暁がきらめく場所
NO.05 屍の都
……魔剣と、呼ばれる剣
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「私……?」
 呟く声は完全に裏がえった。まるで足下の地面が消え果てて、宙に放り投げられたような気持ちになる。
「考えて生きてきたと思っていたのに。すべてが当たり前に存在するなんて、思っていなかったのに。私はなにも知らないで生きてきたのか!?」
 国を守る義務を持って生まれたからこそ”皇国の姫君”として大事にされることを知っていた。なにもかもを”当たり前”として享受するのは罪だとも知っていた。
 その罪を侵していたというのか!?
「皇国の秘密が秘めているもの。……それは多分。アトゥール!!」
 叫んだ声は悲鳴になった。
 目前にあるのは白く濁った視界。
 純白と青い光は凌ぎあいを続けて、衝突を繰り返していた。暴風が生まれ、透明度が下がり、何一つはっきりと見えない。聞こえてくる激しい金属音に、剣と剣との攻防が行われていることだけが伝わってくる。
 落ち着けとアティーファは思った。今は叫んでいる場合でも、取り乱している場合でも、アトゥールにすがろうとする場合でもない。
 彼女の視線の先で、少年魔力者は薄い唇に笑みを浮かべていた。
「その剣は君には全くあわないだろうに! 酔狂なことだよ!」
「――酔狂一つ行わない公族など、失格だからね」
 鋭い突きをかわし、大剣紅蓮を両手で横に薙ぐ。それをエアルローダが軽くかわした。
 魔力者は剣を苦手とするものが多い。だが敵対者である少年魔力者の剣の腕は高かった。――出血多量の上に、慣れぬ剣を扱うアトゥールには辛い。
 対峙するエアルローダがわずかに笑い、同時に激しく踏み込んで来る。幅厚の紅蓮を盾にして弾いたが、反動に右肩の傷口が大きく開いた。
 凄まじい痛みに息を飲む。
「そうやって悲鳴をこらえられるよりも、素直に苦痛を表してくれたほうが楽しんだけどな!」
「好意の欠片も持たぬ相手を、何故私が楽しませなければいけない?」
 答えながらも、息は確実に上がっていた。
 体の末端は異常なほどに冷たくなり、戦闘不能状態に陥る瞬間が刻一刻と迫りつつある。
 アティーファは大丈夫だろうか。
 ふと思ってしまって、アトゥールはつい意識を戦闘からそらしてしまった。集中の途切れは隙を生む。ハッとした時には、既に剣の光が目前まで迫っていた。
「……っ!」
 体勢を立て直しきれず、魔剣である紅蓮を取り落とす。
 残像のように揺れた長い髪が、降りてきた剣によって幾本かが散った。すぐに第二撃が来る。完全に避けれぬことを悟って、アトゥールは眉をしかめた。
 魔剣紅蓮ではなく、帯刀する細剣で弾くことは出来る。だが、魔力者が振るう剣には、魔力が附加されている場合が多いのだ。
 大剣紅蓮は魔力の影響を除去できるが、普通の剣では魔力伝達は防げない。
「……くっ!」
 悩む暇はない。
 素早く抜刀し、高い金属音を響かせ、相手の剣を弾いた。予想通り、内臓を抉られるに似た激痛をこらえ、エアルローダの剣筋を見つめる。
 ――似ている。
 ふと、思った。
 同時に、アトゥールは女性のように整った眼差しを見開く。
 何かが最初からひっかかっていた。考えても、考えても、まとまらない思考の中――それが唐突に形を描く。
「まさか……その太刀筋……そして」
 ――エアルローダ・レシリス。
 名前を告げた彼の声がまざまざと蘇ってくる。
「やっぱり気付いたんだ。君は、一つの事実から全ての真実を導き出す。だから、邪魔なんだよ」
 底冷えする声で少年が言い切った。
 アトゥールは紅蓮まであと数歩というところまで下がりながらも、血液不足で発生する寒さ以上のものに、身震いをする。
 ――この事態は。
