暁がきらめく場所
NO.03 屍の都
光? 違う、あれは翼を持つ馬?
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 辛い過去を持っているから仕方ないとは、カチェイは考えない。そんなものなら、カチェイにも持ち合わせがあった。
 幼い頃、カチェイと母には味方はなかった。周囲は冷たく彼等の存在を無視するか、あからさまな敵視を向けてくるかだった。
 暗殺者は日をおくことなく訪れ、何度も死線をさまよった。わずかに好意を向けてくれた者はすぐに殺され、母が満身創痍になっていくのを見ているしか出来なかった自分の幼さが、どれほど悔しかったか!
 それでもカチェイは生きてきた。自分の居場所の確保を、生きていく希望を、他人に託して依存することはなかったのだ。
 リーレンが辛い過去に酔って、自分が可哀想だと嘆くならば、カチェイは遠慮なく彼を殴ったろう。けれどリーレンはそんな風に考えていないのだ。自分ほど幸せな者はいないと満足している。
「――面倒だな」
 守るべきアデル公国民でもなく、妹のようなアティーファでもない、高度の魔力者であるリーレンをカチェイは守らねばならない。
 これが親友のアトゥールであれば、善後策を相談することも出来るだろうにと、つい思ってしまった。
「そろそろなぁ。成長して、俺らとも対等に張りあおうと思うようになってくれんと困るぞ」
 独り言ではなく、今度は大きく声を出す。リーレンが驚いて首を傾ぐ気配に、いい気なもんだとカチェイは心の中で毒づいた。
 公城の門から高くそびえる城へと続く道は、どこまでもがらんとしている。一言で現すならば、ここは空虚だ。はぐれたらしいアティーファの姿も、親友のアトゥールの姿も見つけられない。
「リーレン、公城に登るぞ」
「アティーファ様を探さないのですか?」
「さっきまで側にいた奴等が跡形もなく消えたんだ。普通じゃねぇだろう。――この消失に魔力が関わっていると考えるならば、探すよりも初期の目的に向かうのが得策だな。間違いなく、アトゥールならそうするさ」
「それで、公城ですか?」
 城門から公城へと続く石畳の長い回廊は、急な勾配を見せて上へと昇っている。レキス公国城はいわば山城であり、辿り付くまでには多くの門や砦を越える必要がある。
 道は基本的に一本だが、どの建物のどの部屋を目指すかで、向かう場所は異なるはずだった。
「ダルチェのところだ。――目的地は変わらん」
「いえ、あの」
 目的の人を探しだすのが困難なのではと、尋ねようとしたリーレンに、カチェイは薄い笑みを向ける。
「俺とアトゥールなら間違えないのさ」
「――え?」
 不思議な断言に、リーレンの疑問は更に募る。
「無駄話は終わりだ。ダルチェとグラディールは無事にはいるだろうが、救援を求めた署名はダルチェのものだけだった。敵魔力者は操りの術に秀でている。ならばグラディールは操られており、ダルチェを殺すべく動くと考えていいだろう。急ぐぞ」
 華奢な氷華を片手にカチェイは歩き出す。後を追おうとして一度立ち止まり、リーレンは姿が見えない皇女アティーファを求めた。


 アティーファは、瞳を開いた瞬間に、ひどい疲労を自覚した。
 身体がどこまでも重い。全速力で何本も走った後のようだと思って、大きく息をする。
 翠色の瞳に一番に入ってきたのは青空で、かげりの気配はなかった。意識を失って目覚めるまでに、それほど時間は経過していないとアティーファは安堵する。
「閃光が刃物みたいになって落ちてきて。――そうだ、突然翠色の閃光が走ったんだ」
 あれは何だったんだろうかと考えたところで、アティーファはある事に気付いて焦った。自分以外の者はどうなったのか。慌てて身体を起こす。
 影が伸びてきていた。
 座り込んだ形になるアティーファの元まで、坂の上から長く伸びてくる影。ソレと同時に、白い石畳を伝ってくる色がある。
「赤?」
 呟いて、アティーファは蒼白になった。
「アトゥール!!」
 川のごとき流れを生んで、白き石畳に赤い色を落とすのは、血の色だ。
「アティーファ」
 名を呼ばれて初めて気付いたかのように、ゆっくりとティオス公子アトゥールが振り向く。普段人の気配にひどく敏感な彼が見せた隙に、アティーファは苦しくなった。
「怪我は? なかなか目覚めないから、倒れたときに頭を打ったのではないかと」
「アトゥール!!」
 最後まで言わせず、アティーファは頭を振る。
