暁がきらめく場所
NO.04 屍の都
私の代わりに泣いていて。私は泣かないから
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 叫んで、リーレンはカチェイを押しのけると両手を前に伸ばした。無我夢中で魔力を展開させる。――集中なしで魔力を行使出来る者など見たことがないと青くなったはずの彼が、今同じ事をする。
 漆黒の髪が地面からわきあがる力に揺れた。伸ばした指先は、空間をひたはしる青白き閃光を放つ。
 大地が震えた。
 直後に地面は隆起し、巨大な岩石の刃を生む。
 エアルローダが向けてくる攻撃を受ける盾ではなく、別属性を持つ魔力によって攻撃を返すことによって相殺しようとするわけだ。
「これがリーレンの魔力の真髄か……」
 人は土壇場に追い詰められると、無意識に全ての能力を開花させることがある。リーレンが秘める魔力は、防御ではなく攻撃に適していることが良く分かった。
 常識を軽々と覆えす魔力者同士のぶつかりあい。
 カチェイはあまりのことに「派手だ」と呟いた。常軌を逸する出来事を恐れるふうはなく、ただただ呆れている。
「まあ。都合良いってのは確かか」
 大地と風とが真正面からぶつかり合う為に、粉塵が湧き起こって視界は殆ど潰されていた。これならば、何をしてもリーレンが気付くことはない。
「アトゥールのほうが上手くやるんだがな。どこまで俺に出来るやら」
 地上近くまで降りてきた天馬の姿が見える。視界が潰される中で、その一点だけが見えるのは、カチェイの救いを天馬が待っているからだと思えた。
 膝を付き、意識を集中させる。
 あたかもそこに大型犬が佇んでいるような仕草をし、右手を空に置いた。
「目覚めろ、金狼!!」
 唐突に声を張り上げる。
 ゆるりと持ちあがるのは金の焔。強靭な四肢を持つ金の狼。
 同時に空に立つ天馬も光を放つ。
 ――起きて。
 声が響いた。
 高く、かぼそく、それは誰かを切に求める声。
 金の焔を従えるカチェイが驚いて顔を上げる。響く声は確かに、天馬の元から聞こえていた。
「ダルチェを呼ぶ声?」
 呼んでいた。
 天馬の背で眠る、彼女の意識にもそれは入っていく。
 ――起きて。
 ――死なないで。
 ――助けて。
「だ……れ……?」
 瞳を固く閉ざしたままの、ダルチェの唇が動く。天馬の背から投げ出された手が、僅かに反応するのを地上のカチェイが確認した。
「ダルチェっ!」
 ――起きて。
「目覚めろーーっ!」
 ――お母さんっ!!
「赤ちゃん!?」
 あでやかな銀の髪が、勢い良く空に舞った。
 残像を残してゆれる銀色と共に、レキス公王ダルチェ・ハイル・レキスは両目を見開く。手は殆ど無意識に下腹部を押さえていた。そろりと身体を起こして、自らが置かれた状況に息を飲む。
 足元に床はなかった。
 あるのは粉塵まきおこる争いの様子と、自らを支える純白の……。
「天、馬?」
 信じられないと、ダルチェがあえぐように言う。ダルチェには一人で天馬を目覚めさせることは出来ない。出来ないはずなのだ。
 ――お母さん。
 名残のように、もう一度、呼ぶ声。
「あなたなの? そこにいるの?」
 下腹部を押さえていた手で、そこをそっと撫でてみる。グラディールと婚姻を結んで以来、誰もが楽しみに待っていた赤ん坊が、よりによってこの時期に宿っていたというのか。
「エイデガルと五公国に繋がる者として、なんて相応しい命の受け方」
 レキス公王としての”ある能力”を中途半端にしか持たぬ親のかわりに、赤子は目覚め天馬を促しそしてダルチェを守ったのだ。
「ダルチェ! 今はぼけっとしてる場合かっ!?」
「カチェイ。――あなたが助けに……。な、なんだって金狼が目覚めているの!?」
「俺には一を知って千を知る親友がいるんでね」
「さ、賢しいわ……」
「馬鹿よりはいいだろう」
「前代未門よ! 皇王でも公王でもない者が、獣魂を目覚めさせるだなんて」
「そんなもん、この状況では都合がいいんだから気にするな。――それより、趣味の悪い出迎えをしてくれたもんだな!」
「好きでしたわけじゃないわ。でも、貴方がいるって事は、フォイス陛下が動いたわけじゃないのね? アトゥールは何処?」
「俺らはセットかよ」
「何時も一緒なのがいけないんでしょ。で、どこなのよ」
「困ったことに見えないんだな」
「見えない?」
「アトゥールも、アティーファもな」
「皇女殿下を見失ったの!?」
 驚くダルチェに、カチェイは顔を歪めた。
「世間話は後ですることにしないか? こんなことの為に、お前は一人で耐えたんじゃねぇだろ!」
 カチェイの言葉が厳しくなる。
 ダルチェは息をのみ、ついで唇を噛んだ。
