暁がきらめく場所
夏祭り 第二話
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 各公国からエイデガル皇国への旅程は、当然ながら公国ごとに異なる。全てが一斉に揃うわけもなく、皇城へと続く港はかなりの賑わいを見せていた。快速艇を利用して先行した公族に追いつこうと、通常の旅船を飛ばしてきた各公国所属の騎士団の動きがもっとも激しい。
 掛け声の飛ぶにぎやかな港の混雑を、一船の快速艇が縫うようにして港に滑り込んだ。突然の割り込みに、騎士団所属の船乗り達が方々から怒声を上げる。
 怒声に応えるように、快速艇から青年が姿を現した。
 薄茶の髪を風に揺らせて、彼は軽やかに甲板から飛び降りる。青緑色の瞳は船乗りたちを見渡すと、快さげに笑った。
「割り込んで悪かったね。少々事情があって、急いでいたものだから」
 悪戯っぽい声の主は、ティオス公国の公太子アトゥール・カルディ・ティオスだった。
「お急ぎなんですか、公子殿下」
 物怖じせぬ船乗りが陽気な声をかけると、無造作に一まとめにしてある髪紐を結びなおしながら、肩をすくめる。
「ちょっとね、とんでもない拾い物を川の上で見つけてしまってね。これは早く届けないと、と思ったわけだよ」
「拾い物ですかぁ?」
「そうそう。中々拾えるものじゃないと思うね。船乗りの舵を勝手に奪い取って、快速艇を浅瀬に座礁させて、立ち往生している高貴な一行なんて」
「――なんですって?」
「どんな恩を売りつけようかと、考えてみたりもすりワケだよね。なぁ、カチェイ?」
 悪戯な声を低めて、ちらりと背後をみやる。
 声にあわせたかのようにのそりと出てきた影は、不満きわまりない顔をあらわにした。
「ありゃ、カチェイ公子じゃないですか」
 とんきょうな声を船乗りが上げる。
「アトゥール。いくらなんでも、人を船倉に押し込めるか」
「快速艇には、人が普通に納まっていられる場所は少ないって相場は決まっているものだよ」
「だーかーらーってーなーっ」
「可哀想なのは、壊れた快速艇を修理してから駆けつけなくちゃならない、カチェイの部下達だと思うんだけどね」
「お前に船倉に押し込められた俺だって可哀想だよ。あいたたたた」
 大袈裟に頭を抑えるカチェイの背を、うるさいとアトゥールが軽く叩いた。促されるように歩き出して、二人のんびりと城を目指す。
「しっかし暑いな、皇都は」
 額の飾りを一旦はずし、手の甲で汗を拭って、カチェイは空を見上げる。
 さんさんと日差しを落とす太陽の側には雲ひとつなく、暑さがゆるみそうな気配は全く存在していなかった。
「このままでいくと、皇都の農作物は大打撃を受けるだろうね」
「だろうな。ま、備蓄してある穀物の量に問題はないから、そうそう悲劇なことにはならないだろうよ」
「そうなんだけどね。どうも皇王陛下は無理矢理な解決方法をお取りになるようだし」
「無理矢理?」
「獣魂召喚」
「――なるほど」
 普通に応えてから、さらに声を低めて尋ねた。なんか気になるのかよ、と。
「別に。ただ、困ったときの獣魂頼りっていうのは、イカサマのようだと思ってね」
「……だな。普通の国だったら、天災を左右することは出来ないわけだし」
「国の基盤を揺るがせる事態にさせるわけにはいかない。――ファナス争乱という大きな出来事があり、ガルテ公国内に不穏分子があり、アティーファがあの少年を生かすことを選んだ今は……。そういう事なのだろうけれどね」
 軽く肩をすくめる。
「相変わらず、気が抜けないのか。――ガルテのセイラスは」
「気が抜けないこと、この上ないよ。それに、なんだか近頃、ティオス公王がなにかしようとしているような気がするしね」
 父親のことを名前で呼ばずにアトゥールは目を伏せる。
「公王が?」
「――近いうちに、何か起きるかもしれないね」
「他人事のように言うなぁ」
「言われてみればそうだね。……解決できるとは思っているから、かな」
 我がことなんだよねと、ひどく不思議そうにアトゥールが首を傾げる。カチェイは相変わらず変な奴だと笑って、皇城への道を急いだ。
 途中、ふらふらと歩いてくる二つの影を見つけた。両方共にそれほど大きな影ではない。
「――おや?」
 カチェイが首を傾げると、二つの影は一生懸命としか形容できない動きで、手を振ってくる。
「アティーファに……シュフラン公女?」
「それにしちゃあ、元気ねぇな」
 二人、顔を見合わせる。それから空を見上げ、熱された空気を肌で感じ、納得した。
「この暑さ」
「恐るべしだね」
 口々に言い合う。
 元気がお見本のようなアティーファとシュフランのばてた姿など、そう簡単にお目にかかれるものではない。だが、この焼け付くような暑さの中に毎日居れば、ああなるのも仕方ないのだろうと二人とも即座に思う。
 よろよろと駆け寄ってくる妹分の為に、カチェイとアトゥールは周りを見渡した。皇城の野外で働く者達のために、先ほどから飲み物を配っている侍女たちが居る。中には冬場に切り出して来た氷を、山ほど詰め込んだ氷室を利用した貴重な冷たい飲み物もあって、それを二つばかり貰い受けて少女たちの元に駆け寄った。
