暁がきらめく場所
突天 No.02
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 こちらには、風鳥騎士団員と彼らに同調する者たちが集っている。派閥を生み出すのは良くないが、今はそれにアトゥールは甘えていた。
 執務室に戻ると、そのままアトゥールは騎士団員を呼ぶ。今はウィドが居ないため、別の男が走り出て来た。
「ウィドからの報告は?」
「最新はこちらです。公子、どこかにお出かけですか?」
 手早く荷物をまとめ始めた主の姿に、騎士団員が首を傾げる。
「ああ。今回の出来事は楽観出来ない予感がするからね。直接、クルテスに行ってみようと思う」
「公子がですか!?」
「無論。残念だけれど、他に適任者を思いつけないよ」
「まさか、お一人で行こうとは考えていらっしゃいませんよね?」
「――考えているけれど」
「言語道断ですっ!」
 いきなりの大声に、アトゥールは目を丸くする。騎士団員は顔を紅潮させて、駄目ですと更に強く念を押した。
「いや、向こうにつけばウィドに合流できるし。元々平和な街道を進んでいくだけなのだから、問題はないと思うよ」
「問題がないわけがないでしょう! 確かに公子はお強い。守って差し上げねばと思って騎士団に入ってきたのは良いものの、逆にわれらが守られているのが事実です。けれど、個人で強かろうが、弱かろうが、公子をお一人で旅に出させるなどっ!」
「そうか、駄目なのか」
「駄目なのです」
 分かってくださいましたかと目を輝かせる騎士団員の前で、アトゥールは息をつく。かつては一人で出かけるのは駄目だと、エイデガル皇女アティーファに言い聞かせてきたのだが、逆に言い聞かされる羽目になるとは思ってもいなかった。
「分かった。ウィドと合流するイルードの町まで船で送ってくれ。だが派手にするなよ。公族が来たという事実は秘めておきたいから」
「お安い御用です」
 安心した声を出して、騎士団員は一礼して下がっていく。途中で「あっ」と声を上げて、準備を続けるアトゥールの元に戻ってきた。
「公子、またもやお手紙です。今度は凄いですよ、詩人の美人絶賛文つきです」
 悪戯な顔で、懐から出した文を捧げる。アトゥールは心底嫌そうな顔で「またか」と言った。
「一体彼女達は、どこでどうやって私に惚れるというんだ? 親しく話したことなど、一度としてない者たちばかり。何故、それでいきなり私を運命の人に出来る」
「さぁ。私には分かりません。ただ公子が魅力的だということは存じていますが」
「それはありがとう。だけどね、だからといって、毎日毎日飽きもせず送ってくるのは止して欲しいよ」
「公子が、全てに断りの手紙をきちんと書かれるからですよ。少なくとも、公子直筆の手紙がもらえる。それは、嬉しいことなのでしょうから」
「迷惑なんだけれどね。分かった、そこに置いておいてくれ」
 首を振ったアトゥールが、心底辟易している様子なので、騎士団員はまた笑う。それから、こちらは良い知らせですと言って、手紙をおいていった。
「良い知らせ? ああ、カチェイからか」
 懐かしくも汚い字が、手紙の上で踊っている。親友だが、頻繁に手紙をやり取りしてはいなかった。随分と久しぶりに来た手紙だったので、アトゥールは準備の手を止めて封を切る。
 内容は簡素なものだった。アデル公国で独自に手に入れた情報と、彼の父親に対する愚痴。それに近況報告が何行か続いている。
「ま、元気にしてるらしいね」
 笑んで手紙をしまった。そのまま準備を続けようとして、ふと手を止める。そしてアトゥールは羽ペンを手に取った。
 カチェイがこのタイミングで手紙をよこしたのは、癒しの手について懸念をしているからだろう。そして暗に尋ねているのだ。”何か自分に出来ることはないか?”と。
 現状を隠さずに、ついでに自分自身でクルテスに赴くことを手紙に記した。
 大きな問題が起きつつあることをアトゥールは分かっている。クルテスに向かったことを、知っている人間がいたほうがいい。それを出すように頼んでから、また用意を進めた。
「何かある」
 すでにそれは、確認に近いものとなっていた。



 イルード。
 ここは、国境沿いに駐屯するティオス公国の兵団と、町民とが共に暮らす町だ。
 高い山が背後に聳え、切り立った崖の岩肌を見せている。岩肌にぶつかる風が時折ひゅうひゅうという音を立てるのは、風鳥の鳴き声だと言われてた。
 町の中央を走る大通りには、所狭しと商店が並んでいる。
