暁がきらめく場所
NO.06 屍の都
今は黙れ! 伏せろ、リーレン!
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 咄嗟に目を見開いたのは、確かな衝撃を感じたからだった。
 突然顔色を変えたアデル公子力チェイの隣に佇み、覇煌姫、氷華、紅蓮に匹敵する魔剣――レキス公国の双刀風牙を構えようとしていたダルチェは、訝しげに視線をやる。
「カチェイ? どうかした?」
「……いや。少々、嫌な予感がしやがっただけさ」
 気にするなと無骨な手を振るが、表情から戸惑いの色は消えるない。
 ダルチェはさらに尋ねようと思ったが、素直に答えるわけもないと思って口をつぐんだ。
 天馬に守られ眠り続けていた間に、レキス公国中から生存者が消えてしまった状况に陥ったと聞いて、ダルチェは怒りに蒼白になっていた。
 異変にかかわる魔力者は、恐るべき能カを持つ少年魔力者・エアルローダだと聞かされて、ダルチェは思い出していた。
 レキス公国に異変が起きた日に目撃した光景。
 あたかも高貴な者であるような静かな威厳をたたえ、公城の中庭に降り立った少年の形をした闇。
 あれこそが、高度の魔力と頭脳を保持する最悪の敵だったのだ。
「工アルローダはこちらの能カと性格を把握し、力チェイ達を分断させたわけよね」
「間違いないな。俺とアトゥールが親友ってのも知ってたし、リーレンが魔力者だってのも把握してたからな」
「でも、おかしくはない? なぜ性格まで知っているの? エイデガルの皇公族について知りすぎだわ」
「そうなんだよなあ。俺にもそこが分からん。アトゥールならわかりもしたんだろうが。にしても派手だな、魔カのぶつかり合いは」
 二つの魔力は、二人の目の前で凌ぎを削り合っていた。
 はっきりと目視出来ない。だが、攻撃の仕掛け手がエアルローダで、対するのがリーレンであることは間違いなかった。
「どんなに普段、大人なしくても。魔力者は、魔力者なのね」
 吹き荒れる暴風は、残酷なほど周囲を巻き込んで荒らしている。それを防がんと足元の大地は隆起し、粉塵と土煙が巻き起こって、視界は妨げられているのだ。
「リーレンの体力は持つのかしら」
 魔力の発生は、体カの大量消耗を引き起こす。
 カチェイの力を借りてダルチェが目覚めてから、短くもない時間が経過しているのだ。せめて加勢出来れる能カが自分にあればと、ダルチェは双刀風牙の柄を悔しげに握りこんだ。
 アティーファ、アトゥール、カチェイの三名は、すでにそれぞれの魔剣に主として認められている。戦闘の意思を強く持てば、魔剣は応えてみせるのだ。
 ダルチェの双刀風牙は沈黙している。
 ダルチェとグラディールは、二人揃わねば一人前になれない。己一人では役にも立たぬ現実がダルチェを苛んだ。
「私、グラディールを探さなければ」
 ここでりーレンを手助け出来ぬなら、ダルチェがするベき事は一つだった。
 グラディールを救うか、敵の手駒ならば排除するか。
「奴は生きてるのか?」
「生きてるわ」
「断言する根拠は?」
「双刀風牙が教えてくれる。風牙は呼んでいるのよ、もう一人の主を」
「見つけたとして、最悪の事態が起きた時、お前に出来るのか?」
 ひたり、と。
 カチェイの鋼色の瞳が、銀色の髪持つ公妃の目を捕らえる。ダルチェはただ静かに肯いた。
「出来るわ。むしろ、私にしかそれを成すべき人間はいない。敵となり、味方に戻らぬグラディールを殺すのは」
 しん、と二人の間で空気が凍る。カチェイは僅かに考え、肯いた。
