乱暴に大地の上に転がり込んで、天を見上げた。
当たり前のように広がっている空は、どこまでも終わりなく続いていると信じたくなるような、蒼穹の色。
珍しく、感傷にひたりたい気分になる。
「一体全体、なにを考えて戦っているんだ」
呆れた声が一つ、頭上から降ってきた。
誰の声かは分かっている。呆れられる原因も。
つい先刻起きた戦闘で怪我をした。だから相手は呆れている。
ハイランドと都市同盟の戦いが始まってから、戦闘のたびに怪我を追った。弱いからではなく、無理だと分かっていて突撃してみたり、後退しなかったりを繰り返してきたからだ。
だから相手が…クルガンが溜息を吐いているのが分かる。
(そりゃあ、呆れもするよなあ)
当然だ。なにせ自分も自分自身に呆れている。
命のやり取りをする戦場に満ちる、あの独特の緊張感に触れると、血が滾るのだ。どんな無茶でもしてみたくなる。その衝動をこらえることが出来ない。
(なんでああも血が滾ってしまうのか?)
考えてみても、決してでない答え。
それに、そうそう自分の考えなどを追求する暇もない。
戦いの行方は、終着を示す兆しもなかった。
果てのない憎悪に身を落とし込み、満たされないままに永遠に求め続ける狂皇子ルカ・ブライトの望むまま、殺戮は続くのだ。
きっと、そう。永遠に…破壊する対象がなくなるまで。ルカ自身をも滅ぼし尽くすまで。それは、終わらない。
(ルカは諸刃の剣なんだよ)
孤独や、不安。焦燥感や、寂寥感。
それらの感情を、一掃させる魔力を持つ戦場でしか生きられない男。滅びの衝動を持ってしまった魂を持ち、己の居場所を見つけられないでいるルカは、戦場という特殊な空間に魅入られている。
(俺も、少しそういう所があるかな)
けれど、戦場ではなければ生きていけないわけではない。
ハイランド王国に降り積もる日々の変化や、季節の移ろい。優しい人々の暖かなざわめきや、守り続ける生活の温もりに、生きている意味を見出すことが出来る。
誰も信じないかもしれない。そんな穏やかな気持ちを持っているなどと。なにせハイランドの猛将は、戦いが好きな男なのだから。
(だが、違うんだよ)
戦が好きな男と、戦場でしか生きられない男。
似ているような感じもするだろうが、根本的に違いすぎる。
戦場でしか生きられないのはルカ・ブライトだ。
滅びに焦がれるあまりに、滅びを与える存在になろうとしているような彼。もしかしたら…邪悪を装っているのかもしれない、男。
彼はもう、世界の全てを戦場にしなければ満足できないだろう。
業火に似た激情を宿しつづけ、存在の全てを破壊し尽くさなければ安心一つ出来ない…ひどく孤独な。
「おい、シード。聞いているのか?」
またもや感慨を邪魔する呆れた声が降ってくる。
返事をしないので、怒っているのかもしれない。仕方なく薄く目をあけると、心配ではなく完全に呆れ返った表情の男が視界に飛び込んでくる。
「うるせーぞ、クルガン。俺はただ」
「戦ってただけ、か?」
やれやれ、と肩を竦めてクルガンは言う。そんな仕種をしてみせると、実際年齢よりも落ち着いて見える彼が年相応に見えた。
現実はこんなものだ。
鬼神のように戦っている者も、普段は普通の人間と同じ。
「戦闘のたびに、どこかしら怪我をこさえてくるのはお前だけだ。いっそ、専属の医師でも軍団に配置しておけ」
「医者なんて嫌いだね。大袈裟なんだよ、ああいう輩は」
せせら笑って、立ち上がった。
怪我を負った肩口に痛みが走るが、表情をかえるほどのものでもない。手に馴染んだ剣を握り直して、立ち上がる。
「なあ、クルガン。このハイランドって国は、どこに進んで行ける? このまま進んで、どうなるってんだ?」
本当は分かっている。
このまま進んでいけば、間違いなくハイランドは滅びる。
ルカ・ブライトの望むままに。彼が希望する滅びを共に選び、そして一面の焼け野原になるのだろう。人は死に、卑屈になり、滅ぼしてきた国々の国民のように、ハイランドの民もなってしまう。
「……最悪ー」
「どうした?」
クルガンにしてみれば、シードの突然の呟きは突拍子もない事だったから、僅かに眉をひそめて尋ねた。なんでもねー、と答えようと思ってふと止めた。
「なあ、クルガン。お前はさ、何に忠誠を誓ってんだよ?」
何気なさを装ってみたけれど。これは随分と重い質問だ。
キバ親子は、アガレス・ブライトに忠誠を誓っていた。(だからハイランドを裏切って、敵側についた)