 辛い日々だった。
 魔力者によって公都が壊滅したのは、幾日前のことであるのか。助けを求め、助けが来るのを待った。月が変わるのが、どれほど長く感じられたことか。
 飲食料が充分に在ったとはいえ、恐ろしいまでに孤独に耐えられたのは、ひとえに”公国を救う”為だ。
 そして、宿っていた命の助けがあったからだ。
 ダルチェはそろりと下腹部に手をおき、そっと目を伏せた。
「私の代わりに泣いていて。私は泣かないから。公国を救い、グラディールを救ってみせる。だから祈るのはあなたがやっていて」
 囁いて、ダルチェは目を見開くと身体を乗りだした。
「カチェイ、私を受け止めて!」
「いいんだな?」
 ダルチェを呼ぶ声を聞いたカチェイは、赤ん坊がいるのではと気付いている。レキス公王である女は鮮やかに笑った。
「大丈夫よ。それより、天馬の実体化はそろそろ解けてしまいそうなの。今しかないと思うわ。あの魔力者の攻撃も今ならないでしょ?」
「だろうな。奴は今、リーレンを攻撃中だ」
 人は高すぎず、低すぎずの距離を最も恐れるという。ダルチェがいるのは丁度そういう場所なのだが、彼女が立ちすくむ様子はなかった。
 高みから庭を見渡す。一瞬、何かの影を見つけた気がして瞬きをしたが、結局は何も見えなかった。首を傾ぐも疑問の答えは見つからず、ダルチェは空に身を舞わせた。
 
 
 
「驚いた」
 アティーファは言って、目を丸くした。
 普通に回廊を登っていたとき、突然に目眩がしたのだ。え?と思って足を止め、周囲を見渡した時には景色が変わっていた。
「ここって……天馬の塔の傍?」
 だとすれば、随分と登って来ている。ここはもう、回廊を越えたレキス公城内なのだ。
「アトゥール、これってどういう事だと……どうかしたのか?」
 振り向いた先で、彼は出血の為に普段より白くなっている顔に困惑の表情を浮かべていた。首を傾げて、視線を探すように周囲に向けている。
「アティーファ、もしかしたら私達四人は、物理的には分断されていないのかもしれないね」
「……え?」
 突然の言葉にアティーファは混乱する。
「アトゥール、それは一体どうして?」
「一つはこの突然の距離の移動。あとはあるべきものが見当たらないことだろうか」
「距離の移動は確かに不思議なことだとは思うけど……。在るべきものって?」
「天馬の塔にはダルチェがいる。――そのはずだというのに、何も感じないだろう?」
「ここに、ダルチェがいるはず?」
 ますます分からないと首を振る少女に、アトゥールは思案する瞳のまま、静かに一歩足を進めた。
「微弱だった天馬の気配は、たしかに目覚めてこの塔にあった。だから、カチェイもここを目指しただろうね。なのに天馬がいない。ダルチェもいない。これは奇妙だよ」
「アトゥール、天馬の気配って……」
 さらに疑問を深める皇女に、アトゥールは意味深な笑みをむけて沈黙する。それから、何故か突然に顔をあげた。
「アトゥール?」
 まるで、そこに誰かがいるかのような動きだ。
 気高き皇女の目の前で、ティオス公国の第一公子である青年は息を付く。薄い青緑色をした瞳が、困ったような色をたたえていた。
「いや、ちょっとね」
「アトゥール。天馬がここにいるはずだから、以外にも物理的に分断はされていないって言った根拠が在るだろう?」
 強く言って、アティーファはずいと兄代わりの公子に顔を寄せる。動揺することなく、彼は手を上げて皇女の亜麻色の髪をすいた。
「先程、突然に距離が詰まっただろう? あれでも分かるけれど、私達が相手にしている魔力者・エアルローダ・レシリスはかなりの能力者だ。そして空間をつめることが出来るということは、空間を支配することも出来ると考えていい」
「空間を支配する?」
「そういったことを実際にやった魔力者についての文献を読んだことがあるよ。あれはどの文献だったかな」
 真剣に悩み始めたアトゥールに、少々呆れてアティーファは腰に手を当てる。
「アトゥールっ! 今はその文献がどれかだなんていい。架空物語の出来事を、実際に在ったことと誤認するなんてアトゥールなら在り得ないから。でもまだあるんじゃないか? 私達は同じ場所にいるけれど、それが見えない状態ではと思った理由が」
「いや、根拠の在ることではないし」
「私はアトゥールが感じたことなら全部知りたい」
「アティーファは笑うのではないかな。これを聞いたら」
「それは、ほら、聞いてから私が決める」
 一歩も譲らぬ体勢でアティーファが詰め寄る。いざという時の強引さは、父親のフォイス譲りだとアトゥールは息を付いて、仕方なさそうに口を開いた。
「私は、意見を求められたような気がしたんだよ」
「――それは、誰に?」
