暁がきらめく場所
微風 第五話

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 続々と船が入港していくのが、前方に見えた。
 流石は大国エイデガルが催す式典だと関心しながら、リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアは、絹のような質感の髪を風になびかせていた。
「姉上様」
 幼い声がして振り向けば、布を幾重にも重ねた衣装に、リィスアーダによく似た漆黒の髪の子供が佇んでいる。真っ直ぐに肩の上で切りそろえられた髪が、やけにあどけなく可愛らしかった。
 側に付き従う者の姿がない。リィスアーダは首を傾げ、衣擦れの音と共にかがみこんだ。
「乳母に、近習はどうしたのです?」
「船室に閉じ込めてきました」
 熟れた赤い実のように頬を染めて、近づいた姉の耳にそっと囁く。まぁ、と呟いて、リィスアーダは幼い弟を軽く睨んだ。
「ミツハ。そんなことをするものじゃないわ」
 やんわりと諭すと、子供は拗ねてしまう。
 年齢は僅か八歳のミツハ・アルル・ザノスヴィア。ザノスヴィアの新王だった。
「だって、姉上。あれ等はうるさいのです。私に指図ばかりします」
「そうね。まだ幼い貴方に、王としての役割を担わせてしまったのです。周囲は貴方が不憫だけれども、勤めを立派に果たして欲しいと願いもする。だから口うるさくなってしまうのでしょう」
「私は、頑張っているつもりです」
「ミツハが頑張っていることは、知っているわ」
 鮮やかな笑みを向けて、リィスアーダは手を広げてやる。まだ甘えたい盛りの彼女の弟は顔をほころばせると、しっかりと抱きついた。
「姉上。マルチナ姉様には会えますか?」
「そうね。エイデガル皇国に行けば、誘われて出てくるのではないかしら」
 一年前の争乱以降、マルチナは表に出るのを好まなくなった。
 双子であり体を共有する者でもあるリィスアーダは、マルチナがエイデガル皇国のリーレンに恋をしている事を知っている。おそらくは、出てくることだろう。
「私は、マルチナ姉様が大好きです」
「じゃあ、ミツハは今私がいることが不満かしら?」
 そっと目を覗き込んで尋ねると、弟は大きく目を見開いて、とんでもありませんと首を振る。
「姉上も大好きです。でも、マルチナ姉様とは中々あえないから。あえないかなぁって考えてしまうんです」
 分かってくださいと訴える弟を、リィスアーダは優しい眼差しで見つめた。
 八歳の子供が、ザノスヴィア王国を支えることが出来るわけもない。
 実質上、摂政として政務を担当するのは姉であるリィスアーダの役目だった。マルチナが表に出なくなったのも、リィスアーダが背負う責任の重さを考慮してのことなのだろう。
 風が、頬にあたる。
 ほんの一年前に起きた争乱が偽りのように、船から見渡す光景は平和なものだ。遠くから見れば、確かに存在している傷跡は隠れてしまう。
 ザノスヴィア王国の船はそのまま入港を果たした。姉から離れたくないと言い張るミツハを抱えて降り立つと、懐かしい亜麻色の髪が瞳に飛び込んでくる。
「アティーファ皇女殿下」
「リィスアーダ姫。よく、来てくれた」
 儀礼的な挨拶もそこそこに、アティーファが駆け寄ってくる。腕に抱いている幼いミツハは驚いて目を丸くし、下ろしてくださいと姉に頼む。
「エイデガル皇国の皇女殿下でいらっしゃいますか?」
 あどけない声ながら、はっきりと尋ねる。アティーファは凛とした表情になって、「左様です」と答えた。
「私は、ザノスヴィアの王位を継いだミツハ・ノルル・ザノスヴィアと申します」
「遠路はるばる、ようこそお越し下さいました。私が、現王フォイスが一子、アティーファ・レシル・エイデガルです」
 柔らかに答え、スカートを持って礼をする。
 くすくすとリィスアーダが笑った。
「ミツハ、よく出来ました。その挨拶を、フォイス皇王陛下の前でもして下さいね」
「はいっ」
 はきはきと答える子供に、アティーファも相好を崩す。
「リィスの弟は、とても利発なんだね」
「ええ、自慢の弟です」
 すまして答えるリィスアーダに、アティーファはさらに笑いを深める。
 親しげな姉の態度に驚いて、ミツハは二人を見上げた。
「お二人は、友人なのですか?」
「ええ。そうよ、ミツハ」
「大の仲良しです。そうだ、ミツハ陛下。よろしかったら、私とも仲良くしてくださいますか?」
「私が、アティーファ皇女殿下とですか?」