「怪我なんてしてるわけない。だってアトゥールがかばってくれたんだ。紅蓮を捨てて、私をかばい込んでくれたのを覚えてるよ。だから心配なんていらない。それより、アトゥールがっ」
 悲痛な声で訴えながら、アティーファは兄代わりの公子に駆けよった。突然のことに驚いてアトゥールが一歩下がろうとしたが、それより早く距離をつめる。
「――なんて怪我をっ!」
 大きく息を飲む。
 アティーファが目覚めたことに気付かなかったのも、近づけまいとしたのも、納得がいった。
 右肩関節近くから、血が溢れ流れでていた。傷の詳しい様子は、血止めの止血がなされて分からないが、肉をえぐり取られるくらいのことが起きていてもおかしくはない。
「間違いなく出血多量だ!」
 泣きそうな顔で、かなり手きびしいことを口にする皇女に、アトゥールが苦笑する。
「気の弱い人間にそんなことを教えたら、ショック死してしまうよ」
「アトゥールは気が弱くはないだろう?」
「そうだけどね。まあ、血液が足りていないのは自覚しているから、否定できないのが辛いところだね」
「どれくらい耐えられそう? 私達が乗ってきた船まで戻るのと、公城内に作らせている施薬院までいくのと、どっちが近いだろう」
 施薬院とは、基本的に公族につらなる者が代表を勤める施設だった。無料で見立てをし、薬を出す。
「怪我は一刻を争うものではないから、私としては進んでおきたいね。ここに留まるのは得策ではないよ」
「アトゥール! 私はアトゥールの怪我を心配してるのであって、これからどう動けば異変に対応できるかじゃないっ」
 悲鳴のような声をあげた皇女を、アトゥールは優しい眼差しで見つめる。
「アティーファ、優先すべきは私の怪我ではないよ。問題は私達が分断されてしまったことであり、敵魔力者にどう対処するかだ」
「――分断?」
「気付いていなかったかな。先程から周囲を探しているのだけれど、カチェイもリーレンもいない。まるでかき消えてしまったかのようにね」
「――え?」
 途方にくれた顔になって、アティーファは周囲を見渡す。白き閃光の刃が落とされた為に、建物の残骸が転がる石畳の回廊に、二人の姿を見つけることは出来なかった。
「これって……」
「敵魔力者の仕業だろうね。私達を分断することを、最初から企んでいたってところだろう」
「――だったら、なおさらアトゥールに無理をさせれない」
 ぎゅっとアトゥールの血に濡れた服を掴み、懇願するように見上げる。彼は僅かに首を振った。
「合流前に襲われれば、私達の勝機はどんどん低くなる。――私が戦える内に合流しないと」
「納得するしかないって事? ……わかった。でも、せめて心配くらいさせてくれ、アトゥール」
「アティーファ?」
 すねている自覚のあるアティーファに問いかける声は優しかった。労わられるのは怪我人であるべきなのにと思うと、ますます悲しくなってくる。
 実の妹のように、アティーファは大切にされて来た。アトゥールもカチェイも、どんな時でも彼女を再優先にしてくれてきたのだ。
 何故だろうとアティーファは思う。
 少年時代の二人は、今のような人間ではなかった。
 アトゥールは冷たい眼差しで、世界を冷笑している子供だったし、カチェイは一見は明るいものの、本当は世界全てが敵だと思っていた子供だった。
 なのに何故、自分には優しかったのか。口さがない者達は、エイデガルの皇位継承権を持つ娘を邪険にするわけないだろうと言った。無論一理あるだろう。けれど、それだけではないとアティーファは思うのだ。
 二人が彼女に向ける眼差しの、切ないほどの優しさは、演技で出来るようなものではない。
「私は、悔しいんだ」
 困らせていることは分かる。
 納得をしたならば、すぐにでも行動を起こすべきなのだ。それが出来ずに、訴えたい気持ちを優先させる自分の、なんと子供なことだろう。
「アティーファ。ありがとう、心配してくれて」
 ふっと笑って、アトゥールが血を拭った方の手でアティーファの頭を撫でる。
「いつかもっと私が大人になったら、アトゥールの気持ちをみせて。アトゥールを守る権利が欲しい。大人になって、弱さを見せてもらえるようになりたい」
 真摯な言葉を、アトゥールは黙って聞く。
「それまでは、素直に守られているから」
 しっかりと言ってから、アティーファは気持ちを切りかえるように「よしっ」と言った。
「行こう。公城へは、この回廊を登っていけばつくはずだったから」
 重い大剣紅蓮を変わりに持って、アティーファが元気良く歩き出す。彼女を見送る形で、アトゥールは静かに目を細めた。
