暁がきらめく場所
NO.04 血染めの結末
「……勝手に、死のうとしてんじゃねぇ」
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 他の誰でもない、エアルローダは彼女の敵なのだ。彼女以外の誰も、倒すことも許すことも、してはならない敵。
 閃光のように剣を合わせ、二人、至近距離で見合った。
 翠の新緑と豊穣を約束する、美しいアテーファの瞳を怒りが染める。それを皮肉な気持ちで眺めて、エアルローダは酷薄に笑った。
 アティーファが続けざまに、剣を押し込んでくる。エアルローダが受け取めて跳ね返すと、皇女は三歩ばかり後退した。
 ――君は、何を思うだろうか?
 彼自身が秘めている、ティオス公子アトゥールだけが気付きだした、謎の答えを知ったときに。
 まだ、彼女は知り得ない。
 希な判断能力を持つティオス公子は死に、何も知らぬままに、彼女は更なる激情に身を委ねて行くのだ。
 ――殺してあげる。全てを。
 少女を守る全ての命を奪いとり、世界に存在するただ二人きりとなるまで。
 キィンッと高く音をたてて、剣が離れる。体勢を立て直すべく、一旦離れた隙に、エアルローダはカチェイを見やった。
 親友を失いつつあるというのに、カチェイに動揺は見えない。公国を統べる者らしい精神力に、唇を歪める。
「流石に、もう死ぬと諦めは出来ないようだけどね」
 呟きつつ、一気に剣を突き込んだ。
 アティーファが鋭い攻撃を避けようとのけばる。その刹那を利用して、エアルローダは自分自身に魔力を使用した。
 ――魔力にて、急速に傷を塞ぐことは出来なかった。かわりに、痛覚をマヒさせる。
 精神力だけで苦痛を捻じ伏せた、アトゥールと同じ芸当は流石に出来ない。
 痛みが消える。
 傷ロから流れ出る血の感触が空虚なものに感じられ、すぐさま次の剣を突き込んでくる少女に笑みかけた。
「あと僕がやることは、カチェイを殺すことだね」
「カチェイがお前に倒されるわけがないっ!」
 激情がアティーファの振るう剣に、更なる鋭さを与えていた。
 避けきれずに断たれた肉片の幾つかが、独特な音と共に大地に落ちる。
「倒されるわけがない? 君が決して敗れないと思い込んだ兄の一人は、あそこで死に掛けているっていうのにかい?」
「死なない!!」
 泣き出す寸前の子供の目をして、アティーファは叫んだ。
 エアルローダに対する怒りと、アトゥールが死んでしまうのではという恐怖。エイデガルの皇公族が抗魔力を保持し、魔力者の支配が可能だった隠された真実。
 あまりに多くの事柄に襲われて、エイデガルの皇女は混乱していた。
 ――もっと、混乱すればいい。
 少年魔力者は目を細める。
 周囲を見ることも出来なくなったアティーファは、今、側で起きている異変に気づけないでいる。
 リーレンとリィスアーダが、蒼白になって苦悶していた。意識を失わないでいるだけで手いっぱいで、皇女に注意を促すことも出来ない。
「な、んで……こんな、時に……」
 眩む目と、脱力感にリーレンが呻く。リィスアーダは口元を手で押さえ、鋭い双眸でエアルローダとアティーファとを交互に見やった。
「このまま……では、私、たちは……」
 消え入りそうなリィスアーダの声を聞きとめて、エアルローダは酷薄な視線を向けた。
「今は、なにも気付かないさ」
 うっとりと囁く少年の髪を、少女の斬撃がぱらぱらと空に舞わせる。
「貴様は、絶対に許さない!」
「貴様じゃない、エアルローダだよ、アティーファ」
「なんで! 私が、お前の名を呼ばなくちゃならない!? 私の名を呼ばれなくちゃならない!!」
 照りだす鈍い太陽に、涙の代わりに散らせた汗を反射させて叫ぶ。
 ――権利はあるらしいよ?