 ここには二人しかいない。一体誰がアトゥールに尋ねるのだと、アティーファは首を傾ぐ。
「こうやって見上げてね。なんだ?と答えそうになってしまって」
「相手を見上げる? え、じゃあ」
 ティオス公子アトゥールは、エイデガルにおける成人男児の平均身長にぎりぎり達する程度の背丈をしている。逆に、彼の周りの人間達は、軒並み背が高かった。
 他人を見上げる行為を嫌うのが、皇公族というもの。アトゥールが素直に見上げてまで会話をする相手は、二人しかいない。
 一人はエイデガル皇都にいるアティーファの父であるフォイス。そしてもう一人が。
「カチェイっ!!」
 軽やかな声をアティーファが上げる。
「おそらくね。カチェイはおそらく無意識に私に意見を求めた。それに、私も無意識に答えようとしたのだと思う。だから私は見上げるようにした」
 カチェイが尋ねたかったことは、一体なんだったのだろうか。それを考えて、アトゥールは目を伏せる。
 カチェイはリーレンを伴っている可能性が高い。彼は高度の魔力者なのだから、状況判断の材料を多く手にいれることに、間違いはないと思われた。
 突然に現れた工アルローダが何者で、何を求めるのか。知りたい事は山程あるのだが、考えがまとまらない。
 血が足りなかった。アティーファを心配させぬために隠しているが、実は傷口からの出血が止まっていない。微々たる量とはいえ、長く続けば結果として大出血になってしまう。
「アティーファ、私とカチェイは、いつもなにか起きたとき、口に出してよい事なら口に出してきたんだ」
「口に出して良いこと?」
「そうだね。私にとっては、確証がそれなりにあるもの。カチェイにとっては可能性があると考えられるものかな」
「うん。それで?」
「一人で考えていると、時に偏った考えになってしまって、停滞するだろう? けれど話していると、柔軟な思考の展開をみせることがある。私達が尋ねて答えるのは、当たり前のことなんだよ」
「分かる気がする」
「無論それをするのは、相手がそこにいるときだけだよね。独り言なんて言いたくはないし。なのに私はカチェイの声を聞こうとした。――いない空間を見上げてまでしてね。だから思ったわけだよ。私達ははぐれたわけではないと。実は全員、ここにいるとね」
「ここに……。リーレンが、いる」
 どこか呆然としたふうに顔を上げ、アティーファは呟きながらシンと静まった城内を見渡す。存在する者が一人もいないと思わせる静けさの中で、本当にリーレンとカチェイがいるのか、と眉をしかめた。
「――え?」
「アティーファ?」
 ふっと驚いた顔になった皇女に、アトゥールが尋ねる。翠色の瞳をあげて、アティーファは首を振った。
「気のせいかな。今、知ってる気配があったような気が……」
「リーレンかカチェイ?」
「違うと思う。それならすぐに分かるから。知ってるけど、昔から知ってる感じじゃない気がする。でも、今はなにも。気のせいだったのかな」
「心に留めておいたほうが良い。感じたことならば、気のせいかもと流すよりも、気にしておいたほうが生き残る可能性はあがってくるからね」
「うん。それよりもアトゥール。相手が私達のいる空間を支配してしまうというのなら、あの魔力者はとんでもない力を持ってるってことになるよ?」
「間違いないだろうね」
「人の精神を縛り、屍を操り、空間を支配する」
 戦慄が走って、アティーファは身を固くした。
「アトゥールの言う通りかもしれない。でもそうだとしたら、どうやって空間支配を打ち破り、私たちが互いを認識できるようになるのか」
「賢いね」
 突然に声。
 耳に吹き込まれたように響いた近い声に、戦慄が走ってアティーファは身を固くした。
「賢い人は嫌いじゃないよ。観賞しているだけならば」 
 続けざまにまた声。
 今度は離れた。アティーファが我に帰ると、目前にアトゥールの背があった。それで初めて、声が離れたのではなく自分のほうが離れたのだと気付く。
「アトゥール!」
 彼女が両手で抱いていた、ティオス公国の至宝である大剣紅蓮を奪い取り、アトゥールは敵を警戒していた。――アティーファを引き寄せ、背後に庇ったのだ。
「守ってくれなくったって!」
「こういう時は、兄の背に隠れているべきだろう?」
「アトゥールは怪我人なんだから!」
「大丈夫だから。それより、御剣覇煌姫を抜いておくんだ。至宝の剣はアティーファを守るから」
 声の主はまだ姿を見せていない。ただ、彼等の動きを面白がるように、鈴にも似た笑い声が木霊している。
 アティーファが覇煌姫を抜いて、構えた。
 ――瞬間。そこが、傾いだ。
 空気が、気配が、空間が。軋んでやがて色を宿す。
 青褪めた色。それは――少年魔力者の髪の色だ!
