暁がきらめく場所
NO.05 血染めの結末
「悪いな。これは俺の我侭だよ。ただ、ちょっと弊害がな」
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 全てを振りきるように、彼は親友の命に濡れ、名の通り紅一色になった紅蓮を投げた。
 アティーファとエアルローダがざっと離れて間合いを取り、驚きに目を見張るのを正確に見て取る。
 瀕死の親友を捨て置いて、カチェイが戦場に赴くとは思ってもいなかったのだろう。
 二人の呆然とする様に、アデル公子は少し笑った。
「……カチェイ?」
 かすれた声で呼ばわるアティーファに、カチェイは肩を竦める。
「遅刻して悪かったな」
 あっけらかんと言い放つ、彼の内心は震えていた。声までもが震えようとするのを、必死に阻止する。
 背に感じる親友の視線の弱さに怯えているのも、エアルローダがアティーファに仕掛けた罠に抱いた怒りも、気取らせるわけにはいかない。
 ――カチェイの動揺は、年若い者たちの動揺を誘うのだから。
 リーレンとリィスアーダの命を喰らい尽くす、アティーファの抗魔力を御する公国の宝剣紅蓮は、墓標となったかのように、大地にまっすぐ立つ。
「リーレン、よく耐えた」
 二人の生命力は相像以上に食い荒らされており、処置が遅れていれば、急激な衰弱死を迎えた可能性が高かった。
 ――今、死に掛けている癖に。
 周囲に在る危機を把握しようとするアトゥールの生き様に苦笑する。
 誰をも助けるその判断を、願えるならば、彼自身に使って欲しかった。
「死にたくなかったら、しばらく魔力は使うなよ」
 厳しく命じながらも、リーレンとリィスアーダを見つめる瞳は優しい。けれどまるで全身が震えるのを耐えるように、ぎりっと握り締められた拳が痛々しい程だった。 
「いいな。もう少し、魔力は我慢していろ」
 重ねて諭されて、二人は肯く。
 カチェイは突き立てた紅蓮を抜いて構え、エアルローダと対峙した。
「子供の悪さってのは、大人が叱らなくちゃならないことだって知ってたか?」
「それで、君は大人に該当すると?」
「皮肉にしちゃあ角度が甘いな。冷静に見えるのは外見だけか? 楽観は出来ない状況をなんと判断する」
 紅蓮を手に、カチェイは意識を集中させていく。獣魂である金狼を呼び集めた際に身に宿した魔力にて、動けぬ二人をゆっくりと満たしていく。
 アティーファは初めて二人の尋常でない様子に目を見張り、エアルローダが眉を寄せる。
「楽観出来ないっていうのは、ティオス公子の生死についてかな」
 ひやりとした印象を与える黒ずんだ蒼の瞳を泳がせて、エアルローダは分かりきった現実を口にする。
 心理的な圧力を掛けているのだ。
 カチェイは動揺しないが、アティーファが顔色をかえたのを懸念した。
「そうだな」
 あえて肯定を返す。
「否定しないんだ?」
「事実を否定しても意味はない」
「冷たくない? あれは、君の親友なのに?」
 せせら笑うエアルローダに、カチェイは静かな怒りを燃やした。
「アトゥールを瀕死に追いやった。その原因を作ったお前に、冷たい呼ばわりされる筋合いはなどない」
 感情を押し殺して低く告げ、御剣覇煌姫を構えるアティーファが振り返ろうとするのを手で制する。
「カチェイ?」
「振り向くのは後に取っとけ、アティーファ」
「後になってしまったら、アトゥールは……」
「振り向いて、あいつが治るわけでもない。忘れるな、アティーファ。皇公族たる者が勤めねばならぬのは、なんだ?」
「――周囲を判断して、理解して」
 二人に、父王に、重ねて語られていた言葉。記憶の中で、皇王フォイスはゆっくりと振り返る。
『後悔せずに戦いを切りぬけたいのなら、常に冷静さを捨てぬことだ。如何に少ない味方の損害で、多大な戦果をあげるか。これは基本だな』
「……私は……」