処刑されたソロン・Gは、おそらく大貴族だという矜持だけで生きていただろう。(そして無能だから処刑された。大貴族たちも邪魔できない、戦場という場所で)
そして、自分達は? いや…自分は?(まだ、この軍にいる自分達は……)
「わたしは、ハイランドという国に忠誠を誓う」
まるで誓いでも立てるような真摯さで、クルガンがいう。
ああ、と思った。
「そっか。そうだよなあ」
なぜだか笑みがこぼれてきた。
単純な…本当に単純で明快な答えが嬉しかった。そこに全ての答えが含まれているような気がするから。
ルカは死ぬまできっと、滅びの衝動に縛られたままだ。彼自身を、関わる人間を。全てを巻き込んで滅んでゆくだけ。
もし、それにハイランドという国を巻きこまないのなら。
ついて行ってもいいかな、と少し思ったこともあるけれど。
「なあ、クルガン。あのジョウイって奴をどう思う? 餓鬼のくせに、思いつめた目で、ハイランドを救える力が自分にあるのだと思い込んでいる、あの子供をさ」
最初は何も思わなかった。
子供が、子供らしい潔癖さで世界を憂うるのはよくあることだから。
けれど無視できないのは、ジョウイの側にはレオン・シルバーバーグがいたという事だ。鬼才と称えられる軍師。カレッカの悲劇とく、属したユニコーン部隊を敵に全滅させられたと喧伝することで、世論を一気に戦へと向かわせた少年の憎むべきルカの策と同じ方法を取ったことのある男が。
ジョウイという少年には、レオンの目に叶うだけの何かがある。そして、自分が受けた悲劇と同じ策を使ったことのある男を、使っていくだけの度量もあるのだ。
「ある意味、ジョウイの方が恐いんじゃないかなって思うんだよな、俺は。ルカさまは、滅びだけを望んで行動している。ジョウイはそれを利用しながら阻止して、理想を実現させようとしている」
あんな子供が、どうすれば親友と大切な少女を泣かせてまで、裏切る決意が出来るのか。
興味が、あった。
ジョウイという少年にも。彼にかけたレオンにも。
そして、ジョウイが目指そうとしている理想のカタチに。
「あの少年が目指すのは、ハイランドの平穏だと思っている。そして理想の形は、完全な平和。ようするに二つの国家が二度と戦が出来ぬように、一つの国家に併合してしまうことだろうな」
淡々と、クルガンが語る。
その内容に、心が揺れた。
「……統一、かぁ」
今まで、誰も口にしなかった言葉。
統一しても戦いは消えず、悲しみが無くなることもない。それを知らない、純粋すぎる子供が唱える理想。争いのない、優しい人が優しく笑っていられる世界を作りたいという、夢の、お話。
「かけてみよーかな。俺は。それに」
けれどかけて見たいような気がした。
稀代の軍師、レオンが付いているなら、御伽噺のような夢も、達成可能のような気もする。
自分だって昔は夢見ていたこと。
ハイランドの将軍になれば、絶対にこの国を守れるのだと、信じて疑わなかった子供の頃の希望。
大人になって、妥協を覚えて、実現不可能だと諦めてしまったなにかが、もう一度目の前にある。
「……わたしも、かけてみるかな。ルカ様のみる世界は、あまりに孤独に満ち溢れていて。ハイランドに希望をもたらしはしない」
「お、クルガンもかけんのか? じゃあ、俺の決断は間違ってなかったわけだ」
「なんだ、その論理は?」
「俺は直感できめる、クルガンは理屈で決める。二つの決め方が、ジョウイに付いていくことを選んだんなら。あながち間違いじゃねーって事になるだろ?」
単純明解に言い切って、シードは笑う。
呆気に取られた顔をしていたクルガンも、笑った。
結局。
ルカの滅びを羨望する心は、彼自身に死の抱擁が訪れなければ、満たされるものではなかった。
ならばせめて。その死が、彼に相応しきものである事を、祈る。
現実は……それに程遠いものだったけれども。
様々な出来事を思い出しながら、高く攻め込んでくる軍勢の鬨の声を聞いていた。シードは静かに剣を握り直してみる。隣で、同じように剣を握るクルガンがいた。
「俺達の目指したものは」
結局、なんだったのだろうか?
分からないままに、もうすぐここに、敵が来る。
ジョウイの親友である少年がくるのだ。
理想を持つこともなく、攻められたから防衛を続けたという立場を撮り続けた軍が、最後の最後に牙をむいた現実。
「俺は、戦ってみせる。このハイランドを守る為に」
でない答えの真理は。
守ってみせる、という想いだったのかも、しれない……。
この力があれば。全てを守れると思った。
そう、思ったのは。
多分一人では、ないのだ……。