「私達の弱いところ、か……」 
 アティーファは何も覚えていない。
 彼女が二人を救ったのだ。誰のことも信じられず、他人を見下しつつも怯えていた彼等を。
 小さな手が、つぶらな瞳が、ただひたすらに自分たちを求めていた時の、静かな感動をアトゥールは忘れていない。おそらく、それは親友のカチェイも同じだろう。
「アティーファは知っているよ。私達の弱い部分などね。――情けないことを忘れてくれていて、私としては嬉しいけれどね」
 囁くと、優しく微笑んだ。同時に歩き出そうとして、目を見張る。
「天馬?」
 身体中に伝わる、どこか暖かな波動。
「アトゥール?」
「ダルチェの居場所が分かった」
「――え? どうして?」
「呼ぶ声がね。――行こう」
 重くなりつつある身体を促して歩く。アティーファは不思議そうに耳をそばだてたが、何も聞こえないので諦めて、再び歩き出した。



 ――天馬。
 白き馬体と雄雄しい翼を持つ架空の動物で、エイデガルと五公国を守護する獣魂の一つでもある。
 現実には在り得ない存在の天馬が、塔の上にて翼を広げ、真紅の眼差しを地上に――否、佇む少年に向けていた。
「忌々しい。これだから皇公族ってのは」
 天馬に見下ろされて、エアルローダは吐き捨てる。純白の天馬は背に一人の女を乗せ、あたかも守るかのようだった。空に揺れるのは長く編まれた銀色の髪。――レキス公王ダルチェ・ハイル・レキスだ。
「そろそろ、操り人形にしてやろうと思ってたんだけどな」
 皇都より高貴なる一行が訪れた。彼等の訪れによって魔力の行使が厳しくなる前に、ダルチェを隷属させようとした。――瞬間、塔に光が走ったのだ。
 そして、天馬がそこにいた。特殊な力に守られて、眠るダルチェを背に。
「何事も計画どおりにいくことなんて在り得ない。獣魂がこうまでも主人に忠義を尽くすとは知らなかったな。――全部、犬になったほうがお似合いだよ」
 くつくつと笑うと、少年はふわりと踵を返す。
「まあ、いい。天馬が作る守りの空間は、同じ獣魂の力で砕けばよいのだから。金狼でも、風鳥でも。天馬の庇護者は、天馬の庇護者が排除する。そうだろう、グラディール?」
 気配も持たずに背後に控えていた青年が、少年魔力者の囁きにこっくりと肯いた。
 公城へと続いてくる、石の回廊を見下ろす位置まで歩いて、エアルローダは目を細める。
「君達は再会できるだろうか?」
 それほどの距離を持つこともなく、二組が歩いていた。――カチェイとリーレン、アトゥールとアティーファは、間違いなくはぐれてなどいない。
「さて、計画変更だ。――全員、ここに入ってきてもらおうか。とはいっても、これが見えるのはカチェイ公子とリーレンだけだろうけど」
 手を伸ばす。
 薄い笑みを唇にはくと同時に、貯めた魔力を一気に放つ。硝子を叩き割ったような音を従えて、エアルローダは悦に入った表情を浮かべていた。
「どうやって助ける? アティーファも、知恵者のアトゥールも頼れない中で。ねえ、どうするんだい。僕の同朋である、リーレンは?」
 くす、と笑う。
 その笑う気配と、”何かが壊れる”気配に、エアルローダの視界の先にあったリーレンが目を見開いた。
 足を止め、焦ったように周囲を見渡す。
「カチェイ公子!!」
 切羽詰まったリーレンの声に、カチェイが足を止める。
「なんだ? アティーファを見付けたか?」
 リーレンをからかっているのではなく、彼がこうも焦るのはアティーファのことだろうと思ったカチェイが真面目に尋ねる。
「そんなこと、あるわけがないでしょう! アティーファ様を見つけたなら、公子を呼ぶ前に駆け寄ってます!」
「威張るなよ。……そうなのかもしれんが」
 かなり失礼なことを言われた気がしたのだが、カチェイはちゃかさずにリーレンの側に戻った。手にした氷華を構え、警戒体勢を取る。
「今、魔力で作られたなんらかの空間が、壊れたような気がしたんです」
「魔力で作られた空間?」
「前にアトゥール様から伺ったんですが、高度の魔力者は空間を支配することも出来たそうなんです。そうやって支配された空間は、魔力者にとって都合の良い場所になるのだと聞きました。勿論全てを支配することは出来ませんが、高能力者になると町そのものを支配下におくことは出来るそうなんです。たとえば、このレキス公城内とか」
「ああ。それか。たしかにそんなことを前にアトゥールが話してたな」
