永久のはじまり NO.01
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 握り締めた剣を持ち上げ歩き出しながら、不意に、フリックは躊躇うように足を止めた。
「……随分な快晴だよな…」
 ぽつりと呟いて、空を見上げる。
 昨晩は嵐で、多分このまま天候は有れるのだろうと思っていたのに、蓋をあけてみればこの快晴。――暴風によって雲が吹き飛ばされた空は見事な青一色。
「本当に全部捨てていくの?」
 不意に声がして、視界の端にぴょこんとはねる三つ編みが見える。――彼の腰のあたりまでしかない位置にある、少女の声。
「ねぇ、剣もっていったほうがいいってば。全部捨てていっちゃうなんて、ボク、いやなんだならね!!」
 返答につまっていると、焦れるように少女――テンガアールは青いマントの裾を握り込んで、泣くのを我慢するように訴えてくる。
「……心配してくれてありがとな」
 困って絞り出すように言う。
 振り切って歩き出すような邪険なことは結局出来なくて、足を止めた。
「ねぇ、成人の儀じゃなくって出て行くのはいやだって!」
 必死に叫んで、フリックを止める。――多分それは無理もない行為。
 戦士の村。
 過去、ハルモニアの侵攻に対し、唯一組織的な抵抗を続け、それを退かせてみせた一人の男が作り上げた村である。
 村人全てが戦闘能力を持つという特殊なこの村は、赤月帝国から自治権も与えられている。その独特な村から、フリックは今日、全てを捨てて出て行こうとしていたのだ。
「でもな、剣を持ってくわけにはいかないんだよ。なにせ、持ってたら使っちまうだろうから」
「一生、帰ってこれなくって、いいっていうの!?」
「仕方ないさ。俺は、剣に名前がつけれるほど立派な人間じゃないんだからさ」
 言葉を切ると、小さく溜息ついた。
 誰もが迷いもせずに剣に名を付けるが、フリックはそれが出来ないでいる。理由は簡単だ。その名に値する何かを見つけることが出来ないでいるから。
「名無しの剣を使うことは許されてないからな。だから、俺はこいつを持っていくわけにはいかないさ」
 言葉とは裏腹に、どこか名残惜しげに手放さねばならない剣に視線をやって、フリックは呟く。多分それは、少女にいっているというよりも、彼自身に言い聞かせる言葉だった。
 そして薄く笑うと、意を決したように屈んでテンガアールの視線にフリックはあわせる。本能的に、なにか重大なことを言われると感知したのだろう。僅かに少女が身じろぎした。
「この剣はやるよ。だから、お前をきっと一生護るやつに…ヒックスにやってくれ」
「………」
「じゃあな」
 返事がないままに、フリックは明るく笑って見せると、テンガアールの頭を二度ほどなでる。それから踵をかえすと、今度こそ村を後にするべく歩き出していた。

 
 どうして今日出て行くことにしたのだと、テンガアールは聞いてきた。
 実をいうと、特に立派な理由があったわけでもなかった。だからこそ、言葉につまり、なんでだろうなと答えることしか出来なかったのだ。
 ただ一つ。
 どうも耳に残った言葉を、伝え聞いたのだ。


 突如村に現れた一行は、村人の一人に状況を説明してきた後、協力を依頼してきたのだという。
「悪いけど、協力するわけにはいかないんだ」
 残念そうに断られて、女は眉をひそめていた。
「どうしてなの? 貴方は確かに、私達がやろうとしていることには意味がある。そう、言ったわ」
「ああ。確かに、あんたのいう――解放運動ってヤツには意味があると思うし、これからの時代には必要だと思うよ」
「じゃあ、どうして?」
「俺達は、傭兵として雇われるか、赤月帝国の依頼を受けるかしない限り、勝手に動くことはできないことになってる。悪いが、あんたちに俺達を雇えるほどの資金があるとは思えないからな」
「……そうね。確かに、それほどの余裕はないわ。傭兵を雇うなら、今の配下が持つ装備を充実させることに使っているもの」
「ああ。あんたたちの装備を見ればすぐに分かるさ。それに、あんたが指導者なんだろ? 指導者ほどの人間が、共をそれだけしかつれずに尽力する人間を求めて旅をしている。それを見れば、解放軍とやらがまだ、軍とも呼べない力しか持たないってのは分かるさ」
