暁がきらめく場所
NO.01 屍の都
戦闘の痕跡がないってわけか
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 皇女を追って進む身体が、ひどく重かった。
 馬を進めれば進めるほどに、鐙に置く足が地面に引きずられるような気がする。たびたび下を見やるのは、地面から白い手がはえて、足を引いているのではと思えるからだった。
 身体は投げ捨てたいほどに重い上に、息苦しく、熱されているようにうだっている。
 助けてくれと叫んで、このまま逃げ出してしまいたい衝動を、黒髪の魔力者リーレン・ファナスは必死に抑え込んでいた。
 逃げてしまえばアティーファの側にいられなくなってしまう。離れる恐怖が、与えられる苦痛を耐えさせていた。
 リーレンは初めて出会った時からアティーファが好きで、恋をしていた。だから、いつも側にいたかった。
 けれど、身体に重くのしかかる苦痛を耐えながらリーレンはふと思う。拷問にも似たこの痛みを耐えさせるのは、本当に皇女を好きだという気持ちだけであろうかと。
「なにか、他の理由も……――っ!?」
 突如頭に激痛が走る。
 この痛みには覚えがあって、リーレンは頭を押さえながら奥歯をかみしめた。
 理由を考えたとき、いつも頭痛が襲ってくるのだ。たとえば、エイデガルにいたい理由、アティーファの側にいたい理由、二人の公子の側にいると安心する理由。
 そんな他愛ない”理由”を考えようとしたとき、きまってリーレンの頭は激痛を訴える。
 どうしてこんな時にとパニックを起こしかけた時、前の人影がふっと振りかえった。
「リーレン?」
 彼の思う少女の声が、彼の激痛を払うように響いてくる。
 黒髪の魔力者は顔を上げた。馬を止めたアティーファが、生命力を感じさせる翠の瞳を僅かに細めて、じっと彼を見ている。
 何か言わなければと口を開こうとして、けれどリーレンは身体中をめぐる苦痛の重さに声を詰まらせた。――同時に、アティーファに何を言いたいかが分からなくなってしまったのだ。
 ”自分”がアティーファに何を言いたいのかが。
 リーレンの様子をじっと見つめていたアティーファは、幼馴染みの身になんらかの変化が起きていると確信する。
 レキス公国城に近づくにつれ、空気がはらむ緊張は確実に大きくなっている。これほどの異常状態が起きているのだ。不可思議なことをなす”魔力”が関わっているというのが全員の共通見解だ。
 アティーファは、魔力の発露を実際に見たことはない。
 エイデガル皇国には多くの魔力者が保護されているが、彼等が能力を行使することはなかった。実は使用が許されていないのだ。
 魔力を禁じる理由は二つある。
 一つは魔力を過剰に使用し続けることによって、生命力を削り、寿命を縮めるのを防ぐ為。
 もう一つが、魔力持たぬ者達に"魔力"の凄まじさを印象付けない為だった。
 魔力者恐るべしとの認識が浸透すれば、恐怖が瘧のように広まって、全世界に伝染するだろう。伝染した恐怖は、魔力者を多く抱えるエイデガル皇国に対する恐怖と憎悪にすり替わる可能性もある。
 エイデガルに安住の地を見出した魔力者たちは、それを良く理解して、魔力行使を自粛しているのだ。
 リーレンも例外ではない。
 彼がひどく動揺しているのは、触れたことのなかった巨大な魔力発動の気配に、本能で怯えているのではとアティーファは見当を付ける。
「リーレン、辛いようなら、少し休もうか?」
 気遣って声をかけると、リーレンは少し傷ついた表情になった。
「大丈夫です」
 辛そうながらもはっきりと答える。無理はしないでくれと言って、アティーファはレキス公城を見上げた。
 父である皇王フォイスとの、出立前の会話が思い出される。ノックして入った部屋の奥で、フォイスは複雑な顔をしたまま、両手を広げて自分を迎い入れたのだ。
「アティーファ。もしレキス公国や、国境にかけられた石橋アポロスに発生したと思われる異変が、人を操る種類のものであるのならば。確実に魔力者が関わってくるはずだ」
