例えばこんな優しさに

 戦いは、毎日のように続いていた。
 元ノースウィンドウの村に作られた反ハイランド皇国軍の主要地である城の会議室では、今日も様々な情報と意見とが交わされ、対策が練られている。
 険しい目付きで地図を指差すシュウ軍師の横では、クラウスとアップルが、真剣な表情そのもので、それを理解しようと首を傾げていた。
「それで、次の作戦では……」
 憂いを感じさせる美しい眼差しを曇らせ、テレーズが言葉を挟む。シュウがそれにすかさず答えようとして、唐突に目をみはった。
「もう、なんの為に頑張っていると思っているんだよ! 馬鹿ぁぁーー!!」
 唐突に。そんな叫び声が響いてきたのだ。
 少女特有の少し高い声。緊張感のないその声に、少しばかりシュウの細い眉が釣り上がる。どうやら軍議を邪魔されて、不快感を覚えたように見えた。
「一体なんの騒ぎだ?」
 不機嫌さを隠そうとしない発言は、類希な頭脳を持つ彼の稚気を表すもので、別に本当に怒っているわけでない。それでもシュウが怒ったのではないかと焦ったのは、輝きの盾の紋章をその身に宿す少年であった。
「いや、多分、テンガアールの声じゃないかと。僕、ちょっと様子を見てくるよ。ナナミも行かない?」
「うん! そうだね、心配だもんね!」
 恐らく少年は、こんなことでテンガアールが怒られるのは可哀相だと思ったのだろう。早口で義姉のナナミに向かって言うと、姉の方も肯いて走り出した。
 迅速にて機敏な少年少女の行動に、シュウは珍しく呆気に取られた表情になって……肩を竦める。
「別に俺は怒ってはいないんだが……」 
 薄く笑いながらシュウがいうと、星辰剣を手にしたクマ…ではなくビクトールが、豪快に笑い出した。
「軍師殿は難しい表情ばっかりするからな! ま、勘違いされてもしょーがねーわな。リーダーがいねーんだ、今日の会議は、これでおしまい、だな」
 少年少女だけではなくて、どうやら彼も長引いている会議に嫌気が差していたらしい。さっさとビクトールは言うと、隣に立っていたフリックの腕を何故か掴んで、退出していった。無論強引に捕まれたフリックが、何か文句を言っているのが聞こえる。
「実際、議論だけが長くなっても、良い結果は出ないと思われます。必要な情報がそろっていないのも現状。軍師殿、よろしければ再度、情報を集め直しますが?」
 無言でそれを見送るシュウを見やって、やんわりとクラウスがとりなす。すると気難しい軍師は片手をあげた。
「だから俺は別に怒っていないし、退出したリーダーとナナミに呆れてもいないし、ビクトールの行動に腹を立てているわけでもないんだ。ただ情報が少ないのは事実だからな、収集の方は頼む。それにしても、俺はどうも人望がないな。誤解ばかりされている」
「シュウ兄さんったら」
 彼の声がすねているようで、アップルが笑った。
「それにしても。先ほどの叫び……原因は、なんだったのでしょうね?」
 メモを取った紙をまとめながらテレーズが静かに言った。


 うら若き十八歳の乙女の歩き方として推奨はとても出来ない大股で、テンガアールは本拠地の石畳の廊下を歩いていた。先ほどから唇が忙しく動いて、知っている限り全ての罵詈雑言を吐き出している。
「なによ、ヒックスの馬鹿! 立派な戦士になって村に帰ろうっていう気持ち、ないっていうの!? もう!」
最後の最後にそう言いきると、テンガアールは今にも泣きそうな顔になって唇をかんだ。悲しくなんてないはずだ、と慌てて胸を染め始めた感情を阻止しようとするが、失敗した。懐かしい戦士の村の光景が、脳裏に鮮やかによぎっては、胸を締め付けてくる。
 寂しかった。
 旅に出ると言って村をでたヒックスに無理矢理ついてきて、すでに三年。故郷が懐かしくないわけがない。
「ヒックス……村に帰りたくないのかな? それとも本当は、ボクのことなんて、なんとも思ってないのかな?」
 ネクロードにさらわれた時、ヒックスが命懸けで助けにきてくれた時は本当に嬉しかったのだ。そして、剣の名前に……堂々と、自分の名前を付けてくれた事も。
