はっと目をあけて、まじまじとフリックを見つめる。 
 今。この人は――自分を感情豊かといったのか? 
 カレッカの戦いの後、姿を消してしまった親族。解放軍を作り出すきっかけとなった事件。哀しい過去と――背負うものの大きさに自然厳しくなっていった自分、だというのに。 
 頼り甲斐があるといわれたことがある。 
 オデッサのいうことなら信じると、無条件の信頼を寄せられたことも。 
 けれど――幸せだった頃の自分を見つけてた人間はいなかったのだ。 
 貴族に生まれてきたのが間違いだったといわれるほどにお転婆で、元気で、兄を引っ張り叔父にねだり、遠出ばかりを好んでいたらしい自分。当然のように、軍師としての教育をうける兄にくっついてそれを習い、剣、槍、弓、馬術といったことも、それなりに習得してきた。 
 我が侭で、傲慢なほど――幸せだった少女時代。 
「オデッサ? どうしたんだ?」 
「―――え?」 
 どこか不安げな声に、自分が彼をひどく見詰め過ぎていたことに気付く。 
「――ごめっ……んなさい! ちょっと、思い出してしまったの」 
「――? なにを?」 
「昔。散々甘やかされて育った、少女時代の頃」 
「少女時代なんて、大抵甘やかされてるんじゃないか? 俺の村は子供が少なくってさ。一人、村長のところに女の子がいて。そりゃあもう、全員で甘やかしてるからな」 
「――貴方もその一人でしょう?」 
「―――」 
「否定できないわけね」 
 くすりと笑って、オデッサは前を見つける。 
 不思議だと思う。なぜか素直で真っ直ぐで――人の中に眠っている幸せだったことの記憶を、自然、思い出させてくるような雰囲気をもつ青年が。 
「――わたし、多分感謝するわ。貴方を仲間に出来るきっかけがあったことを」 
「そうか?」 
「――戦士の村……だって疑っていることは忘れないでね? まあ今はいいけど。それより話しが戻るけど、なんだってそんなに詳しいの?」 
「旅をしている者が戻って来て、話を聞かせてくれれば分かるさ。特に武芸に長けてる人間は、戦争の動向や気配に敏感だからな。色々調べてくる。ハンフリーぐらいの人間になると――みんなの噂の的だよ」 
「そういう――もの、なの」 
「哀しいことだけどな。戦争がおきれば都合がいい人間も多いだろ? オデッサみたいに理想があって感心を寄せてる奴のほうが――多分少ないよ」 
 情けなさそうにいいながら、ふと――フリックの眼差しが鋭くなる。一瞬、何かを探すように右手が動いたのをオデッサはすかさず見て取っていた。 
 どうみても剣をさがした、その仕種を。 
 追求しようかとも思ったが、やめた。彼女もまた緊張が辺りを支配し始めたことに気付いたのだ。 
「――なに?」 
「ここに、帝国軍がこない理由だよ」 
「―――え!?」 
 気付いたときには手を引かれ、庇われる位置に動かされた。彼ほどの力量を持つ人間にされたからなのか、不思議と腹は立たない。それよりも、突如獣の唸り声が囲むように聞こえてくるのに目を見張る。 
「なに!?」 
「なんでかは知らないけどな。この村の人間たちが離散しきった後を、モンスターが集まって来て巣にしちまったんだよ」 
「巣!? 村をまるまる一個、巣にしたっていうの!?」 
「だからな、帝国兵はこない。帝都にいるような高度な技量を持つ奴等ならともかく、こんな辺境には、こいつらに対抗できる軍は組織されていないんだ」 
「だから――帝国軍に、襲われる心配はないっていったのね!?」 
「ああ。俺から離れるなよ、オデッサ!」 
 凛と叫ぶと、勢いよくフリックは雷を招来する。 
 空中に閃光を舞わせ降りてくる閃光は、彼自身がおそらく好んで纏っているのだろう青い衣服の色を反射して、仄かに青く、浮き上がらせていた。 
「まるで青雷そのものね、貴方」 
 思ったままを口にして、オデッサもまた剣に手をやった。 
 会話をしていた際のフリックならば、おそらく驚いた表情で彼女を見やったのだろうが、今は戦闘中だ。口元が不敵に笑んだだけで、なにも言ってはこない。かわりに、立て続けに雷を落とす。 