「魔力者が?」
 突然の父王の言葉に、アティーファは目を丸くする。
 滅多に深刻そうにしないフォイスが、ひどく真面目な顔をしていた。おかげでアティーファはふと不安になった。
 アティーファには甘い父親だが、為政者としての父は優秀な皇王なのだ。常に動じることなく、穏やかに人を導く父親の態度が、人に安心感を与えていたのだと彼女は痛感した。
「エイデガルは建国当時から、魔力者との関わりが深いことをアティーファは知っているな」
「――うん。公にされることはないけれど、国の守りの要となる獣魂の宝珠も、実は魔力に関係しているとアトゥールに聞いたことがあるよ」
 レキス公国からの救援依頼に、重みを添えた天馬宝珠をアティーファは見つめる。フォイスは視線を皇城を囲うアウケルン湖に向けた。
「エイデガルだけが何故、魔力者に門戸を開くことが出来たのか。何故に他国には出来なかったのか。その問題一つにも、様々に秘めた理由をエイデガルは保持している。アティーファに教えていない事実を、身をもって知ることにもなるだろう」
「父上? その、心配事でも?」
「馬鹿者が。愛娘を一人、異変が――しかも十中八九魔力者が関与していると思われる場所にやるのだ。心配せぬ親がいるか」
 父の言業に、アティーファは目を見張る。
「大丈夫。父上より先に死ぬような親不孝は、私自身の名誉にかけてしない」
 幼い頃のように両腕を伸ばして、アティーファはフォイスに抱き着いた。
「やれやれ。まったくもって、お転婆娘を持った父親というのは不幸なものだ。ならば行かずに側におりますという言葉があることさえ、知らんとみえる」
「知っているけれど、利用するためにある言葉だとは知らなかった」
「困った娘だ」
 精一杯の愛情をこめて娘を抱き返し、フォイスは囁く。
「アティーファ。覇煌姫を持っていくがいい」
「父上!?」
 驚きに息を呑み、至近距離にある父の澄んだ翠色の眼差しをアティーファは覗き込んだ。
 御剣覇煌姫。それは、エイデガル皇国を作り上げた姫君レリシュの異名を冠せられた、意思に反応する剣の名である。獣魂の宝珠と同じく国の礎となるものであり、国王ないしは第一皇位継承権を持つ者のみが所持可能とされている。
 それを、彼女の父は持って行けという。
「戦闘発生が予測される地に赴くお前が持つほうが良いであろうよ」
「……はい。覇煌姫は、たしかにお預かりします」
 父親から託された剣は、レキスの大地にたつアティーファと共に、優美な姿を外気に晒している。
 しかもこの場にある至宝の剣は、一つではなかった。兄代わりである二人の公子が持つ不似合いな剣もそれにあたる。
 建国戦争の際に、レリシュの兄姉であるアデル・ティオスが保持した剣、大剣紅蓮と細剣氷華だ。これらも不思議な力を秘めると伝えられている。
「レキスで戦闘が起きると踏んだのは、父上だけじゃない」
 高まっていく緊張感に身体を震わせたアティーファの目の前に、レキス公国城を守る外壁が飛び込んできた。
「城門、開いてますね」
 閉ざされていることを想像していたリーレンが、少し拍子抜けした顔をする。
「閉じ込める相手もいないから、だったら嫌だな」
 流石に城内に突進しようとは思えず、立ち止まった二人にカチェイとアトゥールが追いついて、そのまま追い越していった。
「カチェイ、アトゥール?」
「流石に姫君に偵察させるわけにはいかんだろ」
「姫君にって、そんなことをいったら、カチェイとアトゥールだって公子殿下だろう?」
「俺らはいいんだよ」
 からりと笑ったカチェイが、馬からひらりと飛び降りる。アトゥールも馬から降りて、軽く腰の剣に手を置いた。
 双方とも、大剣紅蓮と細剣氷華を使用する様子はない。
 公城に入ってすぐの場所には、公族直属の天馬騎士団の幕舎がある。騎士団こそが異変に最も早く対応したであろうし、あわよくば生存者がたてこもっているのではと期待したのだ。
