結果そして代償

 見上げてみれば随分と暗い。
 夜ではないが、日差しを遮られてしまえば、夜と同じ意味を持つのかもしれないと。
 薄闇の中歩きながらふと思った。


「マイクロトフ、一体何をしているんだ?」
 声をかけられてマイクロトフが顔を上げれば、呆れた親友の顔がそこにあった。
 ハイランドとの戦いにおいて、都市同盟を立て直す希望の場所ともなった反ハイランド王国軍の本拠となる城の、片隅で。
「いや、特別なにかしようと思ったわけじゃないんだ」
 慌てて答えて背筋を伸ばす。歯切れ悪い答えになってしまったのは、時折巨大なタコ(しかも108星の一人だ)が泳ぐ池のほとりに、本当にただ座り込んでいただけだったからだった。
 理由もなくただ呆とときを過していたことを見つけられると、途端に悪いことをしていたような気持ちになってしまうのは、マイクロトフの生来に生真面目さがさせるものなのだろう。
「おいおい、マイクロトフ。わたしは別に、ニューリーフ学園の教師ではないぞ? 大きな図体で座り込んでいるから、一体どうしたのかと思っただけだよ」
 咎めてるわけじゃないさ、と言外に匂わせて、マイクロトフの親友――カミューは僅かに笑う。
「まあ、そうなんだが。どうも、何もしてないことを指摘されるとな」
「わたしは信用ないのかな」
 少々意地の悪い言葉を返してさらに笑いを深めたカミューに、マイクロトフは慌てて首を振った。
「いや、そうじゃないんだ。単なる俺の性格だ。気を悪くしたなら謝るよ」
「謝る必要なんてないよ、マイクロトフ。謝るならわたしのほうだ。それより、剣はどうした?」
 つい生真面目な親友をからかってしまう自分に苦笑を覚えながらも、カミューは視線を落として疑問を口にする。
 常ならば、必ず帯刀しているはずの親友が。今に限って丸腰なのだ。
「……あ、ああ。ちょっと…そうだ、鍛冶屋に預けてあるんだ!
 妙に威張ってマイクロトフが胸を張る。カミューはあきれて、ぽかんと口を開けた。
「マイクロトフ。その言い方じゃあ、狼狽してます、疑ってくださいと言っているようなものだぞ? まったくその性格で、よく騎士団長が勤まっていたな」 
 流石に呆れて親友の狼狽ぶりを指摘してから、カミューは彼の肩を軽く叩き、
「それに。今、らしくもなく帯刀していたくない気持ちになったのは、お前だけじゃないしな」
 苦く言って、カミューは眼差しを上げる。
 遠く。今は遠くはなれ、袂を分かち。
 そして滅ぼしてきた――マチルダ騎士団領を。
 眼差しの中に潜む苦い影に、マイクロトフは顔を上げ、ようやく親友も自分と同じように、やるせない気持ちでいることに気付く。
「カミュー……俺達は……」
 なにかはけ口を求めるように口を開いたが、結局言葉にはなりきれず、声は途中で途切れた。
「そうだよ、マイクロトフ。私たちは、エムブレムを捨てたあの時から。反逆者となり裏切り者ともなり、そして卑怯な仲間殺しにもなったんだ」
 途切れたマイクロトフの声が、何を訴えたかったのかを理解してのけて、カミューは酷薄に言い切り、端正な容姿にはっきりとした冷笑を刻みこませる。
 しばらく親友の顔を見詰めてから、マイクロトフは深く溜息を落とした。
「ああ。分かってる。――剣を持っていたくないのは、感傷だとも分かってる。あの剣で、俺達はかつての仲間を殺した。でもな、カミュー。おれは!!」
 認めざるを得ない感傷を、さらけだしてマイクロトフは拳を握り締め、何かを言おうとして僅かに震える。
 けれど彼の口から言葉が続くことはなかったので、カミューは肩を竦めた。
「せめて団長を自分達の手で殺したかった、だろう?」
「……!?カミュー!!」
「言って悪い言葉ではないはずだ、マイクロトフ。団長は、確かに卑劣な人間となりはてた。それでも、かつては……あれで、充分団長に相応しい人間だったはずだ。違うか?マイクロトフ。それでも私たちは!」
「……言うな!!!!」
 仲間に怒鳴りつけたことなど一度としてなかったマイクロトフが、まるで悲鳴のように叫ぶ。が、叫んだ自分自身にこそ驚いたように、元青騎士団長である男は目をみはった。
「……禁忌だとでもいうのか? マイクロトフ。この言葉が」
 怒鳴られて臆する様子もなく、逆に冷めた声音でカミューが囁く。
「そんな禁忌などあるわけがない。悲しみの価値を誰が決めることが出来る? なぜ今。この城の中で。全ての兵が、集う108星が、生きる全ての人間が。ナナミ殿の死だけを哀しんでいなくてはならない?」
 ――零れ出てしまった言葉。
 ロックアックス攻防戦後。マチルダ騎士団領は事実上崩壊した。
 不可思議で悲しすぎる撤退をとげたハイランド軍の後に入場した人々は、少女が命を落とした事実を知って、暗く、重く、悲しみに落ち沈んでいる。
 だからこそ。今、彼女の死だけを哀しんでなければならない雰囲気が城内には確かにあった。