 アトゥールは商人を装って町に入っていた。エイデガル皇国に居た頃は、何の気兼ねもなく城下町を歩いていたが、ティオス公国ではそうもいかない。最も顔が売れている公王レヴルに、顔が似ているのだから仕方なかった。
「だからといって、髪を染められるとは思っていなかったよ。しかも、なんだって髪を結んだらいけない?」
 憮然として、乗り換えた小船を漕ぐ配下の騎士団員に告げる。騎士は忍び笑いながら、仕方ありませんよと肩を竦めた。
「公子が女装をしてしまったら、一歩も先に進めなくなりますよ。女性からの恋文で根を上げる公子に、男からの恋文が耐えられるとは思いません」
「なんで私が、男から恋文を貰わなくてはいけない」
 本気でぞっとした表情を浮かべる公子に、そりゃ仕方ないでしょうと騎士は答える。おそらく女装などしてしまったら、彼の尊敬する主君は絶世の美女になってしまうのだから。
「髪が長いと邪魔なんだよね。ひっかかるし、目には入るし、書物を読むにも邪魔だし」
「そういえば、公子って殆ど髪を結んでますよね。いつも髪を邪魔そうにしていらっしゃいますし。伸ばしている理由は何故なのですか?」
 何の気なしに尋ねて、騎士は冷たい眼差しに出会う。
「深い意味はないよ」
 感情の全く込められていない、静かな返答だった。
 調子に乗りすぎたと、騎士は慌てて謝罪をした。謝る必要はないと答えて、アトゥールは目を細める。
 彼が髪を伸ばす真の理由を知っている者は、ただ一人だ。アトゥールの親友、アデル公子のカチェイ・ピリア・アデル。
 アトゥールは、自分が女顔であることを知っていた。それだけならば良かったが、体つきまでもが男性的な体付きには程遠い。首筋も細く華奢な為、髪を切ると余計に女性に見えてしまうことを彼は知っていた。それに、髪が長いのには利点がもう一つある。女に見えるのは髪のせいだと答えることが出来るのだ。
「――我ながら情けない理由だね……」
 カチェイがこの理由を知ったとき、彼は三日もそれをネタに笑い続けていた。正直腹が立って、あの時ばかりは寝首をかいてやろうかと思ったほどだ。
「公子、あそこにウィドが迎えに来ていますよ」
「わかった。お前はすぐに公国に戻っていてくれ。悪いけれど、公王の動きを見ていてくれるかな」
「陛下の動きですか?」
「陛下は、癒しの手についてなにか知っていらっしゃるよ。絶対にね」
「畏まりました。探っているとはばれぬように、探り出してみせます」
 はきはきと答えて、鮮やかな船捌きで岸辺に寄せる。風鳥騎士副団長のウィドは、騎士の衣服を捨てて、普通の民になりきっていた。人懐こい笑みで主君の到来を喜んでいる。
「公子、黒髪も似合いますね」
「落ち着かないけれどね。これじゃあまるで、ザノスヴィアの民のようだよ」
 差し伸べられた手を無視して、軽々と岸辺に飛び移る。腰に差した二本の見事な剣の鞘が、陽光を浴びて鮮やかに光った。
「イルードの民は、癒しの手についてどう考えている?」
「ここの民は、国境に接している分危険に遭遇することが多いのです。そのためでしょうか、用心深く、冷静な民が多いのですよ。交易を生業とする商人が多いのも理由の一つでしょうがね。隣村であるクルテスに人が溢れ始めたのは歓迎しているようですが、癒しの手については懐疑的であるようです」
「なるほどね。冷静で居てくれるのは助かるよ。それで、どうせウィドのことだから部下を村にやっているのだろう? 連絡は?」
「それなんですが」
 突如顔を曇らせる。問題がおきたのと理解して、アトゥールは眼差しを鋭くした。
「街中で話せる話だろうか?」
「ええ、それは大丈夫です。宿を取ってありますので、そちらに」
「分かった。ところでウィド、今後は公子と呼ぶのはなしだから」
「――あ。それは、そうですね。でも、なんとお呼びしましょう?」
「別になんとでも。アトゥールと呼ぶのはまずいか」
 公太子の名前くらいは誰でも知っている。特徴的な髪の色を変えたとしても、顔立ちがレヴルに似てる男の名前がアトゥールでは、気取られる心配があった。
「仕方ありません。人目がある場合は、若様と呼ばせていただきます」
「若様?」
「それとも、若君とか、王子様のほうが宜しいでしょうか」
「……最近」
 真面目な顔で言葉を続けるウィドを、アトゥールが疲れた眼差しで見上げる。
「お前達、カチェイに似てきてないか?」
「気のせいですよ、公子」
「人の目がある時は、名前を呼ぶな。それでいい」
 やれやれと首を振る。歩き始めると、すぐに活気に満ちた街が姿を見せ始めた。穀物を売るもの、魚を売るもの、不思議な道具を売るもの、その種類はさまざまだ。
「食料の類の、鮮度がすこし落ちるね」
