暁がきらめく場所
NO.02 血染めの結末
「死を覚悟しないしぶとさを持つからこそ、君は邪魔なんだよ」
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「馬鹿にされたくないなら、されない実力を付ければいいのさ。地位や学歴や血統で人を判断する相手なら、主席を取るのが一番だろうね」
「僕があの学院で、主席!?」
「取れるよ」
「無理です」
 かたくなに首を振る子供を前に、アトゥールは困った顔をする。
「リーレンが頑張れないというのなら、確かに無理だろうね」
「頑張ることは出来ます! でも駄目なんです。授業だって邪魔ばかりされて、聞く事も出来ない。あれじゃあ、勉強なんて出来ません」
「だから」
 少し、呆れたアトゥールの声。
「私が教えると言ってるんだけどね」
「こ、公子が!?」
「カチェイから剣術を習うのも良い手だよ。魔力が使えない時に、剣術と体術は役立つからね。……そうだろ?」
 ふっと笑みを唇に落として、アトゥールは意味深な視線を背後に投げる。
「なんだ、ばれてたか」
 明るい声と共に、鋼色の髪と目を持つアデル公太子カチェイが現れた。
 親友であるアトゥールは美しい面差しにはっきりとした笑みを浮かべて「分からせる為に、気配を消していなかったんだろ」と目を細めた。
「ま、面白そうな語題だなとは思ったよ。リーレン、こいつの言う通りさ。悔しさに泣くなら、見返してやれ。馬鹿になどされない人間になっとけ」
 大きな骨ばった手で、カチェイに乱暴に頭をかき回される。リーレンは手で頭をおさえ、上目使いで二人を見あげた。
「どうしてお二人は、僕にこんなに優しくしてくれるんですか?」
「え?」
「だって、僕はお二人に気にかけて貰えるような”何か”なんて持っていないから」
 ――三人の様子を、リーレンは見付めていた。
 すっかり忘れていた過去の光景の中で、少年時代の自分が必死の面持ちで聞いているのを。
 アトゥールとカチェイは顔を見あわせる。何か特別な理由の有無を話しあってから、二人は同時に息を落とした。
「特別な理由はないな」
「私達はね、君の事が気に入っているんだよ」
 本当に優しく笑う二人の瞳に、曇りは一点もなく。あるのはひたすらに穏やかな、温もりだけ。
 過去を見付めるリーレンは胸をおさえる。今見た過去が伝える、間違えようのない一つの真実に震えていた。
 ――なぜ、優しかった記憶を忘れしまっていたのだろう。
 どんな真実が明らかになろうとも、変わらぬことは確かにある。
 拳を握った。応えて、柔らかな光に満ちていた“過去“が消えていく。
 血の臭いが再びリーレンの鼻孔を付く。過去のかわりに”現在”が見える。
「アトゥール公子!!」
 リーレンは叫び、ついにはっきりと捕らえた現実の光景に蒼白になった。
 膝を付き、肩で息をする血濡れたアトゥールの姿がそこにある。――同時に、信じられない姿をリーレンは見出だしていた。
 
 
 アトゥールが戦闘を続ける気配を後方に捕らえたまま、エイデガル皇女アティーファ・レシル・エイデガルは必死に身体を起こそうとしていた。
 彼女の故国エイデガルがはらみ持つ“魔力“に対する秘密に気付き、ザノスヴィア王女の魔力を相殺したまでは良かった。けれど加減が分からず、無理をした結果、動くことさえままならなくなっている。
 もがく指が石畳の床をかすかにかく。
 皇女の前には、膝を付いてじっとアティーファを見付める麗しき姫君リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアの姿があった。
 一人はマルチナと名乗り、一人はリィスと名乗る。同じ身体でありながら、間違いなく二人は別人だ。
「アティーファ。あなたは何を焦っているの? ここにあった危機はすでに回避されているのに」
 気高き娘は、赤い裳裾に頬を寄せる山猫のやわらかな毛並みを撫でながら、どこか硬質な響きを宿して尋ねてくる。
 アティーファは駄々をこねる子供のように首を振り、かろうじて持ち上げた眼差しでリィスアーダを見付めた。
「私、は……行か、な……くなゃ……。アトゥールが、危ないからっ!!」
 魔力をぶつけてくるマルチナと対峙している際、アティーファは背後でおこっている戦闘の激しさを感じていた。
 兄代わりの青年たちが“負ける“ことなど、アティーファは今まで考えたこともなかった。
 保証など何一つないことを、信じ込んでいた自分自身がアティーファには憎らしい。失う可能性に気付いていれば、防げることもあったかもしれないのに。
 ――アトゥールは怪我をして、助けのない不利な戦いを続けている。
「助ける……ん、だっ! アトゥールを死なせる……なんて、絶対にっ!」
 声さえも満足に発することの出来ない状態の高貴な娘が、恥じらいを捨ててまで起きあがろうと懸命になる。