「ええ。是非友人になっていただきたく」
 悪戯っぽい声音を出す。そうなさい、と柔らかくリィスアーダが助言すると、ぱっと顔を明るくしてミツハは頷いた。
「おやおや、アティーファ皇女殿下は年下がお好きだったのかな」
 華やかな声がする。
 驚いた二人の姫君が振り向くと、やけに気障な雰囲気の長身の男が立っていた。
「シェフトっ……殿下」
 声をあげたアティーファが、名前を呼び捨てたことに気付いて慌てて殿下を付け加える。フォイス陛下の宝の姫に呼ばれるとは光栄だねと、気障な男――シェフトは答えた。
 けぶる金髪に、青い目をした男は、アティーファが殿下と呼んだように王族だ。しかも隣国エイヴェルの皇太子だった。
「アティーファ皇女殿下。私に隣の麗人を紹介してはくれないのかい?」
「シェフト殿下に紹介すると、身の危険がありそうなのだが」
「ひどいことを言うね、アティーファ皇女。私は美しい女性に害なすような、野暮な男ではないつもりだよ」
 さらりと髪をかきあげて、歌うように囁く。それに胸を焦がす娘たちは多いらしいのだが、アティーファには可笑しくて仕方ない。必死に笑いを留めていると、隣でリィスアーダまでもが笑いを噛み殺していた。
 シェフトは二人の少女たちを見守りながら、まだまだ青いねぇと嘯く。挨拶をせねば失礼かと思ったのか、目を丸くしている弟の肩を抱き寄せて、リィスアーダは口を開いた。
「お初にお目にかかります。私はザノスヴィア王国にて摂政を務めております、リィスアーダと申します」
「私は、ザノスヴィア国王のミツハ・アルル・ザノスヴィアです」
 二人の王族の丁寧な言葉に、軽くシェフトは手を振った。
「ああ、固いのはなしにしよう。今は王族時間ではないからね」
「王族時間?」
 ミツハが不思議そうに首を傾げる。シェフトは片目をぱちりと閉じて見せた。
「王や皇太子だからといって、常に格式ばっていたら疲れるだろう? 仕事と私生活は別物だと考えると、素敵なものさ」
「そうなのですか?」
 きょとんとするミツハに、さらに語りかけようとして、一同は殺気を覚えた。
 ――鋭い。
 かなりの腕前を持つ何者かが、こちらを狙っている。
 シェフトが僅かに唇をゆがめた。指先がだらしなく帯刀している剣に走る。同時に走りこんできた闖入者にむかって、抜刀した。
 激しい金属音。
 まがりなりにも、父王フォイスや、最強の剣豪と尊敬されているカチェイに手ほどきをされているアティーファには、その太刀筋がかなりのものであることは分かる。
 エイヴェルは武を重んじる国。
「ちっ、仕損じたわ」
 軽やかな女の声。目を丸くするアティーファ達の目の前で、襲撃者は剣を治める。
 短い髪が、陽光を浴びて燦然と輝いていた。濃い蜂蜜のような色の髪と、シェフトと同じ色の青い瞳。すらりとした長身を軍服で包み、佇んでいる。
「もしかして、ナリア将軍でいらっしゃいますか?」
 エイヴェルの軍を統括する女将軍の名前をアティーファは聞き及んだことがある。だがナリアは式典を毛嫌いしていて、表に出てきたことが殆どなく、顔はあまり知られていなかった。
 剣を納めた襲撃者は恭しく膝をつくと、丁寧に挨拶を述べる。
「わが国の者が粗相を致しました。剣の錆にしてお詫びしようと考えたのですが、我が力の不足にて適いませんでした。お許しください」
 お許し下さいもなにも、他国の皇太子を死罪に出来るほどの失礼は受けていない。
 シェフトは大げさに肩を竦め、二人の姫君の前で首を振った。
「我が姉君の方が失礼だとお思いだろう、花の姫君たち」
「姉上?」
「ええ。私はシェフトの姉で、ナリア・ララ・エイヴェルと申します。昨年までは軍を率いておりました」
「昨年まで?」
「ええ。特に失態などおかした覚えはないのですが、皇太子の暴挙によって除隊されました」
「それは、あの、何故?」
 女将軍ナリアといえば、かなりの才能をもった人物なのだ。彼女を慕う者も多く、しかも身内ならば、これほど頼もしい味方はないはず。
「何時までも姉上に幅をきかせられるのも、面白くないだろう? 男としてはね」
「は?」
「それだけだよ、アティーファ皇女殿下。それに、軍をまかせることで、姉上の伴侶が見つからないままというのはお可哀想だろう。これで美人なのだから、埋もれさせるのも勿体無い。というわけで、相応しい男を捜すことにしたのさ」
「頼んでおらぬ」
「まぁまぁ、姉上。ああ、ローグとレティルもついたようだな」
