暁がきらめく場所
NO.03 血染めの結末
「砕けろぉっ!」
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 現実から逃がれようと、自らの魔カで無意識に作り上げてしまった逃避の檻の中で。
「私達は……」
 声にはせつない響きがある。
 リーレンは今、泣きたかった。
 彼が信じられなくなって逃げ出して来た人々の、あまりの優しさに。絆の深さに。
 エアルローダの魔カによって、彼等は空間ごと切り離されていた。側にいてもわからない、感ることも出来ない中で、互いに引き合おうとしている!
「お二人は、お互いが見えていないのにっ!」
 声が、鼻につまる。
 リーレンだけが”真実”の光景を見ている。
 アトゥールは剣を支えに立ちあがり、カチェイは細い剣を手にすっと構える。助けられた者と、助けた者は、背と背を合わせて互いの死角をつぶしていた。
 人が人を呼ぶ力が、エアルローダが作り上げた魔力の檻を、一瞬とはいえ破って見せたのだ!
「……アティーファ様は」
 胸が、どくん、と高くなる。
 呼べば、気付いてくれるのだろうか?
「利用されてきたのかもしれない。皇国にとって、魔力者は利用価値のある存在だったのかもしれない。でもそれだけならば、アティーファさまたちの側に私を置いてくださる理由にはならないはず」
 大切にしてくれるから、大切だったわけではない。
 自分が彼女達を好きだったから、側に居たかった。側に居て幸せだった!
 エイデガルの皇女だからではなく、隣で微笑んでくれていた日向のようなアティーファという少女が、好きだった。
「アティーファっ!!」
 拳を握りしめて、リーレンはついに叫んだ。
 皇女という高貴な人としてではなく。彼が好きになった、たった一人の少女の名を。
 びり、と。彼自身が作り上げた魔力の空間に揺らぎが走る。
 見つめる現実の光景の中で、リィスアーダに支えられて懸命に進むアティーファの亜麻色の髪がゆれる。うなじの白さが日差しの下で際立ち、彼女は顔をあげて耳にそっと手をあてた。
「リーレン?」
 泣きたかった。
 本気で泣きたかった。
 届いている。リーレンがアティーファを呼んで、アティーファがそれを受け止めている!
「利用されているとか、縛られていたとか。そんなこと、私にとってはどうでもよかったんだ! ただ、アティーファたちが笑っていてくれるのが嬉しかったから! 公子っ!!」
 身体の中に秘められた、魔力という稀なる力に意識を寄せる。両手を握りしめ、自らを守るこの心地よい空間が壊れるように願い、魔力を爆発的に放出した。
「アティーファっ!」
 檻が崩れ落ちる。
 アトゥールとエアルローダの戦闘が見える場所までたどり着いたアティーファが、今度こそはっきりと、しかも身近に感じた幼馴染みの声に打たれたように顔をあげた。
「リーレンっ!」
 エアルローダの作り上げた、空間を分断する魔力が震える。
 抗魔力を保持する二人の公子は、自分達の周囲を支配する魔力の変化をはっきりと見抜き、つっと笑みを唇に浮かべた。
 アトゥールは視線を背後に流し、残った力を振り絞って勢いよく大剣紅蓮を抜き取って後方に流した。
「カチェイ!」
 応えて、カチェイは手にする細剣氷華を空中に放る。
「アトゥールっ」
 全てが交差した。
 カチェイの投げた細剣氷華がアトゥールの手に収まり、アトゥールが後方に流した大剣紅蓮がカチェイの手に収まる。アティーファがまろびでて伸ばした手が、リーレンの腕に届いた。
「砕けろぉっ!」
 誰の声だったのか。
 とてつもなく激しい音が響く。
 空間が割れ、全てが明らかになり、初めて少年魔力者は顔を上げた。感情を欠落させたまま、じっ、と全てを見つめている。