 冷静であったろうか、と呆然と思ったところで、背後から声がかかる。
 リーレンとリィスアーダが、共にまっすぐに立っていた。
「さあ、これでどうするよ?」
 カチェイは状況を見定める少年魔力者を揶揄って笑う。
 本調子ではないとはいえ、魔力者二名を含む四対一の状態に、敏感に勝機を嗅ぎ取っていた。
 エアルローダがなにか声を上げようとした、その一瞬を狙ってカチェイは大剣紅蓮を手に滑り出る。
 アデル公国の守護者である獣魂金狼を呼び戻し、威圧を掛けた。
 金狼とカチェイの抗魔力が、僅かながらも少年魔力者を縛する。それと同時に指示が飛び、エアルローダを中心にとして東西南北に四人は散った。
 ニヤリと、カチェイは笑む。
 大立ち回りをしてのけるが、エアルローダが親友のアトゥールに重傷を負わされたことをカチェイは確信していた。
 魔力にて痛覚を麻痺させ、無理に動いているにすぎない。一太刀でも与えられれば、エアルローダは撤退を余儀なくされるはずだった。
 僅かに、エアルローダが歯噛みする。
 親友を失いかけているカチェイがみせる、正確な状況判断。魔力者が利用されていた動揺から素早く立ち直ったリーレン。エイデガルに助力するザノスヴィアの姫君。
 なにもかもが、少年魔力者の思惑から外れて進行している。
「くだらないな、お前たちなどっ!」
「そうかな? 危地に追いやられたお前に言われても、実感出来ないさ」
 軽々と大剣を扱って、カチェイは唐突に足を踏みだした。
 ハッと身体々すくませたエアルローダに、アティーファが御剣覇煌姫を頭上にかかげ抗魔カを展開する。リーレンとリィスアーダは魔力を振り絞り、敵の退路を塞いだ。
 どこに対するベきか、エアルローダの判断が一瞬遅れた。
 その――僅かな遅れが。
「く……ぅ!」
 鈍い音と、かすかな呻きと。
 鮮血が散る。
 他人の血に両手を染めた少年自身の鮮血が、彼の視界を埋め尽くす。
 ひどく困っているような、途方にくれているような、そんなあどけない素顔を、エアルローダは覗かせた。
 たたらを踏み、倒れかけて足を踏みしめる。表情はすぐに普段のソレを取り戻して、第二撃を防ぐベく周囲に魔力を張った。
 深淵を宿す清廉な碧空の瞳が、赤い滴を払うべく血振りをするカチェイと魔力者二人を見やり、エアルローダは蒼みがかった黒色の髪をそよがせる。
 ひどく静かに、彼はアティーファを見つめた。それからふわりと、笑う。
「――え?」
 戸惑って、アティーファは剣をおろした。少年魔力者が見せたソレは、胸が痛くなるほどに澄んでいて、皇女に懐かしさを抱かせるものだった。
「なんで……」
 かすれるように呟いた、アティーファの視界を、ま白い閃光が塗りつぶす。
 少年の姿は、気付けば消えていた。
「あのガキ、死んじゃいないな」 
 冷静に告げたカチェイの言葉に、ハッとアティーファが目を見張る。そのまま「アトゥールは!?」と悲鳴のように叫び、走り出そうとした。
 彼女を庇って、兄代わりの青年は命の危機に落ちたのだ。傍らを抜けようとした少女の腕を、カチェイがつかむ。
 アデル公子は、ひたすら困惑した表情で、立ち尽くしていた。
「カチェイ?」
「ダルチェがな、グラディールを取り戻す為にレキス公城内に走っている。エアルローダが姿を消した今なら、奴に縛られた精神を解き放つのも出来るだろ。悪いが、行ってやってくれないか?」
「え? でも、それは……」
 懇願する眼差しになった少女の頭を、カチェイは無骨な手で撫でた。
「悪いな。これは俺の我侭だよ。ただ、ちょっと弊害がな」
 見守っていたリーレンが息を飲んだ。
「皇女」
「リーレン?」
「行きましょう。リィスアーダ姫もよろしいですか?」
 返事を待たずに、リーレンは二人の姫君の腕を取ると強引に歩き出した。
