ひたりと。大刀を降りおろしたまま、再度尋ねてくる。 
 簡単に彼の喉笛を掻き切ることが出来てしまう大刀。それは本当に彼に近くて、僅かでもフリックが動いてしまうだけで、死を呼び寄せるような。 
「――俺も聞きたいな。それでも――進めるのか、オデッサ?」 
 命を、他人に握られている。 
 にもかかわらず、フリックまでが問うてくる。 
 これが――他人に命を預ける術を知る、戦場に生き抜く者達の精神力なのか。 
「――……か…うわ」 
 声がかすれた。 
 これでは伝わっていない。これでは駄目だ。 
 手を握り締め、眼差しをあげる。彼女以外の人間しかしらない、最も人を惹き詰める、未来を見詰めるその眼差しを挙げる。 
「戦うわ。決めたのだもの。だから戦う」 
 断言し、オデッサは無意識に祈るように胸の前で手を組んだ。 
 しばらく彼女を見詰めていたハンフリーは、黙したまま、ふいと大刀を下げた。 
「―――信じるのか」 
 そして足元の青年に、手を伸ばし、聞いた。 
 僅か笑って、顔を上げる。そして手を取り。 
「俺は信じる」 
 答え、立ち上がった。 
「―――呆れちゃうわ」 
 ぽつりと突然オデッサが言ったので、フリックとハンフリーが振り向く。 
 なにが呆れるのだと、揃いも揃って不思議そうな顔をするので、オデッサは更に呆れた。 
「あれほどの戦いだったのよ。私だって必死だった。なのに――いきなり和やかになるのはどうして?」 
「そりゃあ……味方になったんだ、当然、じゃないかな?」 
 困ったようにフリックが答えて、オデッサが彼を睨む。 
「解放軍の趣旨に参加してくれても、打ち解けて、本当に信頼してくれるまではすごく時間がかかるの。私は――勿論相手を信じる。でも――信じてくれるのは、すごく難しい。なのに」 
 剣を下げ、フリックにむかって手を差し伸べた後、ハンフリーは彼が連れていた小隊のメンバー全てと共に解放軍に入ることを誓約してきた。 
 そして気付けば、この全員をつれ、いかに廃村の側に伏せている解放軍と合流するかを、まるで十年来の戦友のように話し出したのだ。 
 オデッサには、少々理解しにくい光景だ。 
「戦場では、従うべき相手を見極めるまでが多分一番大変なんだ。だから見極めたあとは――とことん信じる。それが生き残る一番いい方法だしな」 
「―――そう、ね。それはそうかもしれない」 
「だから、ハンフリーはオデッサを試してきた。そして、オデッサに命を預けてもいいと思ったから……今みたいになるんだと思うぜ?」 
「う……ん」 
「オデッサが頑張ったからこうなったんだよ」 
 納得してくれないかなとばかりにオデッサの背を軽く叩いてから、ハンフリーの部隊の人間に呼ばれて、フリックは歩いていく。 
「――-こういうのも、慣れなくちゃいけないわね」 
 彼等の後ろ姿を見詰めながら、しみじみと思う。 
 何も知らない人々に理想を説き、率いていた時とは確実に異なって来ているのだ。これが――軍、というものなのだろうか? 
「――リーダー」 
 聞き慣れない声に振り向く。 
 解放軍に属したばかりの小隊の者が、軽く手をあげていた。 
「なにかしら?」 
「これ、俺達のまあ名簿みたいなもんです。受け取ってください。隊長が信じた相手だ。俺達も頑張りますよ」 
 そう言って、屈託なく笑ってくる。 
 受取りながらあることを思って、尋ねた。 
「―――わたしのこと、リーダーって呼ぶことに抵抗はないの?」 
「抵抗?なぜでしょう?」 
「だって……突然やってきた”リーダー”だなんて」 
「隊長が信じた人なら大丈夫ですよ。心配しないでください。それに――俺達の胸にも響きましたしね」 
「―――え?」 
「戦うといいきった。その強さは――俺達にはない。俺達に出来るのは、戦場で発揮できるだけの部分的な強さですからね」 
 くすりと笑って、めいめい、彼等は喋り出す。 
「それにしても、一緒にいたあの人。副リーダーさんかなにかですか?」 
「――え?」 
「いや、なんとなく。そんな感じだったんですよ」 
 にこやかに言い切ると、彼等も移動の準備の為に走り去っていく。 
 ――副リーダー? 
