暁がきらめく場所
NO.06 血染めの結末
「約束したはずです。私と――マルチナのことを、いつか聞いて下さると」
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 レキス公城内へと歩を進めるアティーファたちは、石床を響させる靴音だけを耳にしていた。
「――リーレン」
 横たわった沈黙を破り、エイデガル皇女アティーファが立ち止まる。
「教えてくれ。私はさっき、二人になにをした?」
 固く告げられた言葉に、二人は目に見えて表情をこわばらせた。
「……アティーファさま? あの、今は」
「レキス公王である、グラディールとダルチェを探している。分かってる」
 態度で示して、少女は再び歩き出した。
「私がリィスたちになにをしたのか。それを答えるのは、二人を探しながらでも出来るだろう?」
 魔力だけでなく、人の“生命力“をも奪い取る恐るべき皇族の抗魔力。
「冷静になって、変だと思ったんだ。立ち上がることも出来なかったのに、なんで私に大立ち回りが可能だったんだろうって」
 ぴたりと足を止め、アティーファは新緑の燃えるような翠の瞳をむける。
「なんで二人が、死にそうな程に衰弱していたんだろうって。……カチェイは、二人を守ろうと、私の力をさえぎった。……私の、だ」
「アティーファさまに、今、言うベきこととは思えません」
「私がショックを受けるのを、心配してくれるのは嬉しい。でも私は今、それを知らなくちゃいけないんだ」
「なぜそう思うの? アティーファ」
 白い手を、そっと少女の肩に添えて、リィスアーダは首を傾げる。
「知らなかったら、反省も対策も出来ない。同じことを繰り返して、傷付けるかもしれない。私は、その可能性があることが辛いんだ」
 きゅっと唇をかみしめる。
 エイデガル皇国と五公国の根底を支えていた“魔力に干渉しうる力“は、軽がるしく存在を知らせて良いものではないことは理解している。
「知っていれば、出来ることもあったんだ……」
 呟かれる言葉は、どこまでも悲しい。
 ――もし、全てを知っていれば。
 アトゥールもカチェイも、隠さずに対魔力者に作用する能力を最初から行使し得たはずだったのだ。
 ――アトゥールが死ぬことも、なかったかもしれない。
 目頭が熱くなり、収めたはずの涙が再び溢れ出てくるようで、アティーファは唇を噛む。慰めるように、リィスアーダはぽんぽんと少女の肩を叩いた。
「“もし“に意味がないこ℃は、分かってるんだ。父とアトゥールが、良く言っていた……」
 全ての事象を把握した状態で過去を判ずれば、他の有効な手を考えつくのは当然だと。
「でも、考えてしまう。この力に気付いていればって。……知るべきことを知らずに、過ちを繰り返すなんて。もう嫌だ。辛くても、苦しくても、知っていたい」
 アティーファらしい言菓に、リーレンはそっと息を落とす。
「――皇女。ご自分のせいだと、己を不当に責めないことを約束して下さい」
 リーレンは、カチェイとアトゥールが、どれだけこの少女を守りたいと思っていたのかを知っている。だからこその行動が生んでしまった結果を、悔やんで欲しくない。
「不当に責める?」
「辛いのは当たり前です。だから哀しむのは当然だけど。自分が悪かったと考えるのは駄目です。全員、その時に出来ることをするしかなかった。私とて、今になれば思います。もっと魔力を使えていれば良かった。カチェイ公子やアトゥール公子も、話していればと考えるかもしれない。でも、これは、私たち全員の精一杯の結果です。アティーファさまが一人、己を責めて背負う結果ではありません」
「……リーレン」
「話します。アティーファさまが持つ力は、魔力だけではなく、他人の生命力をも奪い取ることが可能なのではないでしょうか」
「生命、力?」
「はい。事実――」
 アティーファが立ち上がり、エアルローダに戦闘を仕掛けた際に、二人は激しいに脱力感に意識が混濁しそうになったのだ。
「リーレン?」