 ローグとレティルは、双子国の片割れであるフェアナ王国の皇太子とその妹だ。年は離れているのだが、男同士、女同士でひどく仲がよい。
「今回は、随分と賓客が多いのね」
 リィスアーダは、混乱したままの弟を抱き上げて、そっとアティーファに耳打ちする。鋭い眼差しで、エイデガルの皇女は頷いた。
「近隣諸国との関係を深めておかねばならないって、父上が」
「なにか問題でも?」
「ないって言えば嘘になる。でも、まだ問題は起きてないんだ」
 皇都に仇なした存在であるエアルローダに、アティーファは生きろと願った。
 その結果、ファナス争乱ではかなりの被害を出したにも関わらず、首謀者は死んだという偽りの発表をしたのだ。これによって、エイデガル皇国と五公国の関係に変化が訪れる可能性はある、とフォイスは言った。
 何時、なにが起きるか分からない。だからこそ味方を増やし、自らがなした事は自覚しておくべきだと、アティーファも思っている。
 二人が話している間に、学者風の男と、大人しそうな雰囲気の娘が歩んでくる。
 シェフトがローグとレティルと呼んだ、フェアナの二人だ。
「アティーファ皇女殿下ですね。この度は誕生日おめでとうございます」
 アトゥール質の異なる穏やかさで、男が告げる。娘の方は、隣で黙って頭を下げた。見かけ通り、大人しい娘であるらしい。
「相変わらず麗しいね、レティル嬢は」
「シェフト、私の妹を口説いては困るよ」
 軽口をやんわりとローグが遮る。はいはいと答えたシェフトの足を、傍らのナリアが踏みつけた。
「とりあえず、ずっと此処に居るのもなんだから。式典が始まるまで、皇城の方に異動しないかな」
 アティーファが案を出すと、リィスアーダが即座に同意する。
 エイヴェルのシェフトとナリア。フェアナのローグとレティルも異存はなく、そのまま歩き出して皇城へ向かった。



 双子国の王族を父王にとりあえず託し、眠ってしまったミツハはアティーファ付きの侍女であるエミナにたくした。そのまま廊下を歩いていて、彼女たちは二人の公子に再会したのだ。
 ひとしきり喜んだ後、蒼水庭園へと場所を移し、今はお茶を飲んでいる。式典が始まるまでには、まだ少しばかり時間があった。 
「今回、双子国の姫君が同行してるのか?」
 アティーファの言葉に驚いて、カチェイが目を見張る。アトゥールは腕を組んで、目を伏せた。
「変だね。あの国は、姫君を他国に出したことはなかったはずだ。自分たちの意志でくるわけがない」
「それは、どうして?」
「双子国はね、代々姫を他国に嫁がせたことがないんだ。お互いの国で完結してる。だからあの国は、王族の親戚がやけに多い」
「その話でしたら、私も聞いたことがあります」
「リィスも?」
 本当なんだとアティーファは呟き、面白い国だねと感想を漏らす。
「その国が、同時に姫君を伴ってきた。これには意味があるだろうし、下手をすると……まてよ」
 考えこんだ後、アトゥールが目を軽く眇める。
 他国に嫁いだことのない双子国の姫君。
 他国と縁を結び、強固にする必要がなかったエイデガル。
「――やられた」
「アトゥール?」
 どうしたよと、カチェイがアトゥールの顔を覗き込む。アトゥールはその親友の首の後ろを掴むと、いきなり外に歩き出した。
 突然のことに、アティーファとリィスアーダは大人しく二人を見送る。
「なんだ、なんだよ、アトゥール」
「分からないかい? なんで双子国が姫を伴ってきたのか」
「はぁ? なんか深刻な理由でもあんのか」
「あるよ。あの国が自主的につれてくるわけがない。エイヴェルのナリアはあの国から出るつもりはないと公言してる。フェアナのローグは年の離れた妹のレティルを猫かわいがりしててね。遠くにやりたくないと言ってる。他国につれてくる必要は、まったく彼等のほうにはないんだ」
 言葉を強める。真剣なアトゥールの表情と、語られる言葉に、カチェイは嫌な顔をした。
「まさか」
「気付いた?」
「少しな。ちなみに今のエイデガル皇国には相応しい男子はいない、ってことだろ」
「そうだね。再婚するつもりはフォイス陛下にはないだろうし」 
 二人、沈黙する。
 他国と絆を強化したいエイデガル。
 他国に嫁がせはしないが、未婚の娘が居る双子国。
「間違いない。同伴しろって依頼したのはフォイス陛下だ」
 アトゥールの断言を受けて、カチェイは「俺等に双子国の姫を口説けってか」と、情けない声を出していた。

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