 言われた言葉を復唱して、オデッサは振り向いた。たしかに――指示を待っていることよりも、率先して意見を言って来て、周りにも意見を言っている彼は。 
「なんだ、副リーダーに見えるわ」 
 吃驚したように言って、オデッサが笑った。 
 そして歩き出そうとした刹那、激しい音が威圧するように鳴り響く。 
「――― なに!?」 
「隊長!!きました!」 
 慣れた声が飛び込んでくる。 
 これはどうやら、村を本拠にしていたハンフリーの部下達が、警戒を促す為に取り付けていた鐘の音だったらしい。 
「――― 帝国か?」 
 短く、ハンフリーが尋ねる。 
 それを肯定して、さらに報告を重ねるべく走り込んできた。 
「おそらく、モンスターごと村を炎上させるつもりみたいです!」 
 炎、そして烈火。 
 その二つの紋章を操る紋章使いたちの姿が多く見られたと、続けていってくる。 
 オデッサは厳しい表情になり、周囲を見渡した。 
「―― 敵はまだ、動いていないわね?」 
 わって入って確認する。 
 村に入ってくる前に、急流の川が近くを流れていることを確認していた。まだ敵陣が引かれていない方角にだ。 
「オデッサ、川を使って逃げるつもりか?」 
「ええ。燃やされてしまってからでは遅いわ。帝国軍はまだ、ハンフリー達が解放軍に属したことを知らないはず。そして伏兵をおいていることも、知らないわね?」 
「―― ああ」 
「私たちが先行して、解放軍の兵達に鬨の声をあげさせて、背後を突くようにみせかけるわ。そうすれば、帝国軍はハンフリーたちが既に村を後にしたと誤解するはず。その隙に川からバラバラに脱出して。合流先はレナンカンプ。遠いけど、ここが一番安全なの」 
「――――わ かった」 
 無言で聞いていたハンフリーが肯く。 
 フリックは厳しい眼差しを浮かべ、走り出そうとした。その手を、オデッサが取る。 
「なんだ!?」 
「待って。わたしも行くわ!」 
「――― 敵陣の中を突破する可能性もあるんだぞ!? 
」 
「分かってる。でも―― 解放軍のメンバーはわたしの命令じゃないとすぐには反応してくれないの。わたしがいかなくては、駄目だわ」 
「………俺から離れないって約束するか?」 
「するわ。――い いえ、お願いする。わたしを守って」 
「―― 分かった。ハンフリー、悪いんだけどな、弓ないか?」 
「……弓?」 
「ああ。流石に紋章だけじゃ辛そうだ」 
 答えるフリックを、怪訝そうにハンフリーが見やる。無言だが、剣ではないのかと尋ねているのが分かったので、ただ肩を竦めた。 
「色々事情があるんだ」 
「……分かった」 
 とりあえず納得し、ハンフリーが弓を持って来てフリックに渡す。それを受け取り、オデッサを見詰めた。 
「行くのね?」 
「ああ。ちょっとばかりマンネリ化してるが、最初に雷撃を落とす。驚くなよ?」 
「珍しい。最初に言ってくれてるなんて」 
「言ってくれといったのは、オデッサだよ」 
「ふふ。そうだったわね。じゃあ、ハンフリー。また会いましょう!」 
 悲壮感ではなく希望を残して、オデッサは走り出す。 
 後ろ姿を、ハンフリーはきちんと見送っていた。 
「フリック!! あとどれくらい!?」 
 走り出してきた二人を発見し、動こうとした帝国軍を牽制する為に、激しい土煙を発生させ走り出した後、オデッサが叫んだ。 
 想像以上に疲労している自分自身がいる。 
 けれど愚痴はこぼさなかった。本当ならば、フリックのほうが辛いはずなのだ。 
 土煙で目標が分からないながらも、攻撃のために飛び交ってくる帝国軍の放つ弓矢を、フリックは何度も紋章によって消滅させているのだから。 
「オデッサ、あの森を抜ける! その先だっ!」 
 鋭くフリックが叫んだ。それに肯いて、オデッサは息を必死に整える。 
 ―― ようやく解放軍が、きちんと動くことが出きるきっかけを掴もうとしているのだ。 
 負けるわけにはいかない。 
 木々が鬱蒼としげる森の中は、ひどく静かだった。 
 土煙が消え始めているが、帝国軍が激しく動き出した様子はない。もしかしたら―― 敵前逃亡をした情けない隊員がいた程度にしか思わなかったのかもしれなかった。 
「このまま、無事にいければいいんだけれど」 
 静かに呟いて、フリックと共に走る。 
 これほど危険な行動を、一人ではなく二人で行うことがあるとは思っていなかった。―― こんな責任の重いことを。 