 アティーファは足をもつれさせながら、振り向いてアトゥールの様子を見ようとする。
 リーレンはひっそりと告げた。
「私たちがいると、カチェイ様はきっと動けないんです」
「――なら……っ!」
 側に人が居る状態で取り乱すことを、己に許していないアデル公子。彼が近くの人を排除しようとする理由は、ただ一つしかなかった。
「アティーファ」
 耳に心地良い響きを持つリィスアーダの声が響くと同時に、アティーファは美しき姫君に頭を抱かれていた。
 エイデガル皇女アティーファは、理解してしまったのだ。
「……アトゥール……」
 瞳から留めようのない涙がこぼれて落ちる。アティーファの泣き顔を隠す、リィスアーダの腕は温かく優しくて、涙を止めることが出来なかった。
 公子の視界から一刻も早く消えねばと、二人を守るように先導して進むリーレンの面も、涙に濡れていた。
 年若の者達の去る姿を、カチェイはゆっくりと見送っていた。
 悪かったな、と思う気持ちは彼の中にある。
 アトゥールにとりすがって泣く権利を、奪ってしまうのは彼のエゴにすぎない。
「でも、なあ」
 ――取り乱さずにいることが、耐えられそうもなかった。
 ――弱みを見せることが出来る、ただ一人を……。
「……この、大嘘付きが」
 戦いが終るまでは生きていろと、約束させたというのに。
 もうカチェイは分かっていた。
 感じていた視線が消えた時に、何が起きたかを理解したのだ。
 大地を踏む音が、やけに大きい。
 流れる空気の音までもが、聞こえてくるようだった。
 ――ただ、視線を固定して。
 ゆっくりと、歩く。
「――アトゥール」
 名を呼んで、カチェイは膝を付いた。
 親友は答えない。
 唇が動くことも、瞼が動くことも、呼吸をする気配すらない。
 彼らしい静かさだった。
 息を止めて、心臓を止めて、静寂に落ちて、眠りに落ちて静かなまま逝ってしまったのだ。
「――っ!!」
 声にもならない悲鳴が、喉を突き上げてカチェイは膝を折った。
 触れることが恐くて、手を伸ばせなかった。無駄だと知りながら、彼が生きている証を探している。
「なんでせめて、俺が戻って来るまで生きていなかった!」
 叶わなかった望みが悔しくて叫ぶ。
 子供じみていると自覚はしていたが、叫ばずにいられない。
 辛く苦しい過去があった。
 誰にも弱さを見せることが出来なかった自分たちが見付けた、互いにとってただ一人の親友。
 強くあるのも、笑っていられたのも、互いの存在に寄与することが多かったのだ。
 どうしても、冷静を保てない。
『己の命と同じ程に、命の価値を認めた相手を見付けた人間は、幸せであろうな』
 随分昔にそう言って、大喧嘩をやらかしてふてくされていたカチェイを前に、皇公フォイスが笑ったことがある。
『得た相手を失って、今を生きていくことになれば。魂が叫ぶほどに悲しいだろうが』
 続けた皇王の横顔が、彼が得た辛さと幸せの双方をたたえて、ひどく重く感じたことを思い出す。
 ――辛いのだ。
 どんなに強く偉大だと思われる者であっても、喪失は悲しく辛い。
「ちくしょう……」
 声を殺そうと、無骨な手で口を押さえてカチェイはうなだれた。
 ぽつりと、大地の上に染みが浮かぶ。
 指に、手に、塗れた鮮血を洗い流す涙が、零れ落ちていく。
 泣いている自分が惨めだ。
 泣いている自分を、何時ものように笑い飛ばして来ない親友も惨めだ。
 寿命でもない人間が死んだ。それが、一番哀れだ。
 カチェイは声を殺して涙を落としたまま、意を決して手を伸ばす。触れた個所から伝わる濡れた血の湿りと、凝固した赤いものによってごわつく長い髪。
 ――そして。
「アトゥールっ!?」
 恐ろしいほど真剣な表情になって、突如カチェイは刮目した。
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