暁がきらめく場所
夏祭り 第三話
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 リーレン・ファナスは蒼白になっていた。
 湖面を蒸発させ、大地を焼き尽くすとばかりに降り注ぐ太陽に晒されたまま、一人蒼白になって震えている。
「い、一体……」
 異変が起きたのは、放浪公王ロキシィの後に続いて皇城に降りたつべく桟橋に足をかけた瞬間だった。
 瞳の奥が熱いような、背筋に熱が駆け抜けたような、そんな感覚が襲ってきたかと思うと同時に、沈められ眠りに付いたはずの魔力が目覚めたのだ。
 リーレンの両親は、ザノスヴィア王国でひっそりと隠れて生きてきた、魔力者たちの末裔だった。そして、彼らは恋人同士でありながら、双子の兄妹でもある。
 外部から血の入ることが少ない為に、必然的に血は濃くなっていった。中にはザノスヴィア国民に見つかる危険を侵してまで、外の世界の血を入れようと懸命になることもあったのだ。
 近親婚は禁威だった。
 近親婚で生まれてくる子供は、異常なまでにたかい魔力を持ち――本人だけではコントロールできなくなるものだったから。
 リーレンが普通に生きてこられたのは、エイデガル皇国が魔力を抑制する結界の中に守られているためだった。二年前のファナス争乱の際に魔力は徐々に本来の力を取り戻し、彼の魔力が彼を死の寸前まで追い詰めることもあった。
 それでも、彼は魔力を封じることの出来る者たちに救われて、今も生きている。
 ――だが。
「ええっと……」
 魔力を封じる、抗魔力結界のあたえる影響が、波が引いていくかのように消えていく。
「力、が」
 行き場のない魔力が熱となり、体中を燃やしはじめている。――今になって何故、と考え、同時になぜ抗魔力が自分に影響しなくなったのかと、狼狽した。
「水竜っていうのも、いまいち融通のきかない存在だな」
 体中の血液を、一気に凍結させて凍えさせるような突然の声に、リーレンは胸を押さえていた体を、打たれたかのように跳ね上げた。すでに遠くに歩き去っているロキシィの小さな後姿を確認するよりも早く、頭から布を被って佇む小柄な人影に目を見張る。
「まさかっ!」
「久しぶりだね、従兄弟殿」
 アウケルンの湖面を、切り取って布地にしたかのような鮮やかな碧の下で、薄い唇が皮肉にゆがめられた。
「エアル……ローダ……」
 切れ切れの声で訴える。名前を呼ばれて、口元が初めて笑う。
「魔力をコントロールする術をいい加減覚えなくちゃ、死ぬよ?」
「一体、何を……」
「わからないかな。ティフィを守護する水竜は、ティフィに危害を与えない魔力の排除をやめたんだ。水竜は、残り五つの獣魂たちに命令を下すことが出来る。元々抗魔力っていうのは、獣魂たちが持つ力だから。各公族たちの力が及ぶ範囲をかえることも出来るわけだよ」
「――力の範囲を、かえる?」
「僕ら魔力者のように、もって生まれた能力ではないってことさ。そして、水竜は僕をティフィの味方だと認定した。なら当然だろう、従兄弟殿のこともそう認定するさ」
「――でも……」
 否定の言葉をつむぎだし、リーレンは首を振る。
「アティーファの側にいる時だけさ。解除されるのは。今なら、この皇都の中だけさ」
 二年前に見せた酷薄さはなりを潜めているが、他人を馬鹿にするような態度は何一つ変わらない。エアルローダは母親に良く似た顔でリーレンを睨むと、軽く肩をすくめてみせた。
「今日はあんまり外に出てるわけにはいかなくってね。ま、気が向くんだったら、今度からコントロール方法を教えてやるよ。直ぐにはムリだから、ティフィに頼むんだね。抗魔力の影響下に戻してくださいって」
 今度こそ、完全にリーレンを見下した言葉。
 流石に怒りが立ち上って、リーレンは魔力の膨張に苦しみながらも、少年を睨む。
 布の下に隠されている、碧き髪がゆるりとこぼれて、少年は喉を鳴らした。
「こんなことで怒っている場合じゃないだろうに。――魔力をコントロール出来ない、高能力者なんて、一年も持たずに死ぬよ? ま、従兄弟殿が死ぬのは僕にしてみればどうでも良いことだけれど、ティフィには意味があるみたいだからね」
 一旦言葉を切ると、エアルロードはなぜか寂しそうにした。
「僕はティフィがいればそれでいいけど、ティフィはそうじゃない」
 ――たった一人の永遠が勝ち取れればいい。
 そのひどく寂しげな様子に、一瞬気おされてリーレンが息をのむ。狂気に支配された狭い村の中で、死ぬことも当たり前だと要求され、狂った望みをかなえるようにと願われて育った子供の苦しさが、伝わってきたような気がしたのだ。
「エアル……」
 名を呼ぼうとしたリーレンを、突然の鋭さでエアルローダが睨む。
「君、僕を同情できるほど余裕があると思ってるわけ? だとしたらとんだお笑い草だね。まあ、別に構わないけれど。ティフィは僕だけの永遠なのだし」
「――なっ!」
「望みを手にするためならば」
 くすり、とエアルローダは笑う。
 リーレンはファナス争乱時の被害を改めて思い出して、眉をしかめた。
「負けません。ところで、一体なんだってあなたは女装している?」
「ああ、これが一番ばれにくくて簡単な変装なんだよ。二年前、皇都を襲ったのは少年魔力者であって、少女魔力者じゃないからね」
 さらりとあでやかな仕草をしてみせながら、エアルローダが振り向く。
「ああ、ティフィが来た」
「え?」
 リーレンが顔を上げると、彼の麗しの姫君が心配そうな顔で走っていた。
 アティーファ、と彼が声を上げるよりも早く、少女の格好をした魔力者が軽く手をあげる。走っていた少女はすぐさまそれに気づき、唇が「エア」と呼ぶ形に動いた。
 そしてリーレンはみた。一瞬、ちらりとエアルローダが彼を見やって、不敵に笑った瞬間を。
 ――むかつく。
 はっきりと、自分の敵はこの少年なのだと、リーレンはようやく心底から理解した。
 押しのけてでも先に前に出ようとした気力を削ぐように、アティーファが「エアっ!」と嬉しそうな声を上げた。間違いなくニヤリとしたエアルローダは振り向いて、両手を広げた。ダッシュをかけたアティーファは、迷いなく彼の腕に飛び込む。
「涼しい〜」
 至福の表情で目を細めた。
 アティーファをおってきた兄代わりであるカチェイとアトゥールが呆れた顔をする。リーレンはずるりと足を滑らせて、ひどく情けない表情で皇女を見つめた。
「アティーファ?」
「あっ! リーレン、探したっ!」
 満面の笑顔になりながらも、エアルローダに抱きついた体を離そうとはしない。
 猛暑の中で、魔力をわずかに利用して冷気をまとうエアルローダの腕の中というのは、なんというか――楽園だった。
「リーレン」
 ぽん、とカチェイが肩を落としたリーレンの背を励ますように叩く。涙目で、リーレンは「私、絶対に魔力コントロールできるようになります」と言った。

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竹原湊 湖底廃園
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