焔集う 前編
目次[次頁]

貴方がいないの
突然それに気付いてしまった。
呼吸がとまり、心音が跳ね、そして目を見開く。

どうして?
喧嘩もした。罵倒もした。心にもないことをいって苦しめた。
でも、側にいてくれると思ったのに。

――奔流
それは突然の奔流
光がながれ、空気が流れ、闇が流れ、時間が流れる

貴方が居た――

そこにいたのは貴方だった。
血に濡れて、歯を噛み締め、凛とした眼差しで戦場をみる双眸。
青い――夢見た青空のような藍色。
だから、知った。
消えたのは、貴方じゃない。
置いていったのは、貴方じゃない。

――それは、私。

私が貴方をおいて逝った。
思い出した。そして――私は泣いた。
貴方が戦っている。
私の知らない戦場で。私の知らない敵と。





彼女の知らない。
そして彼女が見詰めることを知らない。
戦場にて。




「否定されてもこまるんだけどよ、一応確認のために聞いとく。大丈夫か?」
「……否定されて困るなら、聞くな」
「意地っぱりな奴は、聞かれたら大丈夫じゃなくても大丈夫だって答えるだろうが。その上律義な奴だと、はったりでも大丈夫だといった言葉に責任もって、生きて帰ってくるってもんだ」
「なんだそれは」
「不機嫌になるなよ。じゃあ、任せたからな」
「……わかってる」
 ぶっきらぼうなほどに低く答えて、彼はそのまま踵を返した。騎馬に乗る前に、その首筋を軽く叩いたのは、迷惑をかけるな、という意思表示なのかもしれない。
 鮮やかな青い色彩の中、白い色が異端のようにやけに眩しくもみえた。
 ――巻かれたばかりの、包帯の色だ。
「あいつ、なんだって俺以外にはあんなにも律義かね」
 肩を竦めてぼやてみると、途端に両脇から声があがった。
「そりゃ、いつも隊長が副隊長こまらせてばっかりだからですよ」
「金欠続いてる上に、食糧難ですしねぇ」
 傭兵砦。
 完全なる自由を手に入れる代わりに、己の技量を頼りに命をやりとりする傭兵達が集められた場所の名前である。元々は、トラン共和国において発生した解放運動において、かなりの地位にいた過去を持っているらしい二人の男を隊長、副隊長に持ち、今は組織としての結束した行動をとることが出来る都市同盟の誇る精鋭集団の一つである。
 信頼するがゆえに、隊長、副隊長の両方に暴言をすぐに吐いてくる陽気な傭兵達は、すぐにそうやって好き放題なことを言ってくる。
 ビクトールは剣呑に睨んだが、彼の性格など熟知している傭兵達がひるむ様子は一切なかった。
「副隊長、やっぱりかっこいいですよねっ!」
 その癖、完全に憧憬を込めた声があがって、彼は肩を落とす。
「一応俺が隊長なんだけどよ」
「ビクトールさん!」
 とりあえずいじけてみました、と足元の小石を蹴ろうとした瞬間、あどけなさの残る声が響いて、彼――ビクトールはゆっくりと振り返った。
 ユニコーン少年部隊の生き残り。そして一度は助けにきたジョウイと共にキャロに戻り、処刑されかかったという年齢のわりにハードな経験を持っている。先程攻め込んできたハイランドとの戦いにおいて、戦場で戦ってみせた少年少女達だ。
「なんだ、見かけだけは随分といさましいじゃねぇか」
 にやりと笑って言ってやると、走ってきた少年は笑顔になった。
 すると少年の後ろに続く少女が、得意満面な顔になっていたのがよくわかる。
 ――自慢の弟が誉められて、素直に喜ぶ姉の顔。
 なんとも長閑で優しくて、戦場には似合わなさすぎる光景だよな、とビクトールは思う。
「やっぱり、ゲンカクじいちゃんの子供だよね!!いさましい、って言われたよ、今!」
「ナナミ、あれは誉められたんじゃないと思うよ。だって見かけだけは、って言ってたじゃないか」
「……なんかいった?」
 ビクトールが見た通り、少年の背後で二人はこんな会話を続けていた。
 ナナミは手にする武器の戦端をジョウイの首元に素早く突きつけて、ジョウイが唇を歪める。
「だからって、なんだっていきなり武器つかうよ、ナナミ!」
「当ててないでしょ!」
「当ててないから使っていいってわけじゃないよ!」
「だったらなんで、ジョウイも構えてるわけ?」
「正当防衛を行う為さ」
「はいっ!二人ともそこまで!仲がいいのはわかってるけど、今はビクトールさんの指示をもらおうよ」
 一人無邪気な声ではあるが、いきなり彼はトンファーを器用に回転させ、姉と親友とが構える双方の武器を衝突させる。そして、金色の輪を額にする少年は笑った。
「おー、こわこわ。ナナミもジョウイも、あんまり痴話喧嘩しててくれんな。確かにちょっとばかり、状態はよくないんでね。と、アップル、どうだ?」
 痴話喧嘩ってなに!?と同時に叫ぶナナミとジョウイの頭を両手で乱暴に撫でて、ビクトールは振り向く。丁度状況を確認してきたらしい少女――かつてトラン解放戦争において、鬼才と呼ばれた軍師マッシュの数少ない直弟子の一人――が、眼鏡の下に隠された眼差しを僅かに曇らせた。
「援軍がくるまで、持ちこたえることは出来るはずです。けれど――」
「ああ。アップルが懸念すんのはわかるぜ。ハイランドが、軍として強ぇのはしってたが。――まさかあんなに腕の立つ奴がいるとは思ってなかったからな。しかも将官クラスだったろ?あれは」
「ええ。情報によれば」
 手にした紙をビクトールに見えるように差し出し、アップルはハイランド第三軍の組織図の一部に指を伸ばした。


