暁がきらめく場所
出会い 第二話

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 皇王フォイスは紅茶を飲んでいる。
 傍らには、ひどく幸せな笑顔で窓の外の鳥を見つめる青年がいた。
「そんなに幸せなものか? グラディール」
「陛下が紅茶を幸せそうに飲んでいるのと同じくらい幸せです」
「それは随分と幸せよな」
 妙に納得して、フォイスは足を組み直した。
 ダルチェ・エル・レキスが皇城に付いたという第一報から、しばし時が経過している。執務室まで辿り着くのに、何故これほど時間が掛かっているのかとフォイスは首を傾げた。
「その一。入り口にアティーファが立っていた。その二。木の上に名物の二人が座っていた。その三。ダルチェが亀より遅く歩いている」
「私的には、その千百六十七案がよろしいかと」
「グラディール、その案の番号、もう一回言ってみろ」
「言えません」
「そうか」
「そうです」
 不毛な会話だ。
 正直変人が多い公王家の人間の中で、最も変人なのは親友の放浪公王ロキシィだとは思うが、テンポがずれているのはガルテ公国第二子グラディール・レイン・ガルテであろうとフォイスは判断していた。
 この妙に間の開く時間をどうするかと真剣に考えた頃、軽やかな声がダルチェの来訪を告げた。
「陛下、本日はお招きありがとうございます。ご機嫌麗しいご様子、嬉しく思います」
「堅苦しい言葉はよい。ダルチェ、老夫妻は元気でいるか?」
「はい。近頃は暖かくなってきましたので、つつがなく日々を暮らしております。本来であれば、わたくしが跡を継ぐべきであるのでしょうが」
「なぜかレキス公王位を継がせるのを、両親が躊躇っている、か」
「はい。わたくしが至らぬゆえに」
 ダルチェが悔しげに俯く。
 本当は、ダルチェが公王位に相応しくないから位を譲らぬのではないことをフォイスは知っていた。彼女の責任感や処理能力は、かなり有能なほうなのだ。
 抗魔力という力がある。
 公には伏せられている能力の低さが、ダルチェを公位から遠ざけていた。
 産まれつき異常なほどに高い能力に目覚めたアトゥールとは、逆の問題だ。
 フォイスはダルチェを責めるために呼び出したわけではなかった。
 今回の会見の発端は実はこうなる。
 膝に乗せろ、肩車をしろとせがんでは執務室に入り浸っていた愛娘が、ここ数年はすっかり姿を見せなくなった。成長して分別が付いてくるのは好ましいが、実は寂しいフォイスが一人紅茶をすすって書類に目を通していた、一週間前の昼下がり。
 鳩が窓から突撃してきた。
 緊急の伝令ならば伝書令に行くはず。ならば傍若無人な私信かと足に結び付けられていた手紙に視線を落として、フォイスは絶句する。
 ――ダルチェの婿を見つけて下さい。
 震える手を酷使しして、必死に綴ったのだろう。芋虫が這いずるような字からは、命がけの執念が伝わってくる。
「……皇王というのは、いつから結婚相談所になったのだ」
 レキスの老公王の気持ちは分からないでもない。
 子宝に恵まれず、側妃を入れない事で攻撃されてきた鴛鴦夫婦。涙する妻を励まし、公王失格であってもお前だけを愛していると繰り返し続け、そしてようやく産まれて来た愛娘。
 宝物の娘が、抗魔力を殆ど保持していなかったのだ。だが公位を継げるのはダルチェのみ。娘に肩身の狭い思いをさせないためには、抗魔力を補い得る人物が婿に欲しい。
 ようするに狙っているのは各公家の第二公子以降の男児だった。だがここに一つ問題がある。
「――ダルチェ、カチェイをどう思う」
 唐突に尋ねてみた。問題の一つは、ダルチェが己より強い相手でなければ恋人にしないと言っていることだ。強さだけが条件ならば、これはかなり適任だ。二人並んでも悪くない。問題はカチェイがピリアの称号をもつアデルの公太子であること、ダルチェより年上だということだ。
