暁がきらめく場所
微風 第二話
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「団長ーーーっ!」
 足早に歩く近衛兵団長キッシュ・シューシャの背に、少年の声がかかる。
 無駄のない動きで振り向いて、キッシュは静かに足を止めた。
 くるくると良く跳ねた金色の髪を揺らせて、背に声をなげた少年が走ってくる。
「城下の準備、できたみたいですよっ!!」
「そうか」
 ご苦労だったなと短く告げて、キッシュは歩き出す。
 エイデガル皇城は、碧玉の湖アウケルンの中ほどにそびえたっている。岸辺の城下までは距離があり、普段は船でしか行き来できないようになっていた。
 本来は水で分けられている、エイデガル皇城とエイデガル皇城下。
 そこが幾百もの船を繋ぎとめたもので、地続きになっている。
「なんだか、格好よいなー」
 目を細め、晴れやかな声で少年が感嘆する。
 少年は名をチェスカといって、まだ九歳の少年だった。
 一年前のファナス争乱時に、エイデガルとザノスヴィアの国境に掛かる橋、アポロスの近くで戦に巻き込まれ、親を失った戦災孤児だ。
 ミレナ公王ロキシィに助けられ、チェスカは一命を取りとめた。
 怪我から回復してみれば、かなり機転のきく聡明な子供だったのを気に入ったのだが、ある日突然エイデガル皇都にと追いやられたのだ。
 変わってチェスカの面倒を見るようになったのが、市民出身の近衛兵団長であるキッシュ・シューシャだったわけだ。
「団長、城と町を繋げてどうするんです?」
 船で作り上げた道の上に、職人達が次々と板を張っていく。
 平らな足場を作り上げようというのだ。
「皇王陛下と、皇女殿下が、あの中央までお出ましになるのだ」
「そうなんですっ!? うわぁ、ボクもお姿を見てみたいなっ! 遠くからなら、見れるでしょうか?」
「遠くなくとも」
 ぽん、とキッシュは無骨で大きな手をチェスカの頭の上に乗せた。
「側近くでお姿を拝することが出来るぞ」
 今日はエイデガル次期皇王、アティーファ・レシル・エイデガルの十七歳の誕生日だ。
 そして皇王フォイスの命令で、皇公族も市民の差を廃した、無礼講の祭が行われる初めての日でもあった。
「忙しくなるな」
 お前は楽しんでこいと告げて、とキッシュはチェスカの手に小銭を握らせる。
 近衛兵団員は、もしもの事態に備え、警戒する必要があった。
 皇王と皇女。そして招待した近隣の王族たちを守らねばならない。
「団長、あの!!」
 ぎゅっと、チェスカがキッシュの軍装のマントを握り締める。
「ん? なんだ?」
「あ、あの、その……ミレナ公女殿下も、いらっしゃいますか?」
 果実のように頬を染めて、少年が叫ぶように尋ねた。
 アポロスの国境にて起きた戦いで、チェスカの命を救ったのはミレナ公国銀猫騎士団だ。そして少年の命を奪おうとした槍を弓矢で跳ね返したのは、シュフラン・リリア・ミレナ公女その人だったのだ。
 常に厳しく結ばれているキッシュの口元がほころぶ。
 ロキシィが突然チェスカを皇都に追いやったのは、彼が一人娘に淡い恋心を抱いただめだったことをキッシュは知っている。あまりの理由に、ロキシィ公王は子供だなと呆れたものだった。
 真っ赤になったままのチェスカは、判決を待つ罪人のように落着きを失ったまま、返事を待っていた。
「いらっしゃる」
「本当ですか!?」
 少年の顔が笑顔になる。
 少なからず傷を受けた皇都を復興する人々にとって、最も心の支えになるのは子供たちの笑顔だった。それはキッシュも例外ではなく、なんとなく甘やかしても良い気分になる。
「チェスカ」
「はいっ」
「一度団員宿舎に戻って、軍装を受け取っておけ」
「え?」