 騎士団の幕舎は広く、城の中に砦があるような雰囲気を持っている。城門以外にも独立した出入り口を持ち、その先には広大な鍛錬場が広がっていた。
「ここも門が開いてるな」
 騎士団の砦の前でカチェイが首を傾ぐ。アトゥールは目を細め、油断ない視線を門扉に向けていた。
「どうした?」
「新しい刀痕がないね。――矢尻の跡さえない」
「ない? 戦闘の痕跡がないってわけか」
「そして例外はなくここも無人だ。それにね、実は一つ気になってることがあるんだ」
「――ん?」
「匂いがない」
「匂い?」
 怪訝そうにカチェイはアトゥールを見やった。ひどく鋭い視線で肯くと、一行が降りてきた港の方角に身体を向ける。
「ここに入ってすぐ、遺体を発見したろう? 酷い有様だったけれど、奇妙な点がいくつかあった。腐敗が殆ど始まっていなかった。異変が起きたのは二・三日前ってわけじゃあなさそうだったのにだよ。死体はあった。なら、腐敗臭と虫にまみれていてしかるべきのはず。なのに死体に取りつく虫の数は少なく、いても干からびて死んでいる成虫が多かった」
「干からびて死んでる成虫だと?」
「まるで取りついた死体から離れられなかったようにね。――それで考えた。あの転がされている死体は、なんらかの力の影響を受けているのではないかと」
 きっぱりと言いきって、アトゥールはカチェイを見上げた。
「誇り高い騎士団が、争うことさえせずに無力化された。転がされた死体はなんらかの力の影響を受けている。ならばレキスの異変には魔力者の関与があり、その上操りの術を保持していると考えるのが妥当だろう?」
「よりによってそのタイプか! しかし厄介だな。魔力攻撃の防御が完璧だったエイデガルの中で、唯一防御が弱まっていたレキスが狙われるなんてな」
「カチェイ。――レキスの防御が弱まっていると、気付いて仕掛けてきているとしたら?」
「エイデガルと五公国の王以外にいるか? ガルテの切れ者でさえ気付いていないことだぞ。俺らだって、リーレンがいなけりゃ気付かなかったはずだ」
「でもね、突然ここに高能力の魔力者がくれば知るかもしれない。エイデガルには魔力を防御する”何か”があると。実際ね、いくら防御が弱まっていたとはいえ、普通の魔力者がどうにか出来るほど脆弱だったわけじゃないんだよ。レキスに干渉出来た以上、これをやった魔力者はかなりの能力者だ」
「アトゥール、それって要約すると、厄介なんてレベルの問題じゃなくなったってことか」
「そうだね。厄介が隊を組んで攻めて来たってところだろう。カチェイ、これに関与している可能性のある魔力者はね、能力の高さゆえに存在が発覚し、フォイス皇王陛下がじきじきに私達に救ってこいと命じたリーレン以上の可能性があるんだよ」
 アティーファに恋する心優しい魔力者、リーレン・ファナス。我をはらない性格と、魔力を使用しない環境ゆえに彼の能力に気付いている者は殆どいないが、実は彼の能力は異常なほどに高いのだ。
 リーレンの救出を命じたフォイスは、彼のことを「純血の魔力者である可能性が高い」と言った。保護などに公族が出ることではないが、特別に行ってくれと二人に頼んだのだ。
 これは本来有りえないことだった。
 カチェイとアトゥールは、アデル・ティオスの第一公子なのだ。二人が皇都育ちであることも、フォイスの私的な命令を聞いているのも、おかしすぎる。
 カチェイは、戸籍を持たぬ流民の娘を母に持つ。これはアデル公王が無理矢理に彼女を身ごもらせた結果なのだが、彼はカチェイを第一公子と認めだけで養育はしなかった。その為、母窺は力チェイの手を取り国を出て、皇王に保護を訴えたのだ。
 一方ティオス公子アトゥールは、公王夫妻の間に生まれた申し分のない嫡子だった。
 ただ、アトゥールはひどく身体が弱かった。
 母親は常に死にとりつかれている彼を嫌い、翌年に生まれた次男を溺愛するようになる。そしてある日、屋敷へと戻ってきたティオス公王はおそるべき光景を目の当たりにしたのだ。
 己の妻が、まだ幼い息子に毒を飲ませ、高く笑っていた光景を!