 ダルチェは質問の真意を量りかねる表情で、ゆうるりと顔を上げた。
「陛下」
「なんだ」
「大嫌いです。あんな漫才師」
「漫才師が駄目ならば、アトゥールも駄目か」
「駄目です。大体、女の私より綺麗っていわれる回数が多い男なんて、ひっぱたいて簀巻きにして、アウケルン湖に沈めたいくらいです」
「……ダルチェ、容姿は本人が決めたことではないぞ」
 実は女顔を気にしていたりするアトゥールを、少しばかりフォイスは庇ってやりたくなった。
 問題のもう一つはこの性格。ダルチェは万事この調子で、何事も容赦なく一刀両断してしまう。ようするに妥協を知らないのだ。
 レキスの老夫婦が娘婿の件で、皇王に泣きつくのも仕方ないだろう。
 フォイスは考えてから、反応を全く示さないグラディールを見やった。
「グラディール」
「………」
「皇王を無視するな」
「………」
「………」
 おざなりに沈黙し返してみたが、やはりグラディールは返事をしない。フォイスはガルテの第二公子をしばらく観察することにした。ダルチェも首を傾げグラディールを見やる。
 ようやく注目されていることに気付いたのだろう。
 グラディールはゆっくりと顔を上げ、表情を動かさないフォイスを見て、ダルチェを見た。
「なんだか、凄く心が和みますね」
「和んでいるのはお前だけだ、グラディール」
 げんなりとするでもなく、義務的に否定した後フォイスは立ち上がった。
 このままでは話しはなにも進展しない。
 ダルチェが望むのは、同い年で強い青年だ。
 こちらが望むのは、同い年で強い青年でなおかつダルチェとバランスを取り合える抗魔力を持つ公族だ。結果、この条件を満たす可能性を多く持っていたのがグラディールなのだ。
 レキス公女に、エイデガル皇王としてグラディールと結婚しろと命令するのは容易い。だがフォイスはあえて命じはしなかった。
 凄まじい責任と義務を課せられる公王達は、その重責ゆえに心が孤独になりがちになる。
 自然、生涯信じ合う親友や、永遠を誓う伴侶を欲する気持ちが高いのだ。調べたところ、ダルチェには親友がいない。ならば夫となる人間こそが、永久に支え合う相手になりうるのだ。
 多くの権力を持ちながら、自由を持たぬ次期公王たちの心を、フォイスは考えていた。
 強要できぬならば方法は一つ。自然に二人が惹かれあってくれねば困る。
 花に、茶会に、舞踏会では効果はない。とにかく最大のポイントは、グラディールが強いことを証明出来るかどうかにかかっている。
 五公国の公族のなかで、唯一笑顔で剣に触ったことがないグラディールだが、素質は高いとフォイスは睨んでいた。戯れで適当に放った親友ロキシィの矢が刺さりそうになったとき、グラディールはひょいと避けて見せたものだ。
 反射神経は悪くない。 
 剣を教え込んだ弟子でもあるカチェイに、グラディールの素質を確認しておけと命じた。その答えは、短剣なら意外に良く使うかもしれない、というものだった。
 最初からグラディールをダルチェにぶつけるのは、確かに可哀想なことだ。カチェイとアトゥールには遠く及ばぬが、ダルチェはかなりの双刀剣の使い手なのだから。
 しかし他に手はない。
「ダルチェ、グラディール。二人とも中庭までついてこい」
「皇王?」
「花見をするには、花が散っておりますが」
 不思議そうな声がダルチェで、花見などと言ったのがグラディールだった。
 


「――?」
 首を傾げて、走っていたリーレンは足を止めた。
 先程叱責されてしまったレキス公女が、にこにこ笑っている人物と並んで歩いている。しかも二人の前には、皇王フォイスがいた。
「あれ……陛下?」