「オデッサ、中央を走るっ!」 
「――村に入るの!?」 
「ああ。あいつらは、村の中では襲いかかってこないって話だからなっ!」 
 器用に紋章の力を解放させながら、オデッサの腕を放さぬように強く握り、走り出す。進路を守る為に、走るために出す足のすぐ側にまで、雷を落としながら。 
「――む、無茶苦茶ね!!」 
「知謀だけで敵を退ける能力はないから、こんな手しか思い付かないのさ!」 
 なぜか楽しそうに答えて、二人、村に飛び込んだ。 
「――隊長、人がきます」 
 驚いたように言って、帝国軍兵士の恰好をしたままの男が声を上げた。 
 視界全体が青い閃光に包まれている。どう考えてもかなり魔力の高い人間が、雷か雷鳴の紋章を解放していると思える雷撃だった。しかし、走り込んで来る二人のどちらも、――紋章使いには見えない。 
「――――酔狂だな」 
 短く、声を上げた兵士の背後で座っていた男が一言漏らす。けれど続く言葉はなかった。 
 ――驚くほどに、無口な男なのだ。 
 兵士は隊長と自分が呼んだ男の無口さには慣れているらしく、どこか飄々とした態度のまま、久方ぶりに自分達以外でみる人間を見やる。 
「帝国軍の追っ手じゃあ、ないみたいですけどね」 
 ざっと見て取った光景を報告する。  
 カレッカの戦いと呼ばれるものがあった。 
 敵軍が村を蹂躪したとみせかけ、世論を激しい報復を望む怒りへと持っていかせた――自国の軍が自国の村を壊滅させた戦い。 
 その軍の中、この無口な男を隊長とする小隊があったのだ。 
 最も結束力が高く、戦闘能力も高く、けれど帝国を支える貴族達の子弟でもなければ知り合いも持っていなかった小隊。 
 だからこそ、誰もが嫌った作戦を不当に押し付けられたのだ。 
 拒絶する権利があるわけがなく、彼等は国を守る為の剣で国民を切り捨て作戦を履行した。 
 ――完璧すぎるほどに。 
 けれどその後。部隊を姿を消した。 
 逃亡を防ぐべき立場である隊長も、そして配下の兵士達も。 
 丸々軍から姿をくらましたのだ。 
 帝国軍の威信にかけて、激しい追っ手がかかるのは当然だ。――とはいえその全てを叩き潰し追い返し、逃げてモンスターが棲みついた村に落ち着いたのだが。 
「――-解放軍か…」 
 ぽつりと、男が言葉を口にする。 
 短い間隔でこうも喋るのは珍しいらしく、兵士たちが一斉に振り向いた。 
「隊長……」 
「最高記録」 
「ですね」 
 めいめい好き勝手に言い合う部下達をじろりと睨んだ後、傍らの大刀に手を伸ばす。 
「―――」 
 恐らく、様子を見に行ってくる、と告げたつもりなのだろう。 
 男――ハンフリーは刀を持ち上げると、そのまま村の入り口へと歩いていった。 
 カレッカの戦いの後、帝国軍にいることがどうにも耐えられなくなった。 
 無論、作戦指示に従ったのは自分の意志だったのだ。作戦の理不尽さを、残虐さを、――させられたと逆恨みするつもりはない。 
 それでもただ。今後も帝国軍に居続け、罪なき者たちを斬り殺す役割をこなすことは出来なさそうだと、思ったのだ。 
 自分一人ならば、その辺りで野垂れ死ぬのも終わり方の一つかと思っていたのだが。 
 気付けば自分の隊に属していた者達の多くがついて来ていて、流石に野垂れ死ぬ選択は出来なくなった。だからこそ追っ手を撃破しつつ、ここまで逃れてきたのだが。 
 ――命を預けて来ている部下がいる。 
 自分の未来ならば潰しても構わないが、このまま部下達の未来までも潰すわけにはいかないだろう、と思っていた矢先の。 
 来訪者、だったのだ。 
「………どういう…」 
 つもりで来たのだろうかと考えてみて、なぜか僅かに楽しい気分になっていることに気付き、ハンフリーは苦笑した。 
「オデッサ、無事か?」 
 町と外を遮断する杭を越えて初めて、フリックが尋ねてくる。 
