貴方がアナタでいられる為に

 前を見つめる瞳は。
 真剣すぎればすぎるほど、壊れそうで、恐い。


 本拠地へと入る石畳を、両手一杯に資料を抱えて歩いていく少女を見つけた。
 登った枝の上。燦燦と降り降りてくる日差しは、木々の葉をすり抜けて、落ちてくる。それに目を細めている時に、だ。
 周りの人間が、どうやら重そうな様子に持とうかと言っているようだが、律義にそれを全て断ってしまっている。それくらい自分で出来る、といいたいのだろう。
「まーったく。見てる方が嫌だよなぁ。あれじゃあ」
 剣を持たずに、その知力の限りを尽くして懸命に戦う軍師の一人である少女は、不器用なまでに真っ直ぐな生き方しか出来ていない。彼は短くしている金色の髪を押さえつけ溜息を吐く。仕方ない。 
「なあ、アップル」
 きわめておどけた声で、木の上から話し掛ける。
 そうすると。何時ものように、どこか怒ったような顔で彼女は振り向いた。
「……なにか私に用があるの、シーナ?」
 重いから、早く目的地に行きたくないのだから、邪魔しないでとありありと言っている子供っぽい声に、彼は笑った。
「まーた、何ですぐにしかめっ面になるかね、アップルは」
 ひらりと木の上から降りて、見惚れるような笑顔を作る。なにせ元の顔がいい上に、格好よく見えるように笑ってみせるのだから、かなり効果は高い。
 まあ、それは普通の少女達相手にならば、なのだが。
「シーナが邪魔ばかりするからでしょう?」
 ぷん、っと唇をとがらかせるようにして言うと、アップルは一歩足を踏み出した。
 多分アップル自身は気付いていないだろうが、無理に冷静で頼り甲斐のある大人の軍師であろうしている彼女は、あまり年相応の感情や表情を見せない事が多い。にも関わらず、三年も前から頻繁に接してくるシーナに対しては、年相応な態度をとることが多かった。
 そんな拗ねた顔を見て、シーナは内心意味深に笑う。
(とーぜんじゃん。そう仕向けてんだからさ)
 仕向けた理由は、勿論ある。
 大人を必死に演じようとする少女など、見ていて痛いだけで好きではなかった。
 だから、わざと子供のように限度を超さないようにからかったりしてみたのだ。
 すぐに異性を恋愛対象にする自分だが、彼女にだけはそうならないように接している。なにせアップルは恋愛など怖がりそうだ。そんな感情をみせたら、一発で怯えて、五千メートルくらいは後退さっていきそうな気がする。素晴らしい速さで。
(よく考えりゃ、俺って努力してるよなー。まさしく細心の注意だぜ)
 なにせ、本当のところをいえば、単なる友達としてだけアップルを見ているわけではない。ここは我慢のしどころなんだと、彼は思う。
「お前さ、そんな怒った顔ばっかしてると、眉間に皺がよっちまうぜー?」
 唇の端を歪めるようにして笑ってからかいながら、シーナはさりげなく、悟られないように露天商に小銭をなげて、一つ林檎を買ったいた。赤くて、綺麗で少し小ぶりな。
「シーナには関係ないことだわ! もう!」
「そういうなよ。俺とアップルの仲じゃないか」
「誰が仲なのよ!勝手なことを言わないでっ!」
 真っ赤になって返答する少女は、本当に子供のようで。
 少し忘れる。
 軍を指揮する際に見せる、必死すぎる彼女の姿を。
 人殺しと戦争を完全に否定していたはずの少女が、人殺しを効率よく行わせる為の軍師の役割を果たす。失った最愛の師の志を胸に抱き、そして才能に溢れた若き軍師の役に立ちたいと、必死になる。
 けれどそれは、シーナにしてみれば、必死に背伸びをして命を削って無理をしているようにしか思えない。
 彼女が敬愛するシュウは、彼女よりも十才近くも年上なのだ。だから、比べることなど出来ないはずだった。比べるなら、彼女と同い年の頃のシュウと比べるべきで、今の彼と比べて、力になれないと嘆く必要はないというのに。
「用がないなら、本当に私、行くから」
 重い資料を必死に抱え直して、アップルが言う。
 チャンスかな、シーナは思った。
「アップル」
「………え?………きゃあ!!」
 突然目の前に赤い物体が飛来してくる。思わずアップルは防衛本能のままに両手で顔を覆った。当然、腕から離れて飛散する資料の山、続いてけたたましい音。
「………あ!!」
 突然飛んできた目の前に飛んできた赤いものが、シーナが投げた林檎だと気付いて、アップルは声を上げる。その隙に、加害者の方は手早く、落ちた資料を拾い上げてしまった。
「というわけで、行こうぜ、アップル」
 返事を待たずに、彼は早足で歩き始める。
「ちょ、ちょっと!シーナ」
 当然慌てるアップルの声に、わざとおどけて、返事をした。
「重たいもんなんて、持ってんじゃねーよ。転んじまったら大変だろ?」
 持ってやろうかなんて、優しい言葉はあえて言わない。
 そんなことを言っても、アップルは否定する事を知っている。
 無意識に、細い両肩に必死に力をいれて、大人であろうとし続けてしまう彼女だから。きっと……甘え方をしらないのだろうから。
 だから、優しさと好意とは気付かせないように、こういう形で手伝うのだ。
(なあ、知ってるか? アップル)
 こんな呟きも、心の中だけ。だからいいだろう。走ってくる彼女が落ち着いてくるまでも短い間に。こんなことを、小さく小さく呟くのも。
「俺は結構、アップルが気に入ってんだけどな」
 言い切ったあたりで、彼女の腕が背に触れた。
 だから一拍の間をおいて、息を整えて。完全に明るいだけの笑顔を作って振り返る。
「どーしたよ、アップル。林檎くわねーの?うまそうだぜ?」
「うまそうって、シーナ。いいって、私、持つから」
「そっか。折角やったってのに、アップルは俺がやった林檎も食えないってのか」
 わざとここで、溜息を吐く。
 真面目なアップルは、きっと焦る。……そして案の定焦った。
「え!そ、そんなことないわ。ちゃんと食べる。うん、貰ったんだもの。ありがとう」
「いえいえ。アップルに林檎でおかしかったから、やっただけさ」
「………シーナ!」
「冗談冗談」
 おどけて笑いながら言うと、ようやくアップルが笑った。
 くすくすと、楽しそうに。年相応の、作っていない彼女らしい笑顔で。
(無理して生きる奴は、見てるだけで辛いんだよな)
 まあ、必死であることを無意識に隠してしまう自分よりは、人間的には余程アップルのほうが素晴らしいのだろうけれど。
(倒れちまったら、それで終わりだ。人間なんて)
 戦いが続いていて。星に導かれるまま、血を流す自分達がいる。
 運よく生き延びた人間が、今回も生き延びれる保証などはなにもない。
 だからこそ、命尽きる時まで。生きていたいと思う。心も生きた状態で。
「アップル」
「なに、シーナ」
「ま、色々は難しいよなー」
 本当に伝えたい言葉はしまっておこう。
 ……無理をしすぎて、心を殺しちまうんじゃねーぞ、と。
 思っているこの気持ちは。
 まだ言えない。言う権利もない。まだ……こんな事を言ってやれるような、信頼関係を結ぶことは出来ていない。だから、黙っている。
 心から、思って……馬鹿みたいに心配もしているというのに。
 恋愛上手のシーナ様にしてみれば、随分と情けない話ではあるけれど。
「え? なに? 色々?」
「難しいんだよ、色々は」
 至極真面目に肯いてみせると、アップルは呆れた顔をした。
 守ってやれる女だったら。守ってやるといいきれるような男だったら。
 楽だったかもしれないけれど、それは出来ない相談だ。
 どうやら、必死に頑張って、両足で立とうとしている奴が、自分は好みのようだと思う。だから多分、アップルのことが気になっているのだろう。
 視線を上げれば。
 入り口近くにシュウの姿があった。
 図書館から資料を持って来てくれと頼んだのはいいものの、もしや重過ぎるのではとアップルのことを懸念して、待っていたのだろうか?
「シュウがライバルってのは、俺、遠慮願いたいよなー」
「???なにを言ってるの?シーナ。なんでシュウ兄さんと、シーナがライバルになれるっていうの?」
「あっさりと、きつい事をいうなぁ。つれないな、アップル。俺だって意外と、やるときゃやるんだぜ?」
「それはそうかも知れないけど」
 不審そうな目。
 まあ、ライバルになったらなった時か、とシーナは思う。
 今のところ、こんなにも大人の仮面をつけないで、アップルが人に接する相手は、自分だけだから。 
「分はあるしな。ま、いーじゃん。楽しいしさ」
「……変なシーナ」
 彼女は、彼の前で笑う。
 そうやって、子供の顔をして。
 それが、彼が今望んでいる、二人の光景だった。


