不可解の法則

「だから、なんだってこういう事にならなくちゃいけないわけ?」
 腕を組んで、少年は座り込んでいる少女を見下ろす。
「んー? 気持ちよさそうだったから、かなぁ」
 降りてくる声は不機嫌極まりない声なのだが、動じる気配もなく彼女は答えた。
 両手を前に出していきなり伸びをする。
 視界全体を彩るのは、芽吹いた生命の鼓動が美しい大草原だった。
「あー。気持ちいいね」
 目を細めて、少女は笑い出す。
 見渡す限りの草原が広がっていた。
 立っている少年と、座っている少女以外の姿は特に見られなかった。
「一体全体、今回は僕をどこに連れてきたんだ」
「んー、わからないことを説明するのは難しいね」
「また適当に飛んだな」
「あれ? あれれ? どうして失敗じゃないってわかったの?」
 つぶらな瞳を大きく開けて、のけぞるようにして立っている少年を見上げる。音をたてるように彼女の黒髪は肩から零れ落ちた。
「額が全開になってるぞ」
「大人っぽい女って感じ?」
「己の顔を確認してから喋るんだね」
 ついと視線を逸らせて、どこまでも続く草原を見やる。
 広く―― そしてどこまでも平穏な。
「不思議だよね。ちょっとくらいしか離れてないのに、ガラリと変わっちゃうんだから」
「そんなものだろ。今更当たり前のことで感傷に浸ってる暇なんてないんだ」
 いたく冷たくに言い捨てて、少年は不機嫌に沈黙する。
 くすくすと少女は笑い出して、唐突に仰向けに転がった。
 見渡す限りに広がった、翠の変わりの空の青。
「――― なんでお前の行動はそこまで突拍子がないんだ」
「だって、ルック君、怒ってるのに一人では帰らないんだなーって思ったら、楽しくなってきたんもん」
「じゃあ帰ろう」
「あ、ウソウソ。やめて。帰るときは一緒に帰ろう。だから、もうちょっとここに居ようよ。だって気持ちいいし」
「君だけだろ」
「なんでそういう事ばっかりいうかなぁ、ルック君は」
「くん、ってつけるな。なんかガキっぽい」
「だって子供でしょ、私たち」
「大人でもない」
「そうだねぇ」
 微妙な年頃って感じ? と呟いて、少女は寝転んだまま笑った。
「立てよ」
「だって気持ちいいんだもん。ルック君も寝転んでみなよ」
「嫌だね。服が汚れる」
「大丈夫だよ、あとで草を払えばいいから」
「うるさ‥。ーーー!!! ビッキー!」
 いよ、と続けようとした言葉を切って声を荒げる。
 唐突なことばかりしてみせる少女が、いきなりニヤリとほくそ笑んで、少年の足を思い切り強く引っ張ったのだ。
「やっと視界が同じになったね」
 思い切り後ろに倒れた少年ににじりよって、笑う。
「ね、じゃない。人を転ばせるなよ!」
「だってそうでもしないと、ルック君座ってくれないし。ほら、もう草ついちゃったんだから、いいじゃない。座ってようよ」
「この確信犯」
「最強ルック君に誉められちゃうなんて、今日はついてるね、私」
「じゃあ僕は今日は最悪についてないわけだ」
「ついてるついてる。大丈夫」
「何が付いてるんだよ」
 溜息交じりで呟いて、細い指で髪をかきあげる。しっとりと重い黒髪の少女とは対照的な細い髪が、指から流れ出るさまを見やりながら、さらににじり寄る。
「このビッキーちゃんが。憑いてるでしょ」
「霊じゃあるまいし」
 どうもこの少女といると、テンポが崩されてばかりだ。自然溜息を吐く回数も増えて、声を荒げる機会までが増えて、なんだかひどく忙しい。
 ルックが楽しそうにしていると、私はとても嬉しく思うのと、微笑みを浮かべながら言ったのは、本拠地の様子を見に来たレックナートだった。
 冗談じゃない、と思う。唯一尊敬して、大切だと思っているレックナートが命令するから手伝いにきているだけなのだ。―― 楽しいわけがない。
「ルックくーん。デートのときは他の事考えないのよ」
「‥‥誰と誰がデートしてるんだよ」
「私と、ルックくん」
「―――――」
「お、呆れて返事も出来ないって所ね」
「うるさいよ、まったく」
「うん、そうだね」
「分かってやってるわけだ」
「そうだよ」
「なんで?」
「楽しいから」
 にっこりと笑う。
 戦争だということも。
 なにやら時間を超えてしまっていることも。
 108星という不思議な絆が存在していることも。
 つきつめて考えていけば、困惑するだろう。でない答えを求めるのだから当然だ。困惑が続けば悩みもするし、苦しくもなるし、悲しくもなる。
「だからね、分からないことは必要以上に考えない。生きていくのに充分なら、笑ってる。それが一番楽しいから」
「面白い考え方だよな」
「ルック君が考えすぎなんだよ、きっと」
「前にもいったけど」
「なになに?」
「理解不能だよ。おまえなんて」
「私も私も。理解不能だよ、自分自身なんて」
 にっこり笑われて、苦笑した。
 振り回されている自分自身を少年は知っている。
 ―― それでも。
「仕方ない。知らないからな、テレポート待ちの列が出来て、軍師が怒ってても」
「恐くないもん、軍師殿なんて」
「すこしは怖がってやれよ」
「ルック君は? こわい?」
「ふん、恐いわけがない」
「じゃ、おそろい。仲良しだね、私たち」
 一体全体どこが仲が良いんだよと心の中で否定しながら、初めて少年は無理矢理座らせられた草の上で、空を見上げた。
 空。雲をまとい、青いに染められて、流れていく空気の固まり。風の形。
「―― 風は‥」
「ん? なあに、ルック君」
「一体どこに進んでいくんだろうな」
「んーー」
 少年が見上げる場所を、探すように少女も見上げた。
「きっと、行きたい場所にいってるんだよ」
「行きたい場所、ね」
「うん。ねえ、ルックくん。次はお弁当持ってこようね」
「次があるわけないだろ」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと寝込みを襲って、テレポートしちゃえばいいだけだもんっ」
「襲うなっ!」
「えー、いいじゃない」
 少女の声に答えたかのように、突然風が吹いた。
 留まらない。だから帰る場所を持たない風。多分―― 孤独であるはずの、風が。
「‥‥そろそろ帰るぞ。日が暮れる」
「ああ!」
「なんだよ」
「今、ルックくん、帰るぞ、って言ったでしょ。呼びかけたでしょ!」
 指摘されて、少年は思わず目を丸くする。
 確かに今―― 帰るぞと、呼びかけてしまった。
 ‥‥‥まずい‥。
「い、今のは」
「言葉のあやっていっても駄目だからね。よし、一緒に帰ろう。うん、一緒にね!」
 腕を機嫌よくつかんでくる。
 帰ろうと言ってしまった手前、振り払うわけにもいかずに敗北を悟った。
「‥‥本当についてないな、今日は」「
「大丈夫、私がついてる!」
「僕の運気を吸ってるんじゃないだろうな‥」
「吸ってない、吸ってない、多分」
「多分って一体なんだよ‥‥」
 最後にもう一つ溜息をおとして、ルックは戻るべく意識を集中させた。



 当然ながら、ビッキー不在の本拠地ではテレポート希望の人々がむなしく列を作り、ルック不在の為に約束の石版に名を刻んでもらえない新しい仲間たちが、切なげに立ち尽くしていた。