暁がきらめく場所
微風 第四話

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 船から降り立った所で、金褐色の髪の少女は空を見上げた。
「いい天気。アティーファ姉さまの誕生日って、かならず晴れね。きっと太陽に愛されているのよ。そう思うでしょう、ネレイル母様」
 彼女は名をシュフラン・リリア・ミレナという。
 ミレナ公国の公位継承者であり、幼い頃からアティーファとは個人的な付き合いを多く持ってきた少女だった。彼女の父王ロキシィが外出続きで、次期公王としての見本を示さないので、行儀見習で皇都に長期滞在する機会が多かった為だ。
 母親のネレイルも良くついてきていたので、アティーファとは姉妹のように仲が良い。それで姉さまと呼んでいるわけだ。
「そういわれてみれば、そうね。ここだけの話だけど、ロキシィとの結婚記念日はいつも嵐よ」
「そうなの? ネレイル母様、それって風が「この人と結婚しちゃダメだ」っていっているのではない?」
「あら、でも結婚しなかったら、私はシュフランの母親になれなかったわ。だからきっと、嵐は私に動じるなっていっているのよ」
 穏やかに笑って、ネレイルも船から降り立つ。
 十一歳の娘は複雑な顔で「それが問題なのよね」とぶつぶつと呟いてから、笑顔になって走り出した。
 各公家専用の船場の入り口に、亜麻色の髪の少女が立って手を振っていたのだ。
「アティーファ姉様ーっ」
「シュフラン、久しぶり」
 駆け出すシュフランと同時にアティーファも走り出す。シュフランはぎゅっと年上の皇女の腕に抱きついて、にこやかに笑った。
「アティーファ姉様。実はよくないお知らせがあるの」
「よくない? それは?」
 眉をしかめ、藤色の瞳を曇らせた少女の顔をアティーファが覗き込む。難しい顔に少しばかりの悪戯っぽさを秘めて、シュフランは母親の方を振り向いた。
「ロキシィ父様がこないのは何時ものことだけど。あのね、アティーファ姉様。いないってことは……お土産があるの」
「ロキシィおじ様の……お土産」
 ミレナ公女以上に複雑な表情をアティーファが浮かべる。ネレイルは二人の少女を暖かい笑みで見つめながら、手にしていた二つの箱を少女たちに示した。
「シュフランったら怖がってね。アティーファと一緒に開けるといってきかないの」
 母親のネレイルも、公的な場所以外ではアティーファに対して敬語を使わない。母親を知らないアティーファにとって、唯一母を感じる女性がネレイルなのだ。
 少女たちは顔を見合わせ、沈黙する。
「とりあえず、開けないのも悪いし。変な音はしないし」
 受け取った箱に耳を寄せて、アティーファが言う。
 シュフランは「変な匂いもしなかったわ」と言った。
 もう一度顔を見合わせ、頷き、箱に手をかけて、硬直した。
 ネレイルが首を傾げて箱の中を覗き込む。
 中には、はずれ、と書いた紙だけが入っていた。



「信じられない、信じられない、信じられないっ!!」
 完璧にむくれているシュフランの背に手を置いて、アティーファは皇城の中を歩いていた。声を聞きつけて、奥からリーレンが出てくる。
「皇女、どうされましたか?」
 リーレンは、カチェイ、アトゥールの公子以外の人間がいる場合には、アティーファのことを皇女と呼ぶ。これは彼のけじめなのだが、アティーファからみると不満だ。
「いや、ロキシィおじ様からの土産を開けたら。はずれって書いた紙が入っていたんだ」
「はずれ? それは一体」
 首を傾げたリーレンの腕を、がっしりとシュフランが掴む。
「馬鹿にしてるのよ。貴方だって、ロキシィ父様から土産を貰ったら警戒するでしょ? だから今回は何も入れないでおいて、私たちの警戒心をあざ笑っているのよ。もーう腹がたったわ。絶対に帰ってきても口利いてやらないから」
「そう言って、一日以上持ったことないわね、シュフラン」
「ネレイル母様の意地悪! 今までは、今までよ。今回こそ無視だわ。もーう、本当に怒ってるんだからぁ!」
 小さな体で怒りに燃えるシュフランをリーレンは微笑ましく見守る。アティーファも彼女を見やって、そうだと声をあげた。
「シュフラン、早く父上との挨拶をすませるといい。アデル・ティオスの船影が見えたっていう報告があったから」
「え!?」
 頬を赤く染め、シュフランは途端にそわそわし始めた。
「シュフラン公女は、カチェイ公子、アトゥール公子に用事があるのですか?」
 雰囲気を読めずにリーレンが尋ねる。シュフランは「用事じゃないけど会いたいのっ!」と唇を尖らせたので、アティーファはくすくすと笑った。
「リーレン、シュフランは二人が好きなんだよ?」
「え、お二人がですか?」
 かなり年齢差があるのではと口に出さずに思う。だが顔には出ていたらしく、途端にむくれた表情で、シュフランは腰に手を当てた。
「なによぉ、文句ある? 十六、十八歳差がなによ。あと数年もすれば、シュフランだって大人に見えるわっ!」
「いえ、文句などはありません」
 慌てて言い繕うリーレンに食って掛かるシュフランに、ネレイルが口元に手を当て、
「内心は気にしているのよ。年齢差よりも、先に公子たちに恋人が出来てしまわないかしらってね」
 柔らかに笑いながら娘を見守る。
「シュフラン、もうおやめなさい。リーレン殿が困っているわ。それにもうフォイス皇王陛下の執務室の前ですよ」
「え? あ、はいっ。ネレイル母様」
 冷静な表情を取り戻して、シュフランは居住まいを治した。