 流石に息が切れてしまったオデッサは、肩を上下させながら、少しばかり恨みがましく彼を見上げた。 
「ねぇ、最初に言っておいて欲しかったわ」 
「あそこで言うと、なんかオデッサに心酔してる奴等が心労で倒れるんじゃないかと思ってさ」 
「――貴方は心配じゃないの? そりゃあ、あれで驚いたり悲鳴を上げたりするつもりは確かにないのだけれども、戦力には余りならないかもしれないのに」 
「ああ、一人ぐらいならちゃんと守れるから大丈夫さ」 
「――たいした自信ね」 
「違う。逆――だよ」 
「逆?」 
「俺は、側にいてくれる奴のことだったら守ってやれる自信はあるんだ。でも、たとえば別行動をしたり、たとえば遠く離れたり。そういう事態になっていったら、守れなくなってしまう。俺は結局――手に届く位置に本当にいる人間のことしか守れない」 
「――普通、みんなそうじゃない?」 
「違う、んじゃないかな。遠く離れていても、信頼しあうことで、無茶は控える人間もいるだろ? 誰かの為に死にたくないって思えばさ。俺は――相手にそこまで想ってもらえないと思うんだよな」 
「なぜ?」 
「俺が、はなれても大丈夫って思えない性格だからさ」 
 自嘲気味にフリックが笑う。 
 彼の言いたい意味が分かるような気がした。 
 側にいる人間しか守れないということは――大きな行動に出ることは出来ない。たとえどんなに能力が高くとも、大切な相手を守る為だけに必死になってしまう人間は――大局をみて動けないのだから。 
「――フリック」 
「まあ、そんなことは今は関係ないな」 
 言って、振り切るように首を振り、内心、自分自身に呆れた。 
 何故そんなことをオデッサに言ったのかと、思う。 
 剣に名前を付けれないと思った原因。 
 それは確かに、名を付けるほどの対称が見つけれないと思ったことと。 
 もし、見つけてしまった相手が人間だった場合――自分がどうしようもなく不安定な人間になるような予感がしていたのだ。 
 側にいなければ守れない。それは事実だ。けれど一番問題なのは、守れない事態を想定する心理ではなく――相手の自主性と行動を尊重することで、別々になった時、相手が大丈夫だろうかと異常に心配してしまう自分自身の弱さが問題なのだ。 
 ――だから、剣の名前はつけない。 
 それだけの相手を見つけたら、きっと自分は守りたくて束縛してしまう。 
 そうして相手を苦しめて、かってに自分は自滅していくかもしれない。 
 それが――正直ひどく、恐い。 
「フリック、どうしたの?」 
 背を揺さぶって、オデッサは立ち止まってしまったフリックに声を掛けた。 
 それで物思いにふけってしまった自分に気付いて、苦笑する。 
「―――いや、なんでもないよ。悪かった」 
 軽くて手をあげ、大丈夫だとリアクションをする。 
 そして視界の先、ゆっくりと歩いてくる巨漢をみつけて目を眇めた。 
「オデッサ、おいでなすったみたいだぜ?」 
 指傾け注意を促す。 
 いわれずとも、オデッサもまた近づいてくる影に気付いていて、真剣な眼差しになっていた。 
 ――これが、ハンフリー。 
 想像したような猛々しさなど、どこにも持ち合わせていない男だった。 
 どちらといえば物静かな雰囲気が印象的で――どこか優しげだ。 
 歩み寄ろうとして、それをフリックの手が制してくる。 
「なに?」 
「――まだ、近寄らないほうがいい」 
 声に緊張感が或る。 
 視線も睨み付けるような激しさに変わっていて、オデッサは確信した。 
 ハンフリーは、ただ話をしに来たわけでは、ない。 
「下がれ、オデッサ!」 
 唐突に声を上げ彼女を突き飛ばすと、フリックが唐突に走り出した。それを追うかのごとく、俊敏そうには見えなかったハンフリーの大刀が追いかけてくる。 
「――何者だ?」 
 一言だけ、ハンフリーが問うて来た。 
 答えるのは自分の役目ではないと正確に把握したフリックは黙り込み、体勢を立て直したオデッサが、人々をまとめ解放軍を作り上げた強い眼差しをあげて、指を差す。 