 ちなみに。
「なにを怒ってるんだ、シュウ」
 入り口部分で、無言のオーラを出しながら仁王立ちしているシュウに、外に出ようとしていたビクトールは、呆れていた。
「……俺は怒ってなどいない」
 どこがだよ。
 と内心つっこみを入れるビクトールだったが、後の報復が恐いので苦笑にとどめる。シュウが見やっている先には、楽しそうに喋っている微笑ましい少年少女にしか見えない二人がいて、ビクトールはポンッと手を叩いた。
(嫉妬してるのか、それとも妹を取られる兄の心境なのか。どっちだ?)
 微妙だが、かなり重要な差を考えた時、すぐ後ろから状況を読む術に長けていないフリックがやってきて、いきなり呟いた。
「なんだ、シーナとアップルか。相変わらず仲よさそうだな」
「………!!!フリックーー!!」
「?なんだ、ビクトール」
 それは今は禁句だ!と叫ぶわけにもいかないので、これ以上喋らせない為にも口を押させつけ、そのままビクトールはフリックを引きずるようにして、城の中に駆け込んでいった。
 見送って、シュウはぽつりと呟く。
「あの二人。次回の作戦は、最前線に立たせてやる」
 恐ろしい軍師だ。
 シュウは顔を上げて、歩いている二人に、視線をやる。
 無理をさせるのを止めさせられず、笑顔を忘れてしまった、大切な妹のような少女と、なぜか異様に腹の立つ少年とを。
「……まあ、いいか」
 自分が出ていけば。
 きっとアップルは、すぐに大人の顔をしようとして、笑顔を消すだろうから。
 今日のところは、退散しようとシュウは思う。
「……今日だけだがな」 
 などと恐い言葉を一つ残して。