暁がきらめく場所
NO.06 魔力者
どうやって未来を保証する? 自分のことさえ分からないというのに
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「好かない頑張りかただ」
 闇が――いや、これは人だ。恐ろしいほどに深く蒼い色の双眸を細めて呟く。声には透明感があり、少年の域を出ない年頃だと思われた。
「エイデガルを支える五つの公国。五つの楔。五つの結界。それがこうも脆くて良いものなのか?」
 黒き葬送の炎の中に佇んでいた、あの少年だった。
「君等二人を使ってやろうと考えていたのが台無しだ。君が助けを呼ばなくても、自力で気付いて来ただろうに。大体実力で被害を回避したわけじゃないのが気に入らない。偶然の二人分、か……」
 くだらないと吐き捨てて、少年は塔への階段を上ろうとして、ふと足をとめた。
 輪郭がさだかでない遠方の存在を窺うように、目を細めて空中を見つめる。確かな光景を捕らえるのか、瞳は”何か”を追っていた。
「皇国からの助けは――君なのか」
 冷たく虚ろな声の似合う少年が、ふと笑んだ。
 それは柔らかく、幸せそうな響きさえもあって、腐敗した死体の中で冷たい顔をしていた者と同一人物であるとは到底思えない。
「君は抵抗を続けるレキス公妃の姿があった方が懸命になるのかな。それなら、しばらくはこのままでもいいか」
 笑み続けたまま、少年は腕を持ち上げた。白濁した瞳の持ち主達が、闇を抱く少年の側による。
「少し趣向を変えよう」
 取り巻いていた者達の中から、糸を手繰られた人形のように、青年が前に出た。まるで死人のように生気がないが、間違いなくレキス公王・グラディールだ。
「手駒は最大限に」
 囁くと共に、少年は濁った目の者達を従えて、禍々しい光を放つ。
 その――声と光に。
 遠い空の下で、一人の娘が反応をした。
 水と緑と花の楽園。エイデガルの皇女アティーファの誕生祝いに普請された蒼水庭園にて。
 本来の持ち主の姿はなかった。娘をこの場所につれてきた勇ましき皇女は、幼馴染みの魔力者と二人の公子を連れて、既にエイデガルを出立していたのだ。
 同行を娘は懇願した。けれどそれが出来るはずもない。
 リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアの名を持つ少女は王女で、他国の皇女が異変調査に赴くのに同行するなど不可能だった。
 静かに座す足元から、光は湧き出して王女を浸す。逃げるように一瞬白い素足が動いたが、すぐにそれは停止した。
 まるで縛られていくように、マルチナの動きは止まり、光は上半身を目指していく。
「……あ、ああっ!」
 言葉にならぬ悲鳴は、悲痛を極めながらも、男を誘う艶を宿していた。 
「わたし……わたし……わたしは?」
 思考が白濁し、己が何者であるのかも分からなくなりながら、彼女は知った。
 こうなるのが怖かったから、側にありたかったのだ。無理を承知で、同行を願ったのだ。
 光がたまって、泉のようになる。そこに向かって、彼女の足は彼女の意志を無視して動き出した。
 怖かった。何もかも分からなくなりながら、彼女は助けを求めたかった。けれど求める相手はいないのだ。
 刹那、彼女の元へと風が抜けた。猛然と、漆黒の毛皮を持つ優美な四肢を持つ獣が疾走したのだ。マルチナの裾をとらえ、なんとか引きとめようとする。
「り、ん……き?」
 最後の意識が名を呼んで、美しき姫君と気高き山猫は光の中に取り込まれて消えた。



 エイデガル皇国と五公国の巨大な版図は、縦横無尽に張り巡らされた運河によって、結ばれている。運河には個人の小船から、軍船まで、大小様々な船が行き来していた。
 皇王や次期皇王が公式に運河を使用する際は、流石に一般の使用は制限されることとなる。今、まさに運河はその制限の中にあった。
 美しい船を装った軍船の甲板上で、少女が外を眺めている。エイデガル皇国第一皇女、アティーファ・レシル・エイデガルだ。
 物憂げな表情で、アティーファは後にしてきた城の方向を見やっていた。なにかを気にしている様子に、隣に控えていた幼馴染みの魔力者であるリーレンが首を傾げる。
「何があったのですか? アティーファ様」
「うん。ちょっとね。リーレンは何も感じていないのか?」
「いえ、別段」
「なら、私の気のせいかもしれない」
 口ではそんなふうに答えるが、表情から憂いは消えない。
 現地に向かうことを決めた翌日、レキス公国からの正規連絡は予想通り、公王グラディールからの謝罪文つきで復活した。
 寄せられないのはアポロスからの苦情報告であり、援助を求めた公妃ダルチェからの続報だ。
 レキスで一体なにが起きているのか?