「―― オデッサ」 
 ふと、ひどく思いつめた声が耳を打つ。 
 どうしたの?と聞こうとして、口を押させられた。彼の指が動いて、右の方向を指し示す。 
 ―― 僅かに、音。金属音を伴った。 
 帝国兵だと、瞬時に理解した。 
「―― ちっ! あれは、軍を逃亡する兵がいないかを監視してる部隊だな」 
 小声でフリックが呟く。 
 近隣の村から無理矢理徴兵されてきた者達が増えたために、軍役忌避しようと脱走をするものが最近多いのだ。だから脱走が可能な場所を見張る部隊が設置されたと、オデッサも聞いたことが或る。 
 気付かれずにすませたいが、どうもそういうわけにはいかなそうだった。 
「―― オデッサ」 
 先に逃げていろ、と言いかけて、フリックは言葉に詰まる。もしだ。いかせた先で敵が出てきたらどうするのかと、唐突に思ったのだ。 
 ――一 個所に敵がいるとは限らない。 
「フリック?」 
「……オデッサ、俺はあの部隊を全滅させる。だから先に逃げてろ、って普通なら言うんだろうが。俺は臆病だからな。オデッサが一人逃げた先に、敵兵がいる可能性を無視できない。だから、そこに隠れていてくれ」 
 手早く言って、丁度幹の間に大きな空間を作っている大木の根元を指差す。入ったあとで、枝などで入り口を防げば、かなりよい隠れ場所になるはずだった。 
「恐いと思う。なにせここで戦闘をするからな。だけど、絶対に出てこないって約束してくれ。一人だったらなんとか全滅させれると思う。だが―― こればっかりは守る人間を側に置いたんじゃ戦えない」 
 だから隠れていてくれ、と重ねてフリックは言う。 
 オデッサは眉をひそめながらも、自分が戦闘に入ったとしても足手まといになる事実と、確かに振り切って逃げることは出来ないだろう状況を、確認した。 
「――― フリック…」 
「俺がいいって言うまで出てくるな。ないしは――物音が何一つ、しなくなるまでは、だ」 
「――― !? フリック、それって!」 
「確証なんて出来ない。俺だって、あそこまでの人数を全滅させる、ってのはやったことがないんだ。だからどうなるか分からない」 
 強く、ハンフリーから渡された弓を握り締めて、フリックが吐き出すように言う。死ぬつもりはない、とも付け足して。 
「いいな、ちゃんと隠れていろよっ!」 
 叫ぶと、フリックは走り出そうとした。 
 彼の行く先に視線を追わせて、オデッサはかなりの兵がこちらに進んで来ているのを確認する。 
 ―― あれでは、駄目だ。 
 本能が叫ぶ。 
 確かにフリックは強い。それは既に知っている。 
 けれど彼は疲れているし、紋章力も既に使い果たす寸前だろう。そして彼は―― 自分が考えている通りならば。 
「行かせないわ」 
 激しく断言して、走りだしたフリックを掴む。 
 驚き焦って振り向いてきた青い双眸を、オデッサは睨み詰めた。 
「死ぬなんてわたしが許さない。そんな―― 生き残る可能性をあげてくれない武器で戦いを挑むなんて、許さないわ」 
「オデッサ!?」 
「知っているわ。貴方が本当に得意な武器―― それは、剣でしょう!?」 
「―――― っ!」 
「時々、剣を探すようにしていたわ。だから知っているの。いくら私でも気付くわ!!」 
 噛み付くように叫ぶ。 
 フリックは隠し切れない動揺に瞳を染めて、必死に首を振った。 
「駄目だ。駄目なんだ!」 
「なにが駄目なの!!」 
「―― 俺が戦士の村の人間じゃないかって、疑っていたな? オデッサ」 
「―― 今でも疑ってるわ。いいえ―― 確信してる!」 
「調べたなら、知っているだろう!? 戦士の村を出た人間は、名無しの剣を振るうことは許されていない。俺は―― 俺は、剣に名を持たない人間なんだ!」 
「――― 名を持つ剣なら、ここにあるわ」 
 あまりの激情ゆえに、逆に冷たくさえ感じさせる瞳をあげて、オデッサが囁く。 
 彼女にふさわしくはなかった、大き目の剣。 
 青い柄、刀身、そして鞘を持つ剣。 
「これは私が生まれたと時に。私の身を守るようにと、私の身代わりをつとめるようにと、祈りをこめられて作られた剣――そう…」 
 死んで欲しくない。 
 初めて手に入れたのだ。 
 対等である人間。解放軍の趣旨を本当の意味で理解し、力を貸してくれようとした――初 めての相手。