「……私とて、悲しいさ。マイクロトフ。あんな少女が死なねばならない理由はなかった。だが……死なねばならない理由を持つ人間など、誰もいないのが真実だ。ならば今。それぞれが、それぞれに重い悲しみを感じて当然だろう? クラウス殿は、なによりも父親の死を哀しんでいることを隠している。シュウ軍師は、正攻法で常に勝利を収めたいというのに、結局味方を犠牲にするなどという下策でなければハイランドのレオンに対抗できない現実に、喚き出したいほどに哀しんでいるだろう。傲慢なまでに身近にいる者の命を守りたいと欲する傭兵崩れの二人ならば、守れなかった事実にこそ泣いているのだろうさ。そして我々は……」
 余りに珍しく。
 常に冷静であるカミューの激する言葉に、マイクロトフはやるせなくなって、首を振る。
「もういいよ、カミュー。俺が悪かったんだ。――認めてる。そうさ、認めてる。俺達は今、マチルダ騎士団が滅んだことをこそ、一番哀しんでいるんだ」
 ナナミの死が悲しいのは事実で当たり前だ。
 けれど人間であるのだから。最も身近に感じる悲劇こそに、最大の比重をおいて哀しむのが。
 ――当然ではないだろうか?
 マチルダ騎士団が滅びた。
 誇りたかく、都市同盟を守ることを目的に作られた、歴史深い戦闘集団。
 守りたいと願った。都市を守る象徴である騎士団に憧れを持った。それが事実なのだから。
 心が示す道標のままに殉じた道だとしても。裏切ってしまった組織に対してでも。
 かつての同胞をふくむ組織を滅ぼすことを、哀しまない人間がいるだろうか?
 悲しいのは。そう――当たり前なのだ。
 悲痛な面持ちで、激しい言葉を肯定したマイクロトフを見やり、反省するようにカミューは息を落とす。
「いや、今のはわたしが悪かった。単なる八つ当たりだったな……」
「八つ当たりなら、カミュー。お互い様だ」
「……まあな。そうかもしれない」
 お互い同時に苦笑して、最初にマイクロトフがしていたように、今度は二人池のほとりに腰を落とす。
 曇り空の夕方は急速に夜へと駆け足をして。星も月も見えない闇が、おちかかってくるようだった。
「昔は確かに、わたしは、ゴルドー団長は立派な方だったと思っていたよ」
 親に怒られ家を飛び出した子供たちが、泣くのをこらえて話しているような風情に二人はなっている。
 ――これは言葉をどう繕うとも。禁忌そのものだ。
 分かっているから、小声になる。なんとなく座って縮こまってしまう。
 ナナミの死に悲嘆にくれる城の中で。
 確かに少女の死を痛み、年若いリーダーがおってしまっただろう哀しみの重さを懸念しながら。
 同時に、加害者であるはずのゴルドーとマチルダ騎士団の滅亡を哀しむのは。
 ――禁忌で、裏切り行為だと分かっているけれど。
「別に地位でもなんでもなく、実力だけで騎士団長を決めていたんだよな。そういえば」
 青騎士団と赤騎士団。マチルダ騎士団を支える両翼とも言える地位を、子飼いの騎士や御しやすい貴族の子弟にくれてやることはせずに。最も実力を備えていた者を正確に判断し、配置していったかつての団長を。
 思い出すような眼差しで、マイクロトフは呟く。
 ――それでも悲しいと思う。
「親友同志の団長など。扱いにくくて、統率するほうからみれば、嫌だったろうと思ったものだよ」
 珍しく泣き笑いの子供のような顔になって、カミューも呟く。
 これは多分通夜なのだ。
 裏切り切り伏せた自分達が。こうして、思い出話をしながら、マチルダ騎士団の通夜をしている。
 ――悲しみは、克服しなければいけない。
   自分達は、裏切り者なのだから。
「人は、変わってしまう。あれだけ有能で、マチルダ騎士団の利益を考えていた方が。何時の間にか、保身を考え堕落していった。それが――今を生み出した原因だからな」
「……カミュー。俺は…」
「ん?」
「この戦いが終わったら。マチルダ騎士団を再興してみせる。あの誇り高かった、俺達の心の拠り所だった、あのマチルダを。もう一度、手に入れてみせる。必ず」
「………そうだな。……それが、わたしたちには似合いの供養方法かもしれないな」
 もう一度顔を上げる。
 視界に遠く、滅びを迎えたマチルダ騎士団が見えるわけもなかったけれども。
 

 それぞれに、それぞれの悲しみの形がある。
 代償を支払って夢をみている。
 伸ばした手の先に、望むものがあったとしても。――代償として奪われる大切な何かがあるから、残るものが増えることはないのだ。
 マチルダ騎士団はその後。
 命懸けでハイランドを守ろうとする人々の悲しい戦いに苦い勝利を収めた都市同盟側の勝利に終わった後。
 ――--二人の元騎士団長によって、再興された。
 裏切り者であるのだからと。
 彼らは団長の地位に就くこともなく、マチルダに留まることもしなかったが。
 己が選んだ道の責任を、悲しみと苦しみを放棄せずに背負い果たした。
 その誇り高い心だけが。そこに――留まる。