 エイデガル皇王フォイス・アーティ・エイデガルは、忙しすぎる日々を送っていながら、忙しい様子を他人に見せない男だった。
 シュフランがノックして部屋に入ると、彼は丁度お気に入りにカップに紅茶を注いでいた。
「大きくなったな、シュフラン」
 目を細めて笑い、フォイスは手でミレナ公女を招く。
 アティーファにとって、シュフランの母ネレイルが母親のイメージだ。シュフランにとっては、アティーファの父フォイスが、理想の父親像になる。
 手招きにをされて、幼い公女は母親を見上げた。ネレイルが頷いたので笑顔でフォイスに駆け寄る。
 シュフランの金褐色の髪を撫でながら、フォイスが「アティーファ」と愛娘の名前を呼んだ。
 妹のように思っている少女の無邪気さに目を細めていたアティーファは「え?」と呟いて、首を傾げた。
「父上?」
 二人、同じ色の翠の瞳を細めて、父王は無言で娘を見る。
 えっと……と呟いた皇女の背をネレイルがそっと押した。
「親は子供に甘えて欲しいものよ。親に甘えるのは、親孝行だわ」
「……ネレイルおば様」
 ファナス争乱が終わってから、アティーファが急速に大人になろうと焦っているのを、ネレイルは感じていた。
 何故そうなったのかは分からない。
 何を背負い、何を守る為に強くなろうとしているのか。
「強くなる必要があるのね。でもね、アティーファ。親にとっては、幾つになっても我が子は子供なのよ。他の誰にも甘えることが出来なくなっても、親に甘えるのは許されているわ。それが子供の特権よ」
 柔らかな説得を受けて、アティーファは迷うように視線を浮かせた。幼馴染のリーレンはフォイスの部屋に入る前に立ち去っている。ここには、幼い日々を家族のように過ごしてきた相手しかいない。
 ちらりと上目遣いで父親を見つめる。
 フォイスは表情一つ変えずに、ただ愛娘の行動を見守っていた。
 ようやく歩き出して、アティーファは照れたように父親の隣に立つ。何か言おうとした瞬間、いきなりフォイスが手を伸ばして、愛娘の腰を抱き寄せた。
 丁度、フォイスの右膝に座る形になる。
「父上!?」
 驚いた声をあげる娘の頭を、フォイスは何度も撫でた。
「アティーファ、十七歳だな」
「うん」
 居心地は良いのだが、気恥ずかしくてアティーファは真っ赤になる。そんな気持ちはわかっているだろうに、フォイスは放そうとしなかった。強くなろう、大人になろうと足掻く娘は、甘えてよい時の判断が出来なくなる。
 無理矢理甘えさせるのも、大人の役目というところだ。
「父上っ!」
「怒るな、アティーファ。そうだ。忘れる前に渡しておこう。これは私とロキシィから贈り物だ」
「え?」
 驚いて父親の顔を覗き込むと、フォイスは執務机の隣に置いてある箱を指差す。
「あまり表に出たがらないお前が、唯一外に出る機会だからな。父親としては、お前が馬鹿にされるのは好まんよ。もう一つの箱は、少し遅れたがシュフランにだ」
「え!? 私のもあるんですか?」
「ああ」
 少女たちの体をようやくフォイスは離し、開けてみろというように背を押す。アティーファとシュフランは顔を見合わせて、それぞれの箱に手をつけた。
「わぁ!! 綺麗っ」
 先にシュフランが歓声を上げる。
 彼女にはまだ大人びているような感のある、華奢な首飾りが中で煌いていた。少女と同じ色の、藤色の石が銀細工の中にぴたりとはまっている。
「これ、フォイス様が選んでくださったんですか?」
「いや、シュフランのほうはロキシィが選んだよ」
「え? ロキシィ父様が?」
「ああ」
 ゆったりと答えて、フォイスは悪戯小僧のような眼差しで頷く。
 今まで父親から贈られてきた品々を思い浮かべて、混乱するシュフランの前で、アティーファも箱を開けた。
 隣国の王女、リィスアーダがまとっていたのと同じ質感の布で作られた、あでやかな衣装が中に入っていた。彼女の瞳の色が所々に配されており、中に入っていた靴と装身具も、翠色をしている。
 靴以外は、触れるだけで不思議なぬくもりを手に感じた。
「父上? これは……」
「お前の母、リルカに昔作ってやったものだよ。着る機会は何度もなかったがな。折角なので、お前に合わせて作り直した」
「母上の」
 アティーファは顔も知らぬ母親に甘えているように、衣装をぎゅっと抱きしめる。
「私とリルカの出会いが、どのような結果を引き起こしたのかは、お前が一番知っただろう。だが、結果が罪深くあろうとも、自らが選択したことは後悔もせぬし否定もせん。アティーファ、罪を背負って無理に笑うのでは駄目だな。罪を背負ってでも、本気で笑えるように生きろ。一人で出来ぬのならば、それを支える者を探せ」
「支える者?」
「所詮、人は一人では強くはなれんよ。補われなければ、強さにはほど遠い」
「……父上」
 瞳を伏せたアティーファの前髪をくしゃりと避けて、フォイスは娘の額に手を触れた。
「今は無理をするよりも、見極ることだ。誰が味方になりうるのか、誰を警戒するべきなのか。味方を持つ者は強い。――ミレナ公女」
 不意に五公国を統べるエイデガル皇王の顔になって、フォイスはシュフランに語りかける。声音と雰囲気の違いに、シュフランはすぐに姿勢を正した。
「はい」
「アティーファをよろしくな」
「――勿論ですっ!」
 頬をうっすらと赤く染めて、シュフランは凛と答えた。
 それをアティーファは見つめていた。