「――多分、今がそうなんです。私達はエアルローダが支配する空間の中にいる。同じ魔力者である私にはわかります。あの少年の能力は、恐ろしいほどに高い」
「なるほど」
 幾分厳しい表情で肯く。リーレンを上回る能力者である可能性を親友が示唆していたが、それが正しいことを見せつけられた心持だった。
「あの魔力者なら私に気取られぬように、支配する空間を広げたり狭めたり出来たはず。なのに今、ひどくあからさまに支配されていた空間の一部が壊れました。――誘うように」
「なるほど。罠か」
「ええ。それにですよ、カチェイ公子。ここがエアルローダが都合良く作りだした空間であるなら、私達が見ているものは偽りかもしれません。アティーファ様は、本当は私の側にいらっしゃるのかも」
「可能性はあるだろうな。それにしても、どうしたリーレン。突然頼り甲斐を見せつけて」
「どうした、って。カチェイ様。もしこの考えが正しいなら、私が側にいないアティーファ様はひどく危険な状態にあると考えていいんですよ!」
「多分アトゥールがいるだろ」
「アトゥール様は魔力者ではありません!」
「おお、言いきったな。それにしてもお前を働かせようと思ったら、アティーファで釣るのが一番だな。それよりな、リーレン」
 にっと笑う。驚いた黒髪の魔力者が振り向くと、まだ随分と長く続いていたはずの回廊が突然に終わって、高い塔がそびえたつのが見えた。
「――は?」
「空間を支配できるってのは便利なもんだな。途中をカットまで出来る」
 不自然に繋がった道を進んで行こうとする。慌てて公子の腕を取って、リーレンは慌てた。
「ま、待ってください! そこに入ってしまったら、完全にアティーファ様と離れてしまいます!」
「ここに残って、エアルローダが魔力で支配する空間を排除するって選択肢があれば都合よさそうだがな。ま、無理だな。それにアトゥールとアティーファも、今この突然に繋がった道を見てるさ」
「え?」
「エアルローダは俺たちを分断したいと考えている。だが、本当の距離を作ろうとは考えていない」
 奇妙な断言に、リーレンは眉根を寄せる。
「一体なんの根拠があってそんな事を。……あっ!!」
 奇妙に繋がった空間の先に佇む塔の上に、あるものを見つけてリーレンが声を張り上げる。
 塔高くから舞い降りてくる光があった。
 光の翼のように見えるものを幾度もはばたかせて、ソレはぐんぐんと地上に近づいてくる。
「光? 違う、あれは魔力で作った翼を持つ馬?」
「天馬さ」
 カチェイが答える声を聞きながら、リーレンは天馬が背に一人の女を乗せていることに気付いた。長く編まれた銀色の髪が、風に揺らめいている。
「ダルチェに天馬が起こせる”何か”があった。だから奴だけ無事だったわけだ」
 突然の出来事に呆然とするリーレンを横目に、カチェイは理解を深めていく。レキス公都に辿りついた際、今は無事だろうとアトゥールが言ったのは、天馬の気配が次第に強くなっていると知った為だったのだ。
 エイデガル皇国と、それに連なる五公家の人間は秘密を持って生まれてくる。
 天馬がダルチェを守り舞い降りる光景は、まるで秘密の証拠のようで、無意識にカチェイは隣を見やった。
 何時もならば、その位置には必ず親友がたたずんでいる。冷静な眼差しで光景をみつめ、なにかを説明していたはずだ。
 ――けれど、今、親友がそこに在るはずもない。
 リーレンはどこか困ったようにしたカチェイの腕を掴み、強く振った。
「ダルチェさまの顔色が悪いです。早く、助けて差し上げないと!」
 命の危機に、リーレンはひどく敏感になる。訴えにも一理あったので、カチェイは降りてくる天馬に近づこうとして息を飲んだ。
 ――危険。
 意識が警戒を訴えている。猛禽類にも似た鋼色の瞳を周囲に滑らし、特に異常がないことを確認しつつも、彼は叫んだ。
「リーレン! 魔力を解放させて盾を作れ!!」
「――え?」
「急げ!」
 例え瞳が危険を見つけられずとも、カチェイは己の勘を信じている。目には出来ぬ危険をもたらす相手が、敵なのだから尚更だ。
 リーレンは驚きながらも、遅れて危機を察知した。空気が緊張をはらみ、急速に先鋭化していくのを感じる。
「エアルローダっ!」
 激しすぎる魔力の気配。
 風の咆哮が響き渡る。――エアルローダが操り仕掛けてきた、殺意を抱く風だ。
「カチェイ公子!! 下がってください!!」

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