「よし、道は俺が切り開こう。城内に向かって、グラディールに会ってこい。――エアルローダが今、グラディールの側にいる可能性は低いはずだ」
「低い? ちょっと待って。彼らは今、目の前で対決しているでしょう。エアルローダがグラディールの側に居るはずがないわ」
「俺にはあれは一人芝居にしか見えんな」
「一人芝居?」
「ちょっとばかり見てたんだけどな。攻撃と反撃のパターンがどうも同じすぎる。ということはだ。――エアルローダ自身が仕掛けて来た攻撃は第一撃目だけってことになる」
 戦闘に対する天性の勘を保持するカチェイらしい言動に、ダルチェは改めてリーレンが戦っている方向を見つめた。極度の視野が悪い為に具体的な戦闘は分からないが、確かに攻撃と防御で繰り出される魔力の気配が単調にすぎる気がする。
「ここから立ち去るわけにはいなかいってことね、カチェイ。でも、出来そこないでしかない私にグラディールを任せること、後悔しないっていえる?」
「その程度は信用するさ。なにせお前は公王でもある」
「……公王、ね。それで、道を作るっていうのはどういう事?」
「抗魔力でど派手にな。ちょっくらリーレンの力も拝借して」
「拝借って……。あ、貴方が、アトゥール以外の人間を頼るの!?」
「やりたくないと言ってる場合じゃない」
 口調だけはおどけているが、双眸は全く笑っていない。カチェイのらしくない真剣さに、ダルチェは改めて危機の深さを悟った。
 彼がここまで焦るということは、皇女アティーファやアトゥールが命の危険に晒されている可能性が高いのだ。
「――了解したわ。一瞬でいい。道を作って」
 これ以上の問答は時間の浪費だ。ダルチェは双刀風牙を握る手に力を込めた。我が身に宿った赤子に、力を貸してと小さく祈る。
 カチェイはレキス公国城内への入口に向かって、氷華を付きつけた。
 金色の焔がゆらめく。
 神秘より、激しい威圧感だけを放ち、周囲を支配した。


 
 背筋を凍えさせるような瞬間の衝撃に、はっと目を見開いたのはリーレンだった。
 第一撃を阻止して以来、敵がどの位置から攻撃をしているのかさえ分からなくなっている。浮いた汗のせいで、額に前髪が張り付いていた。心臓は狂ったような激しい鼓動を続けている。
 それでも歯を食いしばり、リーレンは魔力を行使し続けていた。
 他人に強く依存する欠点を持つリーレンだが、共に在りたいと望む人々を守れるのは自分だけだと自覚すれば、驚くほどの底力を発揮してみせるのだ。
 彼が守りたいのは、なにもアティーファだけではない。兄代わりの公子は気付いていないが、二人の事も心からの親愛を感じているのだ。
 リーレンは急激な体力消耗と疲労に耐えていた。まさにその瞬間、背筋を凍えさせる衝撃に打たれたのだ。
 威圧。
 いや、むしろ強制的に額ずかされたような不愉快さがリーレンを襲う。同時に何かが体から奪われて、血液の全て凍りつくようだった。
 ――この感覚に覚えがあった。
 あまりに露骨な喪失感は、エアルローダが最初に攻撃を仕掛けてきた際に感じたものと同じだ。
 攻撃を防ごうとした魔カを奪われた喪失感。かわりに持ち上がったのは……。
「翠の閃光っ!!」
 恐ろしい予感がする。
 工アルローダは魔力者が縛られていると言った。呪縛の糸に絡められ、皇国に飼われていると言ったのだ。
 否定が欲しくて、振り向いた。
 金色の輝く、焔立つ。
 無骨な彼の手に治まった、玩具のような氷華を指しのべて、狼に似た圧倒的な存在を男は従えていた。
 アデル公子力チェイだ。
 けれどリーレンが知っているカチェイとはあまりにかけ離れている。目の前に傲慢に立つ男は、皇女と彼に甘かった彼ではない!