 ――守りたい。助けたい。
 今のアティーファから感じるのは、ただただそれだけだった。
「教えて、エイデガルの皇女」
 リィスアーダはそっと声をおとす。
「貴女がそんなにも彼を心配するのは何故です? エイデガル皇国の後継たる貴女から見れば、ティオス公子の命など見捨ててよい程度のもののはず。公族を捨て駒の一つと考えてこその、皇族でありましょう?」
「……違う……」
 持ち上げることの出来ない頭上からの声に、アティーファは泣きだしそうな声になる。
「確かに……アトゥールは、皇国の属国の人間かも……しれない。でも、リィスアーダ姫、私が……彼から受け取って来たのは、主君に対するものでなく……妹に対するかけねなしの愛情だったんだ」
 産まれた時に母を失ったアティーファが、寂しさに潰されることなく育って来たのは、父皇フォイスと共に家族として接してくれた二人の存在があってこそなのだ。
「私、は、アトゥールの忠誠なんて……いらない! ただ生きていて欲しい、笑っていて欲しい!」
 唇までも疲労している中で、アティーファはまるで抗うように叫んでいた。
 叱られる事もあった。嵐の夜に、ずっと側についてくれたこともある。――なによりも、誰もが尊敬と希望をたくして見付める皇族である自分を、普通の娘として見てくれる、父親以外のたった二人の兄。
「嫌だ、失うな……ん、て! 助けに――私が、行くんだ!!」
 必死に叫ぶ皇女はまるで聞き分けのない子供のようで。リィスアーダは困ったように目を伏せてから、そっと手を差し伸べた。
「わたしの肩につかまって」
「リィスアーダ姫?」
「わたしのことはリィスと」
「……なぜ、私の手助けを、リィス?」
「貴方は、マルチナを救ってくれたわ。それにわたしにも分かるの。大切な家族を守りたい気持ちは……」
 世界でたった一人の妹がリィスにとってのマルチナだ。同じ定めを背負い、苦しみを共有して生きる妹を、リィスは何があっても失いたくない。
「マルチナはアティーファを“友”だと感じていたわ。わたしは貴女の言葉に偽らぬ真実を見た。信じてもいいって思った。さあ、手を」
 華奢な手がアティーファが伸ばす手をしっかりと掴む。そのまま肩に手を回されて、なんとかエイデガルの皇女は立ちあがった。
「リィス、マルチナを“妹“と呼ぶのは……なぜ?」
 かすれた問いかけに、リィスは悲しげに眉を寄せる。
「わたしとマルチナの間には、多分アティーファが考えている以上の問題があるの……」
「私は……役に、立てない?」
「……。貴女は皇族であるにしては、簡単に他人を信じすぎるのではないかしら。わたしが貴女を騙して、利用しようとしているとは考えない?」
「皇族だからこそ、人を見る目は……養ってきたと思う。リィスは嘘を言ってないよ」
「ありがとう……。ならば、いつかわたし達の話を聞くと約束して?」
「うん。約束するよ、リィスと……マルチナに」
 かよわいリィスアーダのカでは、一人を抱えて素早く移動する事は出来ない。山猫の凛毅が、手助けを申し出るように鼻面をアティーファの足にすりよせた瞬間、ことさらに大きく名を呼ばれた気がして、皇女は目を見張った。
「――え!? 今のは、リーレン?」
 よろよろと手を持ちあげて、耳に添える。衝撃のように響いた声の残滓は今はなく、アティーファは焦りを顔に浮かべた。
「敵意から来るものではない、何か魔力を感じましたね」
「リィスも? きっと、リーレンが私を……見付けたんだ。でも……ど、こ?」
 周りには何も見えない。
 なぜ?とアティーファは焦る。同じように、魔力によって作りあげられた場所で、リーレンが焦っていることも知らずに。
 リーレンはアティーファの名を呼び、同時におそろしい戦闘の行末を見守っている。
 アトゥールは今、血濡れて重くなった長衣の襟元に手をかけ、乱れる息を必死に整えようとしていた。
 膝を付くことで、なんとか倒れずに済んでいる身体はひどく重い。
 ――視界にあるのは、薄笑いを浮かベる少年魔カ者。そして右手の方向に、石畳に突き立った意思持つ宝剣、大剣紅蓮がある。
「一滴の水から、元の大海を知る君は、邪魔なんだよ。君の考え方は他に影響を与えるのかな? 時間をかけているけれど、からくりに気付きつつあるのがいる。……不愉快だね」
 言い捨てて、エアルローダは手にする細い刀を返した。金属の音が、二人しかいない空間に響く。
 ――その、刀の使い方が。
 ――構える姿が。
 血液を大量に失い、意識を失うわずか手前で留まっているアトゥールの脳を刺激する。
 エアルローダはくつ、と笑った。
 姿を現してからこの方、真の闇を抱く瞳で少年は笑うばかりだ。その笑いこそが、不自然に感じられて仕方ない。
 ――まるで何かを隠しているようではないか?
