永久のはじまり NO.02
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 咄嗟にオデッサはどうみても彼女には相応しくない大きさを持つだろう腰の剣に手をやると、勢いよく振り向く。
「どうしたの!?」
「帝国に感づかれた!!こっちの人数が少ないのもバレたんだ!!哨戒兵だったんだろうけど、そのままこっちにくる!!」
 緊張も顕に叫んだ男は、はるか前方を指差す。
 土煙があがっていて、騎馬の一隊がやってきているのは一目瞭然だった。
「なんてこと。こんなに近くに接近されるまで、気付かなかったなんて!!」
「どうする!?」
 頑健な体を保持する男だが、尋ねる目にははっきりとした怯えがある。
 仕方あるまい。いかに腕力、体力に自信があろうとも、今の解放軍に軍の経験が有る者はおらず、最近まで田畑を耕してきたような者ばかりだ。――いざという時には、あまりに脆い。
 それでも誰も逃げようとしないのは、ひとえに信頼するオデッサが共にあるからだ。
「落ちついて。こちらは確かに人数は少ないけど、相手だってそれは同じだわ。功を焦って、上に報告しないで来ているはず。ということは、増援がないことを意味しているわ。一回目の攻撃さえ防げれば、脱出は可能なはず。戦端をこっちから開くわ。弓を持って!!」
 指示を下せば動き出す仲間達。
 これは信頼の証だ。逃げないでくれていることを感謝する。けれど――緊急の事態に陥ったとしても、常に指示が必要なのは正直辛い。
(だからこそ。戦闘に長けてる人間が!!)
 一人でもいい。ほしかった。
 ――別に自分自身が寂しいだとか。
   不安な心をぶつけるに相応しい相手がほしかったとか。
   そういう意味では、決してない。

 張り上げられた凛々しい声によって、慌てて弓を持った人々はオデッサの背後につく。
 最前線に常に位置するのは彼女であって、仲間達ではない。
 砂塵をまきあげて突撃してくる騎馬の一団を、小柄の身体で見つめているのは正直怖い。だから彼女は前方を睨みあげ、恐怖を紛らわせるために手を強く握り締めた。
 痛みがあれば、僅かに緊張をまぎらわせることが出来るから。
 距離はそれほどない。もう少しで、強度のある弓をひくことは出来ない仲間達の、ぎりぎりの射程距離内に敵影が入ると判断した瞬間に、オデッサは手をあげ、そして下ろす。
 とたんに激しいとはお世辞でもいえないが、弓弦の音が響いた。
 たとえ一人一人の能力が弱かろうと。命中率が悪かろうと。
 馬上にいる兵ではなく、馬そのものを狙うのならば、威力はある。
 ――この崩れた瞬間に、切り込むことが出来るのならば。
 勝利は簡単に取れるはずなのに、と歯噛みしながらも。結局、撤退するように指示を下すしかない自分達の力の無さがオデッサには恨めしかった。
「みんなっ!引くわよ!!」
 声を張り上げ、状況を確認する。
 背後の動揺は思ったよりも小さいようだった。弓矢はあまり命中しなかったのか。
(まずいわ…)
 よりによって警戒を抱かせない為に、最小限の人数でしか行動していない。無論解放軍の中ではそれなりに腕に自信があるものがおおいが、それは単なる比較すればのことだ。
「オデッサ!!敵が、体制を立て直した!」
 ませた子供の声。
 そんなの分かってる、と叫びたいのを必死に我慢して、なんとか子供だけでも逃がせないかと周囲を見やる。――その、瞬間。
「お前達、馬鹿か!? 森に逃げ込め!」
 未だかつて聞いたこともないような、命令形の言葉が耳朶をうった。
 なに?と思う暇はなく、咄嗟に軍師としての勉学を続けてきた成果が生む条件反射で、言われた場所を探す。右手に森。どこに続いているのかは分からないが、木々が高い。――あれならば、騎馬の意味を無くすことが出来る。