ヒックスだって、村に帰りたいと願っていると思っていた。だからこそ、一人で異境の地を旅するのは寂しいと思う。そして、ヒックスが、ひとり寂しい想いをするなんて、絶対に嫌だった。だからついて行った。なのに。
「ボクが一人で思い込んでいただけなのかな? ヒックスは、村に帰りたくないのかな?」
 考え始めると辛くなって、また、唇をかむ。
 そんなテンガアールの様子を、会議場から駆けてきたナナミと少年は、声をかけるタイミングを逸して、見つめていた。
「どうしたんだろうね、テンガアール?」
 少年が小声で言うと、ナナミが大袈裟に首をかしげた。
「うーーん。なんだか悩んでるみたいだけど、いつも元気いっぱいなだけに、心配だね。誰かに相談したほうが良いのかなあ?」
「だったら、フリックさんがいいんじゃない? だって、同郷なんだよね? あの三人って」
「そうだね。それが言いのかもしれない。ねえ、じゃあ、ちょっと相談に行ってきて。お姉ちゃんは、テンガアールに喋り掛けてみるから」
「なんで一緒にいかないの?」
「うーん。寂しい時って、ひとりでいちゃいけないんだよ。一人でいると、嫌なことばっかり考えちゃうから。役に立たなくっても、誰かが側にいた方がいいって思うの。だから、お願いね!」
「分かった!」
 足早に去って行く弟の後ろ姿を見送って、ナナミは、よし、と小さく手を握り締めて呟いた。それから、テンガアールの側へと走る。

 
「だから、僕はどうしたらいいのか分からなくって!」
 いきなりの必死の言葉に、フリックは仰天していた。
 ナナミが弟を送り出す少し前の事である。ビクトールに引っ張られたまま議場を退出したフリックは、少年の面差しを色濃く残したままのヒックスに捕まっていたのだ。
「いきなりどうしたらいいのかって言われても、ヒックス。俺にはいまいち分からないぜ?」
 まだ腕を引っ張っていたビクトールの手を邪険に振り払うと、フリックはヒックスに向き直る。同じ村を故郷にしている為だろう、フリック、ヒックス、テンガアールの三人は仲が良い。
「また、テンガアールを怒らせちゃったんです。というより、今日は、哀しませてしまって。どうしたらいいかって」
「ああ。それで、何を言ったんだよ?」
「怒るかもしれない、って分かってたんです。でも、最近分かってきてしまって。僕には戦士はむいてないんです。でも、そんな事を思っているってテンガアールが知ったら哀しむから、言わないどこうって思ったのに。ばれてしまって」
「なんでまた?」
 興味を覚えたのか、唐突にビクトールが口を挟んできた。フリックは彼を睨んだが、意に介した様子はない。ヒックスは何度か肯きながら、眉をしかめた。
「手紙、書いてたんです。リーダーにだったら、戦士に向いてないんじゃないかって思っていること、相談できるかなって思って。それを、見られちゃったんです」
「それでか…さっきの叫び声は…」
 ぽんっと手をうちながらのフリックの声に、ヒックスは必要以上に大きく肯く事で答えた。
「どうしたらいいでのかって思って!! テンガアールを哀しませたくなんてないんです、僕は! でも、僕が立派な戦士になれなかったら、村には…帰れないんですよね。テンガアールは一人で村には帰らないだろうし……」
「その前に、お前がテンガアールを手放さないんだろ?」
 しれっとビクトールが言ってのけると、ヒックスは面白いほど簡単に、真っ赤になった。
「え!? え、そ、それは、その……!!」
「可愛いなあ。戦士の村の奴は。純情な奴が多くって。フリックもそうだもんな。見てるほうが恥ずかしくなるほどって、げ!!」
 唐突にビクトールが呻き声をあげた。何事かと思うと、フリックが思い切り彼の足を踏みつけているのが分かる。
「自業自得だ!」
 と、一言言い捨てて、フリックはそっぽを向いた。