 言い澱んで沈黙した幼馴染みに、アティーファは首を傾げる。リィスアーダは目を細めた。
 生命力を実際に奪い取られたと告げれば、アティーファが思い悩み苦しむのは避けられない。
 エイデガル皇女に恋する心優しきリーレンが、告げるのをためらうのは当然だった。
「アティーフア、私と、リーレンは、実際た生命力を奪われているのです」
「リィスとリーレンの命を、私が……」
「けれど大丈夫、もう問顕はないわ。私たちは生きています。そしてアティーファは、貴女が持つ能力の危険を理解したわ。もう、こんなことは起きないでしょう?」
「起こさない。私の中にある能力の制御も、分かってきたから」
「ですから、もう大丈夫なのです。アティーファはマルチナを救ってくれた優しい人。貴女に救われた存在と、これから救わねばならない存在を、忘れないで」
 リィスアーダは微笑む。マルチナの妖艶さを完全に払拭し、変わりに気高さを封じ込めた表情だった。
「それに、今アティーファに落ち込まれたら私が困ります。約束したはずです。私と――マルチナのことを、いつか聞いて下さると」
「……ありがとう。すまない、リィス。行こう、リーレン。これ以上、誰かが死ぬのも泣くのもごめんだ!」
 完全に立ち直ったわけではない。
 けれどやらなばならない事のために動く力は取り戻して、アティーファは走り出した。



 額から汗が零れ落ちて、銀色の前髪が貼りついている。レキス公妃ダルチェは、それを拭いたくて仕方ない心境だった。
 カチェイが抗魔力をもって開いた道の先で、彼女の夫は待っていた。
 玉座の間に並ぶ二つの椅子に、グラディール・ハイル・レキスは座っている。
 荒らされた様子のない部屋にて待つ夫の姿は、在りし日の日常と重なりすぎて、ダルチェには苦しかった。
「……グラディール」
 ――目だけが、違う。
 まるで死んで濁った、魚の目のようだった。いつも暖かかった、グラディールの目とはあまりに異っている。
「貴方は逃げたわね。骸を使われた天馬騎士団員と戦うことより、彼等によって殺されることを選択したの。それが貴方の優しさだと思うけど、果たして正しいのかしら?」
 一歩一歩。玉座に座るグラディールににじり寄りながら、ダルチェは言葉を紡ぐ。
 天馬騎士団を、彼女は心から愛していた。二人揃わねば満足な力も発揮出来ない不出来な公王を、大切だと敬愛してくれていたのだ。
「彼等はどんなに辛かったかしら。骸を使われて。団員たちはね、私たちに危害を加えたくなかったはずよ」
 ダルチェはそう考えたからこそ、刃を閃かせて戦ったのだ。天馬騎士団員の手にかからないために。
「けれど、貴方は違う考えだったわね。可愛がっていた騎士団員の骸を切ることに憐れを覚えた。虫も殺せない、貴方らしいけれど」
 二人で一人前だった公王の方割れが捕らわれたことで、レキス公国での異変は複雑化してしまったのだ。
 抗魔力保持者の能力を借り、レキス公国に在在する対魔力封印の弱さと綻びを繕い強化させることで、敵の魔力を封じ対処も可能だったはず。
「グラディール。アトゥールが多分、死んだわ」
 獣魂の庇護を、エイデガル皇国および五公家の人間は受けている。獣魂は抗魔力の自覚めと増大をきっかけに目覚め、半ば実体を取って皇公族を守護するのだ。
 抗魔力を弱くしか持たないゆえに、ダルチェは獣魂を身近に感じたことはなかった。新しい命の手助けにより、天馬が目覚めたあの瞬間までは。
「天馬が教えてくれた。アデル公国の金狼、ティオス公国の風鳥も覚醒していると。聞いたの、風鳥があげた高い嘆きの叫びを……」
 レキス公国の至宝の剣。
 建国戦争当時、覇煌姫レりシュの長兄レキスが保持した、双刀風牙の一刀をダルチェは構える。
「私達が無事を確保していなかったから。悲劇はこんなにも拡大してしまった。だから、グラディール」
 猛々しい程に強い眼光で、妻は夫を捉えた。
「エアルローダに操られ、存在する価値のない者であり続けるなら」
 敵の尖兵となった公王に、生きる価値などないのだ。
「レキス公家の直系として。貴方を殺すわっ!」