「……公……子?」
 呼ぶ声がかすれた。普段は他人に威圧を与えぬ公子は、今はただ沈黙だった。
 差し伸べた氷華を、天に向ける。
 轟音と共に、瞳を焼く閃光が空を走り、氷華めがけて落ちた。金に輝く狼があわせ咆哮する。
「そんな……そんなっ!!」
 震えるまま、リーレンは両手で身体を押さえた。脱力感は増し、氷華の光も増す。
 ――あれは、魔力だ。
 奪われ、集められた魔カの結晶だ。
「どうしてっ!」
 声が悲鳴になる。悲しくて、狂おしくて。
「どうしてそんな事が出来るんですか!? だって、それは。その力は! どうして、力チェイ公子!」
「今は黙れ! 伏せろ、リーレン!」
 混乱に叫ぶリーレンを、カチェイは一喝する。怒声に怯えて、思わずあとずさった。
 しん、と。場が静まる。
 光を宿す魔剣・細剣氷華を天に向ける力チェイと、傍らで目を閉ざすダルチェの吐息までが聞こえそうなほど。
 呆然としたまま、リーレンは一つ思った。
 少年魔力者の攻撃はいつ止んだのかと。……工アルローダはどこに消えたのかと。
 力チェイは何も答えない。
 今、彼は意識の全てを氷華に向けていた。顔色こそ変えていないが、実は凄まじい疲労と激痛と戦っている。
 エイデガルの皇公族は、魔力者ではない。
 魔力者とは、自らのカで魔力を構成・行使可能な者を指す。その考えには穴があり、それこそがエイデガル最大の秘密だった。
 魔力者に近い能力を持ちながら、魔力者ではない存在。
 ――魔力に対し力を発揮する能力。
 皇・公国最大の秘事を知らされるのは、各国の王のみだ。力チェイが知っているのは、鋭利な頭脳を持つアトゥールが独力で秘密に気付いたせいだった。
 魔カを封じ、相殺し、奪い取りもする能カ。――抗魔力。
 抗魔カに気付いた当時、アトゥールはひどく複雑な表情を見せ、遠まわしな言葉を向けてきたものだった。
「カチェイ、不思議に思ったことはないか?」
「なにをだよ」
「エイデガルだけが、なぜ魔力者を受け入れることが出来たのか……」
「まあ、思ったことはある。答えが出たためしはないが」
 考えても分からんから、今は考えてないと応じた親友を見やる。ごろりと草原に彼が寝転がったので、 アトゥールも腰を落とした。
「統計が、私達が不思議に思いながらも、分からなかった答えを導いてくれたよ」
「統計? なんのだよ」
「エイデガルにて登録されている魔力者の能力レベル」
 良くもまぁそんな数字の羅列を見る気になったなと冷やかしながら、カチェイは突き出された紙に視線をやる。
 ――平均的な魔力数値が、書類を埋め尽くしていた。
 魔カを数値で表す技術は、かつて魔力者たちが戦の道具として使われていた時代の遺産だった。魔力に反応する特殊な鉱石を加工し、力に応じて色が変化する。
「別段気になる数値の奴はいないだろ。重箱の隅をつつくのが得意な小姑じみたアトゥールにしか分からんことが、俺に分かるわけがない」
「ああ、ごめん。嫁に逃げられるまで、愛想つかされていた事も分からない君に、察するのは不可能だったね」
 決まりごとのように軽口を応酬して、アトゥールは陽に透かせば金に見える薄茶の髪を揺らしながら手を伸ばし、ある名前を指し示した。
「リーレンだと?」
 カチェイの声が緊張をはらむ。
 エイデガル皇王フォイス直々の指示により、救われた魔カ者。異例の厚遇を与えられ、今は次期皇王アティーファの学友として側にいる。そんな彼の能力も、平均を僅かに超えているだけだった。
「おい、ちょっと待て。この数値、おかしくないか? 信用おけるのかよ」
「エイデガル皇王の命令によって、魔力者を対象に行われる戸籍調査と能力調査の結果だからね。これを疑うと、なにも資料がなくなってしまうよ」
「細心の注意と共に行われている、あの調査か……」