 近衛兵団員は、皇族の身辺を守る団員達だけではなく、皇都の治安を守る役目を持った者達もいる。ゆえに数は少なくはない。軍装を受け取るのが、全員分だとすれば、かなり時間が掛かることだった。
 楽しんでこいと言われたにも関わらず、用事を言い付けられたことで、しばしチェスカは顔をくもらせた。だがすぐに首を振り、元気よく肯く。
「はいっ!」
 必死に笑顔をとりつくろう少年の肩に、キッシュは両手を置いた。
「お前の分を受け取ってくるんだ」
「え! ええ!? 団長、ボクを近衛兵団員にしてくれるんですか!?」
「見習いだがな」
「やったっ!! これで強くなれる。そして、絶対にあいつらをボクが倒すんだっ!」
 チェスカの望みは、近衛兵団員になって出世することだ。
 近衛兵団長までなれずとも、各連隊長クラスになれば、公族と恋仲になっても文句は言われないのだ。――彼はそれを知っている。
「そうか。まあ強くなるんだな。ところでチェスカ。前から思っていたんだが、あいつらって誰だ?」
「知りたいですか? 団長」
「ああ。知りたいな」
「教えたら、団長。そいつらの倒し方、教えてくれます? 稽古付けてくれます?」
 真剣な眼差しになって、チェスカが尋ねてくる。
 この少年が、槍を扱う天賦の才を持っていることにキッシュは気付いている。訓練すれば倒せぬことはないとは思った。
「稽古を付けることは別にかまわんが」
「良かった!! あのですねっ!」
 手でキッシュを招く。
 耳をかせといわれているのだと分かったので、キッシュは膝を折った。少年は用心深く周囲を確認してから、とある名前を囁く。
「……チェスカ。それは、おそらく、かなり大変だぞ」
「そうですか? でも、団長に教えてもらえれば大丈夫ですよっ!」
「その自信どこから来た。それに、その二人はおそらく」
「おそらく?」
「わたしより、そのお二方のほうが強いぞ」
「………。え、えーーーー!!!」
 三歩も後退して、チェスカは絶叫した。



 大きな背を震わせて、くしゃみをする。
 寒いものが舞い下りてきている。とはいえ身にこたえる程の寒さでもないので、男は気楽な声をあげた。
「今、俺の噂をした奴がいやがったな」
 白と赤、金と銀、そして紫色が随所にあしらわれた軍装をまとっていた。かなり派手なのだが、それが奇妙に似合っている。長いマントも重たげな印象はなく、軽やかに見えた。――背丈ほどにもある大剣もだ。
「カチェイ公子。もうすぐ皇都につきます」
「なんか久し振りだなぁ。一年前までは、ずっとあそこに居たもんだけどな」
「公子にとっては、里帰りみたいな感じですか?」
 口々に、アデル公国の紋章をぬいとった軍装をまとう人々が尋ねてくる。命を預けるに足る相手に対する親しみと、信頼感にあふれた態度だった。
 彼等の主君であり、アデル公国の第一公位継承権を持つカチェイ・ピリア・アデルは苦笑を浮かべ、荘厳な姿を見せる皇城を見つめる。
「ま、そんなもんかもな。親父の顔をみるより、ここに来たほうが、懐かしくて楽しい気分になるからな」
 おどけた口調で言って、カチェイは腕を組む。
 アデル公国の金狼騎士団員の一人が舳先に走り出し、前方を指差した。
「公子っ! 風鳥騎士団の船ですよっ!」
「おおっと。奴もおでましか」
 口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
 風鳥騎士団。エイデガルが誇る最強の五つの公国の一つ、ティオス公家が保持する騎士団であり、彼の親友が率いる騎士団でもある。
「アトゥールの奴元気にしてっかな」
「あれ、手紙でやりとりしてなかったんですか?」
「手紙か? 適当なのなら交わしてたけどな。面倒だから短いもんだ。元気かどうかまでは聞いてない」