「戦いによって理想を実現させようとする道化者よ」 
 オデッサが答える。 
 その間にも、ハンフリーの大刀は自在に空を切り裂き、その度にフリックがぎりぎりの間合いで避けていた。雷撃をつかう気配がないのは、排除にきたのではなく、仲間にと誘いにきたからにほかならない。 
「力で――なにが手にはいる」 
「現状は打破できるわ」 
 答えながら、オデッサは額に汗が浮かんでくるのを感じていた。 
 攻撃の手を緩めないハンフリーと、食い止めるだけ食い止め、反撃はしないフリックでは状態が悪すぎる。――避けるだけでは体力を無駄に消耗するだけだ。 
 ――早く彼を説得してしまわなければならない。  
 そう、思いはする。 
 けれど駆け足で説得する方法などオデッサは知らないし――実際そんな方法などないはずだ。 
 ならば自分に出来るのは、焦りを捨てて、この胸の思いをぶつけるだけだ。 
 ――死なないで居てくれるはず。 
 なぜか思う。きっと――彼ならば、自分が説得する間、耐えてくれるだろう。 
「――打破した後に……なにを望む……」 
「人が――不当に命を奪われないですむ、そんな時代を望むわ」 
 一歩、足を踏み出した。 
 危険なのは分かっているが、遠くはなれた位置からの説得など意味がない。 
 眼差しに映るこの思いこそが、偽りを多く紡ぎ出す言葉で現すのは不可能な、真摯さを伝えてくれるのだから。 
「沢山の血が流れているわ。そして沢山の涙も流れている。沢山の心も悲鳴を上げているの。全てが帝国が悪いとは言わない。でも――悪い部分が多いのが事実なのよ。だからわたしは戦う。帝国に支配されるこの国を解放したい。そのためには力が必要なの。握り潰されてしまうものでは意味がない、そう」 
 すっと、空を見上げる。 
 澄み切った青空と、頭上で煌く太陽と。 
 この美しい景色の元、笑いあって暮らせる人々を守りたい。 
「わたしは守りたい。そして――勝ち取りたいの。待っているだけ、夢見てるだけの、子供ではいられない。私には、わずかかもしれないけれど力があるわ。希代の軍師と称えられた叔父や兄には適わないにしても、わたしにも、軍師の才はあるのよ。そして――叔父と兄がいない帝国には、わたし以上の軍師はいない」 
 言い切るのは傲慢だろうか? 
 そうは思わない。シルバーバーグ家の誇りに掛けて、それは思わない。 
 軍師の血は確実に流れている。そして軍師の血筋である事実が、自分の解放運動を確実に支える基盤になってくれている。 
「わたしは、力が欲しいわ。切り開いていく。その為に流す血を厭わぬ強い心も欲しい。たとえ美しい理想を掲げようとも、これは戦争を――一応は治まっている国に乱をもたらす行動だわ。私はそれを知っている。知っていて、それでも進みたいと思った」 
 無実の罪をはらす術も与えられず。 
 疑われたらそのまま処刑されることが当然で。 
 餓死しようと、村が死滅しようと、税を払いつづけねばならぬ現実など。 
 ――自分は、欲しくない。 
「だから、戦うのよ。他の誰でもない、誰の為でもない。私が望み、皆が望み、一人一人が望む生活を取り戻す為に!」 
 叫んだ瞬間、鈍い音が響いた。 
 ハッとオデッサが目を見開く。叫びきったばかりで、紅潮した頬が勢いよく色を失った。 
 大刀が、降り降りている。 
 狂暴なまでに激しく、冷酷なほどに精密に、大地に手をついた青年を貫く為に。紋章を連続に使用し、しかも反撃は許されず、接近の武器さえ持たないフリックの、喉元を掻き切る為に。 
「フリック!!」 
「――理想は人を殺す」 
 叫び駆け寄ろうとした瞬間、制するようにハンフリーの声が響いた。 
 今までとは異なる。問いというよりも、確認する為に。 
 理想の為に進むこと。そして戦うこと。  
 それは多くの人々の死を見詰めることを意味するのだ。 
 敵だけではない。味方だけではない。関係もなかった第三者達の悲鳴も嘆きも憎悪も、聞くのだ。 
「それでも進むのか?」