「ええ。クルテスに人が殺到するようになり、さすがのクルテスも物資欠乏状態になりつつあります。近くの村々に相場よりも高い値段を払って食料を買い取ってやりくりしているようですね。その為に、イルードに運ばれる穀物や野菜などが欠乏し始めています」
「なるほどね。それで、一体どれくらいの人間が集まってしまっている?」
「クルテスに入りきれず、順番待ちをしている者が、イルードのはずれで野外共同生活を始める程にです」
「もう、そこまでの状態になっているのか」
 深刻な表情で考え込む主の細い腕を取って、ウィドは道を誘導した。市場の中にある宿の一つで、商人たちが多く利用している。日々さまざまな国の商人たちが出入りしていて、地元の人間の数は少ない。ティオス公子が潜伏するには格好の場所だった。
 ウィドにとっては重要な要素である料理も、合格点の宿だ。
「こんな時にまで食い意地をはる気持ちが、私には分からないね」
「いやぁ、生きがいですから」
 豪快に笑ってウィドはアトゥールに椅子を進めて、飲み物を二つ持ってきた。店の端にある椅子に座り、一見重大な商談でもしているような様子で、会話を進めていく。
「村に放った斥候がどうしたっていう?」
 斥候とは、敵地を探るために放たれる者たちのことだ。ウィドは風鳥騎士団副団長であり、多数の斥候を要する者でもある。
「報告がくるには来たんです。最初は良かったのですが、近頃様子がおかしくなってきまして」
「おかしい?」
「言動が一致しないのです。確かにいったことを、忘れていたり。突然何かがこちらを見ている、と言い出してみたり。幻覚だとは思いますが」
「――幻覚」
 それは奇妙だねと小さく相槌をうちながら、グラスを唇につける。ひやりとした感触が唇にあたり、舌に刺激が走った。
「……ウィドに、昼日中から酒をたしなむ癖があったとは知らなかったよ」
「え、この程度は酒とはいえませんよ」
 豪快に笑ってから、良いでしょう?と許可を求めてくる。
「ですが、そういえば貴方様が酒をたしなむ姿を見たことがありませんね。飲めないのですか?」
 今更のようにウィドが尋ねる。アトゥールは軽く笑った。
「飲めるよ。むしろ、大丈夫過ぎるくらいかな」
「と、おっしゃいますと?」
「私は酔った経験がないんだよね。だから飲んでも無駄っていうことになる。だから飲まない。それだけだよ」
 答えがなら、考え込むように目を伏せる。ウィドが一瞬ひどく痛ましげな眼差しをしたことに、アトゥールは気づかなかった。
「ウィド?」
「え? あ、いえ、なんでもありません」
「私は、少しその症状について調べてみる。一つ嫌なものが符合するんだけれど、それではないことを祈りたいね」
「ならば、私は村に潜入してくれば宜しいですか?」
「それはいい。私の考えが正しかったら、行くのはあまり良い手とはいえないからね。その前に、言動がおかしくなってきたという斥候は、まだこっちに戻ってくるだけの理性は残っているのかな」
「ええ、それはまだ」
「分かった。なら、戻ってきたら町から離れた場所に押し込めておいてくれ。医師も一人つけておいたほうが良い。私の勘が当たっていたら嫌なことがおきるだろうし、違っていたら何も起こらない。とにかくその斥候を助けるためにも、隔離する必要がある」
「――何を、疑っていらっしゃるんですか?」
「まだ、推測の域を出てない。確証がもてれば、ウィドにも話すよ」
 更なる質問を受けることを拒絶して、アトゥールはそのまま宿を後にした。
 
 
 
 白い煙。
 白い、白い、煙。
 彼女の周りに人が増えていた。動いている者は、一人として存在しない。めいめいの場所に横になり、大切そうに、美しい装飾の施された煙管を握っていた。
 緩やかな弧を描く髪を床にまで棚引かせて、女は椅子に座り、微動だにしない。
 口元には、柔らかな笑み。
 ――ただ、やわらかいだけの。
「楽になるのよ」
 女が口を開いた。
 年若い娘でも、幼い少女でもないけれど、唇からこぼれる声は少女そのもの。
 アンバランスで。どこか壊れ物のような女。
 女の傍らには、横たわる人々が持つ煙管に施された装飾と同じものを持つ、陶器がおかれていた。中に、黒褐色のものが多く入っている。
 室内は白い。
 煙がまるで全てを塗りつぶし、何もかもを隠そうとするかのようだった。
「楽に……」
 また、女の声だけが響く。

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竹原湊 湖底廃園
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