 エアルローダは突き上げてくる高揚に身を委ねたまま、毎日くり返された、呪詛のような過去を思い出していた。
 言葉を、感情を、憎しみを、遠い愛情を、ぶつけられて生きてきた、毎日。



 黒髪の女は子供を膝に抱いた。
 恐ろしいほどに美しい女であり、忌まわしいほどの醜さを併せ持つ女だ。
「エアルローダ」
 女が謳う。
 膝の上でぐったりとしていた子供が、怯えたように震えた。
「エアルローダ」
 女は声を重ねる。
 身体を支える力を失っているらしい子供は、辛そうに女を見上げた。
「辛いの? エアルローダ」
 女は尋ねる。
 子供は肯定も否定もせず、ただ、彼女を見上げ続けた。
 ――知っているのだ。
 女が本当は返事など求めていないことを、どんな言葉も聞いていないことを。幼い頃からの経験で、理解していたのだ。
「辛くても、魔力を磨くのよ、エアルローダ。いつか起きる戦いの為に」
 返答を望まぬ証拠を見せつけて、彼女は虚ろに言葉を繋ぐ。
「魔力増幅を行い続けるのは、自殺行為。けれどいつかあの国を手に入れ、隷属させるなら問題はないわ。あの忌まわしい能力が、肥大する能力を頼みもしないのに抑制してくるのだから」
 子供の顔に、感銘はない。
 繰り返され、紡がれ続けた訴えだ。
 女は願う。
 命を蝕むほどの魔力増幅を。
 魔力に幼い身体を侵食されて、緩慢な死へと向かうことを望んでいる。
 女は請う。
 産み落とした我が子に、彼女の願いという名の呪いの行使を求めて。
 子供はこれが異常であることを知りながら、訴えは諦めていた。
 狂気だけが世界を支配している。ならばこの狭い場所では、狂気こそが常識で正常なのだ。
「殺すのよ。あの子を殺すのよ。私と偽って、あの人を騙して。あの人を奪って。そして連れ去った女を、そして生れ落ちた子供を。殺すのよ――エアルローダ」
 お願いよ、と女は言う。
 お前だけが私の味方ねと、優しさを装って偽りの笑みを浮かべ、懇願する。
 ――でもね、かあさま。
 子供は、母の望みの本当を、知っていた。



「破滅するしかないんだよ、君も、そして僕もね」
「お前は、一体、何者だというんだ!!」
 戦闘の意志が増すにつれ、能力を高めていく抗魔力がエアルローダの魔力をも奪っていく。半ば無意識に魔力を再構成し、それを放った。
「不毛だね、アティーファ。僕の魔力を、僕の魔力で防ぐだなんて!」
 魔力の残滓を身体にまとい、少年は目を細める。
「ねえ、知りたい? アティーファ」
「呼ぶなっ!」
「まだ分からないかな? 僕は、君を名前で呼ぶ権利を持っている。この皇国を意のままにする権利もさ」
「私の名を呼ぶ権利を持つ者はいる。けれど、皇国を意のままにする権利など最初からない!」
 明るく、優しく、強く、そして激しいエイデガル皇国の姫君。
 ――フォイスの血を受け継ぐ、唯一の娘とされているアティーファ。
「正論だよ、アティーファ!」
 狂気と常識が逆転する暗闇の中で、エアルローダはずっと彼女のことを考えて生きてきた。
 憎む対象と定められながら、まるで縋る対象であるかのように。
「真っ直ぐなその性格は、伝え聞いたフォイスにそっくりだよっ!」
「なにも知らないくせに、父上のことを言うなっ!」
 愛する者たちの名を少年魔力者のロが紡ぐたびに、アティーファは激情に駆られていく。
 いつしか激情が狂気に変じれと、エアルローダの思うままに揺さぶられているとも知らずに。
 外界から隔離された中で、戦っているかのような二人を、身動きが取れないままに、リーレンは歯噛みして見つめていた。
「まる、で。別人だ……」
 今の彼は“エアルローダ“という個性を剥き出しにして、アティーファと柤対しているように思える。まるで別人になったかのような変化だった。
 遮断の空間を打ち破られたことか?
 瀕死のアトゥールから反撃を受けたことか?
 なにをきっかけとすれば、気持ちの高揚を押さえきれない様子になるのかが、リーレンには分からない。
 ――皇女?
「ま、さか。アティーファ、様が?」
 少年魔力者の感情を、爆発させる鍵。
「エアルローダが豹変するのは……アティーファの、前だけ、ですか?」
 やんわりとしたザノスヴィアの姫君の声に、リーレンは苦しげに肯いた。
「あの魔力者は、こちらの……情報にも、詳しい。でも、なぜ?」
「先に、アティーファを、止めなくては、ならないわ」
 奪われていく魔力に息をあげながら、考えようとしたリーレンの肩をリィスアーダが叩く。
 彼女の傾国の器と称されるほどに美しい顔は、苦痛に歪んでいた。
「この状態が続けば、わたしたちは……」
「……え?」
「これは……魔力のみを奪う……力では、ない、わ」
 五公国の公族が保持する抗魔力と、エイデガル皇族が保持する抗魔力には、決定的な違いが存在する。
「アティーファは……走ることも、出来ないほどに、疲労していたわ。あんな立ち回り、出来るわけない……」
「疲労しきって……?」
 アティーファは輝くほどの生気を身にまとい、戦っているようにしか見えない。
「エイデガルの、皇族が保持する能力が……どういうものなのかは、知りません。けれど、私たちの状態と……アティーファを見れば……予想は出来るわ」
 ――魔力以外にも、奪い取っている。
「人の、体力。……生命力?」
 震えるリーレン問いに、リィスアーダは眼差しで肯定する。その呼吸がひどく浅かった。
 ――体力を全て奪われたら、人間はどうなる?