 想像している以上に、エイデガルという根本を支える全てを揺さぶるほどの、事態をはらんでいるのだ。
 エイデガル第一皇位継承権。それを示すものが、レシリスであり、レシルである。
「レシリスは……苗字では、ないな……本当はまだ……」
 乱れる息を必死に整えながら、アトゥールが言う。エアルローダは唇を吊り上げた。
「やっぱりね。君を最初に排除しようと思った。僕の判断は正しい。――それを簡単に理解できてしまう人間は、正直、邪魔なんだよ」
 死を宣告するように少年が言う。
 次の瞬間に全てが決まると判断し、アトゥールは冷たくなりきった手を首元にそえて、血液を吸いすぎたが為に重くなり、動きを阻害する長衣を脱ぎ捨てるべく力をこめていた。



 背後の戦闘が激しさを増していくのを感じながら、アティーファはティオス公子アトゥールからは死角になる部分を見つめていた。
「……マルチナ」
 呟いたアティーファの声が驚きにゆれる。
 隣国ザノスヴィアの王女であり、粗末な外交戦略の失敗によって、エイデガル皇国に留めおいたはずの妖艶な美少女――リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアが、目の前に佇んでいたのだ。
「貴方を、殺しに、来たの」
 語句を一つずつ区切って、からくりじみた声で王女が告げる。
 アティーファが知っているマルチナは、見る者を不確かな気持ちにさせるあやふやさを持つ娘だった。けれど今の彼女は、存在が不確かというよりも、生きた人としての存在の温もりを感じさせない。
 ザノスヴィア王国にマルチナが戻ったというならば、奇妙ではない。けれどレキス公国に姿を現すのは奇妙だった。もしや罠かと考えて、アティーファは視線を鋭くする。
 なにせ、死者や生者の区別なく操る少年魔力者エアルローダが敵なのだ。ザノスヴィア王女マルチナの姿をした敵を作り出すことも可能なのかもしれない。
 罠か、それとも本物なのか。
 疑問は、かなりの知識を誇るアトゥールに尋ねることが出来れば、解明されたかもしれなかった。だが、今は質問できる状態ではない。
「……アトゥールは怪我をしているんだ。そして、今も戦っている。だからこそ、一刻も早くこの状態を打開しないといけない」
 自分自身に言いきかせ、アトゥールの元へ駆け出したい気持ちを押さえマルチナを睨む。
 本物だと確信しきれないのは、何かが欠けている気がしたからだった。
 容姿が美しさだけではなく、存在そのものに艶と花を持つのが、マルチナの美しさの特徴だが、それが欠落している。
 冷たく美しいだけの、まるで失敗作の人形のようだ。
 警戒を解かずに、アティーファは覇煌姫を構える。マルチナに臆する様子はなく、無防備ににじり寄って来た。
 ――マルチナは、アティーファを殺すと言った。
 そのくせ攻撃の気配さえ見せないマルチナの真意が図れず、アティーファは構えをといて声を掛けようとした。
 マルチナが突然、白い手を天に差し伸べた。掌があらわになり、不意に緋色の光が閃く。
 ――魔力。
「くっ!」
 閃光から目を守ろうと、手をかざす。個人戦闘能力は高くとも、アティーファはまだ実戦経験の乏しい子供にすぎない。不測の事態を処理する能力がまだ低かった。
 目くらましに攻撃が続く。手をかざした為に気付のが遅れ、避けられずに立ち尽くした。
 目前に、残酷な牙を持つ魔力の塊が迫る。
 瞬間、アティーファになにかが体当たりをしてきた。バランスを崩してよろめいた、鼻先を緋色の衝撃が掠めていく。
 立ちつくしていれば、致命傷をおったかもしれない。救い主を求めたアテティーファの視界に、大地に着地し黒いた影が入った。
 在りえないと目を見張り、それでも在りえている現実に驚きの声を上げる。
「凛毅!!」
