暁がきらめく場所
夏祭り 最終話
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 フォイスの召集に各公族が集まってから、七つの夜を越した後、広場は完全に姿を変えていた。
 市場に立つような小さな店が幾つも立ち並び、威勢のよい声が飛び交っている。広場中央には演台が備えられ、壇上にはあろうことか近衛騎士団の顔ぶれがあった。常夜灯が幾つも臨時に備えられ、赤々とした炎が、夜陰に眠るべきであった場所を照らし出している。
「変われば変わるものだね」
 目を丸くしたのはレキス公王のグラディールで、傍らでは赤ん坊を抱えたダルチェが目をしばたいている。
「人ごみの中に入っていきたくないわね。グラディール、何か買ってきてよ」
「ええ? 私が一人でいってくるのかい? ダルチェ、それよりも、買ってくるのは誰かに頼んで、一緒に座っていようよ」
「何を変なこと言ってるのよ。行きたくないなら、私がいってくるわ。ちょっとこの子を抱いていてよ」
「いや、そうじゃなくってね、ダルチェ」
 困ったように笑いながら、グラディールは妻の肩をすばやく抱く。傍らを走りぬけようとした金色の髪の少女――ミレナ公女シュフランが彼らの様子に気づいて、足を止めた。
「何をしていらっしゃるの、レキス公王」
「おや。これはこれはミレナの姫君。お久しぶりですね」
 妻の肩を抱いてご満悦のグラディールが答える。
「一年ぶりだと思います。公子殿下はお健やかでいらっしゃいますか?」
「ええ。おかげさまで、とても元気にしています。ほら」
 子供を得てから、少しばかり丸くなったダルチェは腰を屈めて、わが子をミレナ公女シュフランに見せる。弟妹のいないシュフランは顔を輝かせて「可愛い」と笑い、
「わたし、妹か弟が欲しかったんです。一人っ子は寂しいんです」
 続けて呟いた言葉に、グラディールが目を輝かせる。
「そうですよね、ミレナ公女。やはり兄弟は居たほうがいい」
「え? え、ええ。私はそう思ってますけれども」
 力強いグラディールの言葉に、気おされてシュフランが困惑する。ダルチェは額をおさえると、この場は納めるからどうぞ行って下さいとシュフランに言った。
 シュフランは頷き、再び会場内を走り出す。
 演台の上では、近衛騎士団の演目がたけなわになっており、騎士団長キッシュが姿を現していた。
「なんか、派手。いくら騒ぐのが好きだからって、やりすぎーっ!」
 頭痛いかも、とシュフランは呟きながら、人ごみを縫う。
 会場内に居るのは無差別に集まってきた皇都の民達だった。それぞれ姿を隠すために変装をした皇族やら公族が、大量にまぎれているとは、誰も思っていないだろう。――いや、まぎれているだけならいい。まぎれているだけなら。
「父さまっ!」
 目的を見つけて、シュフランは声を張り上げた。
 姉のように慕うアティーファと、旅から戻ってきたリーレンと一緒に”祭り”とやらにやってきたシュフランは、憧れの公子二人から、とんでもない事を聞いてしまったのだ。
 ――放浪公王が、出店の一つを仕切っている。
 信じられない。いや、信じたくない一心でシュフランは走り、そして見つけた。
 放浪公王ロキシィは、どこの異国で仕入れてきたのか分からぬ衣装をまとい、水槽の中で泳ぐ小指大の赤い魚の前でしゃがんでいる。
「何をしているのよ、父さまっ!」
「おう、シュフラン」
「名前を堂々というなーっ!」
 小さな拳を振り上げて、父親の頬にヒットさせ、少女は肩で息をする。父親は豪快に笑って「ミレナ公女に手を出すやつなんざいねぇよ」と言った。
「なんでよっ!」
「お前に手を出させるわけねぇだろ。俺がいんのに。それよりも、ほれ」
「……なに?」
 頬を膨らませる娘に、父親は不思議な道具を渡す。針金を円形にし、取っ手をつけたものだった。円形の部分には、紙がはってある。
「すくうんだよ、それで。こいつらを」
「すくう? そんなの出来るわけないじゃない、紙なんかで。……ええ!?」
 ふん、と威張った娘の目の前で、放浪公王をただのおじさんとしか思っていない子供たちが、僅かな小遣いを支払って、魚をすくっていく。
「な、なんで!? どうして!!」
 困惑するシュフランに、子供たちは顔を上げて、無邪気に笑った。
「楽しいよ、お姉ちゃんもやってみたら?」
「なんで出来るの?」
 素直に尋ねて、膝を折る。子供に言われるままに水の中に入れて魚を追ってみるが、シュフランは一匹も救えなかった。
