だからこそ―― なにを代償にしても死なせたくない! 
「私の名前を持つ剣。そう――名を持つ剣よ!」  一気に叫び、腰にさげた剣に手を添える。 
 否定される前に、震える手で剣を抜き、フリックに押しつけようとした。 
 戦士の村の人間に。まだ名前のついた剣を持たない人間に。自分の名のついた剣を渡すことの重大さと、エゴを、痛いほど理解している。 
 あまりの事に目を見開いたフリックの瞳が痛い。 
「―― これをっ!つか、えば…!」 
 異常に緊張し過ぎて、声がもつれる。手も震えた。 
 その手に、ふいに、フリックの手が重ねられた。 
「―― 意味が分かってていってるんだな?」 
「分かってるわ」 
「―― それでも死ぬなと?」 
「―― 死なないで!」 
 一息に叫ぶ。 
 自分でも分からない、激情の全てをこの言葉に託した。そして、彼を睨みあげる。 
 微かにフリックは目を細めた。 
 そして――目に痛いほど鮮やかに、笑った。 
「その名を背負って一生を生きよう」 
 涼やかな声。 
 そして、フリックの手がオデッサの手をどけ、彼女の腰に下げらえた剣を、鮮やかに抜き去る。 
 一瞬、刀身が光った。 
 まるで未来をみせるかのごとく、鮮やかに綺麗に―― そして儚く。 
 オデッサの見詰める先でフリックは走り出した。 
 指示された通り、隠れているのが最善なのだ。 
 だから、隠れようと動きながら。 
 オデッサは確かに聞いた。 
「我が剣、オデッサの名にかけて!」 
 ―― 凛と叫んだ、彼の声を。 
 鬨の声が、高く高く、響いている。 
 それを確認して、オデッサは僅かに微笑んでいた。 
 あの凄まじく長く感じた時間のあと、返り血と、それ以上に彼自身の血に染まりながらも、なんとか迎えに来たフリックの手を取り、解放軍と合流したのだ。 
 ―― 無事、ハンフリー達も逃げていてくれるだろう。 
 鬨の声が。 
 なぜかオデッサには、子供の産声のように聞こえてならなかった。 
「―― 解放運動が……本当の意味で解放軍になった、きっと今日が始まりの日なんだわ」 
 静かに、呟く。 
 フリックは、合流したと同時に倒れ、眠っている。 
 オデッサは彼を一台だけの馬車にいれ、その頭部を守ってやる為に、膝を貸した。 
「―― ありがとう」 
 そして、そっと囁き微笑んでいた。 
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後日談のおまけ話
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 振動が間断なく続いていた。 
 何故振動が続いてるのだろう、と考えた瞬間、自分が意識を失った状態であると気付く。染み付いた性が、思わず剣を探した。 
(いや…剣は…) 
 捨ててきたのではなかっただろうか? と思いかけた時、指先に硬質な剣の感触が伝わる。 
(……これは…?) 
 自分が持っていた剣ではない。けれど何故か、しっくりとしている。 
(一体?) 