 異変が起きているのは間違いないとエイデガル皇王は確信している。先遣隊としてアティーファを調査に赴かせると同時に、皇国直属の部隊と五公国とに、臨戦態勢を取るように命令が流れている。
「アティーファはザノスヴィアのマルチナ姫が心配なんだろ」
 不意に思い悩む二人のすぐ側で声があがって、アティーファは周囲を見渡した。警護の騎士が声を発した様子はなく、手すりにかかった鉤爪に気付く。
「カチェイ!」
「よっ」
 アティーファの船を守るために、先頭をティオス公国の船が、後方をアデル公国の船が固めていた。そのアデルの船に乗っていたはずのカチェイが、小船を寄せ、乱暴にも鉤爪を投げて上ってきていたのだ。
 本来は騎士団の主君が持ち場を離れてよいわけがないが、カチェイの金狼騎士団は優秀だった。大陸一の剣豪と名をはせる公子に憧れて、優秀な若者の入団希望が後をたたないのだから、優秀であるのも肯ける。
 颯爽と甲板に飛びのったカチェイは、きょろきょろと周囲を探すようにし、親友であるアトゥールの姿がないことに意外そうな顔になった。
「なんだ、アトゥールが先に来てるかと思ってたな」
 カチェイの言葉に、側に寄ったアティーファが首を振る。
「ううん、まだ来てない。それより、カチェイは私がマルチナのことを気にしてると思うのか?」
「俺らの去り際にみせたマルチナ姫の表情は、気がかりだったからな」
「それは一体どういう意味で気がかりだったのやら」
 再び新しい声が会話に入って来た。
 アティーファとリーレンはアトゥールの声に驚き、カチェイはつまらなさそうに頭をかく。
「何時までもマルチナ姫にたぶらかされてるわけじゃないぞ、俺だって」
「マルチナ姫のほうに、男をたぶらかしているつもりは一切ないようだけどね」
「つもりはなくてもあれじゃな。まあ、アトゥールには美人の花のかんばせに胸ときめかす気持ちは分からんか。そんなもん、自分の顔で見飽きてるもんなあ」
「それなら私よりカチェイの方が見あきてるだろうに。どうやら私の顔に効果はないようだね」
 笑顔で二人睨みあう。アティーファは鈴の音のように笑いだした。
「二人とも、あんまり笑わせないでくれ。――でも、カチェイの言う通りだ。蒼水庭園を去るとき、マルチナは寂しそうだった。ううん、それだけじゃない。あれはまるで……」
 凍りついたように、マルチナは見えた。
 唇は真っ青で、白い手はわななき、今にも叫びだしそうにすら見えたのだ。
「マルチナが少しでも寂しくないようにって凛毅を置いてきたけど。――改めて考えると、寂しいだけであんな顔にはならないかなって思うんだ。アトゥールはなにか感じなかった?」
「皇城に居た時は特別感じたものはなかったね。ただ……」
「ただ?」
「奇妙な気配が皇城の方向に向かった気が、先程したね」
 難しそうな顔で腕を組んだアトゥールと、深刻なアティーファを前に、リーレンがおずおずと口を挟む。
「あの……」
「ん? なにかリーレンも気付くことがあったのか?」
「いえ。その、マルチナ姫のご様子って……そんなに深刻そうだったのですか?」
「うん」
 アティーファに即答されて、リーレンは小さくなる。その黒髪の魔力者の肩をがっしりと掴んで、カチェイとアトゥールは皇女から離れた場所に引きずっていった。
「あ、あああ、あの!?」
「なあ、リーレン」
 そっと耳打ちする。くすぐったそうにリーレンが身体を震わせたが、カチェイはおかまいなしだった。
「お前、本当にマルチナ姫の様子に気付いてなかったのか?」
「はい」
 背の高い身体を縮こまらせる弟分に溜息を付き、カチェイは親友を見やった。
「俺はなんともマルチナ姫が不敏に思えてきたよ」
「本当に。視界に入っていただけで、マルチナ姫を見てもいなかっただなんてね。好意を持った相手には見ても貰えず、どうでもいい相手は色情をぶつけてくる」
 二人がわざとリーレンに聞こえるように内緒話をする。黒髪の魔力者は困り果てた。
「好意って、マルチナ姫には誰か思う方がいらしたんですか? 知りませんでした」
「――鈍感」
「ええ!?」
 間髪いれない二人の言葉に、リーレンはのけぞる。アティーファが近寄ってきて、首を傾げた。
「話しは終わった?」