 それから少し考え込む様にして、あのな、、と小さく前置きをした。あんまり考えすぎるなよ、とも。それだけでは意味が分からないヒックスが不思議そうな顔をしていると、フリックは小さく息を付いた。
「ようするにさ、戦士に向いているとか、向いてないとか。ヒックス、別に戦いつづける人間だけが、戦士っていうわけじゃないってことだよ。俺から見れば、お前は立派な戦士だと思うけどな」
「だって…僕はフリックさんほど、なんの凄い事もしてないんですよ? 剣だって、そんなに強くない」
「でも、お前は、自分で守ろうと決めた人間の事を、ちゃんと守ってるじゃないか。身体的なことだけじゃなくって、心だって。俺はそれは、立派な事だと思うけどな」
「僕が、テンガアールを守っている?」
「守っているさ、ちゃんとな」
 思いがけないことを言われたという表情のヒックスの肩を、大丈夫だよ、というように軽く叩いた。
「俺にはできなかったことだからな。剣の名にした相手の命を守る事も、その心を支える事も。やっている事なんて立派に見えるだけで、俺は何もしちゃいない。俺は子供すぎて、彼女を守るどころか、負担になるだけだった。だから、俺は全然、すごくなんてないさ」
「……そんな! フリックさんは、今でもずっと、その剣の名になった人の事を想っているんでしょう!? それって…凄いことだって、想いますよ、僕は!」
「……それでも、守れなかったのは事実だからな」
 少し寂しそうに呟いて、フリックは瞳を伏せた。
「きちんと、守るべき人を守り抜いた人間なら、立派な戦士だよ。村にだって、堂々と帰れる。目に見える功績だけが、凄いんじゃないって事、分かっている村だって思ってるけどな、俺は」
 だから謝ってこいよ、と付け足して、フリックはヒックスの背を押そうとして、顔を上げた。騒々しい足音がして、自分たちのリーダーである少年が、姿を現したのを知る。
「どうした、リーダー? そんなに慌てて?」
「あ!見つけた!フリックさん、実は相談が!!って、あ、ヒックスもいたんだ」
 忙しく少年は言ってから目を丸くする。ヒックスがそれに気付いて、首をかしげた。
「ねえねえ、ヒックス! テンガアール、なんだかすっごく寂しそうだったよ? 行かなくていいの?」
「寂しそうだった?」
 途端に心配そうな表情になったヒックスを見て、フリックが僅かに笑った。ビクトールなどは、肩を竦めている。
「まったく、本当に見ているだけでも幸せになるな。あいつらは」
「まあ、な。守るべき人間が側にいるやつは、強いさ。男も、女も、さ」
「………守れないのは、辛いからな」
 ぽつりとビクトールが言って、僅かに唇をかんだ。それが、かつてのノースウィンドウでの悲劇を物語っているのか、それともミューズ市で命を落としたアナベルの事を言っているのかは分からない。それでも、ひどく口を挟んではいけない寂しさが、こめられていた。
「ああ……。守れないのは、ごめんだよ…」
 フリックはビクトールの言葉にはこたえないで、ただ一人。永遠に心に住んでいる女性の姿を、思い浮かべる。一度として忘れた事のない、永遠の恋人……
「ほら、早くいかないと! 今はナナミがテンガアールの側にいるからさ!!」
 明るい少年の声に背をおされて、ヒックスが走り出す。相談に乗ってくれて、ありがとうございました、とあわてたように言い残してから。
 ヒックスの後ろ姿を見送ってから、少年が顔を上げる。
「ねえ、フリック、ビクトール。大切な人を、大切だって認識している人間は、強いよね。だからナナミも強いし…」
 唐突に。彼らのリーダーである少年がそう言った。濁された先にある名前が、彼の大切な幼なじみであり、敵となってしまったジョウイの事をさしていると分かるので、二人は返事をすることができない。
「だから、僕も忘れないんだ。誰が大切なのか、それを。僕も絶対に忘れない…」
 返事を期待せずに、そう言いきった少年の決意に、二人は静かな強さを、彼の中に見た。


「ねえ、テンガアール。信じているものが分からなくなっても、信じる相手が目の前にいるんなら、手放しちゃ駄目なんだって、わたし、思うな」
