暁がきらめく場所
突天 No.06
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 がたん、という大きな音に、ウィドは顔を上げた。
 側近くに居た男達が、外に出て行った音だ。
「あんた、大丈夫かい?」
 やんわりとした声がする。同じ小屋の中に転がされていた男だ。この村の青年達をまとめる立場にあったらしく、頼りがいのある雰囲気をまとっている。
 男は尺取虫の要領で体を寄せてきた。ここに放りこまれたとき、ウィドにむかって男達が、”風鳥騎士団”という言葉を発したことを気にしていたのだ。
 第一、この男の扱いだけが自分達とは異なる。村に突然現れた集団が、次々と人々を虜にしていくのを男は危険視していた。そして村から笑い声が消えていった。人々の目から光が消え、昼日中から家の中にこもって、煙管で煙をくゆらせるようになった。
 老人も、大人も、あろうことか子供までがだ。
 これはマズイと思って、男は村を抜け出そうとした。それが見つかって、この小屋に放り込まれたのが一週間前のことだ。拘束されているだけで手荒な真似はされなかったが、後から小屋に転がされてきた、風鳥騎士団に関係あるらしい男の場合は違った。
 日がたつ程に、ぼろぼろになっていく。眼差しから力が失われ、時折何もない方角を見て怯えるようにもしていた。
「なぁ、分かるか?」
 何とか側まで近づいていって、顔を覗き込む。張りのあった肌が浅黒くなり、眼窩が落ち窪んで、まるで老人のように男には見えた。
「そうだ。あんた、名前は?」
 見張りがずっと付いていた時は、話をするのは不可能だった。だが外で何が起きたらしい今ならば、聞きたかったことを尋ねることが出来る。
 青年に興味深げな視線を向けられて、ウィドは身じろぎをした。両手と両足が縛られているのでは、身じろぎといっても上半身が僅かに震える程度でしかなかったが。それでも倦怠感に支配された意識に、少しだけ渇を入れる効果はあった。
「ウィド・ロンメル。ティオス公国風鳥騎士団、副団長だ」
「副団長!?」
 すっとんきょうな声を青年が上げる。
 ティオス公国に暮らす者たちにとって、公族を守る風鳥騎士団は憧憬をもって見つめる存在だった。たとえ下っ端でも、騎士団員と聞けばどの村でも手厚くもてなす。幹部クラスなどといわれたら、村をあげて歓迎したくなるほどだ。
「ふ、副、副団長……」
 へぇ、という顔で青年はウィドを見やる。今でこそやつれているが、確かに転がされてきた当初は、中々凛々しい顔立ちをしていたのを思い出した。
「なんだって、その副団長様がこんなところで捕まってるんだ?」
「――癒しの手が、危険だと。公子がおっしゃったんだ……」
「公子。こ、公子様っていうと、アトゥール様か?」
「ああ」
 この程度の会話だけで、疲労がウィドの体中を蝕んでいく。あえぐように息をつき、それでも威厳を保とうと、座ったままの体勢を守っていた。
「……アトゥール様が、こんな辺境の村の事を気になさってくださっているのか……」
 男は感動したのか、嬉しそうな声を上げる。
「でも、あんた捕まってるんだろ。折角だ、今逃げたらどうだ? このまま真っ直ぐ進むと、森に出るんだよ。森に入って少し進むと、老齢の樹がたっててさ。その横に、獣道がある。そこから、街道に出られるぜ」
「……街道、に?」
「ああ。俺しか知らない道だ。だから、他の奴らが張ってることはねぇだろ。丁度今、外で騒動が起きてるみたいだし。完全にここは空なんだから、最高の機会さ」
「まぁ、な」
 自分の体さえ自由に動くならば、確かに好機だろうと思って唇を噛む。
 ――これでは、あまりに情けなかった。 
 動くなと言われていたのに勝手に動いて敵の手に落ち、中毒患者と成り果て、動くことも出来なくなっている。
 青年は不思議そうに自分を見上げてきていた。胸がズキリと痛くなる。無条件の信頼が浮かぶのは、”風鳥騎士団”を信じているからだ。この信頼を裏切るのは、風鳥騎士団が築いてきたもの全てを壊すことを意味する。
 動けるか、と自分自身の体にウィドは問うてみる。
 無論返事があるわけではないが、なんとか動けるような気はした。