「的確過ぎる意見だわ。反論の余地もないもの」
 溜息を一つ落とし、女は癖のように長い髪をわずかにかきあげる。それからやっぱりダメみたい、と背後に控える仲間にむかって肩をすくめてみせた。
「でも、気が変わったら力を貸して欲しいわ。貴方達が思っている以上に、戦士の村、という名前は意味を持つのよ。まだ小さな力しかない解放軍にしてみれば、喉から手が出るほどに欲しい力だわ」
 しばらくはまだ、この村の近くにいるつもりだからと。
 女は続けていった。
 その、残像を残すように鮮やかな緋色の影だけを残して。
 ――誰かがどこかで不当な扱いに涙を流し。血を流し。命が奪われていっているのよ。
 去り際に女が言った言葉はそれだけだった。
 断れたものに有りがちな罵倒の言葉はいわずに、ただ、淡々と主張するべきことを口にしていったのだと、言う。

 
 ――なんとなく、それが印象に残った。
 静かに言いきったという女。帝国に通報される可能性もあるというのに、まっすぐに名乗ってきたという――オデッサ・シルバーバーグ。
「成人の儀に出てる奴か、剣をすてちまった奴なら、協力しても村に迷惑はかけないんだよな」
 成人の儀。
 戦闘能力に秀でた人間を育成し、擁すことが存在の絶対条件である為に、行われてきたことの一つだった。剣の腕や魔法の腕だけならば、村の中だけで十分上達することはできるが、自立心や実戦経験、そして現実の重みをもたせるのは、閉鎖的な村では不可能だった。 
 だからこそ、ある程度の年齢になった者は一度村を出、外の世界での苦労を終えてはじめて、帰還が許される。それを成人の儀と呼ぶのだが、これに出る為にはもう一つ、やらねばならぬ決まりがあった。
 ――生涯、なによりも大切に思う”存在”の名を保持する剣につけること。
 簡単に見るようで、これは決して簡単ではない。
 なにせ一生、名前をつけた”存在”を、大切に心にとめて生きていかねばならない、いわば制約の証。
 好きな女の名前をつけるもの、忠誠を誓う国の名前をつけるもの、永遠を誓う相手は人によって様々だ。多分そういうことをさせるのは、個人戦闘能力に秀でた人間が、私利私欲の為に身につけた能力を悪用させないための、手段の一つであったのだ。
 ――その名を付けることが出来ないフリックは。
 名無しの剣をもって成人の儀に出ることも出来ず、かといって村を捨てる決心をつけることも出来ずに、ただただ、無為の日々をただ過ごしてきたのだ。
 だから彼は多分、伝え聞いたオデッサという女の思想に共鳴したわけではないのだ。
 ただ。確たる目的の為に懸命になる者だけが持つ煌くような生気が、剣に名前を付けることも、剣を捨てる決意も出来ないでいる中途半端な状態を続けている自分自身に対するはっきりとした嫌悪をも、覚えさせたのだ。
「……一体どんな奴なんだか」
 ぽつりと呟いたときには、村を出て行く決意をした自分がいた。そして彼は手早く荷物をまとめだし、遊びに駈けこんできた少女にみつかって、今の状況になったわけだ。
 だから彼を見送った少女以外の人間は、ただ素直に、成人の儀に旅立ったのだと、認識しただけだった。


「気持ちはね、わかるのよ」
 静かにオデッサはいうと、足元に転がる小石の一つを、子供のように蹴り飛ばしていた。拗ねている気持ちを一切隠していない行動に、仲間の一人が苦笑する。
「だから言ったろう。戦士の村の人間はそう簡単には動かないって」
 肩をすくめた男の言い分は多分正しい。
 戦士の村は、”村”という言葉によって印象が薄められているが、その実は騎士団と同じくかなり高度な能力を持つ戦闘集団以外の何物でもない。
 その権力に属さぬ特異な立場の人間たちが、もし一致団結して政治的な動きをとれば、国力レベルの戦力のバランスを崩すことになる。
 ゆえに彼らは、傭兵として雇われる以外は、赤月帝国以外の国に組織的な協力をすることはないのだ。
「いくら強いからって、小さな村であることは変わりないんだ。赤月帝国に睨まれて、攻められたら一たまりもない。村っていう場所があるってことは、本拠地を常に把握され、それが人質に捕らえてるのと同じってことだからな」