「……いてぇっての、ふざけんなよ、クルガン」
 確認もせずに唐突に言って、振り向く。
 案の定銀色の色彩に目を留めて、鮮やかな真紅を自然に持つ彼は、歪んだ笑みを浮かべた。
「あのなぁ、なんだっていきなり、引っ張るわけだよ。――包帯」
「包帯をするなら、きちんと結んでこい。あとで解けるぞ」
「そうか?」
「――当たり前だ」
「いいよ。ほどけたら解いちまうから。結び直すのは後だ、後」
「楽しそうだな、シード」
「お、わかるか?」
「そこまで顔に出てることがわからない人間は、ただの馬鹿だ」
「好き放題いいやがって」
 ふいと首を振り肩を竦めると、確かに左腕から長く風に揺れる包帯の橋を口でくわえ、右手もつかって器用に結びとめる。鮮やかに滲んでいる赤い色は、それが古い傷ではないことを如実に示していた。
「正規軍でもないのによ、腕の立つ相手がいるとは思ってなかったぜ」
 だから楽しくて仕方ない、と猫のようにシードは笑う。
 銀髪の男は溜息を吐き、幕舎の方を振り返った。
「ルカ様が到着するぞ、シード」
「もうか!?」
「疾きこと風のごとく。――当然だな」
「にしてもさすが白狼軍だな。焦ってんだろうな、軍団長殿はさ」
「先程の戦いですでに失敗しているからな」
「机上の空論しかしらねぇやつは、後ろで控えてればいいってもんなのによ。しゃしゃりでるから、あんなことになる」
 失笑をうかべながら言うと、シードは歩き出す。
 彼の行動の意味をいわれずとも理解できるクルガンは、首をかしげもせずにシードの後ろ姿をみやった後に、彼も歩き出した。
 ――出陣命令が下るはずだ。
 遠征軍である自分達だ。おそらく敵は、体制を一旦整えてから再攻撃に転じてくると考えているだろう。――事実こちらもそのつもりでいたのだが、ルカ・ブライト率いる本軍が出てくるとなれば話しは別だ。
 すでに一度、傭兵砦に攻め込んでいる。
 都市正規軍ではない。――傭兵たちが集う砦に、だ。
 そして、結果軍団長の部隊が最初に撃退された。
「汚名返上しなければ、大貴族の名前が泣くだろうさ」
 つまらない、と唾棄するのは押さえて、シードは戻ってきた幕舎の中に放置してあった剣の一つを手に取る。腰には新しい剣が下がっており、持ち上げた剣を使う必要性はない。
 ――ただ確かめるために、持ち上げたのだ。
 見事なまでの刃こぼれがある。
 切り下ろした剣を受け止められ、流され、そして切り返された後。
「――いるもんだな、そういう相手が」
 眼差しの青に潜んだ暗さに、咄嗟に気付いた。
 あれは同類だ。戦場における死闘の全てを知り尽くし、命のやり取りの凄惨さも理解していながら。戦場にあることをやめない人間だった。
「トラン解放運動、初期解放軍の副指導者だった男か」
 僅かに痺れた両腕の重みと、斬り返されて負った傷口に走った熱を、今もはっきりと思い出すことが出来る。
 ソロン・ジーが一人猪突し敗退しなければ。
 決着をつけるまで、戦えていただろうに。
「次は名乗らせてやる」
 戦場でのやりとりは嫌いではない。
 どうせなら、好敵手だと思った相手の名前ぐらいは知っておきたくないか?
 そう思って、再度笑みを浮かべたシードは、再攻撃命令をつげる伝令達の声をききとって、立ち上がっていた。