 彼女を救ったのは、彼女を主としたう漆黒の猛獣・凛毅だった。戦闘能力に富む山猫はアティーファに注意を促す。慌ててバランスを立てなおし、皇女は後方に飛び退った。
 緋色の衝撃は、避けた第一撃に続いて次々と牙をむいてくる。
 無残に穴を穿たれていく大地に、避けながらアティーファは一つ確信する。これは魔力による攻撃そのものだ。
 ――ならば、マルチナは魔力者だったのだ。
「凛毅!! マルチナを守っていたお前がここにいるのなら、あれはマルチナ本人なんだな!?」
 跳躍し攻撃を避けていた山猫は、主の声に金色の漣のような双眸を向けた。続けて、無感動に攻撃を仕掛けてくるマルチナを見やる。
 凛毅の仕種を肯定と受け取って、アティーファは肯いた。
「……マルチナがマルチナであるのに、別人の気がする?」
 繰り出される攻撃をなんとか避ける中、アティーファは抱いた疑問に思案を巡らせた。
 これはレキス公国に訪れる前。まだこれほどの異変が起きているとは知りもしなかった頃、マルチナに感じた感想の一つだ。
 ――偽者である可能性は低いですね。
 ――マルチナからは王族の気配がしないんだ。
 仕草一つに妖艶さが漂ってしまうくせに、誘っている自覚は皆無だったマルチナ。
「マルチナであって、マルチナではない本人」
 本人であることに間違いはない。
 だが、自分が知る彼女とは別人でもある矛盾。
 ――エアルローダは人の精神を操る。
 エイデガルに攻撃を仕掛ける一端として、隣国ザノスヴィアの王女を手駒にしたのではないだろうか?
 王族としての誇りと自覚をもつ人物は、精神的に強い者が多く、操るには適していない。しかも今の状況で分かったのだが、王女マルチナもかなり高度の魔力を保持している。本来ならば操るのは不可能な相手だったはずだ。
 けれど、何らかの出来事があって、ザノスヴィア王女の精神はエアルローダによって封じられた。結果、気高く他人に屈することを良しとしない"王女"としてのマルチナは封印され、新たに従順で穏やかな人格をもつ"一般人としてのマルチナ"が誕生した。
 そう考えれば、王族の気配がしなかったのも、操り人形のように見えるのも、納得できる。
 封じられ、発露できずに内にこもった魔力が、異性を魅了する妖艶さを生み出したのではないだろうか?
 すぐ横を緋色の衝撃が過ぎ、アティーファの腕に切り傷が走る。体力が落ちて、マルチナの攻撃を避けきれなくなってきたのだ。
「……私は」
 目の前にいる少女は、人格こそ別人かもしれないが、マルチナ本人であることに変わりはない。そしてアティーファ自身、マルチナを得難い友人だと思っていた。
 ――彼女を攻撃できるのか?
『一人娘を心配せぬ親がいるか』
 出立間際に、浮かべていた笑顔を消して、そう言った父を思いだす。
 続けて背後で戦うアトゥールを思い、はぐれてしまった大切な幼馴染のこと、飄々と軽口をたたいているのかもしれないカチェイのことも思い出す。
 ――死ねなかった。
「ここで死ぬわけにはいかない!!」
 迷いを断ち切って叫ぶと、アティーファは閃光となって飛来してくる魔力に剣を振り下ろした。火花に似た閃光が煌き、魔力が両断される。
「……魔剣と、呼ばれる剣」
 アティーファは呆然と覇煌姫を見つめた。
 ――偉大なる女皇王レリシュが保持した、建国の魔剣。
 覇煌姫は主たる人間の気力が純粋な戦闘心を持てば持つほど、応えて威力を抱く。だが、長く平和の歴史が続いたことで、覇煌姫が魔剣としての姿をみせたことはここ何年もない。ゆえに魔剣である証を見たものは誰もおらず、いわば伝説だけが残されていたのだ。
 だが。今、アティーファの覇気に応じ、銀色の光を発する剣は、確かに魔剣そのものだった。
「凛毅!!」
 高い戦闘能力をもつ獣は、呼び声にひとつ咽喉をうならせると、飛来する攻撃を跳躍して躱し、皇女に寄り添った。
