想いが閉ざされる夜

 こんなにも後味の悪すぎる戦いを、今までに経験したことのある人間は少なかっただろう。
 馴染んだ剣を握り締め、その戦いに直接参加した青年…元マチルダ騎士団、青騎士団長のマイクロトフもそうだった。
 追いつめられて、必死になっているだけの時には気付けなかったのだ。自分達が成していることの、あまりの残虐さを。我に返って初めて、無惨すぎる光景を認識する。
 手には染み込んだ鮮血の色。狂乱を巻き起こし、心を惑わせたその色。
 ルカ=ブライトは倒すべき敵だった。それは誰も否定しない。やらなくては、やられていた。それも事実。
 彼は侵略者で、滅びを望む煉獄に世界を突き落とす張本人だったのだ。彼がどうして、鮮血が見せる虚像の中に埋没していったのか、その理由と哀しみを誰も知らないけれど。滅ぼされ、殺された人々のあまりの多さが、無条件で彼を忌むべき敵とする。
(――だが……これは、これでは…まるで)
 罠をしかけ、守ろうとする人々を矢で射殺し、王族に対する態度を取らず、ただ殺す為だけに追いつめた。
(虐殺だ…)
 吐き気がした。
 あまりに濃い血の臭いにも関わらず、戦闘に直接参加しなかった者たちはルカを倒したことを喜んでいる。
 自分達はたんに、敵が揃えてくれたお膳立て通りに動いただけなのに。新たなる敵が台頭する手伝いをしたというのに
(しかも……なんで、放置したままにする? 戦で…人が、死ぬのは…仕方ないだろう。だが、それを…放置してはいけないはずだ。敵の……皇子である人間を、無惨に放置したままにするなどと…)
 立ち込める血の匂いにむせそうになりながら、彼は、ふらりと歩き出していた。
 なにか特定の行動をなそうとしたわけではない。だが、このまま立ち尽くしているわけにはいかない気がした。なにかを……しなくてはならないと、無性に思ったのだ。
 今後の策を考えているのだろう軍師の横を通りすぎ、まだ少年の指導者とその義姉のナナミの側も通りすぎる。
 戦いに参加せず、ただ無邪気に勝利を喜んでいる人々が向けてくる不審そうな視線が、集まってくる。
「どうした、マイクロトフ?」
 当たり前のように引き止める声がした。多分自分の声以上に聞き慣れている、耳に一番心地よい親友の声。
 言外に、落ち着けといってくれる……親友の。
 少し、吐き気がおさまる。
「………カミューは、この光景を……なんとも思わないか?」
 聞いてみたのは、安心感があるからかもしれない。
 常に共に生きてきたこの親友ならば、同じ感慨を抱いているはずだと、無意識に信じることが出来たから。
「思わない……といえば、嘘になるな」
 苦いなにかを感じさせる返事に、彼は初めて振り向いた。
 秀麗な顔立ちの親友は、珍しく苛立ちげな表情で、正軍師であるシュウを見やっている。
「劣勢であった我々としては、仕方なかった策ではあったろう。だが……この状況を続けさせるのは、どうもな…」
 ゆっくりとカミューはいうと、視線を、いまだ倒れたままのルカ・ブライトにやった。
 狂皇子と呼ばれ、都市同盟各市を恐怖に突き落とした、男に。
 シュウは表情をうかがわせないまま、なにかを指示している。途中、指導者である少年と、ナナミの肩に手を置いて、下がった方がいいと言っているようだった。
「まあ、軍師殿は。リーダーの方をより心配しているようだから。そこまで、気が回らないのだろう。内心、悔しくてならない上に……今後の不安もかなりあるだろう」
「悔しい?」
 カミューの言葉が指す意味が分からず、言葉を鸚鵡返しにする。少し、カミューが笑った。
「今回の作戦の成功は、偶然がもたらしたようなものだろう? マイクロトフ。敵の軍師であり、自分を破門にした男、マッシュの叔父、レオン・シルバーバーグ。その男の手の上で踊らされた自覚は、シュウ殿には痛いほどあるのさ。だからこそ……今後の対策のことで頭がいっぱいになっている。普段なら……ルカ殿の遺骸を、あのまま放置するなどということ、するわけがないだろうがな」