 向けられた言葉の正しさを理解した瞬間には、仲間達に向かって森に入り樹上から弓をいる体制を取れと叫んでいた。
 そのオデッサが下した指示を聞いて。
 馬を走らせ駆け込んできて、仮にも指導者であるオデッサに対し、不遜なまでの命令を投げつけた青年は、覇気にとんだ笑みを見せていた。
「悪くない反応かもな」
 襲われている一団が解放軍を名乗った面々だとは分かっている。そして、叫んだ声に反応をみせたのが、解放軍のリーダーである娘であることも知っていた。
 多くの名軍師を輩出するシルバーバーグ家の娘であることは知っていたが、血筋がいいからといって軍師の才能が有るわけではない。だからこそ、忠告をあえて命令のように叫んで、反応を試してみたのだ。
 それに対し、オデッサという女は怒りの前に状況を確認してみせた。
 どうやら彼女は、実戦経験の浅さから咄嗟の判断には戸惑いを見せるようだが、機転は早い。それに、人の忠告を聞きいれる度量は持っていると分かる。
「お前達に恨みが有るわけじゃないんだけどな。遠慮できる人数じゃないしな!」
 馬を奪われずにすんだ一団が、戦果を欲しがってさらに突進してくる。新手が現れたといってもたった一人。恐れる必要はない、というのが彼等の理論だろう。
「侮ってくれたほうが、こっちは楽さ」
 不敵に笑んだ。そして、彼は手綱を手放し両足だけで馬を操り、魔力を集中させる。
 一瞬蒼空に包まれていたはずの空が、どこまでも深い影に覆われた。
「あれは!紋章だわ!」
 空気の動きを察して、オデッサが目を見開く。その目の前で、高い魔力によって威力を増した雷の紋章が、地上に落雷を叩き落とした。
 ――弱い威力でしかなかった弓よりも、派手な紋章の攻撃に馬が完全に怯える。
 本来は固体一つにたいしてしか攻撃が出来ない雷の紋章を、閃光を重視させることによって馬の目をくらませたのだ。各紋章の能力を熟知していなければ、出来ることではない。
「誰なの、あの男…」
 視界の端に入るのは戦士の村。
 もしや今になって、協力をしてもいいと思った人間が来たのだろうか、と一瞬思う。けれど彼女が見やる先にいる男は、帯刀している様子がない。攻撃も紋章によるものだった。
 ならば、戦士の村の人間ではなくて偶然この状況に居合せただけの人間なのか?
「……でも、あの能力は…例え戦士の村の人間じゃなかったとしても」
 出来れば仲間にほしい。
 独力で状況を判断し、分析し、さらに攻撃を繰り出すことが出来る人間。
 正直にいえば、喉から手が出るほどにほしいのだ。
「……く、首根っこ、掴めるかしら…」
「オデッサ!なにいってるんだよ!早くオデッサも森の中に逃げるんだってば!」
 焦った声は仲間の子供のもの。
 分かったわ、と答え森の中に走り出しながらも。今、彼女の意識は背後で帝国軍の哨戒兵たちをていよくあしらう青年の能力がいかほどなのかと、確認する為に完全に向けられていた。


「と、ちゃんと森の中に逃げ込んだな」
 ちらりと視線を背後になげて、確認する。
 戦士の村の人間なのかどうかと、オデッサが悩んだのも無理はない。なにせ彼は、剣を捨て戦士の村の人間であることさえも捨ててきたばかりの、フリック本人であったからだ。
 並の紋章使い以上の魔力を誇っていたが、本来彼は剣での戦いにむいている。ゆえに接近戦に持ち込まれた際は不利になるのが目に見えたので、フリックは雷鳴を連続して放っていることで近づけないでいる帝国軍兵から、気取られぬように後退してみせた。
 ――急激に日没が近づきつつある。
 光源が少ないこの大地の上で、少ない人数を探し出すのは不可能だ。地の利はこちらにあるし、森の中の移動方法も熟知している。ならばもう引いても問題はないだろうと、判断したのだ。