 
 フォイスの執務室の中にまでは同行しなかったリーレンは、とりあえず誕生パーティが行われる場所の確認をしようと、外に急いでいた。
 エイデガル皇国内で、皇族を襲おうと考える不届き者などいないだろうし、警備は近衛兵団が抜かりなくやっているのだろう。だが、やはりこの目で見ておきたい。
 城下町と皇城とが地続きになる光景は壮観なもので、リーレンは感嘆の息をついた。
「なぁ、そこの兄ちゃんっ!!」
 不意に、横手から声がかかる。
 最初は自分が呼ばれているとは思わず、リーレンは真っ直ぐに前を見ていた。だが「兄ちゃん」と繰り返されて、不思議に思って振り返る。
 好き放題にはねている金色の髪が柱の影にあった。さらに不思議に思って近づくと、いきなり伸びた手に腕をつかまれて、引き込まれる。
「な、なんですか?」
「あんた、リーレンさんだろ?」
 腕を掴んだのは子供だった。身長もリーレンの腰までしかない。見上げてくる目は好奇心に輝いている。
「そうですけれど。どうして私を? 有名人でもないはずですが」
「はぁ? あんた有名人だよ」
「……? ええ!? 私がですか!?」
「うん。城下町でね。だって凄いじゃんか。あんた平民出身の魔力者なんだろ? なのに皇女付きの側近になって、その上恋仲になってるって話しじゃん!!」
「は? 恋仲?」
「そうそう。凄いよなぁ。やっぱり、エイデガルだから許されることだよな。だってさ、普通の奴が皇女殿下の恋人になれるなんて」
 何故か子供自身が照れたように頭をかいている。リーレンは意味がわからずに混乱していた。
「あの、私は別に皇女殿下と恋仲ではないんですが」
「そんなぁ。またまた。隠さなくったって、いいじゃん」
「いや隠しているのではなくて」
「チェスカっていうんだ。今日、やっと正式に近衛兵団の見習いになったんだ」
「そうですか。私の名前は」
「知ってるって。なんか想像してたのより、ぼーとしてるんだな、兄ちゃん」
 じろじろと見上げてくる。頬にちっているそばかすを数えて見ながら、リーレンは思い切り動揺している内心を、必死に隠していた。
 ――皇女と恋人同士という噂が流れている?
「ええっと、でも、一体どうして」
「なぁ!! どうやったら、ああいう高貴な立場の人の側に居ることって出来るんだ?」
「どうやってって。別に、コツなんてないんですが」
「じゃあ、兄ちゃんはどうやって生きてきたの?」
「それは……とりあえず全力で」
「ふぅん。なるほどな。全力か。よし、分かった! ありがとな、兄ちゃん! アティーファ皇女殿下と幸せになーっ!」
 勝手に納得して、チェスカと名乗った近衛兵団見習員は駈け去っていく。
 誤解させたままだと気づいて、慌ててリーレンも引き込まれた路地から飛び出した。金色の髪を探す前に、突然現れた人影にぶつかりそうになって急停止する。
 うわっ!という叫び声を、リーレンは背を折って必死に飲み込んだ。
「ほーお」
 頭上から声。
「なるほどね」
 横手からも声。
 体の中の血液が一気に下がって、リーレンは蒼白になった。
 忘れるわけがない。この声の主は――。
「まさかっ!!」
「よぉ、久しぶりだな」
 にんまりと笑ってくる。剛毅さを伺わせる端整な顔立ちは、一年前に別れたときと何一つ変わっていない。
 ぽん、と肩を叩かれた。
「で、一体いつアティーファと恋仲になったのかな?」
 ぎしぎしと軋んだ音を骨がたてそうなほど、体をこわばらせて横手を見る。
 薄茶色の長い髪を風に揺らせ、変わらない穏やかな表情で微笑む青年の姿。
「……カチェイ公子、アトゥール公子……」
 とんでもない場所を見られてしまったと、リーレンはがっくりと肩を落とした。

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