「マルチナを凛毅が守ってくれ。私は手加減が出来ないから」
 言葉を理解したように、凛毅は優雅に頷くと、四肢に力をこめて低く構えた。
「マルチナ!!」
「……貴方を、必ず殺す」
 国を背負って生まれた姫君の声が、空中にて唱和する。
 アティーファは、マルチナが魔力を繰り出すべく手を上げたタイミングをはかると、腰をかがめたまま一気に走り出た。
 ――悪い、とはもう思わなかった。
 ただ、この戦闘を勝ち残ることだけを考える。


 ――心を返して。
 私の、心。
 ――縛らないで。
 生まれながらに縛られた私の心を。
 ――解放して。
 守りたいから。
 ――私と。
 貴方とは……


 アティーファの亜麻色の髪が、緋色の光にゆられ、金色に染まる。
 走りだし、懐に飛びこもうとしたのだ。けれど魔力の発動は早かった。距離が近く、覇煌姫で全てを封殺するのは無理だと本能が悟る。
 ――直撃をうければ死ぬ。
 おそろしい認識を前に、なぜかアティーファの心は静かだった。
 死を受け入れたのではない。むしろ逆で、理屈なしに生き延びられると信じれたのだ。
 翠色の瞳は穏やかなまま、自身を骨まで焼き尽くすだろうマルチナが生み出した緋色の衝撃を前にして、彼女はそっと目を閉ざす。
 翠色の閃光が生まれた。
 唯一の目撃者である凛毅が、首をもたげ光景を見守る。
 凄まじい威圧感が大気を走り、続けてそれが激しく震え始めた。
 ――風。
 緋色をした魔力の塊が、持ちあがった翠色の閃光と風によって瞬時に相殺されていく。
 覇煌姫ではなく、アティーファ・レシル・エイデガルその人が光を放っていた。
 アティーファの父フォイスは、我々には秘密があると確かに言った。それは、ある現実を突き詰めて考えれば、理解可能なのことだったのだ。
 魔力者を恐れず、魔力者に理解をしめし、魔力者に対抗できる存在。――それは、同じ魔力者でしかない!
「マルチナ!」
 翠色の閃光と風によって攻撃を封じられたマルチナが、ふっと目を見開いた。
 驚いたような、呆然としているような、そんな顔。
「マルチナ!?」
 ――感情が戻った!?
 気付くも、勢いのついた剣を止められなかった。マルチナは突然の事に驚いているようで、 硬直している。
 ――殺してしまう!!
 惨劇の予感に、アティーファは思わず目をかたくつぶった。
 凛毅が駆ける。
 二人の少女を救うために。
 

 ――夢はさめるものなのよ。
 そう、自由なる心を縛りつづけるのは不可能。
 ――呪縛はいつしかもろくなり。
 稀有なる力によって解放され。
 ――目覚めろと


「……アティーファ皇女」
 黒い疾風となって飛び込んで来た凛毅に倒された少女は、覇煌姫によって長い裳裾と大地とを縫い付けられていた。濡れる漆黒の双眸をあげて、震えるエイデガル皇女を見つめている。
 呆然としているアティーファは答えず、山猫の凛毅は主の側ににじりより、覇煌姫を握る手を軽く舐める。
 湿った感触に、ゆっくりとアティーファはまたたいた。
「……マルチナ?」
「礼をいいます。気高き皇女」
「……君は、一体?」
 激しい戦闘と、閃光を起こした脱力と、正気に立ち戻った友人を殺しかけた事で呆然とする姫の手に、己が手をザノスヴィア王女は重ねた。
 妖艶さなど偽りであったといわんばかりに、清浄で威厳に満ちた微笑みを王女は浮かべる。
「ザノスヴィア王ノイルが一の娘。わたしはリィスアーダ」
 どうぞリィスと呼んでくださいとしめて、裳裾と大地を縫いとめる覇煌姫を抜こうと力をこめる。
「心からあなたに礼を言います。わたしと、わたしの哀しい妹、マルチナを救ってくれたのですから」
 リィスと名乗った娘は、静かな眼差しをアティーファに向けた。

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