 発見が早かったために一命をとりとめたアトゥールを、手元に置いて育てられないとティオス公王は判断し、エイデガル皇国に預けた。
 こうして二人は出会って友人になった。同時に、まだ幼児だったアティーファの、兄代わりを勤めることになったのだ。
 おかげで実の父よりフォイスに親しみを持っていたので、彼等が皇王の頼みを気軽に引きうける事があるのだった。
「陛下は私達に気軽に用事を頼むけれど、それはいつだって私達が出るに相応しいものだったよ。リーレンを救うのは、陛下が重要だと判断したことだった。純血の魔力者とはそういうもので、きっと恐れるべき存在なんだろう」
「本当は凄まじい能力者であるリーレンが気付かないことを、気付いた可能性のある相手か」
「――戻ろう。どうも城内に風鳥・金狼騎士団をいれないようにする必要がある気がする」
「騎士団を?」
「いれてしまうと、天馬騎士団と同じ末路をたどる気がするよ」
「――魔力に干渉されて、操られるかもと?」
「天馬騎士団員より耐性があるだろうけれど、ここはレキスだからね。防御能力が低くなりすぎている中だと心配だよ」
「分かった」
 肯くと、道をとって返して城門へと戻る。心配そうに様子を窺っていたアティーファとリーレンが浮かべたほっとした表情が、緊張したそれにとって変わった。
 歩んでいた二人の公子は即座に抜刀する。
「来たか」
「そのようだね」
 視線を僅かに背後に流したアトゥールが口元を歪めた。
「出迎えが派手なのは嫌いじゃないけれど、趣味が悪いのはどうかと思うね」
 冷静に吐き捨て、アトゥールは静寂を突き破った異質な存在を睨んだ。闇と同化し、暗闇を徘徊する存在となり果てた、生き物の末路がそこにある。
 顔の半面がつぶれた者がいる。にじむ鉄錆の色で身体を濡らす者もいる。内臓をこぼす者、皮膚が破れている者、頭髪が流れ落ちた者、それはありとあらゆる死体の群れが立ちあがって歩み来る光景だった。
 血の匂いはない。腐敗臭もない。死者は死んだ瞬間に、時を止めたかのように新鮮だった。
「屍人を操るなんてな! たしかにこれは能力がかなり高い上にっ」
「性格も悪すぎる」
 怒気も顕にカチェイが吼え、アトゥールが同意する。親友同士は息もぴたりと背中合わせになり、死角をなくした。大剣と細剣が空を裂く。
「カチェイ! アトゥール!」
 突然現れた屍人に囲まれる二人に、アティーファが慌てた声を投げる。カチェイは返事をし、アトゥールが軽く手を招いた。
 このまま混戦になれば、全員分断されて合流することも出来なくなる。アティーファが緊急事態を目前にして、素直に引き返す娘ではないと知っているので、今すぐ飛び込んでくるように指示したのだ。
 アティーファはアトゥールの仕草を正確に把握し、振りかえってリーレンの手を掴む。心優しい魔力者は、突然のむごい光景に足をすくませていた。
 彼が一人弱かったわけでは決してない。違ったのは、リーレンを除く面々が屍人が向かってくる可能性を、頭の片隅に入れていたことだった。
 建国戦争時代の国史に「魔力者は兵力の劣勢を補う為に、高能力者が死体を操り尖兵とすることがあった」と記述があったのだ。
「リーレン!! しっかりしてくれっ! 今のうちにカチェイたちと合流するからっ」
 青ざめる幼馴染みを必死に激励し、アティーファは怯えきっている愛馬から飛び降りて走りだした。引かれた手の温もりを力に変えて、リーレンも必死に城内に駆けこんで行く。
 当然ながら、ティオス・アデルの両騎士団が続こうとした。けれど状況を正確に把握するアトゥールの声が彼等を遮る。
「両騎士団員は城内に入るな! 我がティオス風鳥騎士団は、国境である石橋アポロスまで撤退し、ザノスヴィアに備えよ。アデルの金狼騎士団は狼煙台に走り、危急をエイデガル本国に伝えよ! 状況をみて風鳥騎士団と合流してくれ!」
 柔らかな声を響かせて、アトゥールは飛び込んできた高貴な少女を胸元に引き寄せて庇った。主君の危機を目の前に、駆け参じることを禁じられた騎士団員が色めき立つ。
「どういうおつもりですか!? 公子っ」
「レキス公城内を支配する魔力はあまりに高い。いかにお前達でも、操られる可能性が高いんだ。事実、レキスの天馬騎士団員は異変に対処しようと動いて、敵の手に落ちた」
 腕の中の少女を庇いつつ、右後方から振り降ろされた太刀を避け、逆に突きをいれる。ぐらりと傾いだ屍人が、天馬騎士団員の軍装をしていたことに誰もが息を飲んだ。
 気勢を削がれた二つの騎士団員に、カチェイがとどめとばかりに声を張り上げる。
「俺らは大丈夫だが、お前等は間違いなく操られる。これ以上敵の数が増えるってのは勘弁してくれ!」
 引かせる為に声を張り上げながら、間、間に入り込んでくる屍人の群れにカチェイは舌打ちをした。なんとかリーレンの腕を捕まえて側におけたが、アトゥールとアティーファからは離されている。