「今後……か。……難しいな、軍師というのは。俺には……今、目の前で起きる事実に、全力を尽くすという意思しかないからな」
「……マイクロトフ、そこがお前のいい所だと思うぞ。世間がすべて、先のことばかり考えている人間ばかりでは、生きていくだけで大変なことになってしまう」
「……気のせいかな、カミュー。単純馬鹿といわれたような気がした」
「誉めているんだよ、私は」
 軽くマイクロトフの肩を二度ばかり叩いて、カミューは一歩、足を踏み出す。そして、彼らと同じ表情をした人々を見つけた。
「ああ、彼らも同じ意見らしいぞ。マイクロトフ」
「同じ……?」
 カミューの言葉につられて、マイクロトフも顔を上げる。
 三つに別れた攻撃班の指揮を任され、最後までルカと対峙しつづけたビクトールとフリックが、どこか苦々しげな表情で、喋っていた。
 彼らもまた、気付いたのだろう。この戦いの、残虐性に。
「………戦っているときは、なにも感じなかった。それが…少し、恐いな。これが…血に、酔ったということなのだろうか」
 マイクロトフが呟くと、カミューが癖らしく髪をかきあげながら肯く。
「そうかもしれないな。こうやって、血に酔った現実から目が覚めることが出来るうちはいいかもしれないが。次第に……血になれすぎて、戻れなくなることも、あるかもしれないな。そうなったら……おそらく、ルカのようになる。孤独で、乾くことのない、焦燥感に囚われ続けることになるだろうさ」
「………俺達は、ならないさ」
 いきなり、マイクロトフが言いきる。カミューが驚いて、首をかしげた。
「なぜだ? 保証はないはずだよ」
「ルカは……一人だった。俺達は一人じゃない。だから…大丈夫だ」
 単純すぎる解答に、呆気に取られる。
 それから場違いかもしれないが笑い出して、カミューは降参とでもいうように手を挙げた。
「そうだな。大丈夫である可能性は、あるかもしれないな」
 答えながら、別のことも思う。
 止めることが出来るうちはいい。だが、ルカとて、一人であったわけがないのだ。彼を愛し、そしてルカが愛し守りたかった者もいただろう。にも関わらず、彼は滅びの夢に囚われた。――ならば、二人いても抑制にはならないのだ。事実、滅びの夢ではないにしろ、親友同志でありながら、ジョウイは親友である少年と、袂を分けた。
(……もし、そんな状態に陥ったら。私はどうするかな)
 止める為に必死になるのか。
 それとも諦めて、同じ道を進むのか。
 少なくとも。殺しあう道だけは取るつもりはないのだが……。
(辛いな。我が軍のリーダー殿も)
 ふう、と溜息を吐くと、マイクロトフが心配そうな表情になる。
「ああ、なんでもないよ。とにかくだ。あのままにしておくのは忍びないからな。せめて…」
 呟きざま、カミューは一歩踏み出す。
 とにかくルカが、むき出しで晒された状態であり続けるのは許せなかった。片マントゆえに布地が足りないことは分かっていたが、留め金を指で弾く。
 僅かな音ともに、マントはゆうるりと空を舞った。
 カミューと同じく、布地が足りるわけがないと悟ったマイクロトフは、僅かに目を見張る。運悪く彼が羽織る青騎士団長の軍装にはマントは付いていない。ならばせめてと上着を脱ごうとした時、横手で喋っていたフリックが、それに気付いて近づいてきた。
「………立派な正装のものじゃなくって、悪いんだけどな」
 どこか自嘲気味に彼は小さく言うと、足元近くまで普段は覆っている青い外套を外して、カミューのマントでは覆うことが出来なかった身体部分に、ゆったりとそれを、かけた。
 ビクトールが歩いて来て、肩を竦めてみせる。
「……あんまり、気にするもんじゃないからな。お前ら。一々気にしていたら、叩けなくなるぞ。気持ちは…まあ、分かるんだけどよ」
 言い含めるような声は、多分、彼自身をも説得する言葉なのだろう。
 後味がいいわけがないのだ。こんな……虐殺がやりたくて、集まってきた人間たちではない。崩壊する都市同盟を、苦しむ人々を、助けたくて必死になっている、者たちなのだから。
