子供の夢と現実と

「子供には夢をみる権利が有るし。それを守る義務が大人には有るものだ」
 そういって、年齢のわりに落ち着きすぎ、穏やかすぎの師はよく笑っていた。
 足元に縋り寄ってくる子供たちの頭を撫でている時が、一番幸せそうだった師。
 ――夢をみる権利。守るべき義務。
 一体それはなんだろうか。
 人ならば、だれでも夢をみる権利は有るだろう。己でみた夢は己で始末をつけ守る義務があるだろう。
 子供だ、というだけで。何故に”守ってやらねば”ならなくなる?
「私には分かりませんよ。マッシュ先生」
「分からないか」
「全く」
 不満はありありと声に出てしまっていた。
 これではまるで師の性格を利用して、自分が愚痴をこぼしているような錯覚を覚えて、直弟子であるシュウは腕をくんで黙り込む。
 ひとたび軍を動かせば、どのような弱兵の寄せ集めの軍であろうとも、必ず勝利をもたらす鬼才の軍師は、今はただ穏やかに、潔癖症の気がありすぎる秀麗な弟子の顔をみやる。一口、手にした茶を口ににしながら。
「マッシュ先生、お茶、へんじゃないですか?」
 ひょっこりと顔を覗かせたのは、保護者となるべき人間の全てを戦争で失ってしまった少女だった。
 まだまだ子供扱いされて当然の年頃なのだが、本人は自分がマッシュの世話をしなければ、この先生はきっと本を読みながら餓死してしまうだろうと思っているらしい。微笑ましいが取り用に寄れば生意気にも取られる口の利き方を、よくした。
「ああ、美味しいよ。ありがとう、アップル」
「よかった。今日は、マッシュ先生の好きなお茶がなくって、別のお茶をつかったの。……あ!シュウ兄さん!いつこちらに来ていたの?」
 洗濯物が大量にはいった籠を両手にもち、とりあえず様子だけ見ようと顔だけ覗かせたアップルは、途端に笑顔になって部屋に入ってくる。
 マッシュと対するたびに、人間としての性格の問題にまで発展するほどの意見の相違を見せ、かならず論争じみたことになるシュウだったが、この少女には意外に甘かった。珍しいまでの笑顔をみせて、とりえあずその洗濯物を下におけばいい、と声をかける。
「今日は泊っていけるの? シュウ兄さん」
 律義にいわれた通りに洗濯物のはいった籠を下において、期待に目を輝かせてアップルが尋ねる。
 本当はとんぼ返りするつもりでいたシュウは、断ろうとして……言葉に詰まった。
「子供の夢は守らねばならない。責任というよりも、そうしたくなる本能、と言ったほうがいいのかもしれないな」
 独り言に見せかけてのマッシュの呟きが、完全に自分に対する皮肉だと分かったので、シュウは勢い良く振り向いて師を睨み付けた。
「身近にいる者ならば、守りたいとも思いますが。私は、子供だからと言ってなにをしても許される、とは想いたくない。子供でも、夢をみれるだけの環境を与えてくるものには感謝するべきだし、勝手な言動で周囲を傷つけるのは罪悪だっ!」
 なぜか最後は声が大きくなってしまう。マッシュは呆気に取られた顔をして――また茶を飲んだ。
 精神安定剤のかわりじゃあるまいし、とシュウが一瞬思ったのも仕方ないかもしれない。
「………私……マッシュ先生に、感謝してるよ…。だって、本当は行き場所なんてなかったはずだったんだもの……」
 いきなり聞こえてきた傷ついた声。
 拳まで握り締めた力説に入ろうとしていたシュウは、はっと気付いて振り向いて、思い切り後悔した。
 しょんぼりと両肩を落として、大きな瞳に零れてきそうな涙をこらえていたのは、アップルだったのだ。
「い、いや。アップルのことじゃないんだ。違う、違うから、泣かないでくれ。アップル」
 慌てて取り繕うとするが、シュウの焦っている態度に、本当は自分が悪いのに泣き出しそうな子供には弱くて、意見を撤回したのだと悲しいまでの賢さで思ってしまったアップルは、さらに俯いてしまう。
「アップル、こっちにおいで」
 助け船のようにマッシュが手で招けば、耐えられないように泣き出して、アップルはマッシュに飛びついた。
「シュウ。軍師を目指すものは、人の心の機微には聡くなければならない。そうでない人間が立てる策は、敵軍にだけではなく、自軍にまで冷たいものとなり。誰にも信用されぬ軍師と成り果てる」
「し、信用など。最初から望んでなどいない!」
「シュウ。お前はなにを勘違いしている? 軍師に出来ることは、軍を動かし策を練り、属する組織を勝利に導くことだけだ。軍師には、属する組織を作ることはできん。だからこそ、戦乱の世を終わらることに最大の目的を持つ叔父であっても、叔父自ら指導者になってみせることはしないのだから」
「……私は指導者などという面倒なことは、ごめんです」
「ならば指導者となるべき人物の信頼は勝ち取れるようにならなければな。必要ないさかしい言葉の羅列で、身近な存在であるアップルまで泣かせてどうする? それで本当に軍師になれるか? 一度考え直したほうがいい」