 戦闘はすぐにでも始まる可能性が高い。
 そう思っていたからこそ、フリックは一人哨戒に出ていた。
 普段ゆれるバンダナが今ははずされ、代わりに白い包帯が幾重にも巻かれている。その為に、重症患者のように見えた。
 手の中に、そして間隔の中に、一騎打ちに持ち込まれた光景がありありと蘇る。
 ――王国軍第三軍を率いる部隊長クラスの人間らしい。
 名前はアップルがいっていた。けれど何故か今、覚えていない。
「本人から聞いておいたほうが、覚えておけそうなんだけどな」
 呟いてみる。
 恐らく、覚えていないのではなく、覚えたくなかったのだろう、自分は。たしかにあれほどの相手ならば、又聞きするよりは、直接聞いてみたい気がするのが事実だ。
 戦場で命をやり取りするのは、陰惨な出来事でしかない。
 けれど戦士の村にて生まれ育った者として、強敵に対峙すれば、やはり興味を覚えずにはいられない。しかも相手は、剣を使用しても体勢を崩さぬ馬術と、スピードと、そして剣術を保持するかなりレベルの高い相手だったのだ。
 包帯を巻いたのは、振り下ろされた剣を愛剣オデッサによって受け流した後切り込んだ歳に、傷を負ったせいだった。額よりも目に程近い場所を切られたことで、バンダナははずれ、代わりに鮮血が片目を覆いつくす。――おかげで距離を掴み損ねて、最後の切り込みに失敗したのだ。
「どうもこんなところに包帯を巻いてるのは、重症のようにみえて嫌だな」
 ぽつりと、文句を言ってみる。
 怪我をするのは仕方ないが、見かけが酷く見えるのは嫌いだ。
 どうせなら、怪我はひどくとも外見は普通に見えるほうがいい。
 昔、心配する程度のことでもない傷でありながら、全身が血に染まった有り様になったことがある。その時、凍り付き、泣き叫びたいのを必死に耐える顔になったオデッサの瞳を忘れることが出来ない。
 ――他人を心配させるのは、だから嫌いだ。
 意味もなく溜息をついて、彼は眼差しをあげた。
 そして。ふと、眉を寄せる。
 ――鳥の鳴き声が消えたのだ。
 奇妙なまでの、それは静寂。空間が静けさに支配された瞬間。
「間違いないな」
 やはり敵は、攻撃を仕掛けてくるのだ。
 フリックは報告するべく馬首を返した。
 けれど流石に彼も、まさかハイランドの皇子ルカ・ブライトまでが出陣して来ていようとは、思ってもいなかったのだ。


「ビクトール!」
 馬を走らせたフリックが、器用に手綱を操り、柵を開かせる前にそれを馬に乗り越えさせたのをみやって、派手な奴、とビクトールはぼやいていた。
 美青年だの、色男だの言われるのを嫌うくせに、どうしてああもやることだけは派手そのものなのか、と長閑に思ってみる。
 警戒すべき出来事がおきたのは当然フリックの顔をみればわかるのだが、必要以上に自分が動揺してみせるのは駄目だろうと思っていたのだ。
「よお、フリック。どうしたよ?」
「火炎槍はまだ使用可能か?」
「ってことは、来るのか。奴等は」
「ああ。どうやらアップルが考えた常識的判断よりも、俺達が戦場で感じたことの方が正しかったらしい。――ハイランドは急いでる。すでに軍は動いたとみた」
「了解了解。って、悪いんだけどな」
 筋肉に覆われた手を伸ばし、おもむろに馬上のフリックの腕をひっつかみ、引き寄せる。当然ながらバランスを崩した彼の耳元に、ビクトールは小声で火炎槍はおそらく一度か二度程度しか使えない、と素早く言った。
「……それで勝算は?」
「ある!といえるほど、能天気じゃねぇなぁ。俺は。お前はどう思う?」
 崩したバランスを立て直すよりも、飛び降りることを選択したフリックが大地に膝をつくのを確認してビクトールは尋ねていた。
 秀麗な顔に思案の色を宿し目を伏せてから、フリックは首をふる。
「援軍が来るまで篭城が可能な確率、多分低いな」
「だよなぁ。アップルにいって、撤退路の検討も依頼しておくとするか」
「それしかないだろうな」
 なにせ元々が、兵力の少なさを火炎槍で補っていただけなのだ。
 その火炎槍が使えなくなる可能性が高いならば――敗北色は強い。
「死傷者は減らしたいんだけどな」
 ぼやくビクトールを尻目に、指示を飛ばそうと歩き出したフリックは足を止め、思い出したように呟いた。
「あの子供たちだけどな」
「ん?どうしたよ」
「先に逃がしておいたほうがいい気がするな――まあ、その機会があれば、なんだけどな」
「お前が責任もてよ。腕を確かめてやるとかいって、手加減したのはてめぇなんだからよ」
 にやりと笑いながらビクトールが手を挙げる。
 フリックは苦笑して、そうだったなと答えると歩き出していった。
 ここが再度戦場になるのは――おそらくもう、ひどく近い。