 叫ぶと同時に床を踏みだした、彼女の腹部に激しい痛みが走る。
 彼女の中で育くまれる命が、父であり母である男女が相争う現実に絶叫するかのようだった。
 ごめんね、と。ダルチェは短剣を片手に心で呟いた。
 玉座に座るグラディールが動く気配はない。
 ――このまま殺されるつもりなのか。
 ちらりを思いながら間合いを詰め、太刀筋に迷いを宿らせることなく振りかぶった。
 白刃とグラディールの頭との間隔が、僅か指二本分程まで迫る。瞬間彼は玉座から滑るように身体を沈ませ、踏み込んだ彼女の軸足を蹴り飛ばした。
「――っ!」
 バランスを崩したダルチェの目前に、彼が隠し持っていたナイフの光が迫る。
「グラディールっ!」
 体勢の立て直しを図らず、風牙を持たぬ手で夫の肩を掴み、突き飛ばした。反動を利用して体を戻し、逆に体勢を崩したグラディールに襲いかかる。
 紙一重で避けた姿に、ダルチェは勝利を確信した。
 エイデガル皇国には、世界屈指の剣豪を数多く排出している。
 最強と称されているアデル公子カチェイ、最速の剣を扱うとされるティオス公子アトゥールは勿論のこと、他の公族の武術の技量も中々のものだった。
 ダルチェもその一人だった。
 公女時代、彼女は武術の腕前を同等か以上を持つ同年の者を欲していたが、条件に合うものがおらずにぼやいていた。
 皇王フォイスがグラディールとの決闘を提案した時、ダルチェは面食らって気でも違われたのかと心配したものだった。
 ガルテ公国第二公子グラディールは、実の兄であるセイラスに「甘い優しさだけで作られた、ガルテ公家の突然変異」とまで評された青年だ。
 優しすぎるがゆえに剣に興味を持たず、握り方さえ知らなかったこの青年との決闘に、ダルチェは敗北した。
 その後グラディールはめきめきと才覚を伸ばし、ダルチェは彼に歯が立たなくなっていったのだ。
 ダルチェはグラディールを認め、グラディールは正反対の性格を持つダルチェに恋をした。そうして二人は結婚したのだ。
「でも今回のことで、はっきり分かったわ。貴方の優しさは間違っている。全てに優しい人間は、全てに冷たいのと同じだったのよ!」
 感情のままに幾度も叫ぶが、グラディールの瞳に意思の色は浮かんでこない。歪な動きを見せて繰り出してくる攻撃を払い、ダルチェは夫の目を切り裂く勢いで風牙を薙いだ。
 バランスを崩したグラディールの裾を、ダルチェは踏みつけた。動きを縫いとめられた一瞬を狙って、止めを刺す剣を振り下ろす。
「終わりよっ!」
 ダルチェの覇気に、魔剣である風牙が輝いた。
 応えたことのなかった剣が、夫を殺そうとする行為に反応をして輝く。
 ――なんと、皮肉な。
 きらめく風牙に、濁った目をしたグラディールではなく、靴音高く響かせて飛び込んで来た来訪者がハッと息をのむ。
「ダルチェ、待てっ!」
 叫んで止める。
 けれど、渾身の力で振り下ろされた剣を停止させるなど、不可能だと彼女は知っていた。
「アティーファ様っ!」
「……分かっている」
 生命力を奪い取る力を、答える少女は持っている。魔力に抗する特殊な能力が持つ、おそるべき側面。
 ――使い方次第で、身体の感覚を一時的に麻痺させることが可能だった。
 御剣覇煌姫を高く掲げると同時に、切っ先は翠の躍動を見せて閃光をほとばしらせる。
 ダルチェが、突然の脱力感に顔を歪ませた。圧力に押されたように、グラディールが身体を床に押とす。
 からん、と。風牙が落ちた。
「リーレン、リィス、ダルチェを頼む」
 座り込んだグラディールの瞳は、エイデガル皇女の登場にも反応をしなかった。操り人形と化した有様に、アティーファは強く唇を噛む。
 這いずって動こうとするダルチェを制しながら、皇女と公王の様子を見守るリィスアーダは、マルチナのことを思って胸を痛めていた。
 リィスアーダとマルチナは、アティーファやリーレンが考えている多重人格者ではない。二人が存在するという意味では同じだが、根本が全く異っている。
「リィス?」