「こいつら、誰と誰が組めば実力以上を発揮できるか知ってるみたいだね」
 カチェイが感じたことをアトゥールも思って、二人は同時にこの状況を危惧した。屍人を操っているだろう誰かは、自分達の情報を良く知っている可能性が高い。
 不満に震えながらも、騎士団員達が命じられた通りに動き出したのを主君である二人はみる。おそらくは彼等が向かった先でも、屍人か操られた動物の牙がむけられるだろう。精鋭を揃えてこなければ、全滅させてしまうところだった。
「レキス公国は囮にされ、ザノスヴィア王国は利用されているのかもしれない!」
 カチェイにも聞こえるように、アトゥールは声を張る。大剣で空を薙ぎながら、カチェイは眉をしかめた。
「囮に食らいついた俺たちと、国境で動いているかもしれないザノスヴィアか」
 低くごちたカチェイの言葉に、皇女と偶然離されてたと思っていたリーレンが目を剥く。
「それ、どういうことですか!?」
 説明を求めて、剣を振るうカチェイの二の腕にすがり付く。おかげで剣が止まり、その隙に大量の屍が押し寄せてきて、カチェイは怒鳴りつけた。
「俺はおまえの護衛じゃねぇぞ! 今なら目撃者は屍人と黒幕だけだ。ひとつ魔力を使っとけ。――ここでだったら使えるはずだ」
「魔力を!?」
 仰天するリーレンを言葉と裏腹にかばいながら、カチェイは豪快に笑う。
「使えるもんは使っとけ」
 ひどく合理的な意見ではあるが、魔力を持つが故に虐待された過去を持つリーレンは、力を持っていること事態に抵抗を感じている。
 魔力がなければ辛い目にはあわなったという思いが、彼に魔力を拒絶させるのだ。
「ちっ! ガキの時分にうけたことは、一生引きずるってのは本当だな!」
 カチェイはぼやいて、確実に距離が離れていく状況を歯噛みした。アトゥールのほうでも合流を計ろうとしているが、それが成せない。
 庇われながらも懸命に剣を振るうアティーファが、リーレンに気付いて声を張り上げた。
「リーレン! 法を気にするのは皇国民として立派な心がけだけど、死んでしまったらお終いになってしまう! 私が許可するから、魔力で己が身を守ってくれ!!」
 響いてきた大切な声に、リーレンは反射的に肯いていた。――恋であり愛でもある心をささげる少女のためならば、魔力を使うことぐらい簡単だと思えたのだ。
「分かりましたっ!」
「よしっ!」
 答えながらも、アティーファは両手で握った剣を滑らせて屍人たちを切り下げていった。あどけない年頃ではあるが、アティーファの剣の腕前は実用レベルに達していた。師は父のフォイスであり、兄代わりの二人でもある。
「アトゥール!」
 向かってくる敵を薙ぎながらアティーファが呼ぶ。彼女を庇って戦うアトゥールは、軽く視線を向けた。
「私達は分断されているのではないか? これでは、こちらの体力が先になくなってしまう!」
 ただでさえ数の劣勢を強いられているというのに、それをさらに分断されて、アティーファは危機感を募らせていた。その感じ方に、最速と恐れられる剣筋で屍人を切り倒しながら、アトゥールは目を細める。
 アティーファの懸念は正しかった。
 気の合うもの同士が組めないことで実力が下がるだけでなく、カチェイとアトゥールは一人ずつ庇いながら戦っている。これでは体力も気力も早い段階で欠乏してしまう。――それは死を意味していた。
「アティーファが感じていることは正しいだろうね。あまり歓迎したい情況ではないな」
 冷静に不利を告げるアトゥールの口調には余裕がある。とはいえ、エイデガルの皇公族は死ぬまで平気で余裕そうにしているのが常なので、一つも安心できなかった。
「アトゥールと一緒に戦えるのは私は愉しい。でも、私にあわせて戦わないといけないアトゥールは辛いだろう? どうにしかして、再合流しないと……――!?」
 言葉の途中で、アティーファは息を飲んだ。
 新緑の色を封じた瞳を見開いて、遥か上空を仰いでいる。屍人たちの攻撃が同時にやみ、一同もアティーファにつられて瞳を上げた。
 ――人。
「楽しいことばっかりだよ」
 ――落ちて来た声。
 清らかな音だった。河のせせらぎにも似た、優しい静けさを抱く音だった。けれどその口調の、恐ろしいまでの冷たさはなんなのか。
「ありがとうと礼を言っておこうか? こんなにも楽しませてくれているのだから」
 声を落とす”人”は、空中に佇んでいた。
 中途半端に伸びた髪が、まとまりを欠いて風に揺れ、半面を隠している。時折覗く瞳は、深淵の闇に落ちる手前の蒼い色をしていた。
「浮いてる……」
 リーレンが呆然と呟く。二人の公子は緊張を瞳に浮かべて、至宝の剣を覆っていた布をはぎ、鞘から抜き放って構えた。

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