「……分かってるさ。俺達より、リーダーの方が辛いはずなんだからな」
 フリックは短く言うと、後は黙り込んだ。
 激情に囚われるかと思うと、すぐに言葉を失ってしまう有り様は、どこか子供じみていて、カニューは僅かに笑う。おそらく。マイクロトフも同じように、苦虫を噛み締めたような顔で黙り込んでいるはずだろう、と思ったのだ。
 まあ、それは想像というよりも事実なのだが。
 憮然としたままのマイクロトフとフリックの二人を見やって、期せずして同時にビクトールとカミューが苦笑していると、ようやくリーダーとナナミを安全な場所まで送ってきたシュウが戻ってくる。
 彼はすぐに状況の変化に気付いて、僅かに、肩を竦めた。
「悪かったな。俺がすぐに指示しなくてはならないところだった。すぐに棺を用意させ、丁重に、ハイランド王国にルカ殿の遺体は送り届ける必要がある」
「……礼は尽くす、という事か?」
 鋭くマイクロトフが言うと、シュウは、皮肉げな表情のまま肯く。
「当然だ。俺は随分と、礼儀のない冷酷な軍師だと思われているらしい。今回の作戦に、不満があるのだろうが。他に取る手段はなかった。ならば、機会を逃すわけにはいかない」
「……誰も、貴方を責めているわけではありませんよ、軍師殿」
 更に言葉をつのらせようとするシュウを、やんわりとカミューがとめる。
「貴方自身も、後味の悪い想いをしていることくらい、私とて分かっているつもりです。そう……我々にはこの手段しか残っていなかった。それが事実だ。だからやった。誰も……責めてなどはいない。軍師の策に従うと決めた時から、責める権利など誰も持ちはしない」
 続けて言うと、カミューは親友の肩を軽く叩いた。その意味を汲んで、歩き出したマイクロトフと肩を並べながら、
「軍師殿が、後味の悪い想いをしてくださっていて、良かったですよ」
 もう一度、シュウに言葉をなげて、立ち去っていく。
「……一言多いな」
 きっぱりと言い捨てると、シュウは腕を組む。
 ビクトールは笑いながら、「ま、それが元赤騎士団長殿らしいって事なんじゃないか?」と言って、フリックと共に立ち去っていった。
 後に残ったのは、シュウと…そして、彼の策とは呼びたくない罠によって滅ぼされた、ルカ一人。
「………それでも私は。我が軍のリーダーを、危険な目に合わせるわけにはいかなかった。卑怯者とさげすまれようと、一向に構わないのでね」
 呟くと、シュウはルカの遺体を丁重にハイランドまで送り届けられるように指示を下す。
「礼を取る、という意味もあるが。……高い授業料を払った、という意味もあるのだ。あの男の策に、こちらは便乗したのだからな。ハイランドは…ルカが生死不明では困るはずだ。ならば授業料として、正式にルカ・ブライトが戦死したと報じれる材料は譲ってやるさ。王位継承権が移ったことを、誰の目にも顕かにさせるための…な」
 呟きながら、決意を心の中でまとめる。(こんな屈辱は一度きりだ。次こそは、レオン・シルバーバーグの策を打ち破ってみせる。我が軍のリーダーに、汚名を背負わせるわけにはいかない)
 それは――ルカを倒したことで、平和が訪れるとは全くシュウが考えていないということを、意味していた……。


「カミュー。よりはげしい、戦いになるのかもしれないな」
 ぽつりとマイクロトフがカミューに言ったのは、ハイランドからの使者が、和平案の為に訪れてから、のことだった。
「なんでそう思う? マイクロトフ」
「……いや。あの、使者…クルガンとかいう男の目つきは。戦いをやめようと思っている人間の目では…なかったような気がする。もっと…そうだな、自信に満ちているような」
「………同感だよ。マイクロトフ。おそらく私たちは、彼らともう一度、戦う事になるのだろうさ」
 そしておそらく。この和平案が破棄に終わったその瞬間から。
 単なる侵略者に抵抗していた、という形ではない、国と国との激しい戦いが始まるのだろうと……二人は思っていた。
 都市同盟に反抗する人々の目指す先の形は…まだ、見えない。