 起きあがり、カチェイは筋肉に覆われた腕を組んで考えこむ。外見には似合わぬが、カチェイが綿密な思考回路を持ち合わせていることをアトゥールは知っていた。
「もう一つある。普通さ、平均はあくまで目安だよね。全員がその数値であるわけがない。けれど奇妙なことに、平均から大きくずれている者はほとんどいないんだよ。ずれているのは、ある共通点を持った者達だった」
「もったいぶらずに言えよ」
「……エイデガルに、ここ数年に移住してきた魔カ者たち」
 別の資料を取り出し、力チェイに指し示す。こちらは古い物だった。
「見比べてごらんよ。エイデガルに来たばかりだった項の数値と、今の数値を」
「……減っていやがる。ならされたって言うべきか?」
 紙を握る、カチェイの指がわずかに震えた。
 魔力の強弱は、誕生時から殆ど変わらないとされている。毎年計るのは儀式のようなもので、結果を知りたがる者はいなかった。
 ――その、変わらぬはずのものが、変動している。
「極め付けはこれだよ」
 エイデガル皇国王を示す印と共に、持ち出し不可と記された書簡。
「お前ねぇ、どっから盗んできたよ」
「人聞きの悪い。少々拝借してきただけだよ」
「夜中に忍び込んでか?」
「残念だったね。早朝だよ」
 軽ロを叩きながらも、アトゥールの細い指が滑るようにして、黄ばんだ紙を広げた。
 リーレン・ファナスに関する記録が細かく記されている。魔力数値の推移もそこにあった。
「数値の変動が激しいな。昔に戻れば戻るほど」
「こんなこと、本当なら有り得るわけがない。文献を山程調べたけれど、数値の変動なんて記されていなかったよ。ついでに分かった事もある。エイデガルに保護されている魔力者の平均断値は、他国が公式に住むのを認めている者達のソレより低い」
「なんだよ……それ……」
 力チェイが呆然とするのも無理はない。エイデガルは、他国では暮らせぬ程に高い魔力を持つ者が逃げ込んでくる国なのだ。
「信じられない、そう最初に思うのが当然だと思うよ」
「教ろよ。なんでこんな事になる?」
 カチェイは親友の横顔をみやる。アトゥールは物思うように空を見上げた。
「なあ力チェイ。エイデガルではなぜ、魔カが使われずに済んでいるんだろうね」
「禁止されてるからだろ」
 なにを今更といった様子の力チェイの前で、アトゥールは首を振る。
「とっさの時の話だよ。カチェイだったら、使わずにいる自信はあるか? 目の前で大切な人が死にそうになっていたら。魔カで救えるとしたら。私は使わないでいる自信はないね」
「――それは……」
「ないだろう? なのに、現実に魔力者が能力を行使した事実は、殆ど存在していないんだよ」
「変だな、確かに」
 大きく肯いたカチェイを前にアトゥールは目を伏せた。
「エイデガルには、魔カに作用するなんらかの力が存在しているんだと思う。非常時に魔カを使わないのではなくて、使えない。この国に居続ければ、魔力が下がっていく。そんな作用を持つ力がね」
 すっと白く細い手をアトゥールは持ち上げた。
 保護された魔力者の子供のリーレンが、異例の好遇を受けたのも、そこに理由があるように思われる。
「リーレンの能カは高い。それを抑制する為に、皇城内に留めねばならなかったとしたら? アティーファの側にあるという事は私達の側でもあるという事になる。魔力に抗じる何かは、私達皇公族にあると考えられないだろうか……」
 魔力を抑制する力があれば、魔力者保護政策をエイデガルのみが取れた理由にもなるのだ。
「その力とは何なのか。私達が持つかもしれぬカとは。考えて、ふっと気付いたことがある……」
 風が唐突に吹く。
 ゆれる薄い色の髪の向こうで、何故かひどく嫌悪しているような顔をアトゥールはしていた。

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