「アティーファ、シュフラン、ちゃんと水分を取らないと」
 やわらかいアトゥールの声に、二人の公子に当分に恋するミレナ公女は顔を真っ赤で笑顔になった。それでも、目がとろりとしかけている症状が消えることはなく「早く飲んだほうがよいと思うよ?」と、アトゥールは声を重ねる。
 カチェイは水分補給を促させるのは親友にまかせて、道の周りを見わたしていた。馬ではなくて人が引く馬車に似た乗り物――人力車――が目に入る。それにカチェイは近寄って、軽く引っぱりだした。
「小さな姫君たちを、これ以上歩かせるわけにはいかないだろうしな」
 陽気な声で人力車引いてくると、先に限界が近いシュフランを抱えあげた。
「きゃっ!」
 可愛らしい声を上げるシュフランに、軽く片目をつぶってみせた。ミレナ公女はさらに真っ赤になって、カチェイの促すまま、椅子に深く腰掛けて暑さにつかれきった体を沈める。
 与えられた飲み物を無心に飲んでいたアティーファは、シュフランが安心したように眠りそうになっているのを見つめて目を細めた。それから声を落として、二人の兄代わりの名前を呼んだ。
「アティーファ、大丈夫か?」
 団扇でシュフランに風を送ってやりながら、カチェイは心配げな声をかける。
「うん。大丈夫。私はまだ、ほら、私は夜は寝れるから」
 アティーファの無邪気な返事にカチェイは笑いかけて「夜は、だと?」と固まった。
 ん?と、妹代わりは無邪気に首を傾げる。
「アティーファ、なんで夜だけ寝れるんだ?」
「え? だって、ほら」
「ほら? ……ま、まさか」
「うん。夏って、皇都には人が多いから、昼間はどこかに姿を隠しているんだけどね。夜はふらっと遊びにくるんだよ」
「――アティーファ。ふらっと……どこにだ」
「あれ? なんでカチェイの目がすわってるんだ? ねぇ、アトゥール」
「さあね。流石に私の眼もすわってしまいそうだし」
「ええ? どこって、窓枠にだよ。流石に、夜にこれ以上接近するのはね、って言うし」
「……あいつ、意外と常識人だったのか」
 二人、同時に安堵の息を落とす。
 他者にそう簡単に姿を見られるわけにはいかず、夜に姿を現す人物といえば、一人しか存在しない。かつての争乱の元であった魔力者、エアルローダ・レシリスだ。
「魔力自体じゃリーレンのほうが上だろうが、エアルローダは高能力の魔力を自在に操るからな。しかしその最強の魔力者が、今じゃ涼を取るための――うん?」
 ごちた言葉を途中で止めて、カチェイはぐるりと親友を見つめる。怖いほどに真剣な瞳を真正面で受けて、アトゥールは腕を組んだ。
「問題は二つ。エアルローダが何故魔力を使えたのか。リーレンは一体どこにいるのか?」
「リーレンの方は、放浪公王が引っ張りまわしたままって可能性が考えられるよなぁ」
「……? ロキシィおじさまなら、もう皇都に来ているよ」
 不思議そうに、考え込む二人の公子の顔をアティーファが見上げる。
 二人はさらにいぶかしげな顔になって、腕を組んだ。
「なんだぁ? リーレンが、皇都に帰ってきてアティーファのところに戻らないわけがないと思うんだけどな」
「ちょっと分からないね。……エアルローダの方だけどね、こっちは間違いない。水竜が認めたんだ、アティーファの敵ではないって。むしろ味方だとね」
「それだけか?」
「多分。アティーファ、エアルローダは魔力を使うのを自然としていたんだろう?」
「うん。辛そうな所は全然なかったよ。そうか、本当なら使えないはずだったんだ。そういえば、私の側でだったら使えるって言っていたような」
 考えこむように呟いて、アティーファはくるりと翠の目を回す。
 アトゥールは軽く少女の頭をなでてやって、考え込むような顔をした。
「あれ?」
「どうしたよ?」
「魔力が使えるようになった。水竜がアティーファの敵ではないと認めたからだよね。そしてアティーファの敵ではない魔力者といえば……」
「リーレン」
 言葉少なにカチェイが断言する。夏バテで生気をかいていたアティーファは、そこでようやく凛とした瞳を取り戻した。
「――じゃあ、リーレンがいないのって。来てないのではなくって。……私の側に近寄ると、魔力が突然に使えるようになってることに驚いて、どっかで立ち往生しているとか!? り、リーレンっ!」
 慌てた声で周囲を呼ばわる。さすがにそれに「はい、なんですか」と答えがあるはずもなく、アティーファは更に焦った顔になった。
「どうしよう、リーレンが一人で落ち込んでしまっていたら。魔力が使えるようになったっていうことは、私の側に居るにはよくないことなんじゃないだろうかって、リーレンなら考えてしまいそうだし」
「間違いないだろうね。――全く仕方ない、探すとしようか」
「う、うんっ」
「じゃあ、先に探しにいっててくれ。俺は城内にシュフラン公女をおくってから、追いかけるよ」
 軽く言って、カチェイが城の方へと歩き出す。アティーファはティオス公子を連れて、リーレンを探し始めた。

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