「あれ? なにをしているんだ?」
 聞きなれた声に、シュフランは唇を尖らせながら振り向く。リーレンと憧れに二人の公子と共に、アティーファが後ろに立っていた。
「姉さま。わたし、魚全然救えない」
「さかな?」
「金魚すくいっていうんだよ、これをやってる異国じゃな」
 完全に屋台のおやじと化しているロキシィが声を挟む。へぇ、と腰を屈めるアティーファと、ただ少女達を見つめる二人の公子をみやって、放浪公王はニヤリと笑った。
「おめえら、やってみろよ」
「は?」
 声を向けられて、カチェイとアトゥールは不思議そうな声を返す。
「可愛い妹分が取れないって困ってんだ。取ってやるのが兄貴分ってところだろう」
 挑発するように、少しばかり低い声。
 カチェイは苦笑いすると、ロキシィの差し出した道具を受け取った。ご丁寧に遊び料まで徴収されて、膝を折る。先に挑戦したアティーファとリーレンは、シュフランと一緒に撃沈されていた。皇都の子供たちは、それを尻目にどんどん魚を取っていく。
「カチェイ、頑張れっ!」
 拳を握り締めて言われて、カチェイは緊張した。
 剣で勝てといわれたならば自信がある。だが――これは。
 初めて実戦に出たときよりも緊張しながら、カチェイは水のなかに差し入れた。魚はゆうゆうを泳いでいる。――そして。
「あっ!」
 残念そうな声をアティーファが上げ、他の面々の溜息が漏れる。
 薄い紙は簡単に破けていた。横で、またもや皇都の子供が、獲物を取っていく。
「……アトゥール」
「……え?」
 後退しようとしていた親友の足首を、振り返りもせずに掴む。カチェイはそのまま「逃げるな」と低く言って、ゆっくりと振り向いた。
「俺にだけやらせんなっ! お前もやれ!」
「私は遠慮しておくよ」
「遠慮なんてしなくていい。お前の分も俺が払ってやる。だから、に・げ・る・な」
「カチェイーっ!」
 二の腕を掴まれて座らされ、ニヤニヤ笑う放浪公王から手渡しされて、アトゥールは水面を睨む。必死に今まで読んできた書物やら、人から聞いた話などを思い出し、現状に対応できるものはないかと考えるが――何一つ、なかった。
 周囲に人だかりが出来る中、二人の公子は妹分の声援に見守られて、金魚取りとの格闘が続く。
 丁度その喧騒の外側を、はしゃぐ子供と妻と共に歩いていたガルテ公国のセイラスは、さりげなく喧騒からそれるように足の方向を変えた。妻のシャンティが気づいて首を傾げ、ひょい、と夫の行動を無視して人だかりを見やる。
「ねえ、ラス。あれ何かしら」
「なんだろう。知らないよ、シャティ」
「なぁに、その冷たい返事。さてはラス、何をするのか今日の今日まで分からなかったのが悔しいのね!」
「まあ、そういう事にしておいてもいいよ。シャティ」
 にこりと笑いながら、堂々とした声を持つ男は、妻の背を押そうとする。鮮血の軍師ガルテの再来と目されるこの男は、奇妙な遊びが山ほどあるこの広場を、危険なものと認識していた。なにせ見るもの全て、彼にとっては特に必要性を感じないものでありながら、子供たちと妻ははしゃぎまくっている。何時変わりにやってと言われて、出来ずに醜態を晒す羽目になりかねないのだ。
 実を言うと、人だかりになっている場所が、放浪公王ロキシィが受け持っている担当であることをセイラスは知っていた。そしてセイラスはこうも考えていた。――ロキシィは利用するには得がたい駒であるが、利用の必要がないときに近寄る必要はないと。
 ゆえに立ち去ろうとするのだが、妻と子供たちは喧騒に興味を持って中々離れない。そのうちに、幼い兄妹が走り出して、人だかりに突進してしまった。
「ルシャ、セイカっ!」
 声を上げるが既に遅い。
 可愛らしい子供たちの参加に、人々は列を割って、中へと進ませる。とっさに駆け寄り、二人を捕まえたときには、ニヤニヤ笑いを極めたロキシィの顔が目前にあり。
 そして。――金魚すくいの道具を、差し出されていた。
 隣では、何度目の挑戦であったのか分からないが、二人の公子が仲良く最初の一匹をすくいとって、ばてていた。



 盛況でなにより、とフォイスは呟いて笑った。
 背後には大量の薪がくべてあり、水竜召喚に備えている。
「ま、なんとかやっていけるだろう。問題は山積みだがな」
 もう一度、やわらかく笑って。
 フォイスは、突如点火させた炎の隣で、水竜を呼んだ。

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