 エアルローダは動くはずだ、と。アトゥールは考えていた。
 敵である少年が再優先としたのが、頭脳たる人間の排除なのだ。その為に四人を分断させたのだろう。
 ――エアルローダが動いた瞬間は、相手に一矢報いる唯一の機会だった。
 攻撃を避けカチェイに助けを求めるのが、最善の策だ。手に馴染む細剣氷華の刃を返し、敵の攻撃を持つ策はある種の裏切りでもある。
 胸が、ずきりと痛む。
 エアルローダの目が、すうっと細まっていく。故意に消していたのだろう魔カを衣のようにまとい、滑り出た。
 アティーファが、はっ、とした顔で振り向いた。手を取り合ったリーレンも、目を見開いて叫んだ。
「……アトゥール!?」
 驚愕の声が、美麗な公子の耳には悲鳴と叱責に聞こえる。親友のカチェイが、飲んだ息の音が耳に触れた。
 誰かにかばわれて、守られるなど、耐えられなかった。どうしても、一矢むくいねば、耐えられなかったのだ。
 エアルローダの放った魔カを抗魔力でもって相殺する。血を吸って重くなった長衣を、目くらましのように空に放り投げた。
 エアルローダの足が止まった。
 アトゥールは軸足に力を込め、末だ空に揺れていた自らの長衣ごと、一息に突き込む。
 ――音。
 どくん、と脈打つ、それは心音。
 氷華は急所を外した手応えを伝えてくる。眉をしかめ、アトゥールは蒼白の唇を、わずかに開いた。
 ひゅうと喉笛がなる。
 声が出てこない。
 音に変わりあふれ出した血液が、熱された湯のように感じられる。
「お前らなどっ!」
 細く消えてゆきそうな意識を、子供の憤りの叫びが打つ。のろのろと青緑色の瞳を上げ、アトゥールは息を呑んだ。
 息使いさえ感じ取れる至近距離に、少年の顔があった。怒りと苦痛に、初めて人らしい表情を剥きだしにしている。
「……き、み……は……っ」
 喉を溢れるものに詰まりながら、アトゥールは驚きにわななく。
 似すぎていた。
 妹のように慈しんで来た、瞳に清冽な意思をたたえる高貴なる少女。
「なぜ、そ……んなにも、アティーファと……」
 声は続かず、咳込んだ。
「だから……嫌いなんだよっ!!! お前達が!」
 エアルローダが、激するままに叫んだ。剣にカを込め、そのまま一息にアトゥールから離れる。
 ――また、音。
 ずるり、と。何かが抜けた音。
 心臓が狂ったように、血液を送り出していく音。
 上体がゆれて初めて、アトゥールは自分の身体が全く力を込められなくなっていることに、気付いた。
 空に広がった薄茶の髪色と、赤い色の奥に、親友を捕らえた。
 目を見開いて、瞳に痛いほどの深紅の前で、ぽかんとしている。
 偽りの空間が壊れ、滑るように渡された大剣紅蓮を持って振り向いた、先の光景を認識出来ていなかった。
 最初にカチェイが見たのは、親友のアトゥールと、敵であるエアルローダが、寄り添い合うように佇む背に、血染れた切っ先が覗いていた光景だ。
「アトゥール……?」
 少年魔カ者が唐突に激し、勢い良く身体を引く。背から覗く切っ先が、ぬるりと姿を消した直後、赤が弾け飛んだ。
 ――血の……。
「アトゥールっ!!」
 叫ぶと同時に、認識したくない現実がカチェイを侵食する。鮮血の舞い散る中、飛び出して腕を伸ばした。
 ぐずりと重い、衣服を染めぬいた血の感触。
「アトゥール!」
 信じたくない気持ちに、心が乱れる。それでも、彼の中の冷静な部分が、周囲の確認を取らせていた。
 アティーファは悲鳴をあげ、リーレンが蒼白になって立ち尽くしている。動くなと命じ、腕に親友を抱えて、敵を警戒した。
 エアルローダは蒼ざめた瞳に、憎悪を黒き炎のように燃やし、ゆらりと佇んでいる。全身を血で濡らし、彼は掌を握りしめていた。
 ――何故だ?