 ひらりと馬首を返し、森の近くまで行く。馬の首筋を三度ばかり叩いて合図をすると、勢いよく馬は主人の意図を解して別の方向に走りだした。その馬上から、迷いもせずに飛び降りる。
 ついでとばかりの、もう一つ雷鳴を落としてやり、フリックもまた森の中に姿を消した。


「リーダー、幸運でしたね」
 森にまで追撃される事態を想定し、オデッサの命令によって、樹上からめいめい弓を構えていた仲間の一人が安堵の声を漏らす。
 まだ安心できるわけではなかったから、オデッサは僅かに首を振った。
 それからそっと樹から下りるようにと指示を下す。
 森は想像以上に深く、気を付けなければ方向感覚の全てを奪われるようだった。
 怖いのか、子供が駆け寄って来て彼女の手を握ってくる。その手の温もりに、自分自身が不安に思っていることなど悟らせてはならないと固く思い直して、オデッサは唇をかんだ。
「とにかく、方向を確認しておかないと駄目になるわ。すぐに分かっても困るから、上の方の枝に目印の布でも結び付けて」
「その必要は特にないぜ」
 遮って、突然声が響く。
 完全に声の主の接近に気付いていなかったオデッサは、思わず両目を見開き、激しく打った鼓動を押さえるように手を胸元に添えた。――そして、気取られぬようにゆっくりと呼吸を二つし、振り返る。
 青年がそこにいた。
 遠目でみた時は、青い色だけが印象に残っていた。目前にした今は。その夜明け前の空のような深い青い瞳に、少しばかり……息を呑む。
「……貴方ね。さっき、私たちを助けてくれたのは」
「襲われてたからな」
「襲われている誰かがいたら、必ずああやって助けにはいってくるの? 貴方は底抜けのお人好し?」
「いや、時と場合によるさ」
「じゃあ、貴方にとっての時と場合があっていたことを、わたしは感謝しないといけないわね」
 はじめて礼の意志をあきらかにして、オデッサは片手を伸ばす。
 握手を求めているんだとすぐに理解し、フリックは思わず困ったような表情になった。
 先程の戦闘にみせた表情とはあまりに異なる幼さに、少し、オデッサは驚く。
「どうしたの?」
「いや、そう簡単に信用していいのか? 俺が敵じゃないっていう確信はないだろ?」
「……そうね。でも、わたし、これでも人を見る目はあると思ってるほうなの。貴方は敵じゃないって思うわ」
 ――本当は、敵でいてほしくないと思っているだけ。
 けれど、そんなことは出さない。手放しの信用を向ければ、心を開く人間は意外といる。敵か味方かどうかは、本当のところはよく分からない。が、帝国の人間ではないだろうと思った。
 なにせあれほどの戦闘能力だ。
 帝国側の人間なら、帝国の人間が共通する戦闘のやり方がある。それが青年からは感じられなかった。だから最低限、生粋の帝国軍人ではないだろうと思う。
 ――言われてみれば、根拠のない事で動いてるわね、わたし。
 改めて思って苦笑すると、青年はあいかわらず困った顔のままだが、素直に握手を返してきた。
「ありがとう。私たちを助けてくれて。まだ死ぬわけにはいかなかったから、助かったわ。貴方、名前は? わたしはオデッサ。オデッサ・シルバーバーグ」
 名乗った瞬間に、緊張が場を支配したのが分かる。小さな子供が姉にすがるようにして、彼女にくっついている子供の身体もまた、一瞬震えた。
 解放運動はまだ小さいとは言え、オデッサの名前だけはそれなりの知名度がある。
 無論気高い解放運動の指導者としてではない。賞金をかけられた指名手配政治犯として、だ。
 だからこそ、緊張が走ったのだ。
 オデッサ自身にかけられた賞金はまだそう高くもないが、それでも欲しがる人間は多いのだから。