 優しく、けれどその実かなり冷たい言葉を弟子になげて。
 マッシュはまだ泣いているアップルを抱きかかえたまま、奥に消えた。
 ――事実上の破門宣言であったのだ。
 シュウが気付いたのは、翌日のことだった。

 
 何かが肩に掛かった感触に、初めて己がうたた寝をしていた事をしる。
 重い瞼は疲れている証拠だったが、眠っていた、と認識した瞬間にせねばならぬことの山を思い出して、若い黒髪の軍師――シュウは無理矢理目を抉じ開けていた。
 驚いたように誰かが振り向く気配がしたので、肩に触れた感触が、風邪を引かないようにと掛けられた毛布の温もりであったことに気付く。
「……アップル…か…」
 出した声は、自分の耳にさえやけに眠たげに聞こえて、シュウは苦虫を潰したような表情になった。
 夢の中でもそうだったが、間が悪いというか運が悪いというのか、アップルはシュウの不機嫌そうな声やら表情やらに遭遇する確立がかなり高い。
 今回も毛布をかけたことで、逆に少ない休息を邪魔されて怒っていると少女はとったらしく、慌てて彼女は頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!!シュウ兄さんが風邪を引いてしまうんじゃないか、と思って!」
「なぜそこで焦る、アップル。別に怒ってなどいないさ」
「でも……」
「……俺の顔はそんなに怖いのか? それともそんなに普段の行いが悪いのか? まったく」
「ごめんなさい」
 しゅん、とアップルはうな垂れてしまう。
 その姿に、先程までみていた夢の内容を思い出して、慌てたようなシュウは手を振った。
「アップル。そこは俺が謝るところだ。だがな、慣れてくれ。俺はどうもこういう態度しか取れん」
「……シュウ兄さん?」
「夢の中で、妹だと思ってるにもかかわらず、アップルを泣かせてきたばかりだったのにな。起きてみて、すぐに俺は同じ事をしている。まったく、俺は確かに性格の問題で破門されただけはある」
「シュウ兄さんったら、いきなりなにを言い出すの」
 やっと笑った顔をみせたアップルに、シュウは僅かに肯いた。
 ――子供の夢は守るべきで。大人はそれを守る義務がある。
 なぜに突然そんなことを思い出したのだろうと考えながら、シュウは皮肉げに僅かに笑った。アップルが不思議そうに首をかしげる。
(くだらない。今ごろ感傷にひたったのか、俺は)
 都市同盟側からみて。唯一希望をつなぐ場所であるこの本拠地は、常ならば活気と笑顔に満ちていることがおおい。それを僅かに奪った出来事が、指導者である少年の姉――ナナミの死であった。
 彼女が本当は死んだのではないことを、医師であるホウアンの他に唯一知るシュウは、「貸してあげる」とナナミが口にし、いつかは自分の元に弟と…そして敵対する立場となったジョウイ・アトレイドも戻ってくると祈るように確信じつづける、傲慢なまでの純粋さに、怒りを感じたほどだった。
(子供はいつだって、自分の範囲にあるものだけを守ろうとするものだよ。それがどれほど、周囲の大人からみれば、我が侭にしかみえなくとも)
 人間の感情からいえば、それは正しい行為であったかもしれない。けれど軍という大きな組織からみれば、我が侭で傲慢でしかない行為でもある。
 士気は如実に下がり、最も懸念すべきは指導者である少年の傷心ぶりだった。
 ――戦わなければならないはずだ、と思う。
 自分は別に、軍師をやってやるから指導者になれと、無理に薦めた覚えはない。
 本来この戦いに興味はなかったのだ。
 確かに今回の侵攻は、都市同盟側の人間からみれば許されない残虐な行為に見えたことだろう。けれど長い戦いの歴史からみれば、あまり抗議出来る立場でもないのだ。
 最近の出来事にも、両国の和平を保つために都市同盟を訪れたハイランド皇王アガレス・ブライトの一行を襲い、野蛮な行為を働いた事実は記憶に新しい。
 ――国同志の戦いなど。
 どちらかを一方的に責めることなど、出来もしないのだ。
 逆に傍観している立場からいわせてみれば、ルカ・ブライトの強烈な個性によって、統一王国の形成がなりたつのならば、それでもいいのではと、思っていたほどだ。
 けれど結局は、情にほだされるように、反ハイランド同盟軍に味方することになった。――ゆえに引き受けた以上は、勝利に導こうと決意していたのだ。例えどんな屈辱を呑むことになったとしても。
 事実。越えられない壁を見せつけられるように、策のことごとくをレオン・シルバーバーグに打破された。王道を進むには相応しくない奇策の数々を行使することを余儀なくされた。敵方の王者を廃するのに、尤も唾棄すべき手段もつ買った。最後には……味方を人身御供のように扱う作戦を立てるまで追いつめられたのだ。
 最低限の誇りを守る為に。己が立てる策の数々を悔しく悲しく思っている事実を周囲に気取られるようなことは一切してこなかったけれども。