 完璧であった計画が崩れ、血を流す羽目になった、この現実は何故なのか。
 四人を分断させていた彼の魔カの檻が破壊された瞬間、エアルローダはアトゥールの排除だけを狙っていた。
 足を滑らせ、魔力を放つ。
 出血多量で動けぬはずの青年が笑んだのは、まさにその瞬間だった。
 なんだ?といぶかしみつつも、動き出した身体は止められなかった。細い腕を持ち上げ、アトゥールは抗魔力を展開させてくる。
 ――血で染められた布地が、突然にエアルローダの視界を奪った。
 目標が見失われる。
 直後、氷華の澄んだ青い刀身が迫っていた。
 鋭い、音。
 アトゥールの細剣氷華が、エアルローダの剣が、互いの胸を刺し貫く。
 ――こんなこと、ありえない。
 そう、エアルローダは思っていた。
 どくどくと脈を打つ心音と、熱く激しい衝撃を受けて。
 アトゥールのかすれた驚きの声が、耳に届く。死の腕に抱かれながらも、未だ謎を解こうとする公子が、疎ましかった。
 魂が怒りに震えるまま、エアルローダは逆手で剣の柄を握り込んだ。勢いをつけて、一息に剣を引き抜く。
 ごぽりという音と共に、剣はのめり込んだ筋肉から離れた。蓋を失った傷口が、大量の血液をほとばしらせる。
 身体が離れて、エアルローダはたたらを踏んだ。
 視界に、残像のように揺れた薄茶の髪と、赤い鮮血、駆けこんで来る鋼色の髪を持つアデル公子が入ってくる。
 ――消してやる。
 鼓動が激しく打っている。溢れ出る血液は、音を立てて広がっていく。まるで少年の中の憎悪を煽るかのように!
「消す」
 冷たく言い放つと同時に、エアルローダは再び魔力を身にまとった。
 皇女アティーファをおさえていた魔力者のリーレンが、ハッとしてエアルローダの前に立ち塞がる。
 人々を守る、盾となる為に。
「エアルローダっ!!」
 同胞が、相対する。
 底のしれないエアルローダの眼差しに圧倒されて、リーレンの足はがたがたと震えていた。
 それでも、退くわけにはいかない。
 ぎゅっと拳を握り込み、彼は強く痛い程に大きく目を剥いた。
「下がっていてください! 魔力は私が防いでみせますっ! だから早く、アトゥール公子の手当をっ!!」
 魔力に意識を向ける彼の心に、エイデガルに利用されていた現実への憤りはなかった。
 ――魔力者たちが、エイデガルで安らかに暮らしていたのは、事実なのだ。
「私は幸せだった。利用されていたって、かまいはしない! これ以上、あの人達を傷つけさせるものかっ!」
「お前が!?」
 少年がくつと笑う。
「その程度の魔力で、僕に抵抗できると? 楽しすぎる、馬鹿すぎてっ!」
 エアルローダの甲高い笑い声を聞き、震えながらも踏み届まっているリーレンを見付めて、隣国の姫君、リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアは佇んでいた。
 ふいっと首を傾げる。
「え?」
 足が、勝手に歩き出そうとしていた。
 リィスアーダはアティーファを認めただけで、他の面々への興味は持っていない。
 リィスアーダは優しく笑んだ。
「そう。マルチナ。そうなのね」
 すいっと体重を移し、エアルローダの魔力に触れる場所へと向かう。
「ご助力します」
 白い手で、リィスアーダはリーレンの肩を叩いた。リーレンは振り向いて、目を見張る。
「……貴女、は?」
 ふわりと笑っていた、マルチナとは違う。りりしくも艶やかな娘の瞳は、どこまでも強い意思にきらめいていた。
「どうぞ、お気になさらず。今は、氷結の力を」
 鋭い指示に従って、リーレンは魔力を冷気に変える。リィスアーダが続けて、風と水を巻き起こした。
 大気が逆巻き、吹雪が生まれる。
 エアルローダは眉を寄せ、魔力をふと止めた。