 そのいるような警戒と緊張の中、フリックは僅かに肩を竦める。
「なんか、随分と簡単に人を信用し過ぎる奴だな。あんたお人好しすぎるんじゃないか?」
 そしてあっさりと言いきり、もう少し警戒したほうがいいと続いていった。賞金がかかってる人間を前にすれば、善人でも卑怯な行動に走りかねないんだからな、とも言って。
 何故かその言い分がおかしくて、オデッサが笑う。
「なんだよ」
 むくれたように返事をされて、それがさらに可笑しかった。
「だって。その言葉って、自分は違います、って言っているようなものだからよ」
 ほおっておけば完全に拗ねてしまうだろう彼の為に、それだけは言う。けれど笑いは治まらなくて、オデッサは口元を手で押さえつづけた。
「……まあな。別に、突き出そうなんてしてないのは事実だよ」
 ちらりと視線を笑いつづける彼女にやりながら、言う。
 オデッサは視線をうけてから息を吸い込み、なんとか笑いを止めて顔を上げた。
「名前を教えて。わたしは名乗ったのだから」
「フリックだ」
「そう。……ねぇ、あなた、剣は使わないの?」
 ――戦士の村の人間ではないのか。
 その可能性を拭い捨てることが出来ずに単刀直入に聞く。フリックは驚いた顔も見せずに、ただ首を振っただけだった。
「俺は剣は使えないよ」
「……じゃあ、紋章だけを使うっていうの? そうは見えないけど」
「見えなくっても事実さ。それより、この森を抜けたいんじゃないのか? なんだったら、案内してやるよ」
「……助かるわ。お願いします」
 とりあえず追求するのは今日のところはやめよう、と思って、オデッサは口をつぐむ。
 けれど、前を行く非常に端正な顔立ちをしている青年の筋肉のつきかたが、どうみても紋章だけを使う人間のものではなく、なんらかの大きな武器を扱う人間のものであると、正確に彼女は見抜いていた。
 ――分からないのは。
 何故、剣を使う事実を隠そうとしているのかだけ、だった。
「……オデッサ、あいつ信用していいのか?」
 不意に、縋りついていた子供が言う。
「いいと思うわ」
「そっか。なら、いいんだ」
 あからさまにほっとした様子をみせたのは、子供心に、今まで頼り甲斐のある大人がいないことを見抜いていたからなのか。
(絶対に仲間に引き摺り込まないと)
 仲間はちゃんと全員いるのか?と聞いてくるフリックに答えながらも、オデッサはそんなことを強く思っていた。
 オデッサ達に、どれほどの距離を進んだのかはわからないのだが、先導するフリックの足取りに迷いは一切見られなかった。
「少し、休んでおいたほうがいいかもしれないな」
 途中、唐突に足を止めて、フリックがいう。
 あまりにも突然のことだったので、オデッサは驚いて顔を上げた。
「どうして?」
「全員、つかれてるみたいだしな。あんたは、自分で自分が疲れてることに気付いてもいない。歩きつづけるのは危険だよ」
「――ちょ、ちょっと待って。疲れてることに気付けない人間なんて」
「いるさ。人間ってのは、絶対に倒れちゃいけない、気を抜いちゃいけない、っていう極度の緊張の中にいると、案外無理がきくもんなのさ。けれどそれは無理をしているのに変わりはないから、いつか反動がくる」
「貴方――」
「名前、呼び捨ててくれてかまわないさ」
「じゃあ、わたしもそれでいいわ」
「リーダー、じゃなくてか?」
「貴方は、解放軍に入ってくれたわけでは――まだ、ないでしょう?」
「そりゃそうだな」
 何が楽しかったのか、一つ笑う。
 戦闘に駆け込んできたときや、先導しているときには見せない幼さが笑顔の中にあって、オデッサは僅かに目を細めた。
 久しぶりのような気がしたのだ。こうして――ごく普通に笑った人の顔を見たのは。