「ああ。リーレンの視界にはアティーファしか入らないことが分かったよ」
「それってリーレン目の病気じゃないのか!? 医師に見てもらったほうがいい! さあ、早くっ!」
 いきなり幼馴染みでもあるリーレンの手を掴み、アティーファは船内を走りだす。なんでもないです、正常ですと声を上げるリーレンの主張は届いていなかった。
 取り残された二人の公子は、ゆっくりと船の縁に近寄って、めいめい空と河の青を見やる。
「いやぁ、おっそろしい鈍感対決だな」
「リーレンの恋は実るのか、それとも誰かにかっさらわれるのか。個人的には弟分を応援してやりたいところだけど」
「まあなあ。――それにしてもレキスではなにが起きてるのやら」
「レキス公国領に入るまであと何日かかかるからね。それまでに色々と考えてみるといいよ」
「お前の見解は?」
「まだ口に出来るほどには、何もまとまらない」
「相変わらず確証がないと、なにも話さないんだな」
「そうだね」
 二人、空と河とを見ていた瞳をはがして、互いをみやる。ふっと苦笑してから、一旦二人は持ち場に戻った。
 レキスに向かう都中の町々に用意させた補給物資の積み込み指示など、やらねばならぬことは、呆れるほどにあった。
 幾日か経過すると、船はエイデガル皇国からレキス公国へと入る直前の町に入った。ここから先では、満足な補給が受けられる可能性は低い。予め手配しておいた補給物資が並び、それを積み込む補給船も並んでいた。
「大所帯になるんだな」
 皇女が呆気に取られた声をだせば、常に傍らにあるリーレンも肯く。
「本当ですね。レキスの様子をまずは見てくるのが役目でしたのに、こんなに沢山の人と船が必要なんでしょうか?」
 物資を運ぶ屈強な男達は、高貴なる少女を遠巻きにして、微笑ましそうに見つめていた。
 補給物資のリストと、出港後の行動などを的確に指示していたティオス公子アトゥールは、目を丸くする妹分たちに歩み寄る。
「私達は何も食べずにいられるわけじゃないし、船だって燃料がなければ進めないときがある。レキスで入手できる可能性はないわけじゃないが、可能性が低いものを当てにするのは愚かなことだよ」
「アトゥール、じゃあこれは、殆ど私達の食べ物とかだったりするのか?」
「我が風鳥騎士団は、軍馬も連れてきているからね。人間だけじゃない、それらも食料を必要とする」
 アトゥールは皇女の頭を軽く撫で、再び指示を与えるべく戻っていった。
「軍を動かすには金がいる。戦なんてするもんじゃないって父上が言ってた。すっごく説得力があるな」
「そうですね。二つの騎士団が動いただけでも、これだけいるんですから」
「二人してなにぽかんと口開けてるんだ?」
「あ、カチェイ!」
 背後から近寄ってきた鋼色の髪と目を持つ男に、アティーファは笑顔を向ける。町にたどり着いてからこの方、カチェイの姿が消えていたのを、彼女は気にかけていたのだ。
「どこにいってたんだ?」
「ちょっくら先発隊の先発ってことで、レキス公国の国境にある砦の狼煙台に上ってきた。やっぱなんか、嫌な感じがするな」
「嫌な感じ?」
「まず狼煙台に人がいない。――変だろ、異変がないことを知らせる狼煙を中継してるってのに」
「あっ!」
 狼煙は異変なしと知らせてきているのだ。毎日。
「もしかして、砦にも?」
「ああ。人の気配はなかったな」
 国境沿いを守る砦に、騎士団がいないなど通常では考えられなかった。
「一人も?」
「俺が見るかぎりじゃな。――巧妙に隠れてんだと思いたいところだが」
「――レキスの民は……今、どういう状態にあるんだろう」
 アティーファの顔が曇る。カチェイは救うために俺らが行くんだろうと優しく言って、リーレンに託して歩いていった。
 おそらくは、この先での補給は完全に諦めたほうがいいとアトゥールに言いに行くのだろう。アティーファは明日には向かうことになるレキス公国内を睨むようにした。
 ひゅう、と風が拭いた。
 レキスから外へと抜けてきた、風が。
「なんだろう。この風は、ひどく――そう、恐ろしいものを運んでくるような気がする……」
 アティーファは小さくごちた。


 レキス公国城をいただく都は、運河の一部を内部へと引き込んで、城下の中心部に港を作り上げていた。
