を守れるのならば。
 なんでも出来るはずだ、そう……思う。
「都市同盟がどうなろうが、知ったことじゃねーんだ。だから、クルガンが怖いってのは嘘だよ。守る為に手段を選ばないことが怖いなら、俺も怖い奴なんだろうしな。俺たち二人とも…なあ」
「………守る為には、手段を選ばない人間、か」
 クルガンの呟く声を聞きながら、シードは再び考える。
 予感がしていた。
 自分達を育んできた大地、育んできた人々、大切な国。それを守る為に、なにかとんでもないことを――自分達がするような。
「シード、進軍が始まる」
 声をかけられて。一つ頷いて馬上の人となる。
 今、国を後にするのだ。侵略者として。
(おもしれぇじゃねーか)
 唇をゆがめて、シードはわざと笑ってみせた。
 他国に攻められるくらいならば、攻めこんだほうがマシなのだ。
 攻めこんだ先で戦が始まれば、戦場になるのは他国で、踏みにじられるのは他国人だ。エゴ剥き出しのようだが、当たり前のことだろう。聖人君子に軍人は勤まらない。
(侵略者になる。ってことは、恨みも買う。反撃も用心しなくちゃならねぇ)
 だからこそ、自分たちは完全な制圧者にならなければならない。
 配下の軍勢を指揮し、剣を握り魔法を駆使して、完膚なきまでに叩き潰す必要があるのだ。――敵に反撃の余地を与えて、ハイランドが逆に攻め込まれる事態を防ぐために。
(俺たちには…戦うことで守ることしかできない)
 迷わずに戦おう。
 眼差しをあげれば国境が見える。もう振りかえっても、ルルノイエは見えない。
「クルガン。俺たちは…たとえそれが何であったとしても。ハイランドを滅びに導くものから、全てを守らなくちゃならねぇな」
「当然だ。……シード。懸念しすぎるな。まだ…大丈夫なのだ」
 なにが、大丈夫だったのだろう?
 視線の先で、狂気に全てをゆだねた悲しい狂皇子ルカ・ブライトの姿が映る。――ハイランドを本当に託して良いのか分からない、強く焦がれる存在だからこそ、どこか未来に影を落とす存在が。
 シードは馬を走らせながら、なぜかもう一度、穏やかで美しい優しさの中でまどろむ皇都ルルノイエを、見たくなった。
 二度と……それを見つめることが出来ないような気がして。
「どうかしてるな、俺も」
 首を振る。
 そしてシードは再び馬を進め始めた。


 進む先になにがあるのか。分からないからこそ、人は必死に生きようとする。懸命にもなる。
 ――そう、命をかけて。
 ゆっくりと、だが確実に。
 新たなる大きな戦いが、始まろうとしていた……。