焔集う 後編
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 肌を、眼差しを、その双方を焼いていくのは炎の苛烈さ。
 敵が攻撃を仕掛けてくるだろうとは読んでいた。そして迎撃の要となる火炎槍が壊れるだろうことも予期はした。
 ――だが、まさかルカ・ブライトが姿を見せるとは思っていなかったのだ。
 すでに砦の最終防衛ラインは破られ、敵ハイランド軍の侵入が始まっている。
「ビクトール!!こっちの非戦闘員は逃がした」」
 大声を張り上げると、フリックは額に浮かんだ汗を無造作に肘で拭う。
 本来は汗止めに巻くバンダナの代わりに包帯があって、都合が悪い。肘が強く当たったせいなのか、乾いていた傷口から新しい血液が再び零れ始めていた。
 ――目に血が入るのはまずい。
 ひどく実務的に思って、舌打ちをしながら慣れた砦内を走る。
 至る箇所に見知った顔が転がっていた。――負けるということ、そして傭兵というものは、こういう現実を意味することだろう。
 火炎槍を爆破炎上させ、ルカ・ブライトから子供たちを救ったのは先程の事。
 ――だから、砦は最終的に巨大な爆発がおき、炎上するだろう。
 砦をすぐ脱出する必要があるが、非戦闘員が残されていないか、怪我人が残されていないか、確認せねばならなかった。――命を預けられる立場なのだ。見捨てて逃げることは出来ない。
「フリック!こっちは終った、俺達もいくぞ!」
 一階部分から声がして、下を覗き込む。ビクトールが大きく手を振っていた。
 二階に駆けあがってくるハイランド軍兵士の姿も多く見られる。補足するなら炎の勢いは増していくばかりだ。
「ビクトール、退路の確保を頼んだ」
 そこまでは一人で切り抜けて行くと、言外に断言するとフリックは愛剣を構える。
 ぎりぎりまで敵を引き寄せたのち、飛び降りようというのだ。
 フリックの意図に気付いて、ビクトールは無茶な相棒に呆れたようだが、すぐに走り出していた。たしかに退路を確保しておかなければ、逃げれるものも逃げられなくなる。