「とにかく、その縄をきらねぇとな。んー、といっても俺も動けねぇし。仕方ない、噛み切るか」
「噛み切る?」
「おう。ま、俺はクルテス一の頑丈な歯を持ってるからな。なんとかいけるさ」
 にこやかに笑った口元に浮かぶ白い歯は、確かに頑丈そうではあった。だが、噛み切っていたのでは時間がいくらあっても足りない。他になにか方法はないかと考えた時、外で殊更に高い轟音が響き渡った。
 まるで、竜巻でも訪れたかのような音だ。
 小さな小屋が、びりびりという音を立てて打ち震える。なんだぁ!?と、青年が間抜けな声を上げた。そんな中で、ウィドはどきりとするものを感じて、眉をしかめた。
 ぎぃ、と。目の前にある重い扉が音をたてる。隣に転がっていた青年が緊張を走らせて振り向き、期せずして同時に、扉を二人睨む形になった。
 光が、差し込んでくる。
 夕焼けの始まった、斜めに落ちてくる光。逆光を背に浴びて、その人はあくまで静かに佇んでいた。
「……さま……」
 まるで泣き出す子供のような声をウィドがあげた。風鳥騎士団の副団長ともあろう者が、そんな声を出すのかと青年は驚く。逆光の中で佇む相手の、細かな様子はまったく見えない。ただ、青年には相手がほっと息をついたように見えた。
「無事だね」
 足音一つ立てず、静かに中に進んでくると、来訪者はウィドの戒めを剣を一閃して見事に切ってみせる。鼻面を剣先がよぎって、青年は大慌てで後退した。そんな彼を剣は追いかけてきて、彼自身の戒めも解き放たれた。
「アトゥールさまっ!!」
 ウィドが再び声を上げる。
 その名前には聞き覚えがあって、青年はぎょっと目をあけた。
 風鳥騎士団が忠誠を誓うのは、皇公族のみ。そして――その名前は。
「まさか、公子さま?」
 ぽかんと口をあけた青年に、初めて顔を向けてアトゥールは微笑んだ。
「対応が遅れてすまない。この村は今夜中には開放させる。ウィド、近くまで天領地の騎士団が私の命令を受けて進軍を開始している。フォイス陛下に指揮権を委託されたのは私。ならば、我が副団長たるウィド・ロンメルに命じる。今すぐ、騎士団をつれてこの村を包囲せよ」
「……公子、しかしっ」
 ごっそりと肉がこそげ落ちてしまった顔は、普段のウィドを知っているアトゥールならば、中毒状態に陥っていると判断するのはたやすいはずだった。
 ――ウィドが、”無理だ”と口にしなくても。
 アトゥールはそっと手をあげ、ウィドが口にしようとした言葉を阻止する。
「ウィド。私は、あそこで待っていろと命じたんだ。その命令をきかず、一人この村に来て囚われた。この一件の後、お前が一つも功績を立てていなかったら、私はお前を更迭せねばならない。私の元にまだ居たいと望むなら。自分の失態は、自分で償ってみせろ。私はそれすら出来ない者を、副団長にすえた覚えはない」
 ――出来ると。
 アトゥールは言うのだ。
 たとえ過酷な状況に追いやられてしまったとしても。僅かの間ならば、精神力で体を動かすことは出来るのだと。そして何よりも。
「まだ……私を、副団長だと……。公子の騎士団を守る役目を、私に……」
「信用してない者を、私は側近くにはおかないよ」
「……。解りました。ウィド・ロンメル、この一命にかけてもっ!」
 ふらつく足で、立ち上がる。
「奥に出口がある。外は風に守られているから、その間に走るんだ。ただ、私はここからどう出ればいいのかを……」
「す、すみませんっ!!」
 はいっ!と、突然村の青年が手を上げた。
 守るべき民に、公族は優しい。アトゥールの穏やかな眼差しを向けられて、青年は一瞬赤面した。なにせティオス公国の跡継ぎである彼は、村や町で見ることが出来る娘達よりも、よほど美しい顔をしている。
「俺でよかったら、案内しましょうか。副団長さん、たしかに疲れてるみたいだし。俺はこの村のことなら隅々までわかってるし」
「しかし、民に危険をおかさせるわけにはいかないよ」
 髪を静かに揺らせて首を振る。心外だというように、青年は胸をそらせた。
「公子様がティオス公国内の全ての民を守ろうとしてくださるのは嬉しい。けれど、この村は俺が生まれ育った村ですよ。村を守るのは、村の者の役目でもある。危険なんて、この際ムシだ」