 テンガアールの側にいったナナミは、少しだけ気弱になっている少女に向かって、そんな事を言っていた。
「わたしね、正直言って恐いんだ。こんなふうに戦争をしていることとか、弟が軍のリーダーなんかになっちゃっている事実とか。ジョウイが……どうして向こうに行っちゃったのかが分からない、とか。でもね、信じようって思う。だって、わたしが信じなくっちゃ、誰も信じてくれない。わたしも、弟も、ジョウイも。本当は普通の子供に過ぎないんだよっていう簡単な事、みんなが忘れちゃうから。本当は普通に生きて行く場所が欲しいだけ何だって事、忘れられてしまうから。たとえ誰が信じなくなっても、弟も、ジョウイも信じなくなっても、わたしは信じ続けるよ」
 長い言葉を言いきって、ナナミは、まっすぐな眼差しをテンガアールに向けた。
「……ボクもね、ヒックスの事、誰が信じなくなってもボクだけは信じようって、思っているよ…」
「じゃあ、一緒だね。私と」
「信じつづけるって、大変だね。ナナミ。不安になっても、それを出さないで。ひたすら信じつづけるのって。ボクね、それって、なんだか戦うことに似てるって思うな」
「だって、実際に人を傷付ける事だけが、戦いじゃないもん。わたし、そう思っているよ?」
「……強いな、ナナミは。戦っているんだ」
「そうかな? でも、テンガアールも強いって思うよ」
「ボクは、ヒックスのためになにか出来るのかな?」
「わたしは、弟と、ジョウイの為になにが出来るのかな?」
 テンガアールの言葉を真似するようにナナミが言うと、二人は同時に違いを見詰め合い、そして笑い出した。
「難しいね、答えが出ない疑問って。それが一番恐くって、心を、弱くしてしまうんだもん」
 ナナミの言葉に、テンガアールは強く肯く。
「でも、ボクは信じるよ。ボクだって、ヒックスの支えになりたいし。なっているって信じたいし」
「うん。そうだね。じゃあ、行くの?」
「……だって、ヒックスと喧嘩したままじゃ、いやだから、さ。ボクはボクの方法で、大切な人を守るよ」
「行ってらっしゃい」
 にっこりと笑って、ナナミは手を振った。テンガアールも鮮やかに笑って、走り出す。
 ナナミは、複雑な表情で、それを見ていた。
「私は…どんな方法で、私の大切な人を守れるのかなあ」
 呟きは、誰にも聞こえないで、空に…溶ける。


 走ってきている少女の姿を認めて、ヒックスは思わず目をみはっていた。それはテンガアールも同じで、ひどく驚いた表情をしている。
「えっと、、テンガアール。あのさ…」
「ストップ!! いいよ、ヒックス。ボクこそ謝まんないといけないし。悩むのは、うん、仕方ないって思うよ。でも、ボクは絶対に! ヒックスには立派な戦士になってもらって、村に帰りたいんだからね!! それだけは覚えておいてよね!」
 相変わらずの元気なテンガアールの言葉に、優しさを感じて、ヒックスは静かに、肯いた。
「うん。分かってるよ、テンガアール。でも、もしかしたら。それは、誰もが分かってくれるような功績にはならないかもしれない。でも、僕は僕の方法で…頑張るよ。君だけは守るって、決めたんだ。戦士になれなくったって、それだけは変わらない。君を守るためだったら、戦うよ」
「……そうだよ! 君だけが、ボクを守っていいんだから!だから、戦士に向いてないなんて、もう言わないでよね!」
「ごめん、テンガアール」
「よし、じゃあ、行くよ、ヒックス!」
「ええ!? ど、どこへ!?」
「決まってるじゃないか、次の戦闘メンバーに連れて行ってもらうんだよ! ほら、急いで!!」
「ええーーーー!?」
 がっしとヒックスの腕を掴んで、テンガアールは歩き出す。
 結局は普段と変わらない光景に落ち着いてしまった二人を見て、心配で様子を見に来たナナミやフリックたちは苦笑を浮かべる。
「まあ、あいつらしいといえば、それまでだけどな」
 とは、笑い転げそうになっているビクトールの言葉だった。