「公子方って本当に親友ですか?」
 疑わしげな眼差しを騎士団員に向けられて、カチェイは肩をすくめる。
「あのなぁ、野郎同士がひんぱんに手紙のやりとりしてる所を想像してみろ。寒いぞ。あまりに寒くて凍死するぞ」
「なら、公太子妃を迎えればよいですよ。公子が」
「……お前、親父のまわしもんか? その話題はやめろ」
「あーあ。俺達、早く公子の赤ちゃんが見たいんですけれど」
「やめろっていってるだろ。全く」
 仏頂面になって、黙り込む。
 視線の先で進んでくる風鳥騎士団も、金狼騎士団の船に気づいたのだろう。舳先に立っていた団員達の何人かが、大きく手を振ってきているのが見える。子供みてぇだなと思い、周囲をみやって苦笑した。
 しっかり、こちら側の騎士団員達も手を振り返していたのだ。
「平和なもんだな」
 ぽつりと呟く。



 一年前。
 どこから復興を始めるべきかと誰もが悩んでいた頃、国に帰ると言い出したのはティオス公子アトゥール・カルディ・ティオスだった。
 空耳でも聞いたような気持ちになって、側に居たカチェイは目を剥く。
「今、何て言ったよ。お前」
「国に戻るっていったんだよ。とりあえずもう少し、動けるようになったらね」
 涼しい眼差しで、こともなげに言い放ってくる。
 二人がそれぞれの重い理由を背負ったまま、エイデガル皇都で生活を送るようになったのはまだ幼い頃だった。以来、二人とも親との確執を解決できないままに大人になり、皇都い居た為に大きな争乱に巻込まれて良く戦った。
 本に読んでいる体勢を取っているが、視線が動いていない。深く何かを考えているのだと理解して、カチェイはわざとアトゥールが持つ本を奪ってみる。
「……。返せ」
「なんだって帰るってことを決めたよ。よりによって、お前がさ」
 生みの母親に殺されそうになった経験を持つアトゥールは、未だに生国に帰ると、彼自身ではどうにもならないほどの恐怖を感じてしまうのだと言ったことがある。
 根が深い問題だった。
 カチェイはアトゥールが父親でありティオス公王である男が死なない限りは、生国に戻ることはないのだろうと、勝手に考えていたほどだった。
 アトゥールはカチェイの質問に、悩むように眼を伏せる。
「カチェイ。ガルテ公国の公子、セイラス・ルン・ガルテが、皇王陛下に一つの質問をぶつけたことを聞いたかい?」
 一件脈絡のなさそうな話題にカチェイは肩を竦める。
「水竜宝珠が失われていた事実を隠蔽されていた事実を追求する変わりに、一つだけ教えろと言ったっていうあれか?」
「そうだよ。セイラスがなんて質問したのか。ずっと気になっていたんだ」
「で、なんて言ってたんだ?」
 興味を持った顔で尋ねるカチェイに、アトゥールは瞳を伏せたまま薄く笑う。
「――敵首謀者の首はどうなりました? だよ」
「首だって?」
「そう。首だ。敵を確実に排除し、征伐し終えた証になるもの。それをセイラスは求めたんだよ」
 そこで一つ息を落とす。
 伏せたアトゥールの眼差しが、剣呑とした光を湛えているだろうことを、親友のカチェイは察知していた。息を飲む。
 敵首謀者。――エアルローダ・レシリス。
 アティーファとリーレンの従兄弟であり、ザノスヴィア王女リィスアーダとマルチナの兄でもある少年。おそらく最高の魔力制御者でもある孤独な少年だ。
 エアルローダは常に特別扱いされていたアティーファの心の中に入ってきて、初めて”自分を特別に思え”と我をぶつけた相手だった。そして好きだと恋愛感情をぶつけた相手でもある。
「エアルローダの首があるワケがねぇだろ。なにせアティーファは」
「そうだね。なにせ、永遠を約束してしまったわけだから。なあ、カチェイ。私は思うのだけれどね。多分アティーファは、一生……永遠の約束を守るつもりで居るのではないかな」