「無視?」
 首を傾ぎ、アトゥールは膝をつく。ふてくされてように胡坐をかいた青年と、同じ目の高さになった。
「そうですよ。危険なんて考えてたら、第一猟にだっていけない。守るものは、自分で守ってこそだ。誰かにやってもらうだけじゃ、ダメだって俺は思う」
 民の殆どが無条件で敬愛する公子の目の前で、青年は嘯いた。誰もがアトゥールを頼り、自己判断で動くものが少なくなってきている中での、この対応はひどく快かった。アトゥールは目を細めて笑う。
「ティオスの民は、私が思っている以上に素晴らしいものだね。解った。名前は?」
「俺? マルクです」
「その名は覚えておくよ。マルク、ウィドを頼んだ。これを持っていくといい」
 腰にさした双振りの剣のうち、普段愛用している細剣を鞘ごと抜いて渡す。装飾用と戦闘用の両方を兼ねそろえた剣の重みに、マルクはぎょっと息を呑んだ。
「公子さまっ!?」
「その剣はマルクにあげるよ。守ってやるといい、君が守りたいものを」
「――はい」
「この小屋に、他に囚われている者は?」
「多分、あと三人」
「連れ出せるか?」
「はい」
「わかった。重要な証人になるから、ウィド、命がけで守れ。私はこのまま村に残って、彼らの目をひきつけておく」
「公子!?」
 マルクとアトゥールの会話に、自分が忘れられた気持ちになっていたウィドが、焦った声を突然上げる。
 一人で、全てを解決してみせる気なのだ。敬愛する主君は。
 ウィドの切羽詰った声が、何を意味するのかを的確に察知して、アトゥールは軽く手を上げる。反論はきかないという意思表示だ。
「この件は私自身に深く関係していることでもあるしね。……それに、今ここに残られても私が有利になるわけじゃない」
「……足手まといになる、というわけですね」
「村を占拠する圧倒的な力が欲しい。それだけだよ」
「けれどっ!! 公子ならば、すでに呼んでいるのではないですか? ここで私たちを救える可能性は、五分五分だったはず。そんな危険な賭けを、公子がおかすわけがない……」
 唇をかみ締めてウィドは押し黙る。
 天領地からこちらに派兵させている軍には、アトゥールの馬が駆け込んできたら進軍命令だと思えと指示してある。今、ウィドがどうしても走らねばならない理由は本当はなかった。
 アトゥールは息をつき、ほんの僅かに苛立ったように首を振った。
「だからなんだ? 今、私が何をいえばウィドは納得するという? 私とともにここに残って。私一人なら、切り抜けることは出来る。けれど半病人を連れて切り抜ける自信は私にはないよ」
「……公子」
「足手まといだって、私の口から言わせたいのか? そんなことを……」
 一瞬アトゥールの眼差しに悲しげな色が宿る。はっとウィドは息を呑み、慌てて頭を垂れた。自分は成長しなさ過ぎると思う。なぜ、敬愛する主君の意にそぐわぬことばかりしてしまうのか。
「申し訳ありません。連絡を取り、民を無事に逃がします。それに全力を尽くします」
「すまない」
 ならば行けとアトゥールが手を振る。
 外から聞こえてくる、ごうごうという風の音が鳴り響いている間に、森までたどり着けとアトゥールは付け加えた。
「ウィド」
 扉に手を当て、アトゥールは外に出て行こうとして足を止めた。目を伏せ、何かを考える仕草をする。意を決したように顔を上げると、振り向かずに口を開いた。
「お前には、すまないと思ってる。けれど……治そうと思っても、治せないんだ。この……私の生き方は」
「公子!?」
 突然の言葉に、驚いてウィドが振り向く。
 けれど振り向いた先で見つけたのは、こちらを見ているアトゥールではなく、すでに外に飛び出していった主君の後姿だけだった。
 ――信頼されたいと。
 ウィドは初めて、心から思った。
 信用するのも、頼るのも、苦手に思うあの主君から。信用を勝ち得たいと。
「……。なるべく足手まといにならないようにする。マルク。道案内を頼む」
 何かを吹っ切った顔を見せるウィドに、マルクは「ああ」と、強く頷いた。

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