見果てぬソラ 中
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 かなりの被害を出したものの、なんとか撤退は成功した。
 一団で避難するには目立ちすぎる為、各々散っていく人々を見送りながら、オデッサは幾度も背後を振り向いては、溜息を吐く。
 本来ならばすぐに引かねばならないというのに、何度も何度も振り向いては足を止める自分。追いついてくる恋人を探してしまっているのだ。
(私はなんてエゴイストなの)
 作戦ミスによって、仲間を多く失ってしまったというのに。自分は一人恋人を気にするのか。
 もし、フリックが死んだら。
 考えるだけで、魂まで凍えそうな気がする。死ぬわけない、彼が自分をおいていくわけがないと繰り返して、恐くて、不安で、心配で、泣き出してしまいそうな心を封じ込める。
 アジトへと辿り着き、負傷者の手当てや追跡された場合を想定した作戦案が固まったところで、彼はようやく戻ってきた。
 オデッサの心配は限界にまでたっしていて、だからもう激情を制御できなかった。
 叫ぶべきではないと思うのに、憤りに身を任せて声を荒げてしまう。
「どうして?」 
 声を出した本人が驚くほど、それは低く冷たい声音。
 オデッサは知っている。フリックになにをぶつけようと、彼は自分を拒絶せずに許容することを。
(でも、フリックはいつも傷ついてるのに!)
 自分の言葉こそが、いつだって彼を一番苦しめている。
(こんなのはいや。フリックを傷つけたくなんてないのに)
 ――なのに、私は言っている。
「どうして貴方自身がくるの?」
 ――必要以上にきつい言葉を放っている。
「嫌な予感がしたんだ。しかも君が、人数もつれずに行ったと聞いた。だから……」
 フリックは答える途中で、唇を噛んで黙り込んでしまった。それはひどく少年じみていて、危機に陥った彼女たちを救う為に凄まじい剣技と魔力とを見せた凛々しい青年と、同一人物とは思えない。
「黙り込まないで。どうして、わかってくれないの?」
 二人は恋人同士だが、彼女が彼を叱責する光景は、別段珍しいものではない。
 解放軍の趣旨と重要性を理解しながら、彼女一人の支えになることを考えるフリックと、解放軍の指導者として組織を第一に考えるオデッサとでは、ぶつかるのは当然の成り行きだった。
 本当はオデッサとて、彼の気持ちを嬉しいと思っている。なによりも自分を優先し、偶像ではない本当の自分を探し出し、見つめてくれるのだから。
 不安な時に声をかけてくれたこともある。挫けそうになった時に、手をつかんで側に居ると言ってくれたことも。
 苦しくて、泣きたくて、どうしようもない夜に、寝ずに側にいてくれた事もあった。話をいつまでも聞いてくれることもあった。
 フリックがいるから、戦える自分を知っているのに。組織の指導者としては、恋人を叱責するしかない。
「今回の作戦は、私の失敗だわ。もう少し調べるべきだった。みすみす罠にかかって、全滅しそうになったのは事実。そして、それに気付いてくれて援軍をよこしてくれたのは、正しい判断だった」
 戦術面におけるフリックの用兵の確かさを、オデッサは高く評価していた。
「間違っているのは、貴方自身が来たことよっ!」
 指導者と、副指導者とが共倒れするような事態は、防がなければならないのに。
「わかってる。でも俺は……」
「貴方は強くて、簡単には死なないでしょう。でもね、フリック。貴方はアジトを守ることを放棄したのよ? ハンフリーに援軍はまかせて、貴方はここを守らなければならなかったの。分かるでしょう?」
「……オデッサ」
「お願い、分かって。自覚を持って欲しいのよ。副指導者としての自覚を!」
 訴えるうちに、感情はさらなる昂ぶりをみせてくる。そんなオデッサの肩を、誰かが軽く叩いた。
「ハンフリー?」
「もう休め」
「え?」
 周囲に安心感を与える寡黙な男言われて、オデッサは驚いて目を見開いた。同時に心が冷静になっていって、周囲の状況を改めて理解する。
 こちらを見守っている人々の、疲れた顔。
「……あ」
 からくも全滅は逃れたとはいえ、かなりの被害を受けた戦いを越えたばかりだ。全員意気消沈し、疲れきっている。
「ご、ごめんなさい。ハンフリー。ありがとう。今日はこれで休みましょう」
 周囲の状況を把握しそこねたのが悔しくて、オデッサは僅かに手を握り締める。
「オデッサ」
 フリックが言葉を挟む。
「……なに?」
「君こそゆっくり休んでくれ。あまり、背負い込みすぎてくれるなよ」
 向けられてくる彼の優しい心は、全く変わらない。
「ありがとう」
 限りなく自分を甘やかす恋人がせつなくて、オデッサは急に泣きたくなった。だから短く応えるだけで精一杯だった。


 夜が始まる。
 それぞれの想いを抱いてあやすような、夜が。

 
 息を一つ吐いた。それが白い。
 今になってそれに気付いて、フリックは目を細めた。
「なんだ。今日は寒かったのか」
 焦りすぎて、外が寒かった事にも気付かなかった。
(無事で本当によかった)
 オデッサが僅かな手勢をつれて作戦に出たと聞いた時には、全身が凍りつくような気になったのだ。アジトを守れという伝言に、肯くことなどできなかった。
「まいったよな。ったく、俺って奴は」
 感情で行動して、いつもオデッサにたしなめられる。情けないことこの上ない。
「雪でも、降んのかな」
 ひどく冷たい外気が、どんどん体を固まらせていく。手が凍えて剣ふるえなくなるのを無意識に警戒して、彼は剣を抱き込んで座り込もうとした。
「……つ!」
 腕に走った激痛。
 まだ使えもしない技量の紋章を使って、雷の反動を受けて怪我をしたことを忘れていた。
「手当てがいるよな」
 腱や筋を痛めた様子はないが、出血がまだ止まっていない。毛細血管でも破裂したのだろうか、とやけに冷静に思いながら、フリックは頭をおさえた。
 やけに体が重く、だるい。どうやら無理をしすぎて、体力の限界をきてしまったらしい。
 急激にまぶたが重くなって、浅い眠りに入ろうとする自分自身をフリックは感じていた。
 まどろみながら、ふと思う。
 オデッサが求めていることを、理解していながら成せない自分は、単なる一兵卒と同じなのだろうと。
 剣と紋章力に自負は持っている。その自負を不遜だと言わせない生きかたを、生まれ落ちた瞬間から宿命付けられた戦士の村の人間なのだから。
 けれど、強いだけでは駄目なのだ。戦術を考え、それを行い、そして剣をふるい魔力を発揮し、敵を殲滅するだけでも……。
 オデッサが望むのは、指導者としての役割も果たす人間だ。
「……俺、には……無理だ」
 彼女だけを心配する気持ちを、捨てることなど不可能だ。いかに彼女に望まれようと、出来ると言われても、ソレが捨てられぬ自分に出来るわけがない。
「……オデッサ」
 最後は囁くように呟いて、しんしんと冷え込む外気の中で、彼は疲れきった瞼をついに閉じた。
 手当てし損ねた手は、鮮血にしとどに濡れたまま。

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