 キバの軍が砦にて全滅の報を受けた時には、流石に手が震えた。
 そうやって、誰もが傷を受け入れ受けとめながら戦っているはずだった。信じる未来と望んだ希望の為に代償を支払っているのだと思っていた。
 当然だろう。夢をみたのは個人の責任なのだから。それがいやなら勝手に逃げて、どこかで野垂れ死にすればいい。いやなら果たすべき責任はきちんと背負うべきだ。
 そう、シュウは思う。
 苛烈すぎるほどの彼の意見を、師のマッシュは潔癖症過ぎだと、一笑した。
 誰もが責任が取れるだけの事を行うのならば、後悔などという言葉は生まれないし。誰もが現状で満足できるならば、戦いも起きることはないのだと。
 ――師の言葉は正しい。
 だが、認めたくなかった。責任も取れない者が、夢をみるなと言いたかった。
「……アップルとクラウスは年が近かったな、そういえば」
 唐突にシュウが呟くと、丁度決済の必要な書類を持って入って来ていたクラウスが、驚いた表情を浮かべる。そして副軍師である二人は顔を見合わせた。
「ええ。それがなにか?」
 あくまで人当たりのよいクラウスは、父を失った後でも、失う原因ともなった作戦を打ち立てたシュウに対して文句一ついうことはなかった。逆に気を遣い、休めといえば、
 ――誇りを持ったまま父は逝ったのです。誰を恨むつもりも有りません。どうしても誰かを恨めというのならば、父を失わないですむ策を立てることの出来なかった。自分自身を恨みます。
 と、静かに言いきって、毅然とクラウスは首を振ったのだ。
 いかに味方の損害を少なく、敵の損害を多くするかを生業とする者に相応しい、強さと覚悟で。悲しい現実の原因を、他人に押し付けたりはしない。
「ナナミさんの事を、気にしておいでですか?」
 クラウスが、なんと言ったのかを理解して、思わず慌てて顔を上げた。
「なにを言っているんだ? 俺は干渉にひたるほど暇ではないぞ」
「でも、シュウ兄さんは結構子供好きだから」
 いきなり口を挟んで来たと思えば、アップルまでもがそんな事を言う。
「……お前達な。第一、ナナミとて、お前達とそう年齢はかわらん。せいぜい、三つやそこらだ」
 口にして、改めてナナミの精神面での偏った幼い部分を認識する。
 大丈夫だよ、と口癖のようにいっていた少女。ただただひたすら、切ないまでの母性に似た愛情を、裏切られても裏切られても、ジョウイに向け、そして戦いに身を置く弟に向けていた――強い娘。
 ――逃げようと。
 戦いが始まり、当事者となっていたにも関わらず。
 簡単に全てを切り捨てる言葉を口に出来た少女。
(子供は、守りたい狭い世界の中でこそ、輝くことが出来るのだから)
 ――けれど、それを守る為に誰を傷つけてもいいというのか?
 堂々巡りをする思考。
「シュウ軍師、今日の仕事は私がアップルさんと一緒にやっておきますよ。少し、休まれたほうがいいです。あまり根を詰めすぎても、身体によくありません」
「そうね。私たちのほうが若いんだから、たまには、任せてやんでくれたほうが嬉しいもの」
 口々に言って、こなすべき仕事の数々を勝手に二人は奪っていく。知らない間に副軍師の二人は見事なコンビを組むようになっていたようだ。
「人を勝手に採りより扱いするな。俺は若いんだ」
 抵抗するように一言ぼやくと、一度部屋の外に出された。
 視界にこなすべき仕事が有ると、休むのをすぐに中断しかねないから、片づけておくといわれて。
 静かな眠りの中に落ちた本拠地は。
 常に上の階でうるさく騒いでいた、少女が一人姿を消しただけで、随分と城全体が寂しくなっているような気が、不意にした。
(子供の夢は……)
 幻聴のように、師の言葉が頭の中で繰り返される。
 ナナミのような、まるで子供の純粋さで生きていた子供に、死までも利用させねばならない状態に陥れたのは、自分であったのだろうか。
「自分に出来るからといって、それを他人に押し付けるのは軍師としては失格、か」
 傭兵崩れでありながら、何故か奇妙なまでの真摯さで最悪の状態を乗り切る力ともなってきている二人組が、よく煙草を吸っていた事を思い出して。
 普段は身体は壊すは金はかかるはで意味がない、と一刀両断してきたソレを、吸ってみたいと僅かに思う。体にあたれる効果だとか、そういったものは完全に無視して。
「俺はやはり、性格破綻な軍師なのかもしれんな」
 少年がなにを思い、なにを涙するのかを知っていながら。
 指導者となっていく状況を是として受け入れたのだから、最後まで責任は果たしてもらう、と思ってしまう自分は冷たいのかもしれなかった。
「まあ、危険な状態に晒すのは好まんがな」
 呟いて、手持ち無沙汰に彼は扉が再度開くのを壁に寄りかかりながら待つ。
 ――いつかくればいいとふと思った。
 子供が、夢をみる権利を奪われないですむ時代が。
 それを守る為に、大人が犠牲にならなくてすむ時代が。 
 くればいいと。
 少しだけ願って。彼は眼差しを閉じていた。