「ここは引きなさい、エアルローダ・レシリス。手負いの貴方が、魔カ者二人を相手にするなど不可能です」
「消してやる」
 冷静を失った少年の瞳は燃えるようで、魔カ者二人を相手にする危険を顧みていない。
 リーレンはリィスアーダと共に魔力を支えながら、少年魔力者を排除出来る可能性に気付いて、高揚するものを感じていた。


 アティーファ・レシル・エイデガルは、現実を目の前にして、立ち尽くしていた。
 全身の血液が、ざあざあと音を立てて、失われているような気がしている。嫌な予感に膝を折り、這うようにして、側に寄った。
 血に染まった手が、目の前にある。
「……アトゥール?」
 沈黙に耐えられず、名を呼ぶ。
 幼い頃から、実の兄妹のように育ってきた。名を呼べば、いつも笑って振り向いてくれていたのに。
「い、嫌だっ」
 ぼろぼろと涙が溢れて、アティーファは慌てて手でそれを拭った。
 エアルローダと対峙した彼は、相手に深手を負わせた代わりに、死に瀕している。
 親友であるアデル公子カチェイの腕に、血染れた身体を横たえて、一度たりとも動かなかった。
「……ちくしょう……」
 不意に、カチェイの呻くような声が落ちてくる。親友を抱えていない方の手が、やるせなさを現して地面を殴りつけた。
 アティーファは、冷水を頭からかけられたような思いで、素早く顔を上げた。
 ――慟哭していた。
 涙を流しているわけでも、悲しみに打ち震える表情でもないが、今の彼はたしかに嘆き苦しんでいる。
 ――私は、今、何をしているだろうか。
 すとんと、冷静な認識が心に降ってきて、アティーファはまばたいた。
 アトゥールが怪我をおったことを知りながら、フォローに入らずに、再合流できたことに浮かれていた自分。
「足手まといだ」
 頑張っているつもりでしゃしゃり出て、負担と迷惑をかけている。これでは、泣いて下がっている子供の方がマシだ。
 ぎっと拳を握りしめ、アティーファは息を整えた。感情を殺しているカチェイを見やり、蒼褪めているアトゥールの顔を見て、立ち上がる。
「カチェイ、私はリーレンを援護してくる。アトゥール、死ぬなっ!!」
 叫んだ皇女の必死の思いが伝わったのか、カチェイが視線を僅かにあげた。いつもと変わらぬ笑みをうかベ「大丈夫さ」と囁いてくる。
「うん」
 痛い程に、理解した。
 自分が、守られる子供にすぎない存在であることを。
 ――それでも、力になりたかった。
「……死なないで。お願いだから!!」
 もう一度叫んで、アティーファは御剣覇煌姫を握り締め駆け出す。
 リィスアーダとの戦闘で極度に疲労した体は、遮断された空間が解除され、全員の魔力に触れた際に僅かに回復している。何故かは分からぬが、それを今は感謝していた。
 ――倒さねばならない。
 暗い闇と同義である少年魔力者が、レキスを滅亡へ導き、アトゥールを死の淵に追いやったのだから!
「リーレン、リィス! 下がれっ!」
 エアルローダに対し、優位な立場を抑えていた二人の魔力者は、驚愕に振りかえった。
「皇女っ!? ……つ!」
 リーレンの喉が、苦痛をもらす。リィスもまた膝を折り、白く細い手で己が身体を抱くようにした。
「こ、れ……はっ!」
 ――抗魔力。
 皇公族が保持していた特殊な力が、魔力を奪い取らんと発動している。
「皇女!?」
「アティーファっ!」
 声を重ねて二人、アティーファを呼んだ。けれど声が届かぬのか、少女は覇煌姫を構え、二人の横を過ぎる。
 エアルローダは目を細めた。
 激情に我を忘れていたはずの少年魔力者が、静寂を従え、恋人でも迎えるような優しさを身にまとっている。
「アティーファ!」
「エアルローダ!」
 二人、叫び合って。
 皇女は唐突に理解した。 
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