 考えた瞬間に、声が響いた。 
「よかった、意識が戻ってきているみたいね」 
 水を変えようと後にした馬車に戻って、オデッサは目を細めた。 
 解放軍の仲間に引き入れる為に、ハンフリーの元を尋ね、無謀にも近い脱出劇を成功させてからすでに半日が経過している。脱出劇を成功させた張本人は、疲労と怪我の為に眠りつづけるばかりだった。 
 今は、仲間たちと無事合流し、ハンフリーとの合流地に定めたレナンカンプを目指す道中だ。 
 意識が目覚めへと向かい始めるや否や、剣を探す素振りをした彼に、オデッサは戦場の空気を実感した。最強の名を与えられた傭兵集団である戦士の村の意味も、同時に理解する。 
「焦ってたとはいえ、凄いこと……叫んじゃったわね」 
 剣を手に戦おうとしない彼。 
 戦士の村の人間は、一生を捧げるほどの”何か”の名前を、剣に名づけなければ戦ってはいけないという掟を守って生きている。 
 だからこそ、気付いたのだ。絶体絶命の状態にありながら、剣を使用しないとする彼の剣には名前がついていないと。 
 ついに探りあてて、彼は剣を掴むと、抱き込むようにする。 
 いつでも抜刀できる体制を作ろうとしているのは分かるが、なぜだか頑是無い赤子の仕種のようにも思えて、オデッサは笑った。 
 ―― 彼が抱える剣は、つい先日まで…自分の腰にぶら下がっていたもの。 
 自分と同じ名前を持つ、剣だ。 
「その名を背負って一生を生きよう」 
 彼に、そう言わせてしまった。 
 死ぬことなど許さない、と叫んだ自分を見詰めて。意味が分かっていっているのだなと、彼は聞いた。 
 即座に、肯いた自分。 
「仕方ないわ。死んで欲しくなかったのだもの」 
 今後大きくしていかねばならない、解放軍に得難い人材であることに間違いはない。 
 そして彼とのやり取りをしていると、何故か心が軽くなっていく自分も感じていた。 
「……駄目駄目。こんな事、言ってる場合じゃないわね。そう、私はこの人の一生を貰ってしまったようなものだわ。後悔させないようにしないと。頑張らないと」 
 よし、と自分自身を激励するように拳を握り締め、馬車の中に歩を進める。 
 ―― 瞬間、空間が凍り付いた。 
(なに?) 
 特になにか変化があったわけではない。けれど確かに――何かが動いた。 
「……ああ…」 
 足を止めたオデッサの耳朶を、僅かな声が打つ。それで理解した。この空気の緊張は、意識を失ったという不測の事態から目覚めた彼の――警戒そのものだったのだ。 
 息を呑む。それから、あえて何も気付かなかったかのように笑顔を作った。 
「目が覚めた?」 
「……オデッサ?」 
「そうよ、フリック。半日も目覚めないから、心配したわ」 
「……そうか、俺は…君を、合流地点まで連れていった後…」 
「ええ、限界だったのでしょうね。そのまま倒れちゃったの。吐き気はしない? 頭を打ってなければいいけれど、って心配していたわ」 
「いや、大丈夫だよ」 
 たとえ昏倒したとしても、頭を打つような真似はしないさ、という自信のようなものを感じて、オデッサは笑う。 
 上体を起こし、おもむろにフリックは頭を掻く。それが妙にバツが悪くて困っているようにみえて、さらに笑った。 
「あれだけの戦闘だったのよ。倒れるぐらい、普通だわ。もっと長い間目覚めないかとも思っていたくらい。早くに目覚めてくれて、助かったわ」 
「助かった?」 
「ええ。なるべく早くに紹介したかったもの」 
 悪戯のように笑って、フリックに濡らしたタオルを渡す。一瞬困ったようにしてから、彼は濡れた感触を楽しむように、頬に寄せた。 
「それで、なにを? 誰に?」 
「貴方を。解放軍の副リーダーとして」 
「ふうん。俺をね、副……副リーダー!?」 
 ばさ、と手にしていたタオルを落として、幽霊でも見たような顔でフリックがオデッサを凝視する。なにをそんなに驚いているの?と不思議そうな表情を浮かべながらも、オデッサの眼差しは真剣そのものだった。 
「そうよ。貴方は、解放軍の副リーダーだわ」 
「ちょ、ちょっと待て。なんでそうなる!」 