 その酷薄な笑みがなければ?
 その立姿に陰湿さがなければ?
「……ま、さかっ!」
 ハッと目を見開く。
 想像して、初めて気付いた。
 エアルローダの姿は、アティーファに似通うものがある。御剣覇煌姫と同じ片刃の刀から、繰りだす剣筋にも、それはいえていた。
 ――アトゥールとカチェイがアティーファに剣を教え、二人を指導したのがエイデガル皇公フォイスだ。
 かつて父にあたる公王の保護もなく、暗殺者に狙われ続けたカチェイの剣は我流で、アトゥールは華奢な身体で扱うに難のある大剣を使っていた。
 フォイスがそれぞれにふさわしい剣術を教え込むまでは、エイデガルの誇る最高の剣豪に程遠い腕前だったのだ。
 フォイスの剣技は独特で、エイデガルに伝わるものではない。彼自身が各地の武術を修得して、作りあげた特殊なものなのだ。
 継承するのはただ三人。直弟子である二公子と、彼等が教えたアティーファだけだ。リーレンも多少は使うが、継承したほどではない。
 ――他に使う者のない剣技と、似通うものを少年魔力者が持つのは何故なのか?
「エイデガルで後継者を意味するレシルとレシリス。私たちと似た剣筋?」
「君は本当に、飛躍して謎に迫るね。賢い人間は好きだけど、敵の中にいるのは嫌いだと何度も言っているのに」
 謎を手繰り寄せようとしていたアトゥールの思考を断ち切って、エアルローダの声が響く。
 アトゥールは敵を前に、他に意識を奪われたことに、愕然とした。
 ――集中力が低下している。
 ぎり、と奥歯をかみしめた。痛みはアトゥールの意識を僅かにクリアにさせ、どこまでも不吉な少年への集中を可能にさせる。
 襟元を握りこむ指は血の色に染まり、魔カに干渉する抗魔カを補佐する宝剣は弾かれまま、戻っていない。――戦う選択肢は、どんどん消えていく。
「死を覚悟しないしぶとさを持つからこそ、君は邪魔なんだよ」
 エアルローダがまた陰湿に笑う。
 そのまま彼は指先を空に差し伸べ、魔力を掌に集め始めた。 
「きみを潰す。全力をもってして!」
 嘲笑する少年魔力者の声を聞きながら、アトゥールは体カを消耗しすぎる抗魔カを使わずに回避する方法を探っていた。
 足を軽く踏み出そうとして、ぎくりとする。激しいめまいと、全身を縛りつけているような、異常な重さ。動いての回避は不可能だ。
 ――血を流しすぎた。
 このまま死ぬか、それとも杭魔カを使って一秒を永らえる努力をするか。
「あきらめる?」
 形の良い唇を歪めて、笑った。
 手札を使いきらずに、死んだと知れば、親友はどれほど憤るだろうか?
 魔力の流れが変わる。
 そのまま抗魔力を展開しかけた瞬間、アトゥールはなんらかの衝撃に、飛ばされて横転した。
 ――なに?
 混乱に瞳が空をさまよう。純白の魔力の衝撃が、先程まで居た場所を薙いでいった。
 ――なにが、起きた?
 抗魔力を使わずに、動いて回避するなど、出来なかったはず。
 まるで誰かに救われたかのようだ。
 ――誰もおらず。
 ――誰の助けも得られないはずの場所。
「ま、さか……」
 暖かさを感じている。
 側に居ると感じることも実はあった。
「……カ、チェイ?」
 青ざめた唇に、その名をのせた。
 厚い空が晴れるように、アトゥールの中でさあっと謎がとける。突き飛ばされて場所を動いたおかげで、目の前に大剣紅蓮があった。
 意志持つ剣の刀身に、白く細い指を這わせる。冷えきった指に、灼熱のような温みを感じて目を細めた。
 ――少し力が戻ってくる。
 抗魔力者を守る、魔剣の力。
 大剣にすがるように立ち上がり、アトゥールは前を見すえた。まるで、背を守る誰かが居るといわんばかりに、背後の警戒を怠っている。
「ふんっ」
 エアルローダの闇を宿す瞳に、水面に落ちた水滴に似た動揺が、波紋を広げる。
 ――その、光景を。
 リーレン・ファナスは見つめていた。
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