 出迎える者のいない静かな港に降り立って、アティーファは顔を曇らせる。
「ここも静かすぎる」
 レキス公国内に入ってから、河沿いに人の姿を見ることはなかった。中継港は孤独に沈み、からからと風に吹かれている。
 船を先に降りて周囲の安全を確認していたアデル公子カチェイが振り向いた。
「静かじゃなしに、異変の大判振る舞いだったらどうするよ」
「それも……嫌かも」
 想像して呟いたアティーファには、カチェイと、船を降りた途端に何かを探すように飛びだしたリーレンと、瓦礫の前で膝を折るアトゥールが見える。
 そのティオス公子が薄茶の髪を不愉快げにかき上げたので、アティーファは不思議そうにした。
「アトゥール?」
「この異変を引き起こした誰かというのは、随分と趣味が悪い人間みたいだね」
「趣味が悪い?」
 尋ねながら近寄ったので、アトゥールは立ちあがってアティーファの視界を塞いだ。カチェイが振り向く。
「どうしたよ、アトゥール」
「人の成れの果てが何体かね」
「――あったのか」
 やはり死んでいたのかと呟いたカチェイの、ひどく辛そうな言葉にアティーファの胸が痛む。一体どのような状態になっているのかと覗き込もうとしたが、アトゥールがそれをさせなかった。
「彼らの状態はあまりにひどい。エイデガルの皇女殿下に、こんな姿を見られたくはないだろう」
「……わかった」
 無理に見ようとするのをやめ、かわりにアティーファは荒れてしまった都を見渡して唇を噛んだ。
 対応が遅れたのだと、廃墟になろうとする都が抗議の声をあげているような気持ちになる。
「アティーファ様、進みますか?」
 先程までひどくきょろきょろしていたリーレンが、定位置のアティーファの隣に戻って尋ねる。
「行こう」
 ティオス、アデル両公国の騎士団に出立を伝えた。船酔いせずに出番を待っていた愛馬の手綱を取る。
 二人が先行するのを見届けて、公子二人は顔を寄せた。
「ところで無事なのか?」
「今現在に限定するなら、無事ではあると思うね」
「保証すんのは今だけかよ」
 溜息をカチェイが落とすと、アトゥールは皮肉げに顔を上げた。
「どうやって未来を保証する? 自分のことさえ分からないというのに」
「他人事のようにいうな」
「外因的な要因によって変化するんだ。他人事のようにいうほかないね」
 アトゥールが低く言い放った時に、リーレンが二人が深刻そうな顔で立ち止まっていることに気付いて、なんとなく凝視した。軽く驚いた顔をする。
「お二方とも、その剣はなんですか?」
 二人は常に同じ剣を所持している。だが今日の二人は、それとは全く違うものを所持しているようなのだ。
 カチェイがリーレンを見やり、厳しい顔をした。
「――リーレン」
 低い声に、リーレンは自分が出過ぎたことを言ったのかと焦る。カチェイはすぐさまリーレンの側まで馬を寄せ、無骨な手で彼の肩を叩いた。
「俺らよりもアティーファを気にしろ。ほら、加速した」
「はい? え、あ、ああ! アティーファ様っ!」
 慌てて馬首を変え、突然に馬を加速させたアティーファを追う。あまりに単純な反応に、カチェイは肩をすくめた。
「あいつの精神年齢って、何才なんだか」
「十歳かな」
 静かなアトゥールの断言に、カチェイは硬直した。
「あっさりと恐ろしげなことをいうお前は、百歳というところか」
「私より年上なのだから、その計算でいうと、カチェイは百二歳というわけだね」
 涼しげに答えながら、アトゥールはリーレンが不思議そうにみやった剣を抱えなおした。カチェイがそれに気付いて目を細める。
「使わんですむといいな」
「そうだね。――これを使わねばならない事態を歓迎する気にはなれないし。正直疲れるよ」
「だろうな」
 アトゥールが抱えていたのは布に包んだ大剣であり、カチェイが腰にはくのは細剣だった。
「さて、いくか」
 遅れを取り戻そうと、二人素早く馬を走らせる。
 レキス公城へと進む一行を見定めるように、ひそやかに影が地面を走ったことを、誰も気付いていなかった。

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