「お前はっ!!」
 アティーファの声が鋭く誰何する。こたえるように、白々しい拍手の音が響いた。
「アティーファ。おまえじゃないよ。エアルローダと名乗ったろう?」
 少年らしい脆さと透明さを宿すと同時に、不遜なまでの自信をも溢れさせている。それがひどく胸を逆撫でて、アティーファは眦をつりあげた。
「貴様に、私の名前を呼び捨てられる覚えはない!」
「美しいね、アティーファ。傲慢な言葉が、君が口にすると綺麗な響きを持つよ。僕にはそれが不思議で仕方がない」
 愛しむように囁いて、エアルローダは完全に姿を現した足を地面の上で一歩進める。
「先程はばたついていたので、申し訳なかったね。もう一度挨拶をしておこうか。恩寵を失いし屍の都にようこそ。アティーファ皇女、アトゥール公子。二人とも元気そうだね。僕の予定だと、アトゥールの腕はもう取れているはずだったのに。あの光に邪魔されてしまったこと、とっても残念だよ」
「私は少しも残念とは思っていないけれどね」
「そりゃあそうだよ、アトゥール。楽しいと思う相手から腕をもいで、なにが面白いんだろう。痛みを快感だと覚える者を相手にする趣味は僕にはなくってね」
 くすくすと笑って、エアルローダはアトゥールをちらりと見やる。
「僕の判断は正しかったよ。やっぱり、君が一番邪魔な人間だったからね、アトゥール・カルディ・ティオス。だからね、やはり君を先に消すことにしようと思うよ!」
 声を上げると同時に、エアルローダの指は持ち上がる。微かな動きを見て取って、アトゥールは背後の少女を突き飛ばした。
「アティーファ、下がれっ!」
 魔力が行使されるとき、僅かに空気は震える。
 気配に敏く、魔力を知る者ならば、発動の瞬間を捕らえることは可能だった。
 重い大剣紅蓮を持ちあげる。右肩関節近くの出血が衝撃によって増した。
「アトゥールっ」
 突き飛ばされたアティーファは、叫びながら受身を取る。地面に投げ出された体は痛みは訴えたが、痛いと叫ぶ暇はなかった。
 覇煌姫を握らぬ手を地面に付け、倒れた身体を立て直し、戦闘状態に突入した二人を見やる。
 ――白と青の閃光。
「なんだっ!?」
 視界を塗りつぶす光源に邪魔されながら、アティーファはかろうじてエアルローダが白き光を発するのを確認した。最初に受けた攻撃も純白の閃光であったから間違いない。
 では青い閃光はなんだというのか? エアルローダではなく、誰が放ったというのか?
 ある言葉が脳裏に甦った。
 ――エイデガル皇国と五公家は秘密を持っている。
 出立の際に漏らした父の言葉だ。
「秘密……?」
 ――魔力者の受け入れを唯一可能としたエイデガル。
「なんで……エイデガルだけが……?」
 建国戦争当時覇煌姫レリシュと鬼才の軍師ガルテは、魔力者の精神を縛り兵器としたザノスヴィアの軍に劣勢を強いられていた。――けれどレリシュの兄姉が成したことによって、勝利を治めたのだ。
「魔力者と渡り合えるようになった理由は?」
 ――魔力に対抗する術。
「攻撃を防いだのは、翠色の閃光だった……」 
 アティーファは震える手を目の前まで持ち上げた。翠色の光が放たれた場所。あれは何処であったか。

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