「どうして!!」
叫んでいた。
(いけない)
叫ぶなと心が悲鳴をあげている。
いつものように微笑んでいなければいけないのに。それは簡単なことのはずなのに。
「どうして貴方自身がきてしまったの!?」
(わたしは叫んでいる)
駄目なのに。
作戦があった。
実績もなく軍資金もないくせに、理想だけを叫ぶ解放運動など、たんなる自己満足にすぎないと考えていたオデッサは、解放運動発足当初より、軍資金の重要性を人々に説いていた。
実際問題、食糧を、物資を、武器を、情報を、養うべき人々を、賄うためには当然ながら軍資金が必要で、金はどこかから沸いてでるものでもない。
正当な手段で軍資金を集めるのが理想で、強盗の真似ごとなど当然だがしたくはなかった。
けれど小さな力しか持たぬ解放軍に援助する酔狂な輩はいない。ゆえに汚い手段だと認識はしていたが、国庫に襲撃をかけ奪いとってきたのだ。
行われたばかりの作戦も、資金集めの作戦の一つ。
赤月帝国も自分達を警戒していることは分かっていたので、オデッサはかなり慎重に情報をあつめ、襲撃箇所を決め、一つの作戦を実行にうつしたのだ。
「罠だぁ!!!」
悲鳴が聞こえた。
弓の弦に指をそえたまま、情勢を睨んでいたオデッサは、はっと目を見開く。
背後に赤く燃え盛る炎。前方に禍禍しい刀剣のきらめき。
「……まさかっ!」
驚愕に口腔内が一瞬に干上がり、ひどい悪寒が背筋をかけぬけた。
自分達は風下にいる。火がすさまじい勢いで迫りくる!!
逃げ道をふさぐのは、武装した帝国軍の兵士たちだ。
「完全に、はめられたわ」
罠ではないと判断したからこそ、襲撃は最小限の人数にとどめてしまっている。とても敵の囲みを突破して、逃げきれる状態ではない。しかも狙った建物の中からさえ、装した帝国軍兵士が飛び出してきているのだ。
「全員集まって!! 円陣をくむのよっ!」
凶刃にかかって味方は倒れていく。悲鳴渦巻く中、オデッサは凛と声を張り上げた。とにかく集団の統制を失うわけにはいかない。一人ずつなぶり殺しにされて全滅するくらいならば、退路を埋める帝国軍の中央突破を試みるしかなかった。
――何人、生き残れるか?
自然、手が震え始める。なんとか冷静を保とうと気持ちを奮い立たせながらも、オデッサの頭は最悪の事態をむかえた後の解放軍の行く末を考えていた。
指導者をうしなって瓦解するか、それとも。
(アジトに残した仲間たちは、頑張ってくれるはず)
解放運動の灯火は決して消えないだろう。それに自分が選んだ、副指導者とて残るのだから。
(だから、大丈夫。私がもし、ここで死んでも。死んでも大丈夫だわ)
死の認識が、ひどく胸を痛めた。
(……痛い…)
胸が苦しい理由が分からない。理想は頓挫しないのだから、痛くなる理由がない。
(違う)
分かっている。けれど分からないフリをするしかなかった。
認めてしまうのがおそろしい。
恋に身を焦がし、普通の娘に成り下がり、戦えなくなる予感がする。
それでも心をとめることは出来ず、彼女は一人の名を胸で叫んでいた。
切なく、激しく、求めるように。
最悪の状況を抜けることは出来ず、仲間達は次々と倒れていく。
手を伸ばし、倒れる仲間を支えようとする者がいる。誰かを叫んで呼んでいる者もいる。自分を救う為に盾となって死んでいく者もいる。
このままでは全滅を待つばかりだ。
追いつめられている人々全てが死を覚悟した瞬間。
「オデッサ!!! 一時伏せろっ!!」
突然に声が響き渡った。
自分達が撤退すべく目指す方向、ようするに帝国軍兵士達の背後からだ。
普段から緊迫な状況や戦場の空気に慣れ親しんでいたオデッサは、咄嗟に伏せてっ!と叫ぶ。盾を頭上に掲げろとも命じた。
それを見極めたタイミングで、凄まじい勢いで矢が飛来してきたた。
完全に不意を付かれた帝国軍兵士たちが、襲い掛かってくる矢に倒れて血の雨が降る。伏せたオデッサ達の背を、それがしとどに濡らしていった。
血は生ぬるい。人が生きている証の温もりが、急激に冷めて消えていく。
(気持ち……悪い……)
戦いは放棄はしないし、殺戮者である認識も捨てはしない。
けれど、やはり苦しかった。
人の命が簡単にやり取りされる、動乱の中に身を投じた現実が。
帝国軍は完全に混乱して、指揮系統を乱れさせている。烏合の衆と成り果てた事を認識して、オデッサは最大の撤退のチャンスが訪れた事を悟った。
もう一度、援軍が派手な攻撃を仕掛けてくれたら、とオデッサは思った。
まるでそれが伝わったかのように、援軍が突如動く。
高い馬のいななきが響いた。激しい紋章が展開される気配がして、空気に独特の緊張が走る。
「フリックっ!!」
耐え切れずにオデッサはその名を叫んでいた。
この世界でたった一人。彼女もまた普通の人間であることを知る青年であり、彼女が信用して副指導者にと指名した人物であり、彼女の恋人でもある男の名。
彼女の声にこたえるように、落雷が空と地上とを舞った。
「フリックッ!!」
激しすぎるソレは、どう見ても青年がそなえる力量以上の紋章を発動させたに間違いなかった。反動がどうでるのか、それが心配でオデッサはついにリーダーとしてでなく、一人の女として彼の名を叫ぶ。
「オデッサ!!」
返事と共に腕をつかまれた。痛いと思った直後に浮遊感がくる。気付けば、フリックが騎乗する馬上に抱き上げられていた。
「フリック!」
「なんだって一人で出たりしたんだ! 罠かもしれないって、言っていたのは君だろう!!」
真っ直ぐすぎる眼差しには、オデッサの身だけを案じる色が宿っている。軍の副指導者として失格で、恋人としてだけ合格な感情。彼が紋章を宿す手は、反動を承知で技量以上のものを放った代償で、血に濡れていた。
――どうして?
オデッサは思ってしまった。
軍を指揮する立場でいながら。何故にこの愛しい恋人は、何時までも子供のように、自分のことだけを心配するのだろうか。助けようとするのだろうか。
組織を導く立場になれば、感情で動くのは厳禁だというのに!
「フリック! どうして貴方は!」
「今は文句はなしだ、オデッサ。しっかり捕まってろよ!」
厳しい彼の声に驚く暇もない。鮮血に染められた手綱を握らされたと思うと、馬の上に身体を伏せさせられた。なに!?と叫ぼうと思った時には、フリックは馬から飛び降りて抜刀し「行け!」と鋭く言い放つと同時に、剣の柄の部分で馬の尻を叩く。
彼の合図を心得る賢い馬は、猛スピードで駆け出した。
急激に遠ざかっていくフリックの気配。
(どうして、どうしてそんなにも!!)
貴方は心に素直に生きていく道だけを選んでいくの、と。オデッサは叫ぶ。