 深刻な表情のザノスヴィア王女に、グラディールの前で思案顔になったアティーファが尋ねた。
「ごめんなさい、なんでもないわ。その方は、魔力によって思考を止められているみたいね」
「あの魔力者なら、心を縛るのも、簡単なことだったんだろうな」
 凄まじい魔力を思い出して唇を噛みながら、アティーファは父王から預かったものを取り出す。脱力した体をリーレンに支えられて上体を起こしたレキス公妃ダルチェは、ハッと息を呑んだ。
「皇女殿下、それはっ!」
 禍々しさに支配される公国の中で、清浄を守り育むもの。孤独におちたダルチェが、命がけで守ったもの。
 ――レキスを守護する至上の宝。天馬宝珠。
「ダルチェが天馬宝珠を守ってくれたから、グラディールを救うことはできるんだ。二人が揃っていてくれなければ、私は困る。……今は、それが良く分かる」
「まさか……知ったのですか?」
「なにを?」
「魔力に干渉する力。私たち皇公族が持つ、抗魔力を」
「……うん」
 皇国が抱いていた秘密を、父でもなく、兄代わりの公子からでもなく、ダルチェから”言葉”として知らされて、アティーファは少しばかり目を細める。そのまま天馬宝珠を両手で包み込み、動かなくなったグラディールの頭上に掲げた。
 彼を呪縛するエアルローダの魔力を払うには、レキスを守護する天馬の力を引き出す必要がある。静かに彼女の中にある抗魔力を引き出し、宝珠に集中させる。ポウッと手の中が暖かさを感じたと思った直後、天馬宝珠は呼応した。
 ゆるゆると光が広がる。
 温もりを伴ったそれが静かにグラディールに注ぎ、ふっと、彼がまばたきをした。



 天馬の光が天を貫く。
 それを見上げて、カチェイは鈍く笑った。
「レキスの対魔力封印が復活したか。グラディールは無事だな」
 大事を成し遂げた妹分を、誇りたい気持ちだった。側にあるならば、めいっぱい頭を撫でていたところだろう。
「許してくれ、とはいわないさ。誰かの許しを欲しいとは思わない」
 ただ一言。
 カチェイは悪いなと呟いて、レキス公城に背を向けた。
 さらさらと微かな音が響いている。
 歩き出すカチェイの肩口に、ぐったりと寄せられた頭がある。
 瞼は伏せられ、手はだらりと降ろされ、完全に色も熱も力も失った、彼の親友の淡い色の髪が、風に揺れてたてる音。
 アトゥールを支えるカチェイの指先は、凍るような冷たさに、かじかんでいた。
 抱えている身体が、冷たすぎる。
 確かに死者は冷たく、失血死を迎えた人間が冷たいのも当然のことだ。けれどアトゥールの場合は、まるで凍っているような冷たさだ。
 吐く息さえもが白くなる。
 奇妙なこともあるものだと、納得してしまって良い間題ではなかった。
『お前にかけるから』
 苦しい息の下、アトゥールの切れ切れの言葉が思い出される。
「アトゥール。お前、なにを俺に賭けたんだ? 何をしろと言ってる?」
 異常な冷気と、最後の言葉が。親友が“何か“をしたのだと、カチェイに信じさせていた。
 だからこそ、カチェイは狂人とそしられかねない行動に出たのだ。
 死んだ親友を埋葬せず、腕に抱えて姿をくらます。守るベき妹分を置いたまま。
 さら、と。風にあおられた髪が、カチェイの視界をよぎる。少し疲れた表情で、彼は返事をしないアトゥールの顔を見つめた。
 ――このまま腐敗が始まるのか?
「……奇跡なんてもんは、自力で起こしてみせるもんだ。そうだろ、アトゥール」
 立ち去るしかなかった。
 狂人のような行いを、アティーファには見せられない。彼女の為ではなく、それは他者に弱さを見せられない彼自身のためだった。
「この動乱が収まるように、働きはするさ」
 五公国の公子である以上、なにもやぬままではいられない。カチェイは再び歩き出し、城門にて待っていた自分の馬に飛び乗る。そしてアトゥールを待っていた馬の手綱を軽く握って――姿を消した。
 吐く息を白く染める、冷気をまとって。
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