 横目で、フリックは走り出したビクトールの気配を把握する。
 まかされたほうが気が楽だ。だから緊張に満ちる中、僅かに彼は笑っていた。
 握り締めた剣と、牽制の為に雷撃を集めながら、敵の数を把握する。切り払うよりも、距離を取る為に刺突に使うことが多くなっていた。
 ――そういえば。
 何故か脈絡もなく思い出す。
 目の前にちった、命のきらめきを宿すような緋色。――その鮮やかな赤い血の色に思い出す。
 今回はまだ、一度も姿を見ていない。
 最初の戦いで。突如兵達の間を潜り抜け、飛び込んできた、敵将の姿をみていないのだ。
 もしも再び一騎打ちを行う機会が訪れれば、双方が死ぬまで決着がつかない予感がある。だから姿がみえないのは幸運なのだが、このままで終る気がどうしてもしない。単なる直感に過ぎないのだが。
 切り伏せた敵兵の身体は折り重なって、いつしか足場を妨げていた。おかげで彼等は足を取られている。それに気付いて、フリックはかつて砦を脱走しようとした子供たちが残した縄をつかって飛び降りた。
 刹那、視界の端にて銀色が光る。
 太陽光を受けて、僅かに光った金属の反射光!
 咄嗟に左手に持ち替えていた剣を頭上にあげた。衝撃が、すぐに剣を握る左手にかかる。
「くっ!」
「逃がしゃしないぜ!」
 響き渡った声が、周囲を制するように響くのは、彼がおそらく覇気に満ちているからだろう。
 赤々ともえさかる炎より、なお濃い真紅を揺らせて、剣を振り下ろしている男。――ハイランド王国第三軍に属する猛将シード。
 砦の二階から飛び降りてしまったフリックは、片膝を立てた体勢になっている。頭上で剣を押さえるのは力をこめるのには適しておらず、逆にシードは渾身の力をこめることが可能だった。
 鈍い、鍔迫り合いによって生ずる金属音が耳に痛い。
 このままではまずいと、フリックは判断して奥歯を噛み締めていた。眼差しは忙しく周囲を確認して、シードの左足が、己の纏うマントの布地を踏んでいることに気付く。
 ――チャンスは一瞬。
 フリックは剣を受ける腕の力を故意に外した。
 当然抵抗がなくなり、シードの剣が素早く振り下ろされる。その白刃のきらめきをはっきりと見極めたのち、フリックは勢いよくマントを引いた。
「――ちっ!」
 はっと目を見開いたシードが舌打ちをする。
 足がもつれて、バランスを崩した体を立て直した。けれどその隙に、膝を突いていたはずのフリックも立ち上がっている。
 ――面白いじゃねぇか。
 正直にシードは思っていた。
 ハイランド軍においても、彼は己以上の力量を持つものをルカ以外に知らない。相棒は確かに強いのだが、あれは勝つ為の太刀筋ではない。クルガンの剣は、負けない為の剣なのだ。
 だから、勝負をしても面白くない。
 勝つ為に動こうとする相手とではなければ、剣を合わせてもなにも面白くないのだ。
「楽しいじゃねぇか。その太刀筋――マチルダのものじゃないしな。一体どこだよ?」
 二人の背後に忍び寄ってくる炎は、残る命を焼き尽くす無差別の刃そのものだ。にも関わらず、シードが炎を背後にすると、あたかも炎を従えているような錯覚がするので不思議だった。
(この、奴の覇気のせいなのか?)
 愛剣を握りながら、フリックはそんなことを思う。
 剣を構えるシードの瞳からは、ただただ激しい鋭さが伝わってくる。殺意があるわけでもなく、楽しみ過ぎてるわけでもなく――ひたすらに鋭いのだ。
 けれど眼光でフリックが負けてるわけではなかった。
 事実対するシードは、静かでありながらどこか底しれないものを持つフリックに、激しい鋭さを感じ取っていたのだから。
 ――剣筋を知ることは、戦ったことのない相手との戦闘を有利にする。
 フリックは、シードが亜流で収めた剣の法則を知らなかったし、シードは戦士の村というあまりに独特な歴史をもつ彼等の剣を知らない。
「人の事はいえないだろ。その太刀筋、ハイランド王国軍の太刀筋じゃない」
 ゆっくりと、静かにフリックは応える。
「――先に質問したのは俺だぜ?」
 そして声を返すシードもまた、動きは静かだった。
 ひどく楽しそうな笑みだけが、印象的で。
(もしかしたら…俺もあんな顔をしているか?)
 不意に思う。
(フリックって、戦いを好んでいるようには見えないのに。剣豪ってよばれるほどの相手と戦っている時は、なんだか楽しそうね)
 オデッサに言われたことがある。
 自覚はなかったので、その時は「そうかな?」と答えて首をかしげた。
 けれど今思う。確かにオデッサの言っていた言葉はあたっているかもしれない。
 均衡する力量が生み出す、この凄まじいまでの緊張感が――不愉快ではないのだ。
「答える義務はお互いないってことだな」
 乱暴にこたえると、唐突にフリックは一歩足を進めた。
 お互い片手剣だ。剣の長さは殆ど同じ。体格にも殆ど差はない。ようするに間合いまでが同じだ。
 このまま対峙しつづけても、時がすぎるだけで埒があかない。
 時間がないのだ。炎がきている。ビクトールも待たせている。――これ以上は留まっていられない。
 危険とついでに怪我もフリックは覚悟した。――多分、彼が一生をかけて心に抱きつづける女性が生きていた頃には。選択しなかったほどに乱暴な手段の行使を。
 フリックから伝わってくる気配の変化を感じ取って、シードが一瞬笑ったのは、恐らく気のせいではない。
 踏み出していた足に重心をかける。一旦は抜いた剣を鞘に収め、走り出すとみせかけて一気に紋章を詠唱した。――途端、舞い下りてくるのは雷撃。
「――!?」
 流石に驚いたシードが、咄嗟に紋章を宿す手をあげる。
 相殺する雷か、それとも炎か。
 接近し過ぎた状態で雷撃をよぶのだ。自分にも被害が来るのはわかりきっている。だから来るだろう反動と、反撃してくるらしいシードの紋章による衝撃を覚悟しながら、そんな事を想像する。
 刹那。身体を包み込んできたのは優しい感触だった。
 ――存在する紋章の中で、最も穏やかで優しい――流水の紋章の気配。
 相殺されていく。雷が、そして炎が。――迸る水の気配の中、大量の雷撃が大気に流れながら。
 だから二人、流石に苦痛をこらえる顔になっていた。