「誰だって、自分の故郷が愛しい。世界よりも、妻が、子供が愛しい。――それは正しいことだわ」
 だから強要できなかったんじゃない、と呟いて、オデッサは振り向いて戦士の村を見やる。
 昨日、協力を問いにいって断られた後。彼女は二日間だけ、戦士の村の外で待つ決断を下した。もしかしたら、単独で協力してくる人間がいるかもしれないと思ったのだ。
「本当なら、首根っこひっつかまえてでもいいから、一人ぐらい協力が欲しいのよ。解放軍に戦士の村の人間がいる、っていうことが分かれば、安心する輩が多いんだから。――でもね、ちょっとあそこの人たちの首根っこ捕まえるのは難しそうだわ」
「リーダー。出来る相手ならするつもりですか」
「当然よ。出来るならとうの昔にやってるわ」
 あっさりと言いきると、人が出てくる気配のない村の様子をみやって溜息をつき、それから別の方向につながる街道にも視線をやる。
 赤月帝国を支える街道の数々。
 それらはかつて、皇帝バルバロッサが名君だと称えられていたころは、素晴らしい活気に満ちていたものだった。すなわち、健全な経済が護られていたというわけだ。
 けれど今。
 街道は静けさの中に落ちている。
 理由は簡単だった。治安がかなり低下した為に、野盗がいつ出没するか分からないのだ。もし野盗に襲われないですんだとしても、権力を嵩にきた帝国の官吏達に因縁をつけられ、咎をかぶせられるかも分からない。
 ――安心して商売が出来る状況ではなかった。
「なぁ、いい加減待ってるのもよそうよ。あんな、俺達の理想を理解したってのに仲間になろうともしない腰抜け達が、くるわけないじゃんか」
 唐突に彼女の決定を否定するようなことを言ってきた高い声に、オデッサは視線を落とす。完全にむくれた顔をした子供がそこにはいた。理想をかなえるために血の道を歩くことを選び取るには、余りに幼すぎる子供が。
(この子はこの時代の被害者の代表例みたいなものだわ)
 皇帝バルバロッサとウェンディが湯水のごとく使う国費を支えるために、税率が天井知らずに上がり続けている。
 赤月帝国の民の中では、税を払うことが出来ずに役人に殺されたり、払ったのはいいが暮らすことが出来ずに餓死してしまう者などが、出始めていた。
 この子供の両親は、帝国に収めるものではなく、私服を肥やす為に更にあげられた税率を不当なものだとして抗議に赴き――殺されたのだ。
「気持ちは分かるんだけど、待っていたいのよ。ごめんなさいね」
「オデッサが謝ることじゃねぇけどさ」
 やはり完全にむくれてしまっている。
 何故か素直な感情の吐露が微笑ましく思えてオデッサは笑うと、子供の肩に手を置いた。
「私はね、あきらめたくないの。こんな小さな解放軍だけど、きっと力になろうと思ってくれる人はいるわ。だからね、待ちたいって思ったの。――でも、こんな不信な私達が野営を続けていられる日数は長くて三日ぐらいしかない。あまりいたら、怪しまれて、通報されてしまうものね。だからこそ、タイムリミットまでは待ちたいって思うわ」
 決して命令をすることはない娘。
 それが解放軍の指導者、オデッサという娘だった。
 立っていれば、微笑んでるだけならば。解放運動などに身を投じる娘にはけっして見えない。けれど一度作戦行動にでれば、類希な人を導く魅力によって、苛烈な行動を周囲に見せ付けるのだ。
「でも……今回ばっかりは、駄目みたいね」
 理想を理解しない者達が相手ならば、理解を求めるための手段は残されている。
 けれど理想も存在意味も十分理解していながら、協力できない、と言ってくる相手を口説く方法は、流石の彼女も持ち合わせていなかった。
「悔しいわ。本当に」
「…オデッサが言うと、悔しそうにみえねーや」
「そう?」
「なんか、どうにかなるって思ってそうなんだもんな」
「……ふふ、そうかもしれない。わたしは意外と楽天家なのかもね」
 子供の背を軽く叩き、出来れば見張りをしている者達に昼食をとるように伝えてといって、オデッサは目を細める。
 ――蒼空。
 まるで全てが祝福の元に存在している錯覚を覚えてしまうほどに。
「でも、この空の下で。哀しみが続いているのは……間違いのない事実なのよ」
 この事実を間違えてはいけないと、オデッサは思う。
「リーダー!!」
 緊張のこめられた声。