 誰よりも気高く、決めたことは貫こうとする意志を強く持つ者。
 それがカチェイとアトゥールが守ってきたアティーファという少女だ。
「だからね、下手すると一生独身を貫こうとか思っている可能性もあるし。皇王の義務として子供だけは産もうと思っているかもしれないし。それだけでも、色々と考えないと駄目だなって思っていたわけなんだけどね。とりあえず今考えるべき問題は、”首”の件なわけだよ」
 大真面目な顔で、アトゥールは呟く。
 ガルテ公国公太子セイラス・ルン・ガルテは、常に家族を同伴していなければ気が済まないという妙な性癖を持っている男だった。だが鮮血の常勝軍師と湛えられた初代ガルテの再来と囁かれるほどの切れ者で、セイラスに拮抗し得るのは皇王フォイスと、アトゥールだけだろうというのが、専らの世評だ。
 そのセイラスは、ファナス争乱で最大の被害を被ったレキス公国王グラディールの実の兄だった。事件の解明に、セイラスが乗り出すことに不思議はない。
「皇王陛下は、エアルローダが最期魔力を暴走させてしまい、死体の判別がつかない惨状で死んだと答えた。だから首は取れなかったとね。でもね、こんな嘘が付き通せるわけがない。セイラスが乗り出すのは厄介なんだ。セイラスは必ず、アティーファがエアルローダを殺していないことを突き止めるだろう。そして何故殺さなかったのかを知るために情報を集めるはずだろうね」
 セイラスが、どこまでの情報を収集してみせるかは、アトゥールにも分からない。
 ただエアルローダは死んだと公的に発表している以上、皇都決戦の目撃者達に、アティーファとエアルローダの戦いの様を語るなと口止めすることは不可能だった。
 あの戦いはエイデガル皇国を守護する獣魂に守られた皇女が、敵魔力者を排除した誇るべき光景であるとされていたのだから、当たり前だ。
 アトゥールは息をつき、首を振る。
「苛烈な性格を保持するもう一人のレキス公王ダルチェは、アティーファがエアルローダを許したと知ったらどうなるだろう。ダルチェが無理をせず、心のままに居きることを望むグラディールは、ダルチェがどんな決断をしても、同じ道を行くだろう。そして……」
 セイラス・ルン・ガルテは異常なほどに身内に甘い。
「私の考えすぎだったら良いのだけれどね。どうしても最悪の事態を考えてしまうんだ。ダルチェが……仇を許した存在を、許容するとは思えない」
 怪我が完全に完治していない為だけではない顔色の悪さに、カチェイはアトゥールが想像する”深刻な事態”がなんであるのに気付いた。
 ――内乱が起きる可能性がある。
 レキス、ガルテ両公国が手を組み、エイデガル皇国と残る三公国に宣戦布告をしたとしたら。今回の争乱以上のものが発生するだろう。
「もちろん、国力を回復していないレキス公国は、すぐに行動を開始することなんて出来ないだろう。あと二年。いや……セイラスが手をかせば、もう少し早く国力を回復し、動けるようになるかもしれない。この最悪の事態になったときに、必要なのは強力な味方だと私は思う」
「……だから、俺らが帰るべきなのか?」
 アデル、ティオス、ミレナの三公国が完璧な力を保っていれば、二公国が反乱を起こしても、防ぐのは可能だろう。
「そうだよ。カチェイ。今度は私達は側でアティーファという個人を守れば良いだけじゃなくなったんだ。エイデガルという国を、アデル公国、ティオス公国という立場で守らないといけないんだよ」
 悲痛な決断だったのかもしれない。
 アトゥールの表情は、常に浮かべているおだやかなものではなく、ひどく厳しい色になっていた。

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