 子供の目にも三人が歩いている様は、ひどく不思議な組み合わせに見えて、リーレンは考える。すぐに皇女の元に走っていって、見たままを話したい気持ちで胸はいっぱいになったが、手にした紙にしゅんと肩を落とした。
「一生懸命、頑張ったんだけれどな」
 好きなことならば幾らでも頭に入ってくるのに、苦手な分野の学習となると、何故頭に入ってこなくなるのだろうか。
 リーレンには、時々どうしても眠れなくなる夜が訪れることがあった。
 闇の中に取り残される焦燥感と怯えがあって、一人でベッドに居る事に耐えられず、夜中でも星空を見上げに外に飛び出す。
 本当は怖いと訴えて誰かに甘えていたい。それが出来ないから、この誰も出歩かないような時間に外に出る。こんな事を何度か繰り返しているうちに、自分と同じようにアトゥールが外で佇んで居ることがあると知ったのだ。
 闇夜に浮かぶ月明かりの下、決まって大木に寄り掛かって佇んでいる。
 近付けば、僅かな気配に気付いて振り返り、静かに息を落とすのだ。そして「眠れない?」と言いながら、手を取って部屋まで来てくれるのだ。
 眠るまで側に居てくれる。本を読んでくれることも多かった。
 我が侭を聞いてもらえるのが嬉しくて、話してくれる内容は一回で殆ど覚えられた。
「うう、あの記憶力が、勉強の時にも発揮できればいいのに」
 その葛藤は、実は誰しもが思う永遠のテーマかもしれない。
 リーレンはひどく悔しそうに拳を握り締めながら、ふと、顔を上げた。
「あれ? でも、どうしてアトゥール公子もよくあんな夜中に外にいらっしゃるんだろう」
 今更な疑問である。
 必死にリーレンは考えてみた。夜中に出会った時、アトゥールは昼日中にまとっているような衣服ではなく、もっと軽装をしている。ということは、ずっと外にいたわけでもないのだろう。だかが自分のような子供でもない彼が、眠れなくて怖くて外に出てくるわけはないだろうし。
「えっと、えと?」
 考えに考えるが、答えが出ない。
 それでもひどく気になって、問題を抱え込んだままさらに考えた。無意識に、しゃがみこんで膝を抱える体勢になってしまう。
「リーレン、その膝をかかえる癖はやめたほうがいいじゃないかな」
「うわぁぁ!!」
 突然降ってきた声に心底驚いて、身体が前につんのめった。慌てて手をついて身体を支えようとする。拍子に握っていた紙が空に飛んだ。
 それを、ひょいと別の手が掴む。どうみても武人らしい手。
「苦手問題ってのはこれか。なるほどなぁ」
「カチェイ、それ答え合わせに使いたいんだよね。リーレンの解答も書いてあるかな」
「ああ、ばっちり書いてあるぜ」
「途中式とかは?」
「なんか色々書いてあるぜ」
「じゃあ、あとでもう一度やればいいか。で、リーレン。気にしないで良いって伝言、いかなかったかな?」
 転んだことも恥ずかしければ、見せるのも恥ずかしかった問題をあっさりとカチェイに見られて、リーレンは動転している。それでも問われたことには答えようと顔を上げた。
「き、聞きましたっ! ダルチェ公女からちゃんと聞いています!」
「別に、ダルチェが伝えなかったのかって思ったわけじゃないから。大体何度も言うけどね、誰もリーレンを責めてるわけじゃないんだから、一々、そうやって過剰に反応するのはやめないか?」
「……すみません」
 どうしていいか分からない捨て犬のような表情をされて、アトゥールは息をつく。
「まあ、ゆっくり環境に慣れていってくれればいいんだけどね。ほら、立ち上がっておいた方がいい。そろそろ…」
 言い終わる前に、足音が響いた。
「リーレンっ!」
 続いて、足音以上に軽やかな声が響く。動きやすさ重視で短くなっているスカートを揺らせて、少女が走ってきたのだ。

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