「そうなるからよ。適任だわ。私、人を見る目だけはあるのよ?」 
 大丈夫、と請け負うように肯く。 
 けれどフリックの眼差しから、困惑は消えなかった。 
「あのなぁ、オデッサ。ここは一ついっておくが」 
「なにかしら?」 
「剣の腕とか、個人戦闘力の腕の高い奴が、組織における指導者的地位にも向いてるって考えは、ナシだぞ?」 
「そうね。その位分かってるわ」 
「だったら、なんで俺を副リーダーにしようとする? 自慢じゃないが、俺は一つのものを大事だと思ったら、とことんそれしか見えなくなる奴だぞ? 視野が狭いんだ!」 
「そんなに自分の欠点を力説しなくてもいいのに」 
「させてるのは誰だよ、全く」 
 用心棒ならともかく、副リーダーなんて絶対にごめんだと呟いて、くるりとフリックはオデッサに背を向けた。 
「無理よ。だって、きっと先にレナンカンプに合流したハンフリー達が、貴方が副リーダーだって言いふらしているわ」 
「はあ!?」 
 ぐるり、と器用に首をねじってフリックが振り向く。 
 結構体が柔らかいのね、と変に感心しながら、オデッサは彼の肩を叩いた。 
「そう。だって、私が言い出したんじゃないもの。貴方の行動を見て、ハンフリーを隊長と慕う隊員達が言い出したの。副リーダーって」 
「な、なな」 
「大丈夫よ。あなた、副リーダーとしての自覚さえ持ってくれれば、充分やっていけるわ。多分、足りないのは自覚だけ」 
「笑いながら、怖いこというなよ。オデッサ!」 
「無理。駄目。今更撤回できないわ。嘘は言わないでとおっているのよ、私」 
 笑顔のままで、軽くフリックの逃げ道を閉ざしていく。 
 フリックは言葉にならない呻き声をあげた後に、大事そうに握っていた剣にふと目を落とした。 
 ―― 目の前の女性。オデッサの名を持つ、自分の剣だ。 
「…ったく、知らないからな。俺は、お前の名前を一生背負って生きていくと決めた。そのオデッサが副リーダーになることを望むなら、仕方ないさ。だけどな、後悔するなよ? 俺は先にいったからな。絶対に向いてないって」 
「覚えておくわ。代わりに覚えていて? 副リーダーとして、人を導く存在としての自覚さえ持っていれば、貴方はもっと立派になれるって言った私の言葉も」 
「―― ああ、覚えておくよ」 
 全くなんでこうなるかなと、ぶつぶつ言い出したフリックを置いて、オデッサは立ち上がる。それから思い出したように、馬車から降りながら振り向いた。 
「ねえ、フリック」 
「なんだよ?」 
「助けてくれて、生きててくれて、ありがとう」 
「……? ああ」 
 怪訝そうな顔になったフリックに、質問の言葉を投げかけられないうちにと、急いでオデッサは外に出た。 
 多分彼は知らないだろう。 
 誰かの為に、死なずに生延びてみせることが、どれほど難しくて―― 優しいことであるのかなど。 
「まだまだ、頑張らないとね、私」 
 解放運動は始まったばかりだ。 
 レナンカンプを目指し移動する仲間たちの様子を見るべく、オデッサは小走りになった。 
「自覚を持ってくれれば、か」 
 もう少しすれば、外に出て自分の力で移動出来るまで回復するだろうと自分自身の上体を判断しながら、フリックはオデッサの言葉を反芻する。 
「ったく、簡単に言ってくれる。それが出来れば、問題はねぇってのに」 
 何の為に、剣を捨てる程の決意をしたと思っているのか。 
 誰かを大切だと思ってしまったら。それを守る為に、多分理性など手放してしまうだろう思い込みの激しさこそを、懸念していたというのに。 
「まったく―― 第一、村をでてこんなにも早く、剣の名前を手に入れたなんてばれたら、テンガアールにぶん殴られるじゃすまないな」 
 格好を付けたわけではなかったというのに。 
(人を導く存在としての自覚さえ持っていれば、貴方はもっと立派になれる) 
「買い被りだよ。なにが人の見る目がある、だ。きっと、すぐに人を信じちまう、単なるお人好しの癖に」 
 悪態を吐きながらも、フリックの表情は穏やかだ。 
 もう一度剣に目を落とす。 
「まあ、こんなのも…悪くない、か」 
 そして、静かに笑った。