「……死ぬ?」
 リーレンの呟きが聞こえたのか、唇を歪めて、エアルローダが唐突に笑んだ。
「ま、さか! あいつの、目的は!」
 ――アティーファの持つ力を、激しく引き出させて。
「わたしたちを、殺させようと」
 リィスアーダはわなないた。
 身分の上下にこだわらず、人を大切にするアティーファが、己の力の暴発によって他者を死に追いやれば。
「アティーファは、傷つくわ……。自分を、許せなくなるかもしれない」
 ――自己を呪って、壊れてしまう可能性とてある。
「それを、狙って?」
 まだあどけなささえ残る年頃の少年が見せる狡猾さが、恐ろしい程だった。
「なんとか、なんとかしないとっ!」
 思うように動かぬ身体を憎みながら、リーレンは必死に立ち上がろうとした。


 戦闘を視界の端に捕らえたまま、アデル公子カチェイは暗い目をしていた。
「……勝手に、死のうとしてんじゃねぇ」
 低く言い放ち、瞳に怒りを燃やす。
 目の前で親友が死に逝こうとしている現実に、彼はひたすら憤っていた。
「アトゥールっ!」
 もう何度目かも分からない、叫びをロからほとばしらせる。
 親友の白い肌は、色を失って蒼褪めたままだった。赤みを取り戻す気配も、伏せられた睫毛が揺れることもない。
 ――このまま、死んでいくのだろう。
「……畜生」
 冷静な判断を下せてしまう、自分自身さえも憎い。万が一の可能性にとりすがって泣き叫べない、弱くない心が厭わしい。
 手遅れとなった怪我人の名を呼んでも、傷は癒えない。それを理解してしまうカチェイは、ぎり、と唇を噛んで戦闘を見やった。
 大切に慈しんできた妹代わりの少女が、敵のペースに乗せられて、戦っている。
 助けに行かねばならない。行かねば、アティーファはとんでもない状況に落とされてしまう。
「――畜生」
 同じ言葉を繰り返した。
 死に逝く親友の最後を看取りたいのが人情だ。けれど事態はそれを許さず、足元に転がした紅蓮に目をやる。
「――!?」
 気配が動いた。
 腕の中の親友に視線を戻し、ぴたりと合わさった視線に息を飲む。
「……アトゥール?」
 このまま逝ってしまうと覚悟した親友が、カチェイを捕らえ、僅かに笑っていた。
 空気がかすれる音が零れるのは、アトゥールがなにかを語ろうとしたからなのか。
「……喋れねぇよ、肺がやられてるんだ。分かってるんだろ、お前ならさ」
 身体に負った怪我の具合と、死期を判断しそこねるとは思えない。
 一秒の変化を惜しむように、カチェイはアトゥールを見つめていた。
 親友の眼差しが、微かに震える。
「なに、謝ってんだよ」
 意思を伝える言葉を失っても、二人は互いを理解しあえる。カチェイの言葉に僅かに笑んで、死に臨んでもなお美しい公子は、視線を動かした。
 ――アティーファが戦う場所へ。
「行けってか? お前なぁ、死に掛けの時ぐらい、ちったあぐるぐる考えんのやめろよ」
 無理に明るく言いながら、大木にアトゥールの身体を寄り掛からせる。
 まるで一人芝居だった。
 カチェイだけが動いて、彼だけの声が響く。
「激情によって引き出されたアティーファの能力は、他人の生命力を奪い取るおそるべきものだと言いたいんだろ?」
 かつて抗魔力について、アトゥールが調べて知り得た事実の一つだ。
「――ったく。お前は、こんな時になって俺に面倒を押し付けやがる」
 鋼色の双眸はアトゥールを見つめたまま、右手で大剣紅蓮を握り締め、立ちあがった。――少なくともまだ生きている親友の瞳が、遠くなる。
「せめて戦闘が終わるまでは、死ぬんじゃねぇぞ」
 絞り出すように、カチェイは言った。
「……お、前に……かけ……る………か……ら」
 逆流する血液を咳き込みながら、それだけを、アトゥールが細く言った。
「――賭けた?」
 なにを、と続けようとしてカチェイは黙る。
 聞けば答える雰囲気だが、喋るだけで死期は確実に早まるだろう。
 それは嫌だった。
 一秒でも長く、生きていろと願う。
「お前の望みも、命も、なんでも預かってやるさ。大盤振る舞いだ、利子なしにしといてやる」
 とりあえず、そんな事を答えた。
 笑ったと――思ったのは気のせいだろうか?


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