「ちっくしょう、無茶してくれるぜ!」
 空気中を支配する水分に、濡れた前髪をふってシードがぽつりと言う。
 雷を伝導してしまう水によって、いたる所が雷撃の影響を受けてしまっていた。皮膚が破れた箇所も多い。おかげで、二人似たような有り様になってしまっていた。
「雷に水をむけるほうが悪い」
 憮然とするフリックは、血と雨に濡れたまま、鞘にいれた剣の柄に静かに手を添えている。
 ――抜刀術は、抜いた瞬間のみが最強の剣。
 まだ戦闘を続けるならば、全てを一太刀に託すということなのだろう。
「なんでも使えるんだな、お前」
「人の事はいえないさ。――まさか流水を使うとは思いもしなかった」
「イメージで他人を勝手に判断するなよ」
「まあな…」
 苦笑する。
 戦いを続ける状況ではないと、お互い判断したことを悟って、フリックは一歩、後退した。
 横手では、流水の影響が薄れてもう一度活発になった炎によって、今にもたれそうな大木がある。おそらく――あと何秒もせずに、フリックとシードは炎をまとった大木によって分断されるだろう。
 シードは剣を握る手についたぬめりを取る為に、わずかに手を振るだけだった。
「次は紋章なんて使うんじゃねぇぞ」
「約束はしかねるな。俺は勝てる手段があればつかう」
「言ってくれるぜ、甘ちゃんそうな顔してるくせによ」
 やれやれと首をシードが振り、フリックが苦笑する。
 そして、ついに炎を纏う大木が倒れた。
 なにかを言おうとして、フリックはやめた。
 シードも腕を組んだまま、興味深そうな視線を投げるだけで、動こうとしない。
 ――そして、最後に。
「じゃあな」
 意を決したように一言つげて、フリックは歩き出した。
「俺はシードだ」
 追いかけてきた声。
 驚いて振り向くと、剣を構えたシードが不敵に笑っている。
 ――戦場で出会う敵。
 たまにはこういうものも、悪くはないのか?
「………フリック。昔は……妙な通り名も、そういえば持っていたな」
 苦笑しながら応えて、そしてフリックは走り出した。
 退路を確保しながら、信用はしていても、恐らく心配しているだろう相棒の元に。
 シードはもう一度だけ高く笑って、彼もまた、軍に戻るべく走り出していた。
 ハイランドと都市同盟の戦いはまだ始まったばかりだ。
 また戦場で出会う確率は、高いのだろうと二人思いながら。




 そして。外傷は激しくないとは言えひどく赤黒く汚れて帰ってきた相棒に、それぞれの場所で迎えた方の二人は、憮然としていた。
「お前、随分と派手に怪我してきたな」
 呆れたようにそう言ったのはビクトールで。
 フリックは苦笑して、怪我を嫌がったら俺が死んでいたさよ、と短く応える。
 対してクルガンに、
「馬鹿は一度死んでこい」
 といわれたシードは、相棒の言葉を完全無視し、トラン解放戦争の資料はねぇのかよ?と、聞いていた。










そして貴方の戦いは続いていく
怪我をして、血に染まって、赤く塗れて

私には伸ばす手がない
 だから血に濡れたあの人を、手当てする術を持たない
無理と無茶と無謀の差が
 わからなくなってきているあの人に、駄目よと叫ぶ声もない

私はただ透明で
 私はただ虚ろで
  私の記憶だけが、あの人の心を支配しつづけるのか


お願い
お願いよ、泣き叫ぶ身体を私に誰か下さい
あの人の為に。あの人の側で
あの人を心配する権利を、もう一度私に下さい

かなわぬ望み
かなわぬ現実

そして、貴方は歩き出す
私のしらない敵
私のしらない戦場